07 終演

「あんたたち、遅いよ! いったいナニしてたのさ!」


 瓜子たちが二階席の通路に出向いたのは、控え室に到着してから三十分ほどが経過して、第六試合が二ラウンド目まで進められた頃合いであった。

 こちらが近づいていくと、灰原選手はユーリではなく瓜子の背中をばしばしと叩いてくる。理不尽きわまりないお出迎えであったが、その矛先がユーリに向かなかったのは幸いであった。


「まったくさー! なんなの、アレ!? 格闘技との合同イベントでバラードなんて、やっぱ選曲ミスでしょ! ちょっとは考えなよねー!」


「それは失礼いたしました。でも灰原選手、お目々が真っ赤っすよ」


「うっさいよ! 人のトラウマをほじくり返しやがってー!」


 何か過去に辛い経験でもあったのだろうか。目もとを赤く泣きはらした灰原選手は、それを誤魔化すように瓜子へとヘッドロックを仕掛けてきた。

 そしてその間に、鞠山選手がユーリに忍び寄る。

 その丸っこい拳が、再びユーリの土手っ腹に叩き込まれた。


「あんた、ちょっと、生意気、なんだわよ。どんだけ、才能に、恵まれてる、だわよ」


 おかしな節をつけながら、それにあわせてユーリの腹をどすどすと乱打していく。ユーリは「むにゃあ」と力なくうめきながら、ふらふらと後ずさることになった。痛みよりも、接触嫌悪が尋常でないのだろう。ずっと瓜子にしがみついていたユーリは、精神ゲージがほとんどマイナスに食い込んでしまっているはずであるのだ。

 瓜子は慌てて仲裁に入ろうとしたが、それよりも早く多賀崎選手が声をあげてくれた。


「ちょっとちょっと、鞠山さん。いくらなんでも、荒っぽすぎるよ。桃園のやつ、なんか顔色が悪いみたいじゃん」


「ふん! ステージ上のスタミナとメンタル力に難があるだわね」


 鞠山選手は腕を組みながら、ぷいっとそっぽを向いてしまう。

 多賀崎選手は苦笑しながら、ユーリに向きなおった。


「とにかく、お疲れさん。あたしゃ歌のことなんてよくわからんけど、あんたの物凄さは伝わってきたよ」


「はひぃ……恐縮でございましゅう……」


 腹を抱えて身を折ったユーリは、多賀崎選手に力なく微笑みを返した。

 すると、他の面々もユーリと瓜子を取り囲んでくる。小笠原選手と小柴選手、それに四ッ谷ライオットと天覇ZEROのコーチ陣だ。


「でも、ほんとに凄かったね。さっきの元気な曲もよかったけど、それとも比較にならないぐらいだったよ」

「わ、わたしもそう思います! なんかもう、涙が止まらなくなっちゃって……帰りにCDを買わせていただきます!」

「うん、凄かった。あんたを知らない連中は、歌手が本業だと思ったろうな」

「ははっ。俺も前までは、アイドルが本業だろって思ってたけどな。花子の言う通り、天は二物も三物も与えてくれたんだなあ」


 それほど交流のないコーチ陣まで、熱心にユーリを褒めそやしてくれていた。それだけ、圧巻のステージだったのだろう。


「……組んだ相手が『ワンド・ペイジ』で幸いだっただわよ。並のバンドだったら、あんたの歌に食われてただわね」


 と、そっぽを向いたまま、また鞠山選手が発言する。


「まあ逆に言えば、『ワンド・ペイジ』だからこそ、あんたのポテンシャルをあそこまで引き出せたんだわよ。あれがすべて自分の実力だなんて過信しないことだわね」


「過信なんて、とんでもないですぅ。ユーリなんて、ほんとのほんとにお歌はシロウトさんなのですからぁ」


「……そんな謙虚な物言いは、もはや嫌味にしか聞こえないんだわよ」


「ひゃー! ボディブローはもうご勘弁なのですぅ」


 そうして騒いでいる間に、第六試合も終了してしまった。

 選手たちが退場すると、会場にはおどろおどろしいSEが流れ始める。それに乗って現れたのは、『ザ・フロイド』の面々だ。


『ザ・フロイド』は、ターンテーブルやシンセサイザーといった電子機器をも駆使した、エレクトロにしてテクニカルなロックバンドであった。曲調は、陰鬱で激しい。重いサウンドを売りにしている『ベイビー・アピール』がポップに聞こえてしまうほどである。


