ACT.4 黄金の日々

01 合宿稽古

《アトミック・ガールズ》の大阪大会から、十日と少しが経った頃――四月の終わりのことである。

 いわゆるゴールデンウイークに突入したその日、新宿プレスマン道場の女子門下生一行は、武魂会の東京本部道場を訪れていた。


「あー、ここだここだ。なかなか立派なビルじゃねーか」


 先頭に立ったサキが、目前の建物を見上げながらそのようにつぶやいた。

 JRの大手町駅から徒歩七分。灰色のビルが立ち並ぶ、オフィス街の一画である。周囲の建造物と変わり映えのしないそのビルの一階入り口に、『武魂会 東京本部道場』の看板が掲げられていた。


 このビルは、武魂会の持ちビルであるのだという。地下一階から地上三階までは道場の関連施設であり、それより上の階はテナントとして貸し出して家賃収入を得ているのだという話だ。まがりなりにも都心のど真ん中にこのようなビルを構えているのだから、それだけで立派すぎるほどであるはずだった。


 この場に集ったのは、女子MMA部門のフルメンバー、サキ、ユーリ、瓜子、愛音の四名である。

 瓜子たちは本日から、この場所で出稽古に励むことになる。

 そしてそれはただの出稽古ではなく、泊まりがけの合宿稽古であったのだった。


「東京本部道場の敷居をまたぐのは、ひさびさなのです! 武魂会から巣立った愛音であっても、やっぱり身が引き締まる思いであるのです!」


 キャリーケースを引いた愛音は、この中で誰よりも発奮している。彼女の場合は憧れのユーリと寝食をともにできるというだけで、血圧が上がってしまうのだろう。

 いっぽうユーリなどは、この段に至ってまだ曖昧な表情だ。ここの牧草は美味しいのかしらと半信半疑でいる乳牛さながら――などと言ったら引っぱたかれてしまいそうだが、とにかくユーリが求めているのは「充実したトレーニング」のただ一点であるので、実際に取り組んでみなくては感想の抱きようもない、といった心境であるのだろう。


 瓜子などは、ほどよい緊張と昂揚を胸に、この場に立っている。出稽古の経験がない瓜子にとってはそれだけで大きな刺激であるし、本日この場に集結する人間の顔ぶれを考えれば、否が応でも期待が高まってしまうのだった。


「ほんじゃあ、突撃すっか」


 リュックを担いだサキを先頭に、看板の掛かった玄関をくぐる。

 カウンターも、ロビーも無人だ。物怖じを知らないサキはさっさと履物を脱ぎ捨てて、スリッパも履かずに通路を突き進んでいった。

 やがて現れた扉には、『鍛錬場』というシンプルなプレートが表示されている。

 サキはやはり一切の躊躇なく、その扉を押し開けた。


「お、来たね。待ってたよ、プレスマンのご一行さん」


 広々とした稽古場の片隅で、長身の人影が身を起こす。

 このたびの合宿稽古の発起人、小笠原朱鷺子選手である。ウォームアップに励んでいたらしい小笠原選手は、ほのかな熱気を漂わせながらこちらに近づいてきた。


「荷物はそんだけ? だったらひとまず、更衣室でオッケーだね。他の連中もぼちぼち集まってるから、準備をしちゃってよ」


「押忍。これから一週間、よろしくお願いします」


 瓜子と愛音が頭を下げると、ユーリも慌ててそれにならった。サキは、わずかばかりに顎を引いたのみである。


「……それにしても、立派な稽古場っすね。正直に言って、想像以上でした」


 瓜子がそのように感慨をもらすと、小笠原選手はまんざらでもなさそうに「んふふ」と笑った。


「ちょっとした大会なんかは、ここで開かれるぐらいだからね。設備の充実具合も都内では指折りのはずだよ」


 それは、厳然たる事実であろう。一階のスペースはほとんどこの鍛錬場に占められているようで、広大なる空間に薄いマットが敷きつめられている。さすがに空手道場であるのでリングまではなかったが、壁際に設置された棚にはグローブやプロテクターやキックミットなどがぎっしりと詰め込まれて、また別の壁際にはプレスマンよりたくさんのサンドバッグが吊るされていた。


