9th Bout ~Flare of the Rebellion~
ACT.1 叛逆の狼煙
01 晴天の霹靂
それは、《アトミック・ガールズ》の七月大会が終了して、一週間ほどが経過したのちのことであった。
最初の三日間は休養にあてて、旧友の佐伯とリンをユーリに引き合わせた後は、瓜子たちもまた変わらぬ日常に埋没していた。グラビア撮影の仕事は大会前にまとめ撮りをしていたが、九月に発売予定であるサードシングル関連の仕事が手ぐすねを引いて待ちかまえていたのだ。
とはいえ、千駄ヶ谷の提案でコンセプトの大幅な変更が為されたためか、いまだに録音作業は始められていない。もともとは八月の発売に向けて動いていたプロジェクトであったのに、それをひと月も遅らせてまで、大々的な変更が為されたのである。
端的に言うと、サードシングルは演奏陣との同時録音――いわゆる、一発録りで為されることが決定されていた。
ユーリはまぎれもなくソロシンガーなのだから、これは異例の処置といえるだろう。元来、一発録りというのは、ライブ感を重要視するロックバンドにこそ相応な録音方法であったのだ。
しかしまあ、ユーリのポテンシャルはライブ形態でこそ如何なく発揮されると見込まれての決定であるのだろう。ユーリのライブの破壊力を思い知らされた瓜子にしてみても、べつだん驚く気にはなれなかった。ただ、それでけっきょく『ワンド・ペイジ』と『ベイビー・アピール』が演奏役に任命されたのだと聞き及び、ひそかに胸を騒がせたていどのことである。
また、録音作業は八月の中旬と言い渡されたので、現在のユーリの為すべきは、ひたすら新曲のレッスンばかりであった。録音の当日までに基本の歌唱を完璧に仕上げるべしと言い渡されて、つぶれた大福のような顔になっていたユーリである。
その他は――格闘技関連の取材が、いくつか舞い込んだぐらいであろうか。
そしてそれは、瓜子も他人事ではなかった。瓜子とユーリはそろってタイトルマッチに勝利したため、そういった栄誉を授かることになったわけである。
そうして頭の痛いことには、瓜子に対するグラビア撮影のオファーというものも殺到してしまっていた。
ユーリのセカンドシングル特装版に、格闘技マガジン女子選手特集号と、瓜子が立て続けに水着姿をさらした後、暫定王者決定戦に勝利などという話題性がかぶさってしまったものだから、そんな恐るべきムーブメントが発生してしまったのだ。
ちなみに格闘技マガジン女子選手特集号は予想を遥かに上回る売れ行きで、なんと三回も増刷を重ねたそうである。瓜子にはあずかり知らぬことであったが、雑誌が増刷というのはあまり当たり前の話ではないらしい。この案件を重要視していた千駄ヶ谷の慧眼に恐れ入ると同時に、瓜子は途方もない脱力感を覚えることになってしまった。
しかし幸いなことに、現時点ではすべての撮影オファーを断ることができている。
瓜子は頼んでもいないのに、千駄ヶ谷が取捨選択の窓口を買って出てくれたのだ。
「猪狩さんにはアスリートとしてのストイックなイメージが付随しているため、安易にグラビア撮影の依頼を受けるべきではないでしょう。また、露出の機会を抑えることで、希少性を高めることも重要であるかと存じます」
なんだか瓜子は、ユーリに続いてアイドルファイターにでもなってしまったような心地であった。
しかも、オファーの中には瓜子単独の撮影依頼という案件も少なくないらしい。ユーリとのペアリングだけではなく、瓜子単独でグラビアページを飾りたいなどという、空恐ろしい話が何件も持ち上がっているという話であるのだ。
斯様にして、瓜子はユーリともども騒がしい日々を送っていた。
しかしまあ、騒がしいのはいつものことである。瓜子としては、千駄ヶ谷のお眼鏡にかなうような案件が舞い込んでこないように祈りながら、ひたすら日々の仕事とトレーニングに打ち込むばかりであった。
そんな感じに、一週間ていどの時間が過ぎて――
ついに、その日がやってきたのである。
