04 第二の魔法少女
瓜子たちの思惑はどうあれ、プレマッチの第一試合は犬飼京菜の勝利に終わった。
大江山すみれはわずかに左足をひきずっていたが、余人の手を借りずに歩くことができていたので、そうまで深刻な怪我は負わずに済んだようだ。セコンド陣を巻き込んだ乱闘などが勃発することもなく、両陣営は歓声の中、花道を引き返していった。
「さて。それじゃあ、わたいの出番だわね」
と、すっかり試合衣装のいでたちとなった鞠山選手が、腰をあげる。
灰原選手は、呆れた様子でそちらを振り返った。
「あんたさ、ほんとにコッシーのセコンドを務めるつもり? 自分の試合の日にセコンドとか、バカじゃないの?」
コッシーとは言うまでもなく、小柴選手につけられた新たなニックネームである。灰原選手はあるていど親密になると、あだ名をつけずにはいられない性分であるようだった。
「低能のウサ公にバカ呼ばわりされる覚えはないんだわよ。わたいには、新たな魔法少女を覚醒させてしまった責任があるんだわよ」
「ああもう、脳まで老化してんじゃないの? そんなんで調子を崩して試合を取りこぼしたら、おもいっきり笑ってやるからね!」
なんだかんだ言いながら、灰原選手は鞠山選手を心配している様子であった。ルールミーティングの時点から、鞠山選手は小柴選手のセコンドにつくつもりだと公言していたのである。
ただし、出場選手が敵陣営の控え室に足を踏み入れることは、規定で許されていない。よって鞠山選手は、入退場と試合の時間だけ小柴選手と行動をともにするという約束で、なんとか運営側と折り合いをつけていたのだった。
「ま、今さらお前の行動にケチをつける気はないよ。せっかくセコンドにつくんだったら、入退場だけじゃなく試合中もしっかり力になってあげな」
そんな風にのたまう天覇ZEROのコーチに見送られて、鞠山選手は意気揚々と控え室を出ていった。
モニターでは、プレマッチの第二試合が始められようとしている。小柴選手の出番は、次の次だ。
「鞠山さんは、面倒見がいいからな。あんたもせめて、同門の面倒ぐらいきっちり見てくれよ」
と、多賀崎選手が灰原選手の襟首を引っつかんだ。多賀崎選手の出番はまだ先だが、もうひとたび熱を入れておこうというのだろう。
そうして四ッ谷ライオットの面々も控え室を出ていくと、ずいぶんと人口密度が低くなってきた。瓜子とユーリの周囲にはプレスマン軍団が控えてくれているので、何も物寂しいことはなかったが――そうすると、奥のほうでゆったりと身を休めている来栖選手の姿がよく見えた。
来栖選手は床に敷かれたマットの上で、両足をのばして座している。背後の壁に背をもたれて、まぶたはゆるく閉ざしており、とてもリラックスしている様子だ。
そしてそれに付き添っているのは、二名の男性と魅々香選手である。全員が『天覇館』のロゴが入ったウェアに身を包んでおり、来栖選手の安息を妨げないようにと息をひそめている様子であった。
「……なんていうか、四つもタイトルマッチが組まれてるとは思えねえような空気だな」
と、サイトーがふいにそんなことを言い出した。
確かに、控え室の空気は普段の興行と何ら変わらないように感じられる。調印式では来栖選手の雰囲気に気圧されていた金井選手も、本日は明るい表情でチームメイトと談笑しており、緊張している気配もなかった。
「まあ、変にぴりぴりしてるよりはいいんじゃないっすかね。気負っても、結果が変わるわけじゃないっすから」
「お前らのことも含めて言ってるんだよ、能天気娘ども。そういえば、犬っころどもも帰ってくる気配がねえな」
「犬飼選手は前の大会も、さっさと帰っちゃいましたからね。今回はダメージとも無縁でしょうから、帰る理由も考えつかないでしょうけど……自分たちの車か何かでくつろいでるんじゃないっすか?」
「ふん。乱闘の火種がある場所には寄り付く気になれねえってことか」
サイトーは皮肉っぽく笑いながら、サキのほうを横目で見やった。
サキは聞こえないふりをして、試合の開始されたモニターを眺めている。
「オレはもうアイツに関わる気はねえから、どうでもいいけどよ。あとは可愛い後輩をたっぷりしごくことに専念させてもらうぜ」
「押忍なのです! ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いしますなのです!」
そうして平和な空気の中、プレマッチの第二試合と本選の第一試合は無事に終了した。次はいよいよ、小柴選手の登場だ。