『ザ・フロイド』による演奏が十分ほど披露されたのち、新たに開始された重々しい演奏に導かれて、『オーギュスト』の面々が入場してきた。

 控え室で見せていた衣装の上にお決まりのダークスーツを着込んで、またマリオネットのような動きで行進している。その奇怪な姿に、会場中の人々が声援をあげているようだった。


 ひそかに仲違いをしているとは思えないほど、いつも通りの見事なパフォーマンスである。

 やがて彼女たちがステージに到着すると、ようやくヴォーカルが甲高いシャウトとともに歌い始めた。『オーギュスト』の面々は、それにあわせてまた幻想的なダンスを披露する。


「ふん! もう十分に名前は売れたんだろうから、ファイターなんて廃業してダンスに専念すりゃいいのにさ!」


 瓜子の首に腕をからめたまま、灰原選手はそのようにぼやいていた。

『オーギュスト』が活動休止して、イリア選手が格闘技活動に力を入れると聞いたならば、またひと悶着ありそうだ。


 ともあれ、『ザ・フロイド』の演奏も『オーギュスト』のダンスも、実に素晴らしい出来栄えであった。とにかく完成度が高いので、音楽部門のトリには相応しかったことだろう。


 そうして本日の長丁場を締めくくるのは、《NEXT》と《フィスト》の王者対決だ。

 そちらは実力伯仲で、けっきょく判定までもつれこんでしまったが、メインイベントに相応しい熱戦であることに間違いはなかった。


 試合の後は《アトミック・ガールズ》と同様に、すべての出場選手が集合して閉会式が行われる。音楽部門の出演者は、ステージのほうに集められることになった。

 さまざまな名を呼ぶ歓声が巻き起こっていたが、その中にはユーリを呼ぶ声もはっきりと入り混じっていた。アウェイであれば、十分な反応であろう。

 そうして《NEXT》の代表者から挨拶がされて、記念写真を撮影したならば、閉会式も終了だ。千駄ヶ谷とともに入場口の裏手で待ちかまえていると、ユーリは『ベイビー・アピール』の面々に囲まれながら舞い戻ってきた。


「あにょう、打ち上げに参加するべしと執拗にアプローチされてしまっているのですが、ユーリちゃんはどのように取り計らうべきでありましょう?」


「ユーリ選手は、すでに仕事を終えられています。打ち上げに関しては、ご自身でご判断ください」


「そうですかぁ。それならやっぱり、ご辞退を申し上げたいのですけれど……」


 ユーリがそのように答えると、『ベイビー・アピール』の四名は同時に不満の声を響かせた。


「そんなつれないこと言わないでよ、ユーリちゃん。一緒に汗を流した仲じゃん」

「そうだよ。俺の彼女も、ユーリちゃんに会えるのを楽しみにしてるからさぁ」

「俺たちそんな、ヤバい店とか連れてかないよ? 酔わせてどうこうとか考えてないし!」

「そうそう! こう見えて、紳士の集まりだからさぁ」


 ユーリは「あうう」と頭を抱え込んでしまった。本日は精神力を使いきってしまったので、今にも手を触れてきそうな殿方のそばにいるだけで苦痛なのだろう。

 そんなユーリの力ない姿を睥睨していた千駄ヶ谷が、ふいに「承知いたしました」と宣言した。


「それでは僭越ながら、私がユーリ選手の代理として参席させていただきますので、それでご容赦願えないでしょうか?」


「え、マジで! やったー! それなら全然オッケーだよ!」

「待て待て。ウルはそれでいいかもしんねえけど、俺の彼女はどうすんだよ?」

「そうだよ。俺、瓜子ちゃんとも仲良くしたいしさあ」

「で、できればその、小笠原さんともご一緒できねえかなあ?」


 漆原を除くメンバーはまだ収まりがつかないようだが、それは千駄ヶ谷が冷徹なる弁舌でもって、ひとりずつ斬り捨てていってくれた。ユーリの熱烈なファンであるというドラムの彼女に関しては、ツーショットの写真を撮影するという処置で手打ちとなる。