「ちなみにマシーントレーニングをしたいときは、地下のフロアに設備がそろってるからね。ま、アタシとしてはスパー中心の稽古にしたいところだけどさ」


「こんな立派な場所で稽古をできるなんて、ありがたい限りっす。小笠原選手、本当にありがとうございます」


「普段はアタシのほうがお世話になってるんだから、遠慮はいらないって。いつも言ってるでしょ。こういうときは、持ちつ持たれつさ」


 と、実に魅力的な笑顔を見せる小笠原選手であった。


 ことの始まりは、十日ほど前。大阪大会の直後の練習日である。

 プレスマン道場に出稽古でおもむいていた小笠原選手が、瓜子たちをこのイベントにお誘いしてくれたのだ。


「やっぱプレスマンも、ゴールデンウイークはずっと休館? だったら、うちで合宿しない?」


 うちといっても、小笠原選手の所属は武魂会小田原支部である。

 しかし、武魂会の歴史においてもっとも輝かしい実績を積んできた女子門下生であり、なおかつ若年の身で指導員まで務めているという彼女は、たびたび東京を訪れて、この本部道場のお世話になっているのだという話であった。


「ジムや道場って、日曜祭日はたいてい休館でしょ? それはうちも一緒なんだけど、そんな長々と遊んでたら身体がなまっちゃうからさ。去年のゴールデンウイークから、空いてる稽古場を借り切って合宿させてもらえるようになったんだよね」


 小笠原選手は若き指導員に過ぎないが、武魂会総長の覚えもめでたく、何かと融通をきかせてもらえるのだそうだ。昨年は天覇館やフィスト系列のジムから参加者を募って、かなり大がかりな合宿が開催されたとのことであった。


「ただ、あんま大がかりにするとあれこれ面倒だし、寝床も確保できないからさ。十人ぐらいに人数を絞って、稽古の内容を濃くしたいんだよね」


 そんな方針であるにも拘わらず、プレスマンから四名も招いてもらえるとは光栄の限りであった。

 二月の浜松大会以来、小笠原選手も何度かプレスマンで出稽古を行っている。それで親睦を深めると同時に、サキやユーリと稽古をともにする有意義さを実感できたようだった。


「アタシと桃園は去年の十一月にやりあったばかりだから、少なくとも年内は再戦もないっしょ。おたがい打倒ベリーニャに向けて、切磋琢磨しようじゃないの」


 そんな風に語る小笠原選手は、無邪気でありながらも気合をみなぎらせており、瓜子にはたいそう好ましく思えたものであった。


「更衣室はこっちだよ。なかなか騒がしい連中が集まっちゃったけど、せいぜい仲良くね」


 今度は小笠原選手を先頭に、更衣室を目指す。

 確かにそこには、なかなか騒がしい面々が集結していた。


「お、来たね! 今日はあたしのサンドバッグになってもらうから、覚悟しな!」


「ふん。サンドバッグにKOされたら見ものだわね」


 騒がしい面々の代表格は、大阪大会でご一緒したばかりの、灰原選手および鞠山選手であった。彼女たちはそれぞれフィスト・ジムおよび天覇館の系列ジムであったために、小笠原選手ともゆかりが深かったのだ。


 そしてその場には、瓜子たちとあまり面識のない二名の選手も居揃っていた。

 灰原選手の同門である四ッ谷ライオットの多賀崎選手と、武魂会船橋支部の小柴選手である。


「えーっと、こっちのお二人は、あんまり馴染みもないんだっけ?」


「はい。多賀崎選手はこの前の大阪で初めてご挨拶をさせてもらって、小柴選手は――」


「アンタのデビュー戦の相手でしょ? だからこいつも、名乗りをあげたんだろうしね」


 小柴選手はいくぶん緊張気味の面持ちで、ぺこりと頭を下げてきた。ショートヘアの多い女子選手の中でもとりわけ短い髪をした、ちょっと中性的な容姿の娘さんである。体格は瓜子と似通っており、年齢はたしか二十一歳のはずだ。


