05 ストライク・イーグル
『ベイビー・アピール』の演奏が終了し、第三試合も終了したならば、いよいよ小笠原選手の登場であった。
小笠原選手は、『武魂会』の刺繍が入った空手衣で入場する。男子選手にも負けない長身であるので、実に威風堂々とした姿であった。
それに対する赤コーナーは、マキ・フレッシャーなる選手である。
外国人選手ではなく、それは女子プロレスラーである彼女のリングネームであった。
背丈は百六十センチそこそこであるが、体重は七十キロにも及ぶ。どっしりとした、アンコ型の体形だ。
所属は《シトラス》というインディーズ系のプロレス団体で、年齢はすでに三十歳。中学時代からプロレスの稽古を始めて、さまざまな団体を転々としつつ、悪役レスラーとして名を馳せたらしい。それがMMAに進出してきたのは、彼女の身体能力に着目した《NEXT》のプロモーターにスカウトされたゆえであった。
《NEXT》の舞台に上がったのは二年前で、その後の戦績は四戦全勝。プロレスのほうが本業であるために試合数は少ないが、国内に七十キロ級の女子選手というのは希少であるため、その対戦相手のほとんどは外国人選手であった。北米やブラジルの外国人選手にもパワー負けすることなく、彼女は連勝記録を積み上げてきたのだった。
特徴は、とにかく打たれ強くて粘り強い。どれだけ攻撃を受けても怯むことなく前進し、同じだけの打撃を返して、最後は力技でねじ伏せる。強力な打撃とレスリング力だけで豪快に勝ちを狙っていく、きわめて武骨な選手であるという評判だ。
とにかく彼女は、フィジカルに優れている。
もしかしたら来栖選手でも、このような選手を倒すことは難しいのではないか――などという声も、ひそかにあげられているという噂であった。
「ま、そんな馬鹿げた噂は、アタシが粉々にしてやるさ」
二日前の出稽古で、小笠原選手は不敵に笑いながらそう言っていた。
『第四試合、女子ライト級、七十・三キログラム以下契約、五分三ラウンドを開始いたします!』
派手な衣装を纏った《NEXT》のリングアナウンサーが、野太い声音でアナウンスを始めた。《NEXT》も《フィスト》と同じように女子と男子の階級名を統一しているので、この体重でもライト級となるのだ。
『青コーナー。百七十八センチ。六十七・三キログラム。武魂会小田原支部所属。……小笠原、朱鷺子!』
空手衣を脱いだ小笠原選手は、白地のタンクトップとキックトランクスという試合衣装で、悠然と右腕を上げている。童顔で柔和な表情をしているが、そのすらりとした長身は見事に鍛え抜かれていた。
『赤コーナー。百六十二センチ。七十・二キログラム。シトラス・ジム所属……マキ・フレッシャー!』
マキ・フレッシャー選手はぱんぱんに張り詰めた力士のような面立ちで、金色にブリーチした髪にこまかいパーマを当てている。眉毛を剃り落としているために、なかなか迫力のある面相だ。その身体もまた、みっしりと肉がついていかにも頑丈そうだった。
レフェリーを中心に向かい合うと、十六センチにも及ぶ身長差が顕著だ。しかしその分、横幅と厚みは比較にもならなかった。
小笠原選手がグローブに包まれた拳を差し出すと、マキ・フレッシャー選手は平手でそれを払いのける。彼女は《NEXT》の試合においても、ヒールを演じているのだ。それをわきまえている小笠原選手は気を悪くした風でもなく、自陣のケージ際まで下がっていった。
『ファイト!』
レフェリーの合図とともに、マキ・フレッシャー選手は突進する。
その突進を、小笠原選手は前蹴りで食い止めた。
相手はめげずに大振りのフックを繰り出したが、もちろん届くわけがない。小笠原選手は手足が長かったので、身長差よりもリーチとコンパスの差は甚だしかった。
ファーストアタックに失敗したマキ・フレッシャー選手は、あらためて両腕を振りながら前に詰めてくる。
小笠原選手はゆったりとステップを踏みつつ、左ジャブを返していった。
しかしどれだけジャブをくらっても、マキ・フレッシャー選手の前進は止まらない。そうして圧力をかけ続けるのが、彼女のファイトスタイルであるのだ。
小笠原選手はケージ際まで詰め寄られないように、巧みにアウトサイドへと回りながら、左ジャブと右ローを返していく。灰原選手と同様に、ケージにおける戦い方もしっかり積んできたようだ。
マキ・フレッシャー選手の攻撃は、いまだ一撃も届いていない。
その間に、小笠原選手の手数が増していった。
左フックにボディアッパー。ローも左右を使い分けて、相手ががむしゃらに接近してきたならば両手をのばしてストッピングして、膝蹴りをお見舞いする。瓜子もよく知る、華麗にして力強い打撃技の連携だ。
