エピローグ 慰労会
「それでは、一週間の合宿稽古の無事な終了を祝しまして――乾杯!」
小笠原選手の号令のもとに、「かんぱーい!」の声が合唱された。
すべての稽古をやり終えて、最終日の夜である。
その夜の食堂には、これまで以上の熱気と活力があふれかえっていた。
「いやー、最初はどうなることかと思ったけど、想定以上の濃い稽古ができたと思うよ」
幹事の小笠原選手もご満悦の表情で、レモンサワーのグラスを傾けている。この場で酒を口にしていないのは、未成年の瓜子と愛音、そして下戸のユーリのみだった。
「本当に、小笠原選手には感謝してます。食材費の負担だけでこんな実のある合宿ができるなんて、本当に贅沢な話っすよ」
瓜子がウーロン茶のグラスを差し出すと、小笠原選手は「どういたしまして」と言ってグラスを合わせてくれた。
「だけどやっぱり、プレスマンの面々には感謝だよ。サキも猪狩も桃園も、まだ高校生の邑崎ですら、色んな面で力になってくれたからなあ」
「ふん。なんの役にも立たなかったのは、どこかのウサ公ぐらいだわよ」
「なんだよー! あたしを仲間外れにしたのは、そっちだろー! あたしだって、もっとガンガン殴り合いたかったのにさー!」
「わ、わたしだってお世話になるばかりでした。もっとお役に立てるように、これからも精進します」
小柴選手が慌てた様子でフォローの声をあげると、灰原選手は「そーそー!」と笑いながらその背中をばしばし引っぱたいた。
「なんてったって、あたしはあんたに試合で勝ってるんだからね! ジムの練習どうこうより、大事なのは試合の結果っしょ!」
「お、押忍。わたしもそう思います」
「灰原……頼むから、これ以上うちのジムの品位を落とさないでくれよ」
「大丈夫ですよー。マコトはマコト、ヒサコはヒサコですからねー」
「まったくだわよ。こんな最底辺のウサ公がどんなにみっともない姿をさらしたって、四ッ谷ライオットの看板にまで傷がつくことはないだわよ」
「なんだとー! この魔法老女!」
と、打ち上げの場は加速度的にエキサイトしていく。
しかしそんな騒がしさも、瓜子には心地好く感じられていた。
やはり一週間も生活をともにしていれば、ぞんぶんに気心は知れてくる。社交的な小笠原選手やオリビア選手はもちろん、いつでもやかましい鞠山選手と灰原選手、謙虚な小柴選手や不愛想な多賀崎選手にも、瓜子は小さからぬ仲間意識や連帯感を抱くようになっていた。
「あ、サキさんはあんまり飲みすぎないでくださいよ? こっちもプレスマンの品位が疑われちゃいますからね」
「うっせーなあ。そんな上等なもんを持ち合わせた人間が、この場にひとりでもいるのかよ?」
サキは、ほどほどのペースでビールをたしなんでいる。大阪の夜のような狂態は二度と勘弁という心境であったものの、サキとこうして喜びの時間を分かち合えるのも、瓜子にとっては嬉しい限りであった。
愛音はもともと小笠原選手や小柴選手と面識があり、意外に素直な一面も持っているので、鞠山選手や多賀崎選手に可愛がられている感がある。ちょっと小生意気な部分も、ゆとりのある年長者から見れば美点と思えたりもするのだろう。
で――こういう場を苦手とする、ユーリである。
ユーリも愛想はいいほうなので、一見は問題なく和を保っているように見受けられる。雅選手ほど深刻なレベルでユーリを嫌っている人間もいないし、鞠山選手の口が悪いのは全方向に対してであるし、マリア選手のようにぐいぐいと攻め込んでくる者もいないので、大阪の夜ほど居心地は悪くないはずだった。
しかし、ユーリはユーリである。
これまでの一週間でも、ユーリはのほほんと過ごしているように見えたが、瓜子と二人きりになったときなどには、「やっぱり集団生活って疲れるにゃあ」などとこぼしていた。
(ユーリさんはマイペースだから、こういう場も苦にはならなそうなのにな)
しかしまた、ユーリは絶え間なく愛嬌をふりまくタイプでもあるので、人数が増えれば増えるほど気疲れする、という面があるのかもしれない。斯様にして、ユーリ・ピーチ=ストームというのは複雑な作りをした生き物であるのだった。
「サキたんのから揚げ、美味しいねぇ。明日から調整期間だから、アブラものとはしばらくお別れかにゃあ」
と、隣のユーリが瓜子ににっこり笑いかけてくる。
こういうときのユーリは、いつも通りのユーリだ。さすがにこれだけ時間をともにしていれば、ユーリの笑顔の微細な違いも理解できるようになっていた。
