09 祭の後

 ベリーニャ選手に無差別級王座のベルトが巻かれたのち、本日の出場選手はただちにリング上に招集されることになった。

 大会の、閉会式である。さすが四大タイトルマッチということで、客席にはほとんどのお客が居残っている様子であった。


 瓜子とユーリもコーチ陣に預けていたベルトを肩に抱えて、いざリングへと舞い戻る。

 そこで待ち受けていた小柴選手が、感極まった様子で瓜子の手を両手で握りしめてきた。


「猪狩さん! 戴冠、おめでとうございます! わたしはもう、最初から最後まで震えが止まりませんでした!」


「ありがとうございます。小柴選手も、文句なしのKO勝利でしたね」


 そんな風に答えてから、瓜子はくすりと笑ってしまった。


「ところで……閉会式でも、試合衣装なんすね」


「あっ! こ、これはその、鞠山さんの命令でしかたなく……」


 と、小柴選手は今さらのように身をよじった。ライトブルーの、可愛らしい魔法少女ルックである。

 すると横合いから、長身の人影が近づいてくる。


「ユーリ、ウリコ、戴冠おめでとうですー。……それにウリコは、ありがとうございましたー」


「あ、オリビア選手、ありがとうございます。……でも、それは何のお礼っすか?」


「ワタシ、誰かがメイに勝ってくれることを期待してる、言ったでしょう? だから、お礼ですー。これでメイは、きっともっと強くなれるですー」


 そんな風に言いながら、オリビア選手はにこやかに笑っていた。


「メイ選手が今より強くなったら、手に負えないっすね。……メイ選手は、やっぱり病院っすか?」


「そうですねー。メイとマイは病院みたいですー」


 そうして並べるとコンビのようだが、マイとは来栖選手のことである。負けたら引退という宣言をしていた来栖選手が閉会式に参席できないというのは、瓜子にとっても悲しい限りであった。


(でも、形式なんて関係ないからな)


 来栖選手がもしも本当に引退してしまうのならば、後に残された人間が《アトミック・ガールズ》を支えていくのだ。

 暫定王者のベルトとともに、瓜子はその重みもしっかりと抱えているつもりであった。


「あらぁ、ようやく会えたやんねぇ、瓜子ちゃん」


 と、今度は雅選手が忍び寄ってくる。

 チャンピオンベルトを肩に抱えた雅選手は、獲物を見つけた毒蛇のようにねっとりと微笑んでいた。


「戴冠、おめでとさぁん。瓜子ちゃんは、期待通りの逸材やったねぇ。サキちゃんとの統一戦も楽しみにしてるさかいなぁ」


「押忍。雅選手も、防衛おめでとうございます」


「うちの相手は雑魚やったから、なぁんの自慢にもならへんわぁ」


 長きの朋友たる来栖選手の敗北に、雅選手がどのような思いを抱いているのか。瓜子ていどの洞察力では、それを推し量ることも難しかった。

 そうして瓜子たちが存分に挨拶を交わし合ったところで、リングアナウンサーがリングの中央に進み出る。


『それではこれより、閉会式を開始いたします! まずは本日のベスト賞の発表です!』


 試合の時にも劣らない大歓声が、会場を揺るがしている。

 リングアナウンサーは満足そうに微笑みながら、言葉を重ねた。


『本日のベスト・バウト賞は……メインイベントで勝利した、ベリーニャ選手です!』


 大歓声の中、黒い柔術衣を纏ったベリーニャ選手がリングアナウンサーのかたわらまで進み出る。

 瓜子が予想した通りの結果である。いかにユーリが人気者でも、今日ばかりはあの一戦こそがもっとも多くの人間の胸を震わせたはずであった。


『ベリーニャ選手にはついさきほども勝利者インタビューをしたばかりですが、本当に素晴らしい一戦でありました! よろしければ、今後の展望などをお聞かせ願えますか?』


 このたびは、ベリーニャ選手も通訳を連れていた。英語で話されたベリーニャ選手の言葉を、年配の女性がいくぶんたどたどしく通訳する。


『今後も無差別級王者に相応しい試合をお見せできるように、えー、トレーニングに励みたいと思います。そして、えー、あらためて、来栖選手に敬服の念を捧げたく思います』


 そのように語るベリーニャ選手は、試合前よりも厳しい表情であるように感じられた。

 もしかしたら――来栖選手が病院送りになったことを、口惜しく思っているのだろうか。ジルベルト柔術の真髄とは、自分も相手も傷つけないまま勝利する、というものであるようなのだ。


 相手をむやみに傷つけてしまうのは、自分が未熟なためである。だから、もっともっとトレーニングを積んで、強くならなければならない――ベリーニャ選手は、そんな風に念じているのかもしれない。毎回試合の前日に視聴することになるドキュメント番組から推察する限り、ベリーニャ選手というのはそういう人間であるはずだった。


(穏やかな外見に騙されがちだけど、恐ろしいぐらいストイックなお人だよな。……だから、これだけ強くなれたんだろう)