「では、駐車場にて落ち合いましょう。そちらも機材の搬出がありましょうから、三十分後ということで」


「マジでだよー? これでバックレられたら、俺、ストーカーになっからね!」


 子供じみた捨て台詞を残して、漆原たちは通路の向こうへと消えていった。

 瓜子たちが息をついていると、今度は『ワンド・ペイジ』の面々が近づいてくる。


「どうもお疲れ様でした。ユーリさん、最高のステージでしたよ。機会があったら、また一緒にやらせてください」


 ドラムの西岡桔平が、変わらぬ笑顔で語りかけてくる。山寺博人が無関心なのも、陣内征生が目を泳がせているのも、これまで通りだ。


「本日はお疲れ様でした。さきほども申し上げましたが、ユーリ選手がそのポテンシャルを如何なく発揮できたのは、すべて皆様のおかげでありましょう。このたびの依頼をお引き受けいただき、心より感謝しております」


「いえいえ、ユーリさんは本当にシンガーとしても大したものですよ。ファイターとしても立派な戦績を残してるのに、こんなに可愛くて歌まで上手いなんて、ほとんど反則ですね」


 あくまで柔和に微笑みながら、西岡桔平はそのように言いたてた。決して嫌味や皮肉ではないと信じることのできる笑顔だ。


「うちの偏屈なヴォーカルも、感心してましたよ。なあ、ヒロ?」


「……何が? 人の作った歌詞によくあそこまで感情移入できるなって言っただけだろ」


「お前にしちゃあ、立派な誉め言葉だろ。本当に、また機会があったらよろしくお願いします」


「こちらこそ、よろしくお願いいたします。正式なオファーは、皆様が所属されている事務所のほうにお伝えさせていただきますので」


 千駄ヶ谷がそのように答えると、西岡桔平は「え?」と目を丸くした。


「ひょっとして、何か具体案でもあるんですか? ユーリさんはこれからタイトルマッチに向けて大忙しなんだろうなと思ってたんですけど」


「はい。そちらの試合が終わり次第、ユーリ選手はサードシングルのレコーディングを開始する手はずとなっています。そちらでご尽力いただけないかと、ご相談させていただく心づもりでありました」


 それは瓜子にも、初耳の話であった。

 ユーリもぽけっとしたお顔で、千駄ヶ谷の言葉を聞いている。


「ご尽力っていうと? レコーディングが目の前なら、もう曲のほうは仕上がってるんでしょう?」


「はい。ですが、演奏の録音に関しては、これから準備を始める手はずになっておりました。そちらを『ワンド・ペイジ』の方々にお願いできないものかと思案していたのです。なおかつ可能であれば、『ネムレヌヨルニ』のライブバージョンも収録させていただけないかと……」


 千駄ヶ谷の言葉に、山寺博人がぴくりと反応した。


「ってことは、新曲のほうは歌と楽曲で別録りにするつもり?」


「そちらに関しましては、今後の話し合いで詰めていければと思案しておりましたが」


「ただのオケ録りなら、やらない。歌と一緒に一発録りなら、いいよ」


「おいおい」と応じたのは、やはり常識人の西岡桔平である。


「事務所も通さずに、勝手な約束すんなって。曲はもう出来上がってるんだぞ? そいつが気に食わなかったらどうすんだ?」


「気に食わなかったら、作りなおす」


「いや、だから……すいません、千駄ヶ谷さん。きちんと事務所の人間の立ちあった場で、話し合わせてください。こいつにまかせると、しっちゃかめっちゃかになっちまいますんで」