前足を蹴られまくったマキ・フレッシャー選手は、じょじょに出足が鈍っていく。
すると、小笠原選手の手数がさらに増した。
遥かな高みから右ストレートを打ち下ろし、顔にもボディにもアッパーを撃ち込んでいく。距離が詰まれば膝蹴りで、相手に組みつかせるチャンスも与えなかった。
「一方的だな。相手もきっと、がむしゃらにテイクダウンを狙ってくるだろう」
多賀崎選手のコメント通り、マキ・フレッシャー選手は決死の形相で頭から突っ込んできた。
が、小笠原選手の長い腕にそれを阻まれて、またボディの真ん中に膝蹴りをくらう。
さらに離れ際でテンプルに右フックを叩き込まれると、さしものマキ・フレッシャー選手もよたよたと後退した。
小笠原選手は迷う素振りも見せずに、追撃を開始する。
ジャブとローで相手をさらに下がらせて、ケージ際まで追い込むと、軽妙なリズムでフックとアッパーを叩き込む。リズムは軽妙だが、重い攻撃だ。マキ・フレッシャー選手は頭を抱え込み、防戦一方となった。
頭をガードされたなら、ボディアッパーとレバーブローを連打する。
腕が下がって腹を守ろうとするならば、容赦のない左右のフックだ。
『ストライク・イーグル』の異名に相応しい、爆撃機のごとき波状攻撃である。
かつてはユーリもコーナー際まで追い込まれて、この猛攻にさらされたのだった。
マキ・フレッシャー選手が両腕をのばして小笠原選手を突き放そうとすると、それをなぎ払って腹に膝蹴りを叩き込む。
そうしてマキ・フレッシャー選手が腹を抱えて身を屈めると、そのテンプルに右ストレートを打ち下ろした。
マキ・フレッシャー選手はぐしゃりと倒れ込み、それにのしかかろうとした小笠原選手にレフェリーが横合いからつかみかかる。
試合終了のブザーが鳴らされて、歓声が爆発した。
『一ラウンド、三分五秒、小笠原選手のKO勝利です!』
小笠原選手はきょろきょろと周囲を見回してから、やがてケージの一辺に駆け寄って、ひょいっとその上に飛び乗った。瓜子たちが観戦している二階席に面した場所である。そうして小笠原選手ははっきりと、二階席に向かって長い腕を振ってきた。
「うわー、余裕こいちゃって! もう、憎たらしいなあ!」
そんな風にわめきながら、灰原選手は笑顔で腕を振り返していた。
瓜子は両手を頭上に上げて、拍手をしてみせる。通路は暗いのであちらに見えているかは疑問であったが、小笠原選手のパフォーマンスに応えずにはいられない心境であった。
「いやあ、圧勝でしたね。相手の前評判が嘘だったんじゃないかって思えるぐらいの実力差だったじゃないっすか」
「ふふん。小笠原は、対ベリーニャを想定してトレーニングを積んできたんだからな。あんな頑丈さだけを売りにした選手なんか、物の数じゃないんだろうさ」
胸の前で拍手をしながら、多賀崎選手はそんな風に言っていた。
「それに小笠原は、週二ペースであたしらを相手にしてたんだよ? あんな鈍臭い打撃や組みつきは止まって見えただろうさ」
「ふん。アトミックの底力を見せつけるには十分な試合内容だっただわね。……あとはあんたのサードステージだけだわよ、ピンク頭」
にんまりとした笑みを消して、鞠山選手がユーリをねめつける。
笑顔でぺちぺちと拍手をしていたユーリは、気負うことなく「はぁい」と応じていた。
「あ、だけどぉ、ユーリの後にはイリア選手のダンスも控えてますよねぇ?」
「……試合はともかく、あいつはプロのダンサーなんだわよ。心配なのは、あんたのガラにもないバラードなんだわよ」
鞠山選手は百四十二センチの低みから、すくいあげるようにユーリの笑顔をにらみあげた。
「どうしてよりにもよって、あんな辛気臭い曲をチョイスしたんだわよ? こういうイベントは、アップテンポの元気な曲で賑やかすもんなんだわよ」
「えっとぉ、恥ずかしながら、ユーリは三曲しか持ち歌がないんですぅ。デビューシングルは一曲こっきりしか収録されておりませんでしたのでぇ」
「だったら無理に、二バンドと共演しなきゃいいんだわよ。あるいは一曲ずつ振り分けるだとか、カバー曲をお願いするだとか、相手の持ち曲をお借りするだとか、手立てはいくらでもあるんだわよ」
瓜子は「まあまあ」と取りなしてみせた。
「とりあえず、ユーリさんは移動しましょう。間に十五分の休憩時間をはさんでるんで余裕はありますけど、千駄ヶ谷さんもやきもきしてるでしょうしね」
「はぁい。それではみなさん、またのちほどぉ」
そうして瓜子はユーリとともに、再び入場口を目指すことになった。
階段で一階に到着すると、ちょうど退場してきた小笠原選手と出くわす。ほどよく汗をかいた小笠原選手は「やあ」と気さくに笑みをこぼした。
