02 予兆
花咲代表の逮捕という一件は、それなりの勢いで世間を騒がすことになってしまった。
《アトミック・ガールズ》およびユーリ・ピーチ=ストームの知名度が、そのまま反響の大きさに比例しているのだろう。その夜には、各局の報道番組でその不祥事が取り上げられるぐらいであったのだった。
「花咲代表は、複数のイベント企業の社長を兼任するお立場です。ですが、それらの企業および脱税額の規模を考えれば、テレビで報道されるほどのバリューではないかと思われます」
のちのち、千駄ヶ谷はそんな風に評していた。
ならばそれは、やっぱりユーリの知名度こそが悪い意味での追い風になってしまったのだろう。テレビの報道番組においても「あのユーリ選手でもお馴染みの」という枕詞とともに、運営会社の社長が逮捕されたと伝えられていたのだった。
ちなみに今回取り沙汰されたのは、花咲氏個人の脱税である。
よって、花咲氏を切り捨てれば、それぞれのイベント企業も存続を許されるようであったが――いずれにおいても、花咲氏は自らが陣頭に立って会社を動かしていたのだ。名目上の存続は可能でも、実質的な存続は困難であろうと見なされていた。
《アトミック・ガールズ》を運営していたパラス=アテナなどは、それがいっそう顕著である。パラス=アテナには数名の職員しか存在せず、あとはバイト職員でまかなっていたという、絵に描いたような零細企業であったのだ。あの気弱そうなブッキングマネージャー駒形氏が実質上のナンバースリーという話であったのだから、あとは想像に難くなかった。
「ただし、あちらでは花咲代表の右腕的存在であった経理部長の黒澤氏が立て直しに奔走しているとのことです。私はその御方と面識がないのですが……駒形氏と連絡を密に取り、状況の把握に努めたく思います」
千駄ヶ谷は、そんな風にも言っていた。
「ですが、現時点での状況からも、パラス=アテナの存続は難しいように思います。ユーリ選手も、心の準備だけはしておいていただきたく存じます」
「心の準備というのは……アトミックがなくなっちゃうかもしれないっていう覚悟ですかぁ?」
「はい。もしもそのような事態に至ったならば、《NEXT》や《フィスト》を主戦場とする他ありません。そちらの興行においては女子選手の試合もあまり組まれていないというのが現状となりますが……《アトミック・ガールズ》が瓦解して多くの女子選手が行き場を失えば、その受け皿になろうという方針が取られるやもしれません。何にせよ、余計な雑念にはとらわれず、これまで通りトレーニングに励んでいただきたく思います」
それは、二つの意味から難しい部分があった。
まず、第一に――新宿プレスマン道場には、各媒体の報道陣が押し寄せることになってしまったのだ。
千駄ヶ谷のボルボで道場の近辺まで送ってもらったユーリと瓜子は、ウィンドウごしにその騒動を見届けることになった。
「これでは道場の方々にまでご迷惑をおかけしてしまいますね。……残念ですが、本日のトレーニングは自粛をお願いいたします」
「そ、それよりあの騒ぎはどうしたものでしょう? このままじゃあ、ユーリはプレスマン道場を追い出されちゃいますよぉ」
「それを食い止めるのが、我々の仕事となります。ユーリ選手は、こちらで少々お待ちください」
千駄ヶ谷はボルボを停車させ、単身で報道陣の群れに突入していった。
そうして十分ばかりが経過すると、レポーターたちはいかにも渋々といった様子で散開する。そうしてボルボに舞い戻ってきた千駄ヶ谷の手には、二ケタに及ぶ名刺が握られていた。
「ユーリ選手の声明は二時間以内に各媒体へとお伝えするということで、お引き取りを願いました。お手間をかけますが、ユーリ選手にはこのままいったん弊社へとおいでいただき、ご一緒に声明文の内容を考案していただきたく存じます」
そうしてその夜には、千駄ヶ谷の主導で作成されたユーリの声明文が、各媒体で公開される事態に至ったのだった。
しかしおそらく、彼らが求めているのはユーリの肉声だ。さらに言うならば、画面映えするユーリのビジュアルであろう。明日以降も記者陣が押し寄せる危険は否めないので十分に用心するようにという警告が、千駄ヶ谷から与えられることになった。
「失礼ながら、ユーリ選手はインタビューの類いを苦手にしておられるように存じます。このたびばかりは軽はずみな発言が致命的になりかねないので、記者陣にはノーコメントを貫き通していただきたく思います」
