04 ベイビー・アピール with ユーリ
灰原選手の試合を観戦し終えたならば、ユーリと瓜子は速やかに音楽ステージへと移動であった。
関係者専用の通路と階段を辿って、まずは一階の入場口を目指す。その場には、三名のスタッフたちと千駄ヶ谷が待機してくれていた。
「『ベイビー・アピール』の方々は、すでにステージへと向かわれました。ユーリ選手、ご準備はよろしいでしょうか?」
「はぁい。ばっちりですぅ」
ユーリはにこにこと笑いながら、白地にピンクのラインが入ったジャージのジッパーに手をかけた。その下から露出の多い試合衣装と白い素肌があらわにされると、スタッフの若者たちがこらえかねたように「おお……」と嘆息をもらす。
さらにボトムスにまで手をかけたならば、上半身に負けない曲線美がさらされて、若者たちは卒倒でもしてしまいそうな様子であった。ユーリの脱衣シーンなど、目の当たりにするだけで凄まじい破壊力であるのだ。
ジャージを受け取った瓜子はそれを手持ちのバッグに仕舞いつつ、代わりにオープンフィンガーグローブを受け渡す。やはり格闘技のイベントということで、ユーリは試合衣装でステージに立つことになったのである。
本日の試合衣装も、強度に不安があって実戦には使用されなかった試作品であった。
そのデザインは、ワンショルダーのハーフトップとショートのスパッツである。剥き出しの左肩には透明のストラップで補強がされていたものの、寝技の攻防まで考慮すると、さすがに頼りない。灰原選手などは両肩がこの仕様であるのだから、大した度胸であった。
オープンフィンガーグローブを装着したユーリは、その場でストレッチを開始する。その間に、扉の向こうからは『ベイビー・アピール』の演奏が聞こえてきた。
二本のギターを駆使した、重く激しいサウンドだ。扉ごしにも、その迫力は十分に伝わってきた。
千駄ヶ谷はその音色に耳をすましつつ、腕時計でも時間を確認している。ユーリの出番は四曲目で、ステージ開始から十七分後の出番となる。
しばらくして、千駄ヶ谷は「間もなくです」と瓜子のほうに手をのばしてきた。
瓜子がきょとんとしていると、千駄ヶ谷は数ミリだけ首を傾げる。
「そのような荷物は邪魔でしょう。私がお預かりいたします」
「あ、はい。それじゃあ、お願いいたします」
瓜子も本日は誘導役のスタッフとともに、ステージ脇までご一緒するのだ。役割は、もちろんユーリのボディガードである。
しばらくして、マイクを通した漆原の声が聞こえてきた。
『じゃ、ゲストを紹介するか。ユーリちゃーん、出番だよー』
漆原はステージ上でも、いつもの調子であるようだった。
スタッフの開いてくれた扉をくぐって花道に飛び出すと、試合の日に負けない歓声が降りそそいでくる。今日は《NEXT》の主催であるのに、「ユーリ!」のコールも健在だ。
ユーリはひらひらと両手を振ってその歓声に応えながら、ステージを目指す。単色のスポットが、その輝かしい姿をいっそう明るく照らし出していた。
スタッフの誘導で、ステージ横のステップにまで案内される。そこで脱ぎ捨てたシューズを回収するのは、瓜子の役目だ。素足となったユーリは最後に瓜子へとウインクを送ってから、跳ねるようにステップをのぼっていった。
『うわあ、想像を上回る色っぽさだなあ。マジで見とれてミスるかもしれねえや』
『あははぁ。ユーリも緊張してミスっちゃうかもしれないんで、おたがいさまですねぇ』
客席からは、歓声と笑い声が響いている。
ブーイングなどは、聞こえてこない。
ユーリが『ベイビー・アピール』と共演するというだけで女性ファンから反感を買う懸念もなくはなかったので、瓜子はほっと安堵の息をつくことになった。
『それじゃあ、ユーリちゃんの曲を二曲連続でお披露目するよ。タイトルコールは、ご本人がよろしく』
『はぁい。最初の曲は、セカンドシングルの「リ☆ボーン」でぇす』
そうして、演奏が開始された。
リハの通りの――いや、それを上回る迫力の演奏だ。やはり本番では、演奏陣の気合の乗りようもまったく異なるようであった。
重いサウンドでアレンジされたイントロが終了し、ユーリの歌声が響きわたる。
その勢いも、リハーサル以上であった。