それは誇張でも何でもなく、瓜子やユーリたちにとって――いや、《アトミック・ガールズ》に関わるすべての人間にとって、青天の霹靂としか言いようのない大事件であったのだった。
◇
その日も瓜子はユーリの付き添いで、音楽スタジオを訪れていた。
作曲者の準備したオケの音源を使って、ユーリは歌のレッスンに励んでいる。これまでのシングルではこういったレッスンもほんの数回であったのに、このたびは週三ペースで設定されてしまっていた。
ガラスの向こう側に閉じ込められたユーリは、ヘッドホンから流される音源にあわせて、懸命に歌い続けている。それを見守るのはプロデューサーと音響スタッフと、それに瓜子の三名だ。
「うん、悪くないね。ただ、Bメロラストのビブラートがちょっと弱いかな。あんまり声を張り上げるんじゃなく、サビの盛り上がりに繋げる意識で、丁寧に歌ってみてもらえる?」
プロデューサーはこれまでのシングルも担当してくれた、四十代半ばの男性だ。とても物腰のやわらかい人物で、音楽的素養に欠けているユーリにも懇切丁寧に指導をしてくれる。また、ユーリの色香に惑わされている気配もない。余談だが、この人物がときおり見せるなよやかな仕草は、どこかトシ先生に似通っていた。
「あと、Aメロの入りがちょっと突っ込み気味かな。イントロが裏の拍を強調してるんで、ちょっと惑わされてるのかもしれないね。ギターよりもドラムをよく聞いて、リズムの流れを意識してみようか」
『はぁい。頑張ってみますぅ』
ユーリの声はスピーカーを通して、こちらのミキシング室に伝えられてくる。こちら側のマイクをオフにしたプロデューサーは、瓜子に向かって穏やかに微笑みかけてきた。
「確かにユーリちゃんは、ひと皮むけた感じがするね。ここだけの話、これまではちょっと歌のお上手な素人さんって感じだったけど……今はれっきとした新人アーティストを育ててるような気分だよ」
「ありがとうございます。生バンドとの共演が、ずいぶん刺激になったみたいです」
「うんうん。ボクのほうにも、そのナントカっていうイベントの評判が聞こえてきたぐらいだからねえ。しかもそれきっかけで、『ワンド・ペイジ』と『ベイビー・アピール』がオケの担当になったんでしょ? 録音の日が楽しみだなぁ」
ユーリには聞こえていない場所で、ユーリが高く評価されている。これもまた、瓜子にとってはささやかな喜びのひとときであった。
そうしてその日も二時間のレッスンを終えて、ユーリは「ふひー」と待合室のソファに沈み込んだ。
「ちかれたよー。こんなにお歌のレッスンばかりだと、グラビア撮影が待ち遠しくなっちゃうわん」
「撮影の仕事の再開まで、あと三日っすね。お顔の傷もなんとかふさがったみたいだし、タイミングとしてはバッチリだったじゃないすか」
「うんうん。試合でキズモノになる覚悟はいつでも固めておるけれども、今回もアイドルちゃんを引退せずに済んで何よりですわん」
そんな風に言いながら、ユーリはもともと垂れ気味の目をさらに下側に引っ張った。ジジ選手の猛攻に傷つけられた両方のまぶたは、痕も残らずに消えている。あとは前腕に残された痣さえ消えれば、もとの通りの美しきユーリであった。
「たっぷり歌ったから、おなかがぺこぺこちゃんだぁ。お稽古の前に軽食をつまんでおきたいのだけど、うり坊ちゃんはいかが?」
「そうっすね。時間には余裕もあるし、いいんじゃないっすか」
そうして携帯端末で時刻を確認しようとした瓜子は、電源を切っていたことを思い出した。歌のチェック中にはバイブ音すらもお邪魔であるかと思い、自主的にそうしていたのだ。
そうして携帯端末の電源を入れた瓜子は――思わず言葉を失うことになった。
瓜子の様子に気づいたユーリが、「うみゅ?」と小首を傾げる。
「どったの、うり坊ちゃん? 何か悪いおしらせでも?」
「いや、何があったのかはわかんないっすけど……見てください、これ」
瓜子の携帯端末を覗き込んだユーリも、「ほへー」と驚きの声をあげていた。
そこにはおびただしいほどの不在着信の通知が、ずらりと羅列されていたのだ。