 瓜子がそんな風に考えている間に、ベリーニャ選手は選手の列に舞い戻った。リングアナウンサーが言っていた通り、勝利者インタビューの直後であったためか、あまり語るネタもないのだろう。


『続きまして、ベスト・ストライキング賞は……第八試合に勝利した、猪狩選手です!』


 さきほど以上の歓声が、会場内を震わせた。

 あらかじめ覚悟を固めていた瓜子は、平常心で立ち上がる。本日、スタンド状態からKO勝利を収めたのは瓜子とオリビア選手のふたりのみであったため、自分が受賞する可能性は低くないのだろうと推察していたのだ。


『おめでとうございます、猪狩選手! これで四度目の受賞となり、本年度の最多記録もみごと更新と相成りました! ご感想は、如何でしょうか?』


『ありがとうございます。キックの試合でもここまでKO勝利が続いたことはないので、素直に嬉しいです』


『本日も、目の覚めるようなハイキックでありましたね! 年内に予定されている統一戦を、わたしも楽しみにしています!』


 統一戦――それが実現するかは、サキの回復次第である。

 しかしもしもサキの回復が間に合わないようなら、自分がサキの代理として王座を守り抜く所存であった。


『続きまして、ベスト・グラップリング賞は……セミファイナルで勝利した、ユーリ選手です!』


 行列に戻った瓜子のかたわらで、雅選手がひっそりと舌打ちした。彼女もチョークスリーパーで勝利を収めていたため、受賞の可能性はありと踏んでいたのであろう。


『おめでとうございます、ユーリ選手! 最終ラウンドのグラウンドテクニックは、目を見張るほどの鮮やかさでありました!』


『ありがとうございますぅ。でも、四回もダウンをくらっちゃいましたからねぇ。もっともっとお稽古が必要ですぅ』


 ふにゃふにゃと答えるユーリのもとに、大歓声が届けられる。

 それを聞きながら、雅選手は「ふふん」と鼻を鳴らした。


「歓声のボリュームは、瓜子ちゃんも負けてへんよねぇ。いつか瓜子ちゃんがあの物体を追い抜いてアトミックの顔になる日を楽しみにしとくわぁ」


「いえ、あの……ユーリさんは大事なチームメイトなんで、そういうお話を自分にされても、返事に困るんすけど……」


「ええやんかぁ。水着姿のかわゆらしさでも、瓜子ちゃんは負けてへん思うでぇ?」


「それはなおさら、返事に困ります」


 瓜子が顔をしかめてみせると、雅選手は愉快そうに忍び笑いをした。

 そうしてユーリが舞い戻ってくると、すました顔でそっぽを向いてしまう。試合の後も、ユーリと交流を深める気は皆無であるようだ。


 ベスト賞の授与を終えたのちは、本日の大会の総括をしつつ、次回大会の告知が始められる。しかしそちらは中堅以下のカードしかまだ決定されていなかったため、客席の反応も鈍かった。


 次回も会場はこのPLGホールとなるが、運営陣はどのようなカードを想定しているのだろう。ユーリとベリーニャ選手の王者対決も、瓜子とサキの統一戦も、内定されているのは十一月大会であるのだ。


(あたしやユーリさんの試合が九月にも組まれるとしたら、さすがに格下が相手の調整試合だろうけど……ま、誰が相手でもぶちのめすだけさ)


 そんな風に考えながら、瓜子はこっそりリング上に控えている選手たちのほうに視線を巡らせた。

 来栖選手とメイ=ナイトメア選手は欠席してしまっているが、それ以外の選手たちは顔をそろえている。タイトルマッチに臨んだユーリ、ジジ選手、ベリーニャ選手、雅選手、金井選手――合宿稽古をともにした、鞠山選手、小柴選手、多賀崎選手、オリビア選手――その対戦相手となった、時任選手、神田選手、マリア選手、加藤選手――プレマッチに出場した、犬飼京菜、大江山すみれ――やはり、普段以上に豪華な顔ぶれであるだろう。


 そうしてリング下には、サキや愛音や小笠原選手や灰原選手も控えている。

 来栖選手が引退してしまったならば、今後はこういった面々で《アトミック・ガールズ》を支えていくのだ。


(……心強い顔ぶれだよな)