(ユーリさんって、やっぱり歌の才能もあるんじゃなかろうか)
こまかい技巧の話など、瓜子にはわからない。ただ、ステージで歌うユーリの姿はこの上なく魅力的で、光り輝いて見えた。
リズムに合わせたステップは軽く、即興のダンスもさまになっている。試合のスタンド状態では鈍重と称されてしまうユーリであるが、あれは相手の攻撃を警戒してのことであるのだから、致し方がない。ファイターとしても稀有なる筋力と柔軟性とバランス感覚を持つユーリは、ダンスの技量も素人離れしていた。
それにやっぱり、その歌声だ。
甘ったるくてキーの高いユーリの声が、そのまま歌声になっている。
ただ、リズムに乗せて歌っているために、普段のふにゃんと間延びした感じだけが払拭されて――それだけで、どこか別人のようにも思えてしまった。
明るくて、朗らかで、力強い。また、歌声にまでフェロモン成分が含まれているかのように、強烈な色気が感じられる。生演奏の爆音にも埋もれることはない、胸の中にまで響くような歌声だ。
漆原にも指摘された通り、それはスタジオのリハのときよりも、格段に魅力を増していた。
歌に感情を込めるという、どこにでもありふれていそうな助言ひとつで、ユーリの歌声は様変わりしてしまったのだ。
むろん、悲しい内容である『ネムレヌヨルニ』とは、まったく異なる効果であったのだが――どんな苦境にもめげずに何度でも復活する、という意味で書かれた『リ☆ボーン』の歌詞が、そのまま真っ直ぐ心に届けられるかのようだった。
と――ユーリの歌声に聞き入っていた瓜子は、思わずギクリと身を強張らせる。
二番のサビで、大きくギターをかき鳴らした漆原が、おもむろに右腕をユーリの肩に回したのだ。
しかしユーリは動揺した顔も見せず、その腕からしゅるりと脱出する。
そうして『リ☆ボーン』のサビを歌いあげながら、ユーリは漆原に向かって優美なるハイキックを繰り出した。
距離計測の甘いユーリがうっかり当ててしまわなくて、幸いである。大げさな身ぶりでユーリから遠ざかった漆原は笑いながらギタープレイに注力し、観客席はユーリの美しいハイキックにまた沸き立っていた。
(もう……勘弁してよ、ほんとに)
ステージ脇でユーリのシューズを押し抱きながら、瓜子は深々と溜息をつくことになった。
『リ☆ボーン』が終了すると、会場には歓声が爆発する。
その声がいくぶん静まってから、ユーリが漆原に向きなおった。
『あのですねぇ、漆原さん。ユーリにおさわりは禁止ですぅ。動揺して、歌がおろそかになっちゃうのでぇ』
『ウルでいいってば。ユーリちゃんは、いつまでたっても水臭いなあ』
『ごまかさないで、ちゃんと聞いてくださぁい。次にやったら、今度は膝蹴りをお見舞いしちゃいますよぉ』
ユーリはマイクを握っていないほうの手をくびれた腰にあてて、「ぷんすか」という言葉に相応しい表情をこしらえた。
漆原は『ごめんごめん』と無邪気に笑う。
『それじゃあ名残惜しいけど、次が最後の曲だね。タイトルコールよろしくー』
『はぁい。最後の曲は、デビューシングルの「ピーチ☆ストーム」でぇす』
タッピング――という名称を持つらしいギターの技巧によって、『ピーチ☆ストーム』が開始される。
瓜子はいくぶんハラハラしていたが、漆原や他のメンバーたちがそれ以上ユーリにちょっかいをかけることはなかった。
漆原も他のメンバーも、心から楽しそうにそれぞれの楽器を奏でている。外見は強面で、そのサウンドは重さと激しさを売りにしていたが、ステージ上の彼らはユーリに負けないぐらい無邪気で朗らかに見えた。
やっぱり何だか、子供の集まりみたいだ。
彼らは、心から楽しそうにしている。自分たちの好きな音楽を生業にして、それを受け入れてくれる人々が大勢存在することを、心から喜んでいるような――彼らは子供のように無邪気で、屈託がなかった。魂を削るようにして歌う『ワンド・ペイジ』の山寺博人や、それをなだめるように美しい旋律を奏でる陣内征生や、すべてを導くようにリズムを刻む西岡桔平とは、あまりに異なる姿であった。
(ミュージシャンにも……色々なタイプがあるんだな)
ある意味、彼らはユーリに似ているのかもしれなかった。試合をするのが楽しくて楽しくてたまらないというユーリやマリア選手などと、彼らはよく似ているように思えてしまったのだ。