「小柴選手、鞠山選手、灰原選手、小柴選手、多賀崎選手、灰原選手、灰原選手、小柴選手、小笠原選手、鞠山選手、多賀崎選手、灰原選手、小柴選手、灰原選手――これはいったい、何事かしらん?」
「自分にもわかりません。ユーリさんのほうは、どうっすっか?」
「あ、そっか。ユーリも電源は切っていたのだよねぇ。……どひゃー! こっちも同じ有り様だぁ」
見せてもらうと、ユーリのほうにも二ケタの不在着信が羅列されていた。小柴選手や灰原選手よりも多賀崎選手の名前のほうが多いのは、各々の交流具合に起因しているのだろう。
「あ、メールも何件か届いておりますぞよ。そっちに用件が書かれているんじゃなかろうか?」
「あ、ほんとっすね。ちょっと確認を――」
と、瓜子が言いかけたところで、ふっと視界が暗くなった。目の前に、何者かが立ちはだかったのだ。
瓜子が顔を上げると、そこにはふちなし眼鏡をかけた冷徹なる上司の顔が浮かんでいた。
「あ、あれ? お疲れ様です、千駄ヶ谷さん。レッスンはもう終了しましたけど、何か緊急のご用事ですか?」
「緊急です。お二人とも、車のほうにどうぞ」
本日の千駄ヶ谷は、初手から絶対零度の眼差しと成り果てていた。
その恐ろしさに思わず生唾を飲み下しつつ、瓜子はささやかな抵抗を試みる。
「わ、わかりました。でもちょっと、メールチェックをさせてもらっていいっすか? なんか、尋常でない量の着信があって――」
「お相手は、格闘技関連の方々でしょうか? であれば、私と同じ案件でありましょう。取り急ぎ、車のほうに」
これでは瓜子も、抵抗を続けることはかなわなかった。ユーリも耳を下げた大型犬のような面持ちで、携帯端末を折りたたんでいる。
千駄ヶ谷のボルボは、音楽スタジオのすぐそばにあるパーキングにとめられていた。
瓜子とユーリが後部座席に乗り込むと、料金を支払った千駄ヶ谷が運転席でエンジンを始動させる。
「お二人は、これからトレーニングでしょうか? であれば、道場の前までお送りいたします」
「あ、ありがとうございます。でも、緊急の用件っていうのは……」
「運転がてら、お話しいたします。……私はハンドルを握っているほうが、精神を安定できますので」
では、千駄ヶ谷ほどの人間が心を乱すほどの緊急事態なのであろうか。
瓜子とユーリが背筋をのばして待っていると、千駄ヶ谷はボルボを発進させ、国道に乗り入れたところで口を開いた。
「ユーリ選手、猪狩さん。このたびの案件は、いまだどのように発展するものか、予断を許せない状況にあります。どうかお気を落ち着けてお聞きください」
「は、はい。心の準備はできているつもりです。いったい何があったんすか?」
千駄ヶ谷はバックミラーごしに瓜子を見やり、ぐんとアクセルを踏み込んでから、言った。
「……パラス=アテナの代表である花咲氏が、逮捕されました」
その言葉を理解するのに、瓜子は三秒ほど要した。
「い、今、逮捕って仰いましたか? パラス=アテナの、花咲代表が? どうしてあのお人が、逮捕だなんて……」
「脱税です」
千駄ヶ谷の返答は、短かった。
瓜子は再び、言葉を失ってしまう。
「ご存じの通り、パラス=アテナは花咲代表のワンマン経営でありました。氏なくして《アトミック・ガールズ》は存続し得るかどうか……また、社長の逮捕という不祥事を抱えながら、存続させることが許されるのかどうか……現時点では、まったく見通しが立ちません。ブッキングマネージャーの駒形氏や他のスタッフたちも、頭を抱えておられるご様子です」
瓜子は絶句したまま、ユーリのほうに向きなおった。
ユーリもまた、瓜子のほうに向きなおったところであった。
そして、先に言語能力を回復させたのは、ユーリのほうであった。
「……《アトミック・ガールズ》、なくなっちゃうの?」
ユーリは、母猫とはぐれた子猫のような顔になってしまっていた。
瓜子は――やっぱり、何とも答えることができなかった。
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