05 ブレックファースト

 合宿の二日目は、愛音の悲鳴で飛び起きることになった。


「い、いったい何の騒ぎっすか?」


 二段ベッドの上段で休ませてもらっていた瓜子は、慌てふためいて下界に視線を落とす。そこには向かいのベッドの下段に片足を突っ込んでいるサキの姿があった。


「いや、筋肉痛がひどくて起き上がれねーとか抜かすから、親切にもマッサージを施してやってるんだよ」


「こ、これはマッサージではないのです! ただの拷問であるのです! 痛い痛い痛い! そ、そこは駄目なのです! 痛い上にくすぐったいのです!」


「おめー、やわな腹筋してんなあ。本気で踏んだら、臓物でも飛び出してきそうだぜ」


「うひゃひゃひゃ! わ、笑うと余計に痛いのです! ご勘弁! ご勘弁なのですー!」


 この賑やかな合宿稽古を象徴するような、実に微笑ましい朝の一幕であった。

 瓜子の肉体にも、もちろんほどほどの筋肉疲労が残されている。五時間ていどのトレーニングはしょっちゅう取り組んでいるが、それをここまで集中的に行うというのは、瓜子にしてみても稀なことであったのだ。これもまた、休日に稽古場を貸し切りにさせていただくという贅沢な合宿稽古の恩恵であった。


「こっちの乳牛もよく寝てやがるなー。おら、起きろ。とっくに太陽はのぼってんぞ」


「ぶひゃひゃひゃ! こ、こそばゆいし、気持ち悪い! うり坊ちゃん、たすけてー!」


 そうして無事に起床した四名は、連れ立って部屋を出ることにした。

 ここは三階の、宿泊施設だ。大会で遠征してきた門下生などを迎えるための施設であり、四人部屋に二人部屋に個室まで、合計十室も取りそろえられている。それとは別に内弟子のための部屋まで完備されているというのだから、大したものであった。


 二階の食堂に下りていくと、すでに小笠原選手と鞠山選手が朝食をとっていた。午前中は自由時間であり、起床時間もまちまちであるため、朝食の準備はセルフサービスだ。


「おはよ。パンとシリアルは買いためてあるし、他の食材も好きにしていいよ。どうせ後で、買い出しに行ってもらうんだからね」


「了解っす。それじゃあ、キッチンをお借りします」


 サキは朝食も白米派であったが、さすがに炊飯器の準備をする気にまではなれなかったらしく、トーストを焼くように指示が飛ばされた。さらには各人の希望を聞いて、スクランブルエッグとベーコンエッグと茹で卵をこしらえてくれる。それと同時進行で作りあげられたのは、ソーセージとキャベツとタマネギを使ったコンスメスープであった。

 その粛然とした手際に、愛音が「うぬぬ」とうなり声をあげ始める。


「ど、どうしてサキセンパイは、そのようによどみなく料理を作りあげることがかなうのですか? まるで、いっぱしのシェフさながらであるのです」


「ああん? こんなもん、料理の内に入るかよ。おめー、どんな貧しい食生活を送ってんだ?」


 確かにメニューとしては、簡素なものであるのだろう。しかし、サキは卓越した調理技術を備えているので、そんな料理でも手際の見事さがあらわとなってしまうのだ。

 あとはサニーレタスとミニトマトの簡単なサラダであったが、その際にもサキはタマネギとサラダ油とポン酢とコショウで自家製ドレッシングを手早く作りあげて、愛音をうならせていた。