まずは青コーナーの側から、神田選手が登場する。これまでは《パルテノン》や《フィスト》のアマ大会にのみ出場していた、新進気鋭の若き選手だ。
これがプロデビュー戦となる神田選手は、ほどよく緊迫した面持ちで花道を歩いている。自分の所属する『相澤道場』の名がプリントされたウェアを纏っただけの、シンプルな姿だ。
そうして神田選手がリングインすると、入場曲が小柴選手のものに切り替えられた。
その聞き覚えのあるサウンドに、ユーリが「ほえ?」と首を傾げる。
「これ、なんだっけ? わりと最近、どこかで耳にしたような……」
「これはたぶん、あれっすよ。《NEXT》のロックフェスで、鞠山選手たちが最初にお披露目してた曲じゃないっすかね」
鞠山選手とともにステージに立っていた、『モンキーワンダー』の曲――たしか、『スピードスター』とかいう曲名であったろうか。そういえば、これは小柴選手が好きなアニメ作品の主題歌であるという話であったはずだ。
軽快なロックサウンドにあわせて、さまざまな色のスポットが乱舞する。
その中に、小柴選手が現れた。
それは確かに、鞠山選手とほとんど同じデザインの、魔法少女のコスチュームであった。大きな違いは、パステルカラーのライトブルーを基調にしているぐらいである。
ただこれは、鞠山選手のおさがりを仕立てなおしたためであるのか、いささかスカート――正確には、キックトランクスを改造したスカート状の飾り物――が短いように感じられた。鞠山選手と小柴選手では、六センチほどの身長差が生じるのだ。
なおかつ鞠山選手は手足の短いずんぐりとした体形であるため、それに比べると白い足がすらりとのびているように感じられる。スカートの下はショートスパッツであるのだから、とりたてて問題はないのだが――どことなく、意図せぬセクシーさが生まれてしまっているように思えなくもなかった。
しかし、それはそれとして、その珍妙なる試合衣装は小柴選手になかなか似合っていた。
小柴選手は男の子のようなショートウルフで、顔立ちもどこか少年めいている。そんな小柴選手がフリルとコサージュに彩られた魔法少女のコスプレをしていると、鞠山選手とはまったく異なる魅力がかもし出されるようだった。
それに、やたらと肉感的なユーリや灰原選手とも異なる、一種独特の可愛らしさである。羞恥心をこらえているのか、普段以上に凛然とした小柴選手の面持ちが、また不可思議な調和を見せていた。
そしてその背後から登場した鞠山選手は、色違いのコスチュームでにまにまと微笑みながら、魔法少女のステッキでバトンの技を見せている。そういえば、小柴選手も同じステッキを右手にしっかり握りしめて、花道をすたすたと闊歩しているのだ。その対照の妙が、いっそうの微笑ましさを演出しているのかもしれなかった。
小笠原選手と男性のコーチは、そんな両名の邪魔にならないよう、少し遅れて追従している。こちらの男性は初対面であったが、やはり天覇ZEROの関係者であるそうだ。
小柴選手はきりりとした面持ちのまま、鞠山選手の広げてくれたロープの間をくぐって、リングインする。
対戦相手の神田選手はとりたてて感銘を受けた様子もなく、その姿を静かに見守っていた。
『第三試合、ライト級、五十二キロ以下契約、五分二ラウンドを開始いたします! ……青コーナー。百五十四センチ。五十二キログラム。相澤道場所属。……神田、佐和!』
相手選手も、身長は小柴選手と同程度だ。
ただし、小柴選手よりも平常体重は重く、大きくリカバリーしているのだろう。小柴選手よりは、若干厚みのある体格をしている。
『赤コーナー。百五十四センチ。五十一・九キログラム。武魂会船橋支部所属……まじかる☆あかりん!』
なんと小柴選手は、リングネームまでつけてしまっていた。
小柴選手はいよいよ引き締まった面持ちで、右手のステッキを大きく振り上げる。とても可愛らしい格好をしているのに、まったく愛嬌を見せようとしない小柴選手に、観客席の人々はいくぶん困惑気味の歓声をあげていた。
まあ、どのような格好をしていても、小柴選手は小柴選手である。
小柴選手が自分の意志でこの珍妙なコスプレ衣装を受け入れたというのなら、瓜子も文句をつけることなく、ひたすら応援に徹するばかりであった。
リングの中央で向かい合い、ルール確認ののちにグローブをタッチさせ、両選手はそれぞれのコーナーに引き下がる。
ゴングが鳴らされて、試合が開始された。