「アタシはおつとめを果たしてきたよ。アンタもしっかりね、桃園。またみんなと一緒に見物させてもらうからさ」
「はぁい。KO勝利、おめでとうございましたぁ。すっごくかっちょよかったですよぉ」
「無理すんなって。荒っぽい打撃戦は好みじゃないんでしょ?」
「いえいえぇ。小笠原選手の試合運びは力強いのに華麗でありますので、ユーリはほれぼれしちゃいますぅ」
「サンキュ」と笑って、小笠原選手は通路の奥に消えていった。小柴選手と天覇ZEROのコーチも会釈をして、それに続いていく。
やがて入場口に到着すると、そこにはすでに千駄ヶ谷と『ワンド・ペイジ』の面々が到着していた。
瓜子はひそかに高鳴る心臓を抑え込みながら、「お疲れ様です」と一礼してみせる。西岡桔平は笑顔で応じてくれたが、陣内征生はしきりに目を泳がせており、山寺博人は当然のように無視だ。
「十五分間の休憩の後に『ワンド・ペイジ』の方々の演奏が開始され、ユーリ選手の出番は五曲目となります。演奏開始からおよそ二十四分後となりますので、そのおつもりでご準備をお願いいたします」
千駄ヶ谷の冷徹な声音に、ユーリは「かしこまりましたぁ」と敬礼する。
そちらを笑顔で見やってから、ドラムの西岡桔平が瓜子に向きなおってきた。
「一曲目は、猪狩さんが入場曲で使ってくれてる『Rush』にしましたんで。扉ごしだけど、よかったら聞いてやってください」
「え、あ、本当ですか? それは、その……はい、恐縮です」
あまりに不意打ちであったため、瓜子はしどろもどろになってしまった。
西岡桔平は髭だらけの顔で、にこにこと笑っている。
「猪狩さんのために、心を込めて演奏しますよ。なあ、ヒロ?」
長い前髪で目もとを隠した山寺博人は、不機嫌そうにメンバーの笑顔を見返したようだった。
「……俺は、いつでも本気のつもりだけど?」
「わかってるって。いつも通りに、よろしく頼むよ。……お前、いつも以上にピリピリしてるな。やっぱこれだけの美人に囲まれると、平常心ではいられないか」
「馬鹿じゃねえの」と、山寺博人はそっぽを向いてしまった。
が、彼が不愛想なのは幸いである。彼に愛想などを振りまかれてしまったら、瓜子が彼らの楽曲に抱いているイメージも台無しになってしまうところであった。
(不愛想でへそ曲がりで、言葉足らずで気分屋で……今のところは、イメージ通りだな)
願わくは、最後までそのイメージを保守させてもらいたいところである。
瓜子がそんな風に考えていると、ユーリが「あにょう」と千駄ヶ谷を手招きした。両名が人の輪から外れて通路の隅に引っ込んでいくので、瓜子も追従する。
「さきほどまりりんさんからご指摘をいただいたのですけれども、このようなイベントで『ネムレヌヨルニ』をお披露目すると、場を盛り下げることになってしまったりはしないものでありましょうかぁ?」
「そのような心配はご無用です。もとより『ワンド・ペイジ』の方々はライブの中盤にスローテンポの曲を差し込むスタイルでありますため、そこに『ネムレヌヨルニ』を加えていただいた格好となります」
「ああ、そうでしたかぁ。もしも今から間に合うようでしたら、ユーリの出番をカットしていただいてはどうかとご提案しようかと考えておりましたのですけれど……」
「ユーリ選手」と、千駄ヶ谷はふちなし眼鏡の向こう側で冷たく瞳を光らせた。
「どうぞご自身のお力をお信じください。私は『ネムレヌヨルニ』が先の二曲よりも遥かに強い力で観客たちにアピールできるものと、そのように信じております」
「はあ、そうですかぁ……」
ユーリはつぶれた大福餅のようになっていたが、瓜子もその点は心配していなかった。スタジオにおけるリハーサルを拝見した限り、あの楽曲には凄まじいまでの破壊力が秘められているのだ。格闘技とのコラボイベントに相応しいかどうかは判然としないが、観客の不興を買うような事態には決して至らないはずだった。
なおかつ、鞠山選手が不安を覚えていたのは、まだユーリが本気で歌う姿を目にしていないゆえなのである。本日のリハーサルでは『ワンド・ペイジ』側からの要請で、ユーリも感情を込めずにのほほんと歌いあげていたのだった。
(でもきっと、ユーリさんはまた泣いちゃうんだろうからな。出番が終わったら、しっかりフォローしてあげないと)
瓜子としては、そんな風に念じるばかりである。
そうして十五分間の休憩時間は終了し、いよいよ『ワンド・ペイジ』のステージが開始されたのだった。
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