 いっぽう多賀崎選手は二十六歳で、アトミックのミドル級においてはれっきとした中堅選手であろう。背丈は百六十センチていどであり、どちらかといえば強面の部類で、体格もがっしりとしている。ユーリを見やる目には、強烈な対抗意識が隠しようもなく噴きこぼれていた。


「本当は、舞さんや美香さんも呼びたかったんだけどね。舞さんは腰の調子が悪くって、美香さんは――近い内に、あんたとやりあう可能性があるからさ」


 小笠原選手にそんな言葉を向けられると、ユーリは「ほえ?」と小首を傾げた。


「そのお名前には聞き覚えがないのですが……もしかしたら、沖選手は美香さんとおっしゃるのでしょうか?」


「違う違う。沖さんこそ、アンタの直近の対戦相手じゃん。美香さんってのは、魅々香選手のことだよ。魅々香ってのは、リングネームなの」


「ああ、にゃるほど! 確かに魅々香選手も、次の大会でトーナメントにエントリーされておりますものね」


「うん。そのあたりの話は、あとでまとめて説明したいんだけど……最後のひとりは、遅刻かな? ま、いいや。アンタたちも、さっそく着替えちゃってよ」


 ということで、瓜子たちもトレーニングウェアを引っ張り出すことになった。

 すると、着替えを済ませたコスプレ三銃士のおふたかたが、左右から瓜子に接近してくる。


「あたしは、あんたとやりあうために出向いてきたんだからね! この一週間で、目に物を見せてあげるよ!」


「ふん。こんなウサ公は秒で片付けられるだろうから、その後はわたいが可愛がってあげるだわよ。せいぜい入念にストレッチしておくだわね」


「あ、はい。お手柔らかにお願いいたします」


 大阪大会の恩恵で、瓜子もだいぶんこの両名のキャラクターがつかめてきた。口を開けばイチャモンばかりの両名であるが、あまり扱いに困ることはない。慣れてくると、その口の悪さまでもが微笑ましく思えてきてしまうのだった。


 そうしてわちゃわちゃと騒いでいるところで、また更衣室のドアが開かれる。

 覗き見防止でドアはロッカーの陰になっており、そこからにゅっと顔を突き出してきたのは、褐色の髪と青い瞳をした、やたらと鼻梁の立派な白人女性であった。


「みなさん、おそろいですねー。遅れてしまって、申し訳ないですー」


 それはミドル級の『日本人キラー』、オリビア・トンプソン選手であった。

 玄武館という空手団体に所属する彼女はフィスト系列のジムでMMAを学んでおり、そこからのツテで小笠原選手と親交を結んだのだという話であった。


「ユーリ、おひさしぶりですー。元気そうで、何よりですー」


「あ、どうもぉ。今日からよろしくお願いいたしますねぇ」


 オリビア選手はのほほんとした性格であったため、ユーリとも相性は悪くないようだ。にこにこと笑いながら挨拶を交わす両名は、ファイターらしからぬ柔和さを競っているかのようだった。


 そうして着替えを済ませた一同は、あらためて鍛錬場を目指す。

 ひとりでウォームアップをしていた小笠原選手は、すっかり身体も温まったようだった。


「それじゃあ、みんなもウォームアップしてくれる? その間に、アタシは適当に喋らせてもらうからさ」


 ユーリとサキを除く全員が、「押忍!」と威勢よく応じていた。硬軟入り乱れた顔ぶれではあるが、いずれも名のあるジムや道場の門下生であるのだ。そういう意味では、やはりプレスマンの面々こそが異端者というくくりになってしまいそうだった。


「今回の合宿の参加者は、この十人。順不同で紹介させていただくよ。まずは新宿プレスマン道場から、四人。ライト級王者のサキ、ミドル級のお騒がせ娘・桃園、ライト級のルーキー・猪狩。十六歳の新人門下生・邑崎。邑崎はこの春で高校二年生になったばかりで、もともとはうちの門下生だったけど、MMA一本に絞るためにプレスマンに移籍した。《G・フォース》のアマ大会とうちのオープントーナメントの二冠王だから、ガキんちょだけどスタンドの技術はなかなかのものだよ」