もとよりユーリには責任のない案件であるのに、どうしてこちらがこうまで気を張らなければならないのか。これが人気者の宿命とはいえ、瓜子は忸怩たる思いであった。
そして、もうひとつの問題点――それは、ユーリのメンタル面における問題であった。
「ユーリがチャンピオンになったとたん、こんな事件が起きるなんてなぁ。やっぱりユーリって、疫病神の素質があるのかしらん……」
「花咲代表の不祥事とユーリさんの存在には、これっぽっちの因果関係もないじゃないっすか。そんな気弱なこと言わないで、明日からは稽古を頑張りましょうよ」
「でもさぁ、このままアトミックがなくなっちゃったら、きっとベル様はアメリカに帰っちゃうよねぇ。本当だったら、十一月にベル様と試合をできるはずだったのになぁ……」
「それを言ったら、自分だってサキさんとの統一戦が予定されてたんすよ。まだアトミックがなくなるって決まったわけじゃないんすから、希望を持ちましょう」
さすがのユーリも、この一件ではすっかりまいってしまったようだった。瓜子にしてみても、ユーリを慰めるのに全力を尽くすことで、心にのしかかる不安や憤懣をごまかしていたようなものであった。
そんな瓜子たちに希望を与えてくれたのは、小笠原選手である。
その夜に、小笠原選手が出稽古のお誘いをしてくれたのだ。
『また明日から一週間ぐらい、東京にお邪魔することになってさ。決起集会の意味も込めて、一緒に汗を流そうよ。花さんに話をつけておいたから、明日は天覇ZEROにお邪魔できるよ』
ユーリはぐんにゃりしていたので、瓜子が電話でその言葉を聞き届けることになった。
『最悪、アトミックはこのまま消滅しちゃうわけでしょ? そうしたら、アタシらは余所の興行で試合をするしかないんだからさ。それに備えて、トレーニングを積んでおかないと。《NEXT》も《フィスト》も今後はケージで統一されそうだから、その対策を練っておかなきゃいけないわけだよ』
「なるほど。アトミックが消滅するなんて、まだ想像もしたくないところですけど……自分たちがうじうじ悩んでたって、どうしようもありませんもんね」
『そうそう。アトミックが消滅しようが存続しようが、アタシらは試合に向けて精進あるのみさ。……桃園は、どんな感じ? へらへら笑ってる? がっくり落ち込んでる?』
「どっちかっていうと、後者っす」
『あー、そういう部分は打たれ弱かったかぁ。ま、身体を動かせばスッキリするよ。明日はたっぷりしごいてやるから覚悟しておけって伝えておいてね』
「押忍。ありがとうございます」
そんなやりとりを経て、瓜子とユーリは事件の翌日、天覇ZEROに出向くことになった。
そこで、第二の事件の予兆に触れることになったわけである。
◇
天覇ZEROにおける出稽古は、きわめて充実していた。
天覇ZEROは、天覇館の有力選手が独立して立ち上げた、比較的新しいジムである。しかし、キックと柔術に関しても外部から高名なトレーナーを招聘しており、さまざまな分野で実績を残していた。ジムの会長である人物もいまだ現役選手であり、北米の《スラッシュ》に参戦しているのだ。これまでのファイトマネーで自身のジムを創立し、現役生活を続けながら後進の育成にも励むという、瓜子から見れば理想的とも思えるような人生であった。
そんな天覇ZEROの出稽古に、本日は五名の女子選手が集結していた。プレスマン道場からユーリ、瓜子、愛音、武魂会から小笠原選手、小柴選手という顔ぶれである。
それを迎え撃つ天覇ZEROのメンバーは、鞠山選手と二名の新人女子選手、そしてサブトレーナーであるという陽気な男性であった。
「アトミックの試合はちょいちょい拝見してるし、花子からも色々と話を聞いてるからね。今日はよろしくお願いするよ」
周囲では、もちろん男子選手たちもトレーニングに励んでいる。現在はキック部門のレッスン時間であり、空いたスペースではMMAや柔術の自由練習が執り行われているのだという話であった。
「今日の主題は、壁レスだってね。それじゃあまずは、基本的なところから始めようか」
壁レス、すなわち壁レスリングである。ケージの試合場では金網際の攻防が多くなるため、リングにおける試合とはまた一風異なる技術が必要とされるのだった。