「……そういえば、あんた、六月のイベントの件はどうなったんだわよ?」
と、向かいの席に陣取っていた鞠山選手が、ずんぐりとした身体をのばしてユーリのほうに詰め寄ってくる。
いくぶんよそゆきの笑顔になりながら、ユーリは「ああ、アレですかぁ」と愛想よく答える。
「なんかオファーがあったみたいなんですけど、ゴールデンウイークに突入しちゃったもんで、こまかい話は先延ばしになっちゃったんですよねぇ。ユーリとしては、このまま立ち消えになってくれたら嬉しいのですけどぉ」
「ナニを言ってるんだわよ。これは《NEXT》やバンドのファンたちをアトミックに取り込む、願ってもない大チャンスなんだわよ。あんたは客寄せパンダとしてアトミックでデビューしたんだから、きっちり仕事を果たすんだわよ」
それは六月の終わり頃に開催される、格闘技と音楽の祭典についてであった。大阪大会のライブイベントが評価されたのか、ついにユーリにも参戦のオファーがやってきてしまったのだ。
しかしそれはもちろんアイドルミュージシャン『Yu-Ri』へのオファーであったため、ユーリはこれっぽっちも乗り気ではなかった。ベリーニャ選手との一件が解決していなかったら、さらなる煩悶を抱え込んでいたところであろう。
「なーにが大チャンスだよ。ファイターだったら、試合内容でファンをつかまなきゃ意味ないっしょ」
と、ずいぶん酔いの回ってきた灰原選手が、横から口をはさんでくる。その日、灰原選手と小笠原選手は《アトミック・ガールズ》の代表として試合に出場するのだ。
「ふん。朱鷺子ちゃんはともかく、あんたの試合に期待なんてできやしないから、音楽サイドで結果を残さないといけないんだわよ」
「へへーん。自分が選手として呼ばれなかったもんだから、ひがんでるんでしょー?」
「冗談も休み休み言うんだわよ。あんたなんか、しょせんはイロモノ担当なんだわよ」
「魔法老女に言われたくないってんだよ! なあ、あんたはどう思う!?」
と、いきなり瓜子に矛先が向けられてきた。
まぜっかえすとややこしいことになりそうなので、瓜子は瓜子なりに誠意を込めて返答することにする。
「そうっすね。確かに灰原選手は試合衣装も華やかですけど、やっぱり破格のKO率を買われたんじゃないっすか? 小笠原選手もそうっすけど、女子選手でKOを狙えるってのは、やっぱ貴重でしょうからね」
「おー、わかってんじゃん! どんな妙ちくりんなカッコしてたって、グラップラーは地味だもんねー!」
すると、鞠山選手は眠たげな目をいっそう眠たげに細めて、「ふん」と鼻息をふいた。
「そういううり坊だって、勝った試合はのきなみKOなんだわよ。ウサ公を持ち上げるついでで自分も持ち上げようだなんて、なかなかいい根性してるだわね」
「あ、いや、そういうつもりじゃなかったんすけど……アトミックの女子選手でお歌を歌えるのなんて、鞠山選手とユーリさんだけっすもんね。それだって、すごいことだと思ってるっすよ」
「なんだよー! あたしの味方してくれるんじゃなかったのー!?」
と、灰原選手がわざわざこちらに回り込んできてまで、瓜子にからみついてきた。その頭を、多賀崎選手が横からぺしんと引っぱたく。
「昼間にあれだけ動いたんだから、ちっとはペースを考えろっての。つぶれて動けなくなったって、あたしゃ面倒みないからな」
「いいよーだ。そのときは、こいつに運んでもらうもん」
肉感的な肢体を瓜子に押しつけながら、灰原選手はにこにこと笑っている。その姿を見て、多賀崎選手は苦笑を浮かべた。
「やっぱお前、なんだかんだ言いながら猪狩さんのこと気に入ってたんだな。だったら普段から普通にしてりゃあ、もっと仲良くなれるだろうによ」
「うっさいよー。こんなやつ、いつかあたしがリベンジしてやるんだからね!」
などと言いながら、灰原選手は瓜子から離れようとしない。たとえ酔った勢いでも好意を表明してくれるのは、瓜子としてもありがたい限りであったのだが――ユーリが羨ましそうに、愛音が冷ややかに、小柴選手が心配そうに見やっているのが、なんとも居たたまれない気持ちであった。
「親睦も深まったみたいで、何よりだね。……そういえばさ、みんなも連絡先を交換しあっておいたら? この先も、何かとお世話になる機会があるかもしんないしさ」
小笠原選手がそのように言いだすと、小柴選手がぱあっと顔を輝かせた。
「そ、そうさせてもらえたら、ありがたいです! あ、あの、猪狩さん、よろしいですか?」
「だめー。あたしが先ー。ほらほら、とっととケータイ出しなよ!」