その相乗効果で、このステージにはこれほどのきらめきが生まれているのかもしれない。音楽などには何の素養もない瓜子にとっては、そのように感じる心がすべてであった。
『どうもありがとうございましたぁ! あとはまた、「ベイビー・アピール」のみなさんの演奏をたっぷり楽しんでくださいねぇ!』
曲の終わりですべての楽器がかき鳴らされる中、ユーリの弾んだ声が響きわたった。
ドラムが激しくロールされ、それを合図に、締めの一音が叩きつけられる。
それと同時に、また歓声が爆発した。
ユーリは客席と『ベイビー・アピール』の面々に手を振りながら、ぴょこぴょことステップを下りてくる。その真下に準備しておいたシューズの上に、ユーリはぴょんと飛び降りた。
「お疲れ様です。とりあえず、戻りましょう」
「はぁい。ガッテン承知之助ぇ」
シューズを足に引っ掛けて、ユーリは花道を戻っていく。
それを見送るように、ステージ上では演奏が開始されていた。楽曲のイントロではなく、場つなぎのセッションであるようだ。
客席から暴漢が飛び出すこともなく、ユーリは無事に入場口へと到着する。
瓜子のバッグを肩に引っ掛けた千駄ヶ谷は、普段通りの冷徹な面持ちでミネラルウォーターのペットボトルを差し出してきた。
「お疲れ様です、ユーリ選手。非の打ちどころのないステージであったかと思います」
「ありがとうございまぁす。途中でちょっぴり動揺しちゃいましたけどねぇ」
「はい。漆原氏にはのちほど厳重注意させていただきますので、ご心配なく」
ふちなし眼鏡の向こう側で、千駄ヶ谷の目が凍てついた輝きをきらめかせる。
ユーリは首をすくめながら、「ではではぁ」と身をひるがえす。
「小笠原選手の試合もばっちり見届けねばなりませんので、ユーリは今のうちにお着換えしてきますねぇ」
「はい。私はこちらで『ベイビー・アピール』の方々をお待ちしますので、またのちほど。猪狩さん、よろしくお願いいたします」
「はい。承知しました」
『ワンド・ペイジ』とのステージではバラード調の曲をお披露目するので、衣装をあらためる段取りになっていたのだ。ユーリはジャージを着ようともしないまま、跳ねるような足取りで控え室を目指した。
「ユーリさん、本当にいいステージでしたよ。ご自分も楽しめましたか?」
「うん! ブーイングをあびることもなかったし、まずは大満足かなぁ。やっぱり生演奏ってのは、CDの伴奏より楽しいねぇ」
そんな風に言いながら、ユーリはふいに艶めかしい曲線を描く肩を落とした。
「だけど、お次は『ワンド・ペイジ』の方々だぁ。また悲しい気分にひたらないといけないかと思うだけで、ユーリはおなかがぺこぺこだよぉ」
「……すいません。おなかが何ですって?」
「うにゅ? 精神が疲弊するとカロリーも消費してしまうのじゃ。お仕事が終わったら、いっぱい食べるぞぉ!」
瓜子はついつい、微笑みを誘発されてしまった。
ユーリも「あは」と楽しそうに笑った頃、控え室に到着する。
「失礼いたしまぁす。ちょっとお着換えをさせていただきますねぇ」
室内には、『オーギュスト』のメンバーが居揃っていた。
全員がピエロのメイクで、首から下にはてらてらと金属のように照り輝く真っ黒のウェアを纏っている。全員が細身で上背もあるために、どれがイリア選手なのか一見ではわからないほどであった。
「ユーリさん、猪狩さん、お疲れ様でぇす。さっきまで、ステージを拝見してましたよぉ。ユーリさん、大阪のときよりも格段に素敵でしたねぇ」
「ありがとうございますぅ。イリア選手たちのダンスも楽しみにしてますねぇ」
ユーリは朗らかに笑顔を返していたが、その場には明らかに張り詰めた空気がたちこめていた。本番前の緊張感なのか、あるいはメンバー間に生じてしまったという確執のためなのか――真相は、謎である。
部屋の奥にはカーテンで仕切られたドレッシングスペースがあったので、ユーリは手早く着替えを完了させる。次の衣装は、なんと純白のワンピースであった。
「なんか……ユーリさんのスカート姿って、新鮮すよね」
「うにゅ? 撮影なんかではさんざんお披露目しているはずですけれども?」