小笠原選手や小柴選手はちょいちょいこちらでお世話になっているそうだが、本格的に壁レスリングの指導を受けていたのは、小笠原選手ひとりであった。六月に行われた『NEXT・ROCK FESTIVAL』のために、小笠原選手はこの場で壁レスリングの技術を磨いていたのだ。
「だけど小笠原さんは、うちで磨いた技術を披露する前に相手をぶちのめしちまったよな。レスラー相手に組み合いを許さず、圧巻のKO勝利。まったく、ストライカーの理想だね」
「いえいえ。こちらで壁レスを学んだからこそ、怯むことなく攻撃に集中できたんですよ。何も知らないままケージの試合に臨むなんて、無謀の極みでしょうからね」
そうして、サブトレーナーによる壁レスリングの指導が始められた。
新しい技術の習得ということで、瓜子の胸はそれなりに湧きたっている。日中はどんよりしていたユーリも、ウォームアップを済ませる頃には普段通りの瞳の輝きを取り戻していた。
「もしも金網まで押し込まれたら、背中と足を金網にべったりひっつけて、隙間を作らない。足の角度は、金網と平行な。極論から言うと、その体勢を保持してるだけでテイクダウンを取られる恐れはないわけだからね。ただし、相手はあの手この手でこちらの体勢を崩してこようとする。それをしのぎながら、体勢を入れ替えるか脱出するかの策を練るわけだ」
サブトレーナーが攻撃役、小笠原選手が防御役となって、模範演技をしてくれた。身長は小笠原選手のほうがまさっているぐらいであったが、厚みや横幅は比較にもならない。そんな相手に壁際で圧迫される小笠原選手は、いかにも苦しげであった。
「攻める側は、こうやって頭で相手の下顎を圧迫する。そうすると身体がのびて、重心もあがってくるからね。四ツの体勢なら、差した腕で相手の身体を上に引き上げるのも有効だ。いかに相手よりも低い重心をキープできるか、それが壁レスのポジション争いってわけだよ」
「ふみゅ。どことなく、グラウンドの攻防と相通ずる部分があるようですねぇ」
珍しくもユーリが率先して発言すると、サブトレーナーは小笠原選手を攻めたてながら「そうそう」と笑み崩れた。
「うちのジムでは、壁をマットと思えって教え込んでるよ。グラウンドで上をキープするのと、壁際で押し込むポジションをキープするのは、同じようなもんだからさ。さすがグラップラーで知られるユーリさんは、鋭いね」
「稽古中に脂下がってるんじゃないだわよ。トキちゃん、隙があったら膝蹴りでもぶちこんでやるだわよ」
「いやあ、ここまで頭を上げられちゃうと、身動きが取れないよ」
そんな感じに、トレーニングは粛々と進められていった。
事件が起きたのは、一時間ほどが経過して、少し長めのインターバルを差しはさんだ頃である。瓜子も何度か顔をあわせている年配のコーチが、首を傾げながらこちらに近づいてきたのだ。
「やあ、みんなお疲れさん。……花子、ちょっといいか?」
鞠山選手は、コーチとともに事務室へと姿を消した。
そしてすぐさま、ノートパソコンを手に舞い戻ってきたのだった。
「ちょっと! こいつを見るだわよ!」
怖い顔をした鞠山選手が、瓜子たちにノートパソコンの画面を突きつけてくる。
そこには真っ黒の背景に、デジタルなデザインの数字が羅列されていた。『47:53:32』と記されており、下一ケタの数字だけが一秒ごとに減っていく。
「何これ? なんかのカウントダウン?」
小笠原選手が問いかけると、鞠山選手は無言でディスプレイの上部を指し示した。
そこに浮かびあがっていたのは――《アトミック・ガールズ》のロゴマークだ。派手なカラーリングがモノクロに変じていたため、誰もが見逃していたのである。
「これは、アトミックの公式サイトなんだわよ。今まで公開されてたコンテンツが全部閉鎖されて、このカウントダウンが開始されたそうだわね」
「カウントダウンが開始されたって……なんのカウントさ? 二日後に何が起きるってわけ?」
「そんなの、わたいが知るわけないんだわよ。ま、運営終了のおしらせだったら、こんなふざけた真似をするわけがないだわね」
それが、瓜子たちの目にした第二の大事件の予兆であった。
この頃から、すでに新たな戦いは始められていたのである。
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