「押忍! よろしくお願いいたしますです!」


「お次は四ッ谷ライオットのお二人、多賀崎さんと灰原さん。知らないやつはいないだろうけど、多賀崎さんはミドル級の実力者で、灰原さんはライト級の『極悪バニー』ね。どっちもストライカーだけど、多賀崎さんはレスリング力にも定評がある。ウェイトも、試合で五キロ以上は落としてるんだよね?」


「……ああ。今は六十ジャストぐらいかな」


「うんうん。ライト級の連中は、ぞんぶんに塩漬けを楽しむといいよ。それでお次は――花さんね。鞠山花子さん。合宿中は、本名でオッケー。その正体は、なんと戦慄の魔法少女!」


「やかましいだわよ」


「はい、すみません。ここだけの話、花さんはまごうことなきぶっちぎりの最年長なんで、グラップリングのほうは仕切り役をお願いするね」


「やかましいだわよ!」


 小笠原選手の気安い軽口が、両者の親密度を如実に示しているようだ。おそらくは、『女帝』たる来栖舞が繋いだ縁であるのだろう。

 ちなみに稽古モードの鞠山選手はアッシュブロンドのウェーブがかった髪を頭のてっぺんでくくっており、メイクをしないとそばかすの目立つ顔をぞんぶんにさらけ出していたため、試合中とはまるきり異なる様相であった。ちょっとカエルに似た独特の風貌をしているため、ユーモラスさも二割増しである。


「ほんでお次は、玄武館のオリビア。こっちも説明の必要はないだろうけど、フルコン空手出身のオリビアはゴリゴリのストライカーで、下手にボディブローをくらうとなんも食えなくなる。栄養補給は大事だから、スパーの際は各人お気をつけて」


「ハーイ。よろしくねー」


「で、最後はうちの小柴。ライト級で、プロキャリアは一年半ってところかな。戦績は二勝三敗だけど、二連勝のあとに三連敗しちゃったもんだから、けっこう崖っぷち。本人も気合を入れてるんで、どうぞよろしく」


「……押忍。よろしくお願いします」


 小柴選手は純朴そうな顔を厳しく引き締めながら、ストレッチに励んでいる。彼女は瓜子に負けた後、二戦連続で敗北を喫してしまったのだ。そしてその対戦相手のひとりは、涼しい顔で股割りをしている『極悪バニー』に他ならなかった。


「ちょっと軽量級に偏った顔ぶれになっちゃったけど、アタシとしては桃園とオリビアと多賀崎さんがそろってるんで、申し分ないと思ってる。グラップリングは桃園と多賀崎さん、ストライキングはアタシとオリビアで、けっこういい稽古をつけられるんじゃないかな。ただ……桃園と多賀崎さんは未対戦で、桃園とオリビアは前回の対戦からもうすぐ一年なんだよね。ミドル級は王座挑戦のレースが始まったところだから、そんなに問題はないと思うんだけど……そこんところは、どうなのかな?」


「関係ないよ」と、多賀崎選手が低い声で言い捨てた。


「あたしは今年、一月と四月で早々に連敗しちゃったからね。オリビアや桃園に当てられることなんて……少なくとも、むこう一年はありっこないさ。それどころか、年内は試合に呼ばれるかもあやしいもんだよ」


「それじゃあ、うちの小柴と同じだね。気合を入れていこう」


 小笠原選手は、にっと白い歯をこぼした。

 人間らしい温かさと、力強さにあふれた笑みである。多賀崎選手は気合の入った表情で、「ああ」と応じていた。


「ワタシも予選大会、シャラに負けちゃいましたからねー。ユーリ、一勝一敗だから決着つけたいけど、たぶん年内は無理かなー」


 と、こちらは実に朗らかな表情で、オリビア選手が言いたてる。

 身体の熱が逃げないようにと屈伸をしながら、小笠原選手は「うん」とうなずく。


「稽古のメニューにも関わってくるから、そのへんの話もさせてもらうね。……ミドル級は王座挑戦レースが始まって、そこの桃園は五月大会でトーナメントに参加する。最初の対戦相手は、沖さんだよね?」