「卑怯なのです……ワイルドなお見かけとのギャップを狙った、これは周到なるイメージアップ大作戦なのです……」


「ウダウダ言ってねーで、とっとと運べや。また腹筋をもみほぐされてーのか?」


 食堂に戻ると、ちょうど多賀崎選手と小柴選手も起きてきたところであった。

 瓜子たちの運んできた朝食を目にした多賀崎選手は、「美味そうだな」と低くつぶやく。その姿を見て、小笠原選手は「あはは」と笑った。


「多賀崎さんは、料理が苦手なんだっけ? シリアルもあるから、お好きにどうぞ」


「牛乳は、あんまり身体に合わないんだよね。パンでも焼いて食うかな」


 武骨な風貌をした多賀崎選手が、どこか悄然とした面持ちになってしまっている。それを見て、サキははうろんげに眉をひそめた。


「おめーも貧相な食生活を送ってるクチか? 何を食って、そんなでけーカラダを維持してんだよ?」


「いや、あたしは実家暮らしだから……もともと家事とか得意じゃないし……」


「いいご身分だなー。そんなモノ欲しそうな目で見られたら、こっちが落ちつかねーわ」


 仏頂面で言いながら、サキは自分の盆を多賀崎選手に押しつけた。


「先に食っとけ。ったく。……おちび、おめーも不自由なクチか?」


「あ、いえ。わたしはいつも、朝はシリアルですので」


「おめーはもうちっと、カラダを作ったほうがいいんじゃねーのか? 試合でも、大して絞ってねーだろ?」


「あ、はい。でも、朝はパンとか白米があまり咽喉を通らないもので……」


「卵と野菜ぐらいは食っとけよ。昨日はあれだけカロリーを消費したんだからよ」


 と、多賀崎選手および瓜子たちをその場に残して、サキは小柴選手とともにキッチンへと逆戻りしてしまった。

 サキから押しつけられたお盆を手に、多賀崎選手は困惑顔で瓜子たちを見回してくる。


「……あいつ、いつもああなのか?」


「さあ、どうでしょう。でも、サキさんの料理は絶品っすよ。それだけは保証します」


 そうして瓜子たちが朝食を開始すると、さして待つことなくサキと小柴選手も舞い戻ってきた。テーブルに置かれたコンソメスープを見て、「何それ美味しそう!」とユーリが騒ぎ始める。


「こいつにふやかしたら、パンでも食べやすいだろ。ま、バケットの代わりだな」


 そこには焼いたトーストとスライスチーズも浮かべられていて、ほとんど見た目はオニオングラタンスープとなっていた。あとは小柴選手がスクランブルエッグで、サキがベーコンエッグ。追加のサラダもどっさりだ。


「なんだ、そんな特技があるなら、最初に言ってよ。今日からは、サキがずっと夕食の当番ね」


 小笠原選手が笑顔で呼びかけると、サキは「はん」と鼻を鳴らした。


「なんでもかまわねーけど、真ん中の平日は抜けさせてもらうからな。こっちもヒマじゃねーんだからよ」


 あけぼの愛児園のバイト職員たるサキは、カレンダー通りの出勤となるのだ。そちらでは大事な牧瀬理央も待っているのだから、休みの申請をしてまで合宿に参加する気持ちにはなれなかったのだろう。


(最近は、そっちの厨房も任されてるって話だもんな。……もしかしたら、園生だった頃からそういう機会があって、調理スキルが磨かれたのかな)