神田選手は、アトミックでは珍しい《パルテノン》系列のジムに所属する選手である。《パルテノン》は格闘系プロレスをルーツにしており、かつては沙羅選手が出稽古でおもむいていたはずだ。キャッチ・レスリングを土台にしつつ、現在ではムエタイや柔術も取り入れて、近代MMAとして過不足のない技術体系が構築されているはずであった。
神田選手もまた、オールラウンダーと称されている。身体を少しだけ前屈させた、MMAらしいスタンダードな立ち姿だ。
そんな神田選手に、小柴選手はまず左のローを繰り出した。
神田選手はわずかに足を浮かせて、チェックする。小柴選手はストライカーであるので、その対策は十分に練ってきたことだろう。
魔法少女の姿をした小柴選手は、堅実なステップでアウトサイドに回り込もうとする。
それにあわせて立ち位置を変えながら、神田選手もジャブを振るった。
「おっと、もう始まっちまったか」
と、多賀崎選手らがどやどやと舞い戻ってきた。
パイプ椅子に陣取るなり、灰原選手は「ひゃー」と声をあげる。
「コッシーのやつ、ほんとに魔法少女だね! 似合っちゃいるけど、メンタルは大丈夫かなあ」
「大丈夫だろ。気合の乗った、いい顔だ」
やはり合宿稽古のメンバーということで、灰原選手も多賀崎選手も熱のこもった眼差しをモニターに向けていた。
そこに、小柴選手の右ミドルキックが繰り出される。
いや、それは途中で上段に軌道の変化する、ブラジリアンキックであった。
神田選手は左腕で危なげなくブロックしていたが、いくぶん気圧された様子で後方に引く。小柴選手が序盤から大技を繰り出すというのは、かつての試合ではなかったことなのだ。
小柴選手は勢いづいた様子で前進し、左のフックと右ストレートを繰り出した。
フォームの綺麗な、力強い攻撃だ。
すると相手は強引な右フックを振り回すと、それをフェイントにして小柴選手の足もとに手をのばした。
小柴選手は、それを右の膝蹴りで迎撃する。肩のあたりを弾かれた神田選手は、また後ずさることになった。
今度は小柴選手が、オーバースイングの右フックを放つ。
相手はしっかりとガードを固めたが、下半身の注意を怠っていた。小柴選手もまた、その右フックをフェイントにして、両足タックルを仕掛けたのだ。
相手は完全に虚を突かれた様子で、あっけなくテイクダウンを取られてしまう。
ストライカーである小柴選手が立ち技で有利に進めながらタックルを狙うというのも、これまでの試合では見せていなかった姿であったのだ。
《NEXT》における灰原選手と同じように、小柴選手はこれまでに見せなかったファイトスタイルをお披露目することで、相手を幻惑していた。
相手の上にのしかかった小柴選手は、ポジションキープなど考えていない様子で、パウンドを落としまくる。これもまた、小柴選手のニュースタイルだ。相手はオールラウンダーであるのだから、不得手な寝技では堅実に振る舞うのが、これまでの小柴選手であった。
相手は泡を食った様子で、懸命にパウンドから逃げ惑う。すべての拳はガードできていたが、軽いパニックに陥ってしまったようだ。
相手はガードポジションを取っているし、小柴選手は不安定な体勢でパウンドを放っているのだから、柔術が得意であればいくらでも対処は可能であろう。しかし神田選手はがむしゃらに身をよじり、両足で小柴選手を蹴り離そうとした。
その足先が、小柴選手の顔面を打つ。
灰原選手が「あっ!」と声をあげ、レフェリーが両者の間に割って入った。グラウンド状態における頭部への蹴りは、反則行為となるのだ。
それほど深い当たりではなかったが、小柴選手は口の端を切ってしまっていた。
赤い血が、下顎にまで滴っている。レフェリーは試合を一時中断し、リングドクターを呼び寄せた。
客席からは、ブーイングがあげられている。
相手選手は荒い息をつきながら、そのブーイングに耐えていた。
リングドクターは小柴選手の口もとをタオルでぬぐい、その傷口や口内を確認すると、すぐにリングを下りていった。
レフェリーは神田選手の手首をつかみ、リングの四方に向けて指を立てたジェスチャーを示していく。
『グラウンド状態における蹴り技の反則で、神田選手に口頭注意が与えられます』
リングアナウンサーは、そのようにアナウンスしていた。
「えー、口頭注意だけ? 出血までしてるんだから、一発イエローでいいんじゃない?」
「ターコ。あのちびタコが平気な顔してっから、たいしたダメージじゃねーって見なされたんだろ。故意ってよりは、パニクった結果だろうしな」
不満の声をあげる灰原選手に、サキがそっけなく言い捨てる。