小柴選手と灰原選手の要請に従って、瓜子はジャージのポケットをまさぐった。
が、指先に触れるものはない。
「あ、部屋に置いてきちゃいました。連絡先の交換は、打ち上げの後でもいいっすかね?」
「えーっ! そんなこと言って、逃げるつもりなんじゃないの?」
「は、はい。後回しにすると、うっかり忘れたままお別れになっちゃうかもしれないので……」
「了解っす。それじゃあ取ってくるんで、いったん解放してもらっていいっすか?」
灰原選手は「やだー」としがみついてきたが、それは多賀崎選手が力ずくでひっぺがしてくれた。
「手間をかけさせて悪いね。……おい、桃園」
「はにゃ? なんでございましょう?」
「……よかったら、あたしも連絡先を交換してもらえないか?」
多賀崎選手は、ぶすっとした面持ちでそう言った。
ユーリはいつもの調子で、ふにゃふにゃ笑っている。
「それはもちろんかまいませんけれどぉ……あ、ユーリも大事なケータイをお部屋に置いてきちゃいましたぁ」
「それじゃあ、取りに戻りましょう」
ということで、瓜子とユーリは賑やかな打ち上げの場を一時離脱することになった。
食堂を出て階段に向かうと、とたんに喧噪も遠くなる。
「さすがにお酒が入ると、賑やかさも倍増っすね。ユーリさん、大丈夫っすか?」
「うん。あんまり苦手なタイプはいないから、そういう意味では気楽かにゃあ」
ユーリはそのように答えていたが、やはり明らかにひと息ついている様子であった。ユーリの場合は接触嫌悪症という問題もあるので、そちらの面でも人間の密集した場が負担となってしまうのだろう。
そうして三階に到着したならば、プレスマンの面々にあてがわれた四人部屋に入室する。
この部屋で眠るのも今日で最後か――という感慨を抱きながら、瓜子はテーブルに放り出されていた自分の携帯端末を手に取った。
それと同時に、背後でパチンと硬質の音色が響く。
振り返ると、ユーリが入り口のドアを背に取って、仁王立ちになっていた。どうやら今のは、部屋のカギをロックした音であったようだ。
「にゅっふっふ。これを見たまえ、うり坊ちゃん!」
と、ユーリがジャージのポケットに手を入れて、メタリックピンクの携帯端末を引っ張り出した。
「あれ? 部屋に置いてきたんじゃなかったんすか?」
「それは、うり坊ちゃんと二人きりになるための口実であったのじゃ! 何人たりとも、ユーリの深謀遠慮は見抜けまいて!」
と、芝居がかった口調で大見得を切ってから、ユーリはもじもじと身をよじり始めた。
「いや、もちろんすぐに戻るつもりだよ? でも、宴はまだまだ続くのだろうから……しばし、うり坊ちゃんゲージを充電しておきたかったのです。この一週間、うり坊ちゃんと二人きりで過ごす時間がほとんど取れなかったから……ユーリは極度の飢餓状態に陥ってしまったのだよぅ」
「そりゃあまあ、十人がかりの共同生活でしたからね。ユーリさんは、よく頑張ってたほうだと思いますよ」
瓜子は自分の携帯端末をポケットに落とし込んでから、ユーリに向かって両腕を広げてみせた。
「はい、どうぞ」
ユーリは、ぺたんと座り込んでしまった。
そのいつも垂れ気味の目が大きく見開かれて、驚愕の思いをあらわにしてしまっている。
「う、うり坊ちゃんは、何をしておられるのでございましょうか……?」
「え? 充電がどうとかって言ってたでしょう?」
「う、うん。だからうり坊ちゃんとしっぽり語り合えたら嬉しいなあって思っていたのだけれども……まさか、うり坊ちゃんが自ら抱擁をお許しくれようとは……」
瓜子は一瞬で、顔面が炎上したような心地であった。
「だ、だったら最初からそう言ってくださいよ! いつもはやたらとひっついてくるくせに、今日に限って何なんすか!」
「おお、羞恥に頬を染めるうり坊ちゃんの尊いこと……ありがたやありがたや」
「お、拝まないでください! ほら、さっさと食堂に戻りますよ!」
「いやーん。もっと充電させてぇ」
床に座ったまましなを作りつつ、ユーリは幸福そうに微笑んだ。
「えへへ。やっぱりうり坊ちゃんのこと、大好きだなぁ」
「だ、だからうるさいですって!」
そうして合宿稽古の最終日は、賑やかなままに過ぎ去っていった。
この一週間の交流が、のちのちどのような実を結ぶことになるか――それがあらわにされるのは、もう少し後になってからのことであった。
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