「撮影じゃないから、新鮮なんでしょう。それに、そんなシンプルな服は撮影でもなかなか使われませんしね」
「うみゅ。何やら千さんのイチオシであるようなのじゃ。まあ、ユーリもこういうのは嫌いじゃないけれども」
そのワンピースには、およそ飾り気というものが存在しなかった。ノースリーブだが襟もとはかろうじて鎖骨が見えるぐらいであり、裾は足首近くまで届いているので露出も少ない。ただ、きわめて薄手の素材であるため、ユーリの卓絶したプロモーションは裸体と変わらないぐらいありありと表されていた。
「ではでは、さっきの場所に戻ってみましょか。小笠原選手は、まだいるかなぁ」
ユーリはワンピースの上からジャージの上だけを羽織り、瓜子とともに控え室を後にした。
二階席に戻ってみると、小笠原陣営が灰原陣営に総入れ替えされている。どうやらウォームアップのために、選手用の控え室に戻ってしまったようだ。
「やー、お疲れさん! シャクだけど、すっげーよかったよ! あんたもう、ファイターなんてやめて歌手になったら? あれなら十分、やっていけるっしょ!」
普段はあまりユーリに絡もうとしない灰原選手が、率先してそのように声をかけてきた。
そのかたわらでは、多賀崎選手がおかしな感じに口もとを動かしている。自分の心情をうまく言葉に表せない様子だ。
そしてその隙に、鞠山選手がユーリの眼前に忍び寄ってきた。
その丸々とした拳が、ユーリのみぞおちにどすっと叩きつけられる。手加減はしていたのであろうが、ユーリは「おうう」とうめきながら、ひそかに鳥肌をたてることになった。
「……八十点をくれてやるだわよ。客寄せパンダとしては、まあ及第点だわね」
「なーにを上から目線で語ってんのさ! あんたとは比べ物にならない色っぽさだったじゃん!」
「色気なんて、ステージ上の一要素にすぎないんだわよ! こいつの場合、色気が他の魅力を阻害してる面があるぐらいなんだわよ!」
「へー。桃園が色っぽさの他にも魅力を持ってるってことは認めるわけだ?」
鞠山選手は、無言で右フックを繰り出した。
灰原選手は「おわあ」とのけぞり、隣の多賀崎選手に支えられる。
「い、いきなり何すんのさ! リングの外で暴力を振るったら、警察沙汰だよ!」
「本気で当てるわけないんだわよ。ビビリのウサ公にはいい薬なんだわよ」
「うそつけー! あたしが華麗なウェービングでかわさなかったら、絶対に当たってたじゃん!」
多賀崎選手がまだ本調子でなさそうであったので、瓜子が「まあまあ」と取りなすことになった。
「それよりも、お祝いの言葉がまだでしたね。灰原選手、見事なKO勝利、おめでとうございます」
「あー、そうだったそうだった! あんたたち、さっさとステージに向かっちゃうんだもん! ひと言あいさつぐらいしていきなよねー!」
と、灰原選手は呆気なく機嫌を取り戻して、また瓜子にからみついてきた。どうも日を増すごとに、彼女のスキンシップは過剰になっていくようである。
「すみません。でも、本当にお見事でしたよ。KOもですけど、そこまでの組み立てが素晴らしかったじゃないですか」
「ふん。最後はムキになって、けっきょくブレーキがぶっ壊れてただわよ。あのラッシュをしのがれてたら、逆転負けも必定だっただわね」
「うっさいっての! こっちは爆発するタイミングを念入りに計ってたんだから、そんなポカするわけないじゃん!」
「ああ。お前にしては上出来だ」と言いたてたのは、四ッ谷ライオットのコーチたる男性であった。
「何年も何年も磨いてきたステップワークを、ようやく試合で出すことができたもんな。ウサギはウサギらしく跳ね回ってりゃいいんだよ」
「ふふーんだ! このまま連続KO記録を作って、そのうちこいつかサキにタイトル挑戦してやるんだからねー!」
瓜子の首を肉感的な腕でしめあげつつ、灰原選手は陽気な声をあげる。当然のこと、KO勝利を収めた直後であるのだから、彼女も存分に浮かれているのだろう。
この日のイベントはまだ半分も終わっていなかったが、瓜子はきわめて充足した気持ちで、そのひとときを過ごすことができた。
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