 瓜子は、満ち足りた気持ちであった。

 そんな中、閉会式の終了が告げられる。


『それでは、《アトミック・ガールズ》七月大会、そうる・れぼりゅーしょん#4は、これにて終了とさせていただきます! 次回のご来場もお待ちしております!』


 閉会式の終わりまで、歓声は同じ勢いで響きわたっていた。

 そうして瓜子がユーリとともにリングを下りると――プレスマン軍団のかたわらに、赤星道場の面々が居揃っていた。


 赤星弥生子に青田ナナ、それに名前を知らない男女が一名ずつだ。その中から、赤星弥生子が目礼を送ってきた。


「戴冠おめでとう。立松さんの助言に従って、試合を拝見させてもらったよ」


「ありがとうございます。お楽しみいただけましたか?」


「……正直に言って、うちとはルールの差異が大きいので、あまり比較はできなかった」


 そんな風に言ってから、赤星弥生子は微笑むように目を細めた。


「でも、大きな熱を感じた。君たちを《レッド・キング》にお招きできないのは、残念だ」


「ああ……そちらとアトミックは、なんか折り合いが悪いみたいっすね」


「うん。私の父親は、あちこちに敵を作ってしまっていたからね」


 そこに、マリア選手と大江山すみれも近づいてきた。

 出場選手とセコンド陣が入り乱れて、リング下で渋滞を起こしてしまっている。それに気づいた赤星弥生子は、また粛然と目礼をしてきた。


「こんな場所で立ち話は迷惑だな。あとの話は、立松さんに聞いてもらいたい。それじゃあ、また」


 赤いウェアで統一された赤星道場の一行は、人混みにまぎれて赤コーナー陣営の控え室に戻っていく。

 こちらは青コーナー陣営の控え室を目指しつつ、瓜子は立松を振り返った。


「あとの話って、何ですか? 試合の感想でも聞かせてくれたんでしょうか?」


「いや。合宿稽古のお誘いだよ」


 笑いながら、立松はそう言った。


「赤星の連中は、毎年夏に合宿稽古をしてるんだよ。今年はプレスマンも合同でどうだってお誘いを受けたわけだな」


「……それは聞き捨てならないだわね」


 と、瓜子の横合いから鞠山選手がにゅっと首を出してきた。


「大怪獣ジュニアの実力を垣間見る、希少なチャンスなんだわよ。わたいがそれに潜り込むことは可能なんだわよ?」


「お前さんは、天覇の系列だろ。まあべつだん、うちとも赤星とも折り合いは悪くないだろうけど……そんなに弥生子ちゃんの実力が気になるのかい?」


「これまでは、ことさら関心はなかっただわね。でも、舞ちゃんが一線を退くっていうんなら……裏番長だとか言われてるあの娘っ子の力量が気になるだわよ」


 瓜子にはいまひとつ理解しがたい言い分であったが、ともあれ熱意は伝わってきた。立松も同じように思ったのか、「ふうん」と口をほころばせる。


「ま、あちらさんとの相談次第だな。そもそもうちだって、まずは会長の了解を得ないといけないからさ。こっちの話がまとまったら、猪狩を通じて連絡をよこしてやろう」


「感謝するだわよ。決して損はさせないだわよ」


 すると、人混みをかきわけてきた灰原選手が、瓜子の背中にのしかかってきた。


「何をこそこそ話してんのさ? お待ちかねの、打ち上げだよ! とっとと着替えて、準備してよね!」


「おお、今日は大人数になりそうだな。場所はそっちで押さえてくれるのかい?」


「まっかせといて! 飲み屋にはあちこち、コネがあるから!」


 なんとも賑やかな限りである。

 やがて控え室に到着すると、灰原選手は打ち上げ会場の予約を取るために電話をかけ始める。男性陣は外に締め出されて、女性陣のお着換えタイムだ。


 前半の試合に出ていた選手たちはすでに着替えを済ませているので、口々に挨拶をしながら控え室を出ていく。

 シャワーが空くのを待ちながら、瓜子はふっとユーリを振り返った。


「ユーリさんは、ずいぶん静かっすね。どこか傷でも痛むんすか?」


 両方のまぶたをガーゼで覆われたユーリは、「はにゃ?」と小首を傾げた。


「べつだん、痛みは感じないぞよ。というか、傷の痛みなど忘れておったわい」


「それじゃあ、何か考え事でも?」


「うん。……ユーリもうり坊ちゃんもタイトルマッチで勝てたんだなあって、しみじみ喜びにひたってたの」


 そう言って、ユーリはにこりと微笑んだ。

 つられて、瓜子も笑ってしまう。


「そうっすね。来栖選手とベリーニャ選手の一戦があったんで、そっちに気を取られちゃいましたけど……勝ったんすねえ、自分たちが」


「勝ったんだよぉ、ユーリたちが。おかげさまで、お顔がボッコボコですけれども」


「あはは。きっと明日は二人とも、お化けみたいな面相になってますよ。グラビア撮影のまとめ撮りをしておいて大正解でしたね」


「うんうん。千さんに感謝だねぇ」


 ユーリは、幸福そうに笑っている。その子どもみたいな笑顔を見ていると、瓜子もむやみに胸の中が温かくなってしまった。

 来栖選手の一件があったために、瓜子も遥かな行く末へと思いを飛ばしすぎていたのであろう。ユーリとともにタイトルマッチに臨んで、それに勝利できたのだという喜びが、今さらのように舞い降りてきたようだった。


(今この瞬間が楽しいから、将来に向かって頑張れるわけだしな)


 ならばやっぱり、今この瞬間の喜びを二の次にしてはいけないのだ。

 そんな思いを込めながら、瓜子はもうひとたびユーリに笑いかけてみせた。

 ユーリもまた、天使のような顔で笑ってくれていた。

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