 瓜子はそんな風に想像していたが、もちろん余人の耳のある場所で聞ける話ではないので、大人しく口をつぐんでおく。

 その間にも、小笠原選手は機嫌よさそうに笑いながら言葉を重ねていた。


「もちろんもちろん。各人、自分の生活ってやつがあるんだからさ。サキに限らず、みんな仕事や家庭に支障が出ないように気をつけてね」


「当たり前だわよ。働かざる者、食うべからずなんだわよ」


 そのように語る鞠山選手は、ゴールデンウイークの期間中、ずっと午前中に仕事を抱える身であった。それもあって、午前の間は自由時間と定められていたのだ。


「連休中に毎日勤務って、大変っすね。鞠山選手は、なんの仕事をされてるんすか?」


 瓜子が問うても、鞠山選手の大きな口は開かれなかった。

 その隣で、小笠原選手は「ぷっ」と噴き出す。


「猪狩は知らなかったんだ? 花さんは毎日、魔法少女としてこの世の平和を守ってるんだよ」


「え? あのお姿で、犯罪者でも追っかけてるんすか?」


「そんなわけないだわよ! わたいは夢幻の楽園をこの世に顕現させてるんだわよ!」


 鞠山選手は眠たげな三白眼で、瓜子をじっとりと見据えてきた。


「わたいの偉業を知らんぷりなんて、いい度胸してるだわね。罰として、あんたもいつかわたいの店で働くんだわよ」


「店? お店を経営してるんすか?」


「花さんは、メイド喫茶のオーナーなんだよ。……あ、メイド喫茶じゃなくって、魔法少女カフェだっけ?」


「ほへー」と、ユーリが感心したような声をあげた。


「オーナーさんなんて、すごいですねぇ。アトミックのファイトマネーだけで、そんなにお金をためられるものなのですかぁ?」


「そんなわけないだわよ! ささやかなタネ銭からコツコツ資産運用した結果だわよ! トンチンカンな発言の罰として、あんたもうり坊と一緒に働くだわよ!」


「ええー? ユーリにメイドさんなんて勤まりますかねぇ? ……うり坊ちゃん、どうするぅ?」


「い、いや、絶対に勘弁っすよ。やるなら、ユーリさんおひとりでどうぞ」


「その言い草は何だわよ! わたいの夢幻の楽園を馬鹿にしたら承知しないだわよ!」


「ほらほら、エキサイトしない。……あと、ドサクサまぎれにスカウトしないの。そりゃあこいつらだったら、集客も倍増かもだけどさあ」


 小笠原選手の仲裁で、瓜子も九死に一生を得ることができた。

 そこで「あれ?」と疑問に思いあたる。


「それで思い出しましたけど、灰原選手もバニー喫茶のウェイトレスさんすよね? やっぱり午前中はお仕事って話じゃありませんでしたっけ?」


「ああ。いくら起こしても起きないから、ほっぽってきた」


 サキの手料理に舌鼓を打ちながら、多賀崎選手は分厚い肩をすくめた。

「しかたないなあ」と、小笠原選手は苦笑しながら立ち上がる。


「合宿のせいで遅刻なんかされたら、今後の悪い例になっちゃうからね。アタシが責任者として、なんとかするか」


 そうして小笠原選手が食堂を出て数分後、階上から灰原選手がよたよたと出現した。


「マコっちゃん! 八時に起こしてって言ったじゃん! ゴールデンウイーク中に遅刻なんてしたら、特別ボーナスがカットされちゃうんだからね!」


 マコっちゃんとは、多賀崎選手のことである。彼女のファーストネームは、真実と書いてマコトと読むのだ。

 その多賀崎真実女史は、気のない表情で「知らんよ」と言い捨てた。


「あれだけ耳もとでわめいてやったんだから、義理は果たしたろ。あたしゃあんたの母ちゃんになった覚えはないからね」


「もー! 朝メシ食べてるヒマもないじゃん! 昨日の地獄の猛特訓のせいで、おなかペコペコなのに!」


 口調だけは相変わらずであったが、灰原選手はへろへろであった。おそらく愛音と同様に、全身が筋肉痛であるのだろう。お客の頭にコーヒーでもぶちまけはしないかと、瓜子のほうが心配になってしまった。