「それに相手は、イエローくらったようなツラしてんじゃねーか。だったら、効果は十分だろ」
確かに相手選手は、きわめて不本意そうな顔つきになっていた。我を失って反則行為を行ってしまうというのは、さぞかし屈辱的なことだろう。
そして、攻められている側の反則で試合が中断されたために、また同じ体勢から試合再開となる。神田選手はリングの中央で寝るように指示されて、小柴選手はその両足の間に膝をついた。
『ファイト!』の声で、試合が再開される。
すると小柴選手は、一発のパウンドを放つことなく、立ち上がってしまった。
神田選手は、今度こそ冷静に寝技で反撃を――と、心に決めていたのだろう。口惜しそうな表情で、しぶしぶのように立ち上がった。
「ははん。おめーの説法が効いてんじゃねーか」
と、サキが瓜子のこめかみを拳でぐりぐりと蹂躙してきた。
瓜子の説法とは――おそらく、「もっと相手の嫌がることを考えながら試合をする」というアドヴァイスのことであろう。
「どうでしょうね。セコンド陣の指示かもしれないっすよ」
「どっちでもかまわねーよ。こいつは、チャンスだろ」
神田選手は、乱打戦を仕掛けてきた。
小柴選手は、凛々しい面持ちで迎え撃つ。
相手の攻撃は、力強かった。きっと最初から、MMAをMMAとして学んできたのだろう。フックが多めで、隙あらば組みつこうという、キックや空手とは異なるセオリーに則った動きだ。
それに対して、小柴選手は空手のセオリー――グローブ空手の雄、武魂会のセオリーで迎え撃った。
MMAの選手がフックを多用するのは、そのまま組み技に繋げやすいためだ。
それに対して、小柴選手は左ジャブと右ストレートを返していく。横殴りのフックよりも真っ直ぐのジャブやストレートのほうが軌道が短いため、先に当てることができる。身長もリーチも同程度であるので、その効果も顕著であった。
そうして相手が組み合いを狙ってくるならば、首相撲と膝蹴りで撃退する。
グローブ空手も基本のルールはキックボクシングと似通っているので、小柴選手はもともとそういった戦法も身体に叩き込まれていた。
そして小柴選手は、生粋のストライカーだ。
聞くところによると、瓜子と同じように中学時代からトレーニングを始めていたという。そうして武魂会の大会で好成績を残したのち、キックではなくMMAに手を広げたのだ。
ごく単純な打撃の交換であれば、小柴選手に分があるだろう。
それを証明するべく、小柴選手は相手の身体にさまざまな攻撃を叩き込んでいった。
神田選手はほとんど有効な攻撃を当てることもできないまま、また後ずさる。
すると小柴選手は、再び両足タックルをお見舞いした。
相手はオールラウンダーであるのだから、五分の条件であればそうそう小柴選手のタックルをくらったりしないだろう。小柴選手はその身の技量と戦略によって、五分ならぬ環境を作りあげていたのだった。
相手は再びあっけなく倒れ伏し、小柴選手はまた強引なパウンドを落としていく。
そういえば、神田選手はこれがプロ選手としてのデビュー戦となる。ならば、試合でパウンドを受けるのも、これで初めてということであった。
神田選手はその身に備わっているはずのグラウンドテクニックを出すこともかなわず、頭を抱えて横を向いてしまう。
その頭を腕ごと押さえつけ、小柴選手が無慈悲にパウンドを落としていくと、その三発目でレフェリーが試合を止めた。
歓声とゴングの音色が鳴り響き、灰原選手は「やったー!」と瓜子に抱きついてくる。
『一ラウンド、四分十五秒、パウンドアウトにより、まじかる☆あかりん選手のTKO勝利です!』
ぜいぜいと息をつく小柴選手の腕を、レフェリーが高く掲げてみせる。
すると、会場のあちこちから「あかりーん!」という声が響いたようだった。
小柴選手はぎょっとした様子で、周囲を見回す。
そこに、セコンド陣がなだれこんできた。
小笠原選手は笑顔で小柴選手の頭にタオルを投げかけ、鞠山選手もにんまりと笑いながら、小柴選手の脇腹を小突く。
ようやく勝利を実感できたのか、小柴選手はぽろぽろと涙をこぼしつつ、小笠原選手に抱きついた。
鞠山選手は魔法のステッキをつかんだ手で会場を煽り、「あかりん!」のコールを誘発する。
かくして、新生・小柴あかりこと「まじかる☆あかりん」は連敗の記録を三回まででストップさせて、華々しい再スタートを切ることがかなったのだった。
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