「もとより、そのつもりでありました。明日にでもご連絡を差し上げることにいたします」


 それで話はまとまったようであった。

 いまひとつ頭が追いついていない瓜子が目を白黒させていると、西岡桔平がまた笑顔を向けてくる。


「それじゃあ最後に、猪狩さんにプレゼントがあるんですけど。よかったら、受け取ってもらえますか?」


「え? プ、プレゼント?」


「そんな大したものじゃありません。ただの物販Tシャツです」


 西岡桔平が、その手にさげていたビニールバッグを差し出してきた。

 瓜子はいっそう我を失って、千駄ヶ谷を仰ぎ見る。その冷徹なる目は、「まあ、いいでしょう」と語らっているようだった。


「あ、ありがとうございます。でも、ユーリさんじゃなくって、自分にですか……?」


「はい。ユーリさんが喜ぶようなもんじゃないでしょうから」


 瓜子はへどもどしながら、その黒いビニールバッグを受け取った。

 そうして中身を取り出してみると、確かにTシャツである。オリーブグリーンの生地に、バンドのロゴと白い文字がプリントされている。

 その文字の内容に、瓜子は驚かされることになった。

 それは、瓜子が入場曲で使わせていただいている『Rush』という曲名であったのだ。


「それ、『Rush』をリリースしたときに作ったTシャツなんですよ。もう四年ぐらい前になるのかな? 事務所の倉庫をあさってみたら一枚だけ見本品が残ってたんで、いただいてきました」


「そ、そんな貴重なものをいただいちゃって、いいんですか?」


「全然貴重なんかじゃないですよ。サインとか余計なものはしなかったんで、よかったら寝間着にでもしてください」


「ね、寝間着なんてトシがバレますよ。せめて、ナイトウェアって言ってください」


 と、陣内征生が目を泳がせながら、見当違いのツッコミを入れる。

 そのむっくりとしたお顔には、はにかむような笑みが浮かべられていた。


「ぼ、僕は格闘技とかよくわからないですけど、入場曲に使ってくれてるって聞いて、とても嬉しかったです。よ、よかったら、他のアルバムとかも聞いてみてくださいね」


 アルバムなら、インディーズ盤を含めてコンプリートしています。

 などと余計な言葉は口走らずに、瓜子はただ「はい」とうなずいてみせた。


「それじゃあ、失礼します。帰り道も、お気をつけて」


「し、失礼します。レ、レコーディングが実現したら、またよろしくお願いします」


 西岡桔平と陣内征生がきびすを返し、山寺博人も顎を引くような仕草を見せてから、それに続いた。

 呆然と立ち尽くす瓜子に、ユーリが「にゃは」と笑いかけてくる。


「プレゼント、よかったねぇ。今日はいっぱい頑張ったから、神様がご褒美をくれたのでございましょう」


「な、なに言ってんすか。頑張ったのは、ユーリさんでしょう?」


「いえいえ。うり坊ちゃんあってのユーリでありますのでぇ」


 ユーリは何だか、我がことのように幸福そうな顔をしていた。

 瓜子はTシャツをビニールバッグに詰め直して、深く息をつく。


『ワンド・ペイジ』のメンバーと対面しても、瓜子はまったくイメージを崩されることもなかった。

 イメージを崩すこともないまま、彼らはこんな喜びまでを与えてくれたのだ。今日の素晴らしいステージもあわせて、瓜子は知る限りの神や仏に感謝の言葉を捧げたい心境であった。


「それじゃあユーリたちも帰り支度をしよっかぁ。この後は、小笠原選手たちとごはんだもんねぇ」


「その前に、『ベイビー・アピール』の彼女さんと記念撮影っすよ」


「ああ、そうだったぁ……でもでも、ユーリの苦労を最小限に食い止めてくださって、千さんには感謝千万なのですぅ」


「ユーリ選手の担当者として、最善を尽くしたまでのことです。『ベイビー・アピール』の方々とのコネクションに関しては、どうぞ私にお任せください」


 そうして普段以上の長丁場であった『NEXT・ROCK FESTIVAL』は、無事に終了と相成った。

 瓜子のもとに残されたのは、自分が試合をしたかのような充足感と、一枚のTシャツである。


 いよいよお次は、三週間後の《アトミック・ガールズ》七月大会だ。

 今日は今日の喜びにつかりつつ、明日からはまた過酷で楽しいトレーニングに臨む所存であった。

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