「……あんたたちは、いいよねー。昼までだらーっと過ごせるんだからさー。これで午後から同じ練習メニューって、なんか不公平じゃない?」


 と、罪なき瓜子たちにまでお鉢が回ってくる。

 瓜子は、ユーリと顔を見合わせることになった。


「確かに自分らは、完全フリーなんすよね。お昼までどうしましょう?」


「そうだねぇ。先走りスパーも捨てがたいけど、やっぱ日課のエアロバイクと体幹トレーニングが妥当かにゃあ」


「……あんたたち、マジで言ってんの?」


「はい。確かに疲れが溜まってるんで、ひと汗流さないとリフレッシュできなそうっすよね。自分たちばっかり、申し訳ありません」


 灰原選手は、力なく壁にもたれかかってしまった。


「やばい。聞いてるだけで、しんどくなってきた……あたしはもう行くからね! バーカバーカ! 午後には絶対、ぶちのめしてやるからね!」


「小学生レベルの知能と品性だわね。それじゃあ、わたいも行ってくるだわよ」


「はい。お気をつけて」


 とりわけ騒がしいコスプレコンビが出勤し、食堂には平穏が訪れた。

 そこで瓜子は、十人目のメンバーがいまだ姿を見せていないことに、ようやく気がつく。


「そういえば、オリビア選手もまだおやすみ中なんすかね? まったくへたばってる様子はなかったっすけど」


「いや、あいつは誰よりも早起きして出かけてったよ。なんか、限定グッズの発売日がどうたらこうたらで」


「『ビッグ・ディッパー・フィスト』の新作DVDですね。限定フィギュア同梱版が今日発売らしいです」


 小柴選手が何気なく答えてから、慌てふためいた様子で手を振った。


「あ、いや! わたしもよく知らないんですけど! 昨日、オリビアさんがそんな風に言ってました!」


「知らないわりには、するっと名前が出てきたねえ。何それ? アニメか何か?」


「は、はい……八十年代に流行ったアニメのリメイク版です……」


 オリビア選手は日本のアニメや漫画の熱烈なフリークであり、そういった愉快な経歴から日本のバラエティ番組に呼ばれたりもしているのだ。


「日本にホームステイしてフルコン空手とアニメにハマるとか、ほんっと愉快なやつだよねえ。……小柴も、そういうのが好きなわけ?」


「い、いえ! わたしは別に、ちょっとヒマつぶしに観てるだけで! 自分の中では、格闘技が一番ですから!」


「何もそんなムキになることないじゃん。ファイターだって、趣味のひとつやふたつ持ってるもんでしょ」


 小笠原選手はけろりとしているが、小柴選手は気の毒なぐらい慌てふためいてしまっている。そして何故だか、瓜子のほうをおずおずと見やってきた。


「あ、あの……猪狩さんは、そういうのどう思いますか……?」


「え? そういうのって、どういうのです?」


「いや、ですから……いいトシして、アニメとかそういうのを観てる人間とか……」


「自分はよくわかんないっすけど、今どきは大人でも珍しくないんじゃないっすか? 男子選手なんかだと、オタクを売りにしてるお人らもちらほらいませんでしたっけ?」


「わ、わたしは別に、オタクと呼ばれるほどハマっているわけではないのですけれど!」


「オタクでも何でもいいと思いますけどね。現にオリビア選手は、あんなにお強いですし。そうでなくっても、人の趣味を馬鹿にする筋合いはないと思うっすよ」


「そうですか」と、小柴選手は安堵の吐息をついていた。

 その姿を見て、小笠原選手は苦笑している。


「真面目なのはアンタの長所だと思うけど、もうちょい肩の力を抜いたほうがいい結果を残せるかもね。……アニメとかが好きなら、いっそコスプレファイターでも目指したら? ライト級のコスプレ四天王が結成できるかもよ?」


「ななな何を言ってるんですか! そんな恥ずかしい真似、絶対にできません!」


「ほうほう。魔法少女やバニーガールの格好なんかで試合をする人間の気が知れない、と」


「ちちち違います! ぜ、絶対にそんなことをあのお二人に吹き込まないでくださいよ?」


 小柴選手には気の毒であったが、そんなやりとりも微笑ましく感じられてならなかった。

 なんというか、こんな大勢でのんびり朝食を囲んでいるのが、不思議な感覚である。こんな日々があと六日も続くのかと思うと、瓜子は無性に楽しくなってきてしまった。


 しばらくして朝食を食べ終えた小柴選手は「ごちそうさまでした」と合掌した上で、サキにも一礼する。


「なんだか、シリアルより力がついた気がします。やっぱり朝食って大事なんですね」


「あたりめーだろ。大事じゃねー食事なんて存在するもんかよ。ましてやファイターなんざ、カラダが資本の商売だろうがよ?」


「……はい。おっしゃる通りです。昨日から教えられるばっかりで、お恥ずかしい限りです」


 生真面目な小柴選手は深々と頭を下げてから、小笠原選手に向きなおった。


「先輩。昨日も言いましたけど、こんな有意義な合宿に誘ってくださって、ありがとうございます。でも……なんだかお世話になってるばかりで、わたしは申し訳ない気持ちでいっぱいです」


「んー? 別にそんなことはないんじゃない? どう、プレスマンのご一行さん?」


「はい。小柴選手は体格も同じぐらいなんで、自分もけっこうありがたいっすよ。基本の動きもしっかりしてるんで、参考にさせてもらってます」


「……本当ですか?」と、小柴選手は上目づかいに瓜子を見やってくる。

「もちろんっすよ」と、瓜子は笑顔を返してみせた。


「武魂会のお人らとは《G・フォース》でもけっこう当たってましたけど、やっぱキックと空手じゃ違う部分も多いんすよね。そっちの試合でも、小柴選手とのスパーはぞんぶんに活かせそうっすよ」


「そ、それが本当なら、心から嬉しく思います」


 小柴選手は、また子犬のように瞳をきらめかせることになった。

「……篭絡」とつぶやく愛音の言葉は耳に入っていない様子で、幸いである。


「でもそういえば、猪狩さんって《G・フォース》には出ているんですか? 毎回チェックしてるわけではありませんけど、最近お名前を聞いていないような……」


「ああ、オファーはあったんすけど、浜松やら大阪やらと日程が近くて、お断りすることになっちゃったんすよ。あっちは偶数月の開催ですからね」


「ああ、なるほど……それじゃあやっぱり、今後はキックよりMMAのほうで重点的に活動される予定なんですね?」


「いや、どっちが重点的ってわけじゃないんすけど……でもやっぱり、MMAは駆け出しっすからね。ひとつでも多くのチャンスをモノにしたいと考えてます」


「ふふん」と鼻を鳴らしたのは、小笠原選手であった。


「そのチャンスをモノにして、ここまで駆け上がってきたわけだもんね。はっきり言って、アタシやサキと同じペースの出世街道じゃない?」


「はん。ピエロに勝ったんだから、アタシよりも出世してんだろ。次のハワイ女もぶち倒せば、タイトル挑戦でもおかしくねー実績なんだからな」


「ああ、そういうことになるのか。……そういうアンタは、ちょいとリハビリが長引いちゃってるよね。運営のほうから、何かお達しは来てないの?」


「黒船女のせいで、あっちもゴタついてんだろ。そうじゃなきゃ、今頃はタイトル返上でも打診されてるだろうさ」


「えーっ!」と、瓜子とユーリが不満の声を合唱させることになった。


「サキさんがタイトル返上なんて、そんなの納得いかないっすよ。ライト級の王者に相応しい人間なんて、他にいないじゃないっすか」


「うんうん。負けてもいないのにタイトル返上なんて、ユーリも納得いかないにゃあ」


「あのなー……アタシが膝をぶっ壊して、もう半年近く経ってんだぞ? それでこれっぽっちも復帰の目途が立ってねーんだから、それこそベルトを持ってる資格なんざねーだろ」


 そんな風に言ってから、サキは椅子の上でふんぞり返って、頭の後ろで手を組んだ。


「何にせよ、ベルトを奪われたら取り返すだけだ。事と次第によっちゃあ、どこかのちびタコが巻いたベルトに、アタシがチャレンジャーとして挑むって構図になるかもなー」


「……そうっすね。どんな形になろうとも、けっきょくはサキさんを倒さない限り、真のライト級王者を名乗ることなんてできません。もしもタイトル返上なんて話が持ち上がったら、自分が死に物狂いで奪取して、サキさんの留守をお預かりするっすよ」


「ふにゅう!」と、ユーリがおかしな気合の声をあげた。


「ライト級も、盛り上がってきたねー! いいないいな! ユーリまでワクワクドキドキしてきちゃったよー!」


 すると、瓜子やサキばかりでなく、愛音を除く全員が呆れた顔でそちらを振り返ることになった。その代表として、小笠原選手が発言する。


「あのね……あんた、自分の立場をわかってんの? あんたこそ、ミドル級王座を懸けたレースの真っ只中なんだよ? 何をどう考えたって、一番盛り上がってんのはミドル級戦線じゃん」


「ふにゅ? それはまあ、理解しているつもりなのですけれども……ユーリは一戦ずつ、目の前の試合に全力で取り組んでいく所存なのです!」


「それはこっちも同じことっすよ。負けたらその場で、扉が閉ざされちゃうんすからね」


 もちろん扉が閉ざされたならば、再び奮起してそれをぶち破るまでである。

 どんな選手であっても、そうやってひたすら突き進んでいく他ないのだ。トップファイターでも、中堅選手でも、新人選手でも――勝利することで、自分の道を切り開いていくということに変わりはないはずだった。


「あんたも踏ん張りな、小柴。まずは、目の前の一勝だよ」


「はい! 試合が決まったら、この合宿の成果を全部ぶつけてみせるつもりです!」


 小柴選手がそのように宣言したとき、食堂の入り口からオリビア選手がひょこりと姿を現した。ジャージ姿で、手には大きなビニールの手提げ袋を抱えている。


「ただいまー。トキコ、スペアキーありがとうですー。おかげで限定品をゲットできましたー」


「ああ、おかえり。……さて、それじゃあ腹ごなしに身体を動かすか。あんたちは、マシーントレーニングをご希望だったよね。他のみんなはどうする?」


 その場の全員が、同じトレーニングを希望した。

 小笠原選手に玄関のスペアキーを返しながら、オリビア選手もにこにこと笑っている。


「トレーニング、始めるですかー? それじゃあ大事な戦利品を部屋に置いてくるので、ワタシも参加させてくださいねー」


 いつも以上に楽しそうな笑みを振りまきながら、オリビア選手はいそいそと階段を駆けあがっていく。

 本当に、さまざまな選手が存在する業界であるが――それでもやはり、向いている方向は同じであるはずだった。


「じゃ、行こうか。ひと汗流したら、買い出しの仕事もあるからね」


 そうして有意義な合宿稽古は、無事に二日目を迎えたのだった。

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