「はぁい。そうでぇす」


「一回戦目は沖さん、決勝戦は美香さんと沙羅選手の勝者。沖さんは名うてのグラップラーで、美香さんと沙羅選手はオールラウンダー。こりゃもう立ち技も寝技もまんべんなく磨くしかないだろうね」


「はぁい。ごもっともですぅ」


「……なんかアンタ、よそゆきの顔になってるね。最近は、そっちのほうが新鮮に見えてきたわ」


 と、無邪気な笑顔で言ってから、小笠原選手は表情をあらためた。


「沙羅選手もいちおう空手がベースだから、アタシやオリビアで力になれると思う。グラップリングに関しては、多賀崎さんと花さんだ。プレスマンはキックも柔術もレスリングも充実してるけど、普段と違う相手とやりあうのは、アンタの糧になるはずだよ」


「はぁい。ユーリはワクワクしちゃってますぅ」


「そんで、直近に試合を控えてるのは……あとは、猪狩だけなのかな?」


「なにー!?」と、灰原選手が反応した。


「こら、イノシシ娘! あんた、五月大会のオファーがあったの!? 大阪大会から、連戦じゃん!」


「はい。大阪から戻ってすぐ、パラス=アテナから連絡をもらいました。相手はハワイの、ラニ・アカカ選手です」


《アトミック・ガールズ》に参戦して初めての外国人選手との対戦ということで、瓜子はまたも意欲を燃えさからせることになったのだ。

 すると、鞠山選手が「ふん!」と盛大に鼻を鳴らした。


「どうやらパラス=アテナの連中は、本腰を入れてあんたをプッシュするつもりみたいだわね。あのハワイの娘っ子は、なかなかに厄介だわよ」


 得たりとばかりに、小笠原選手が鞠山選手に向きなおった。


「アタシはそいつ、あんま記憶にないんだよね。花さんは対戦したことあるの?」


「……あると言えばあるし、ないと言えばないだわよ」


「んん? わかるように説明してくれない?」


「だから、『まじかる☆まりりん』としては未対戦なんだわよ。でも、世を忍ぶ仮の姿で対戦したことがあるんだわよ」


 両方の膝を入念に温めていたサキが、「あー」と声をあげた。


「おめーはしょっちゅう、柔術やらグラップリングやらの大会にエントリーしてるもんな。そっちじゃふざけたコスプレやリングネームなんざ使えるわけもねーから、その愉快な素顔をさらして出場してるわけか」


「いちいち修飾語が腹立たしいんだわよ! ……あいつとやりあったのは、去年の年末だっただわね。あいつは《JUFリターンズ》に出場する男子選手のセコンドとして来日しておきながら、自分はちゃっかりグラップリングの大会にエントリーしてたんだわよ」


「で、おめーが負けたのか?」


「負けてないだわよ! あいつとは準決勝でやりあって、わたいが見事にヒールホールドを極めてやっただわよ!」


「それじゃあ、何が厄介なの?」と、小笠原選手が素直に問い質した。

 鞠山選手は眠たそうなカエルのごとき目で瓜子のことをねめつけながら、大きな口を開く。


「あいつはもともとオールラウンダーって言われてたけど、想像以上の力量だったんだわよ。パワーもスタミナもテクニックも、他の連中より頭ひとつ飛び抜けてただわね」


「ふん。あいつがオールラウンダーだなんてことは、先刻承知だけど……グラップリングのほうも、そこまでの腕前だったのか」


 サキは前髪で目もとを隠しつつ、肩をすくめていた。

 灰原選手は、いぶかしそうにそちらを振り返る。


「ハワイ女だったら、あんたも一昨年ぐらいに対戦してなかったっけ? その頃は、グラップリングもそこまでの腕じゃなかったの?」


「ああ。アタシは華麗な立ち技で翻弄してやったから、あいつの寝技の技量なんざ知ったこっちゃなかったんだよ」


「うわー、ムカつく! だったらイノシシ女も、突貫ラッシュで沈めてやりゃいいじゃん」


「ターコ。こいつはインファイターだろうがよ? アタシとおんなじ戦法は使えねーよ」


 と、長い前髪の隙間から、サキが瓜子を見つめてくる。


「……こいつはまた、前回にも負けねー正念場になりそうだな。しかも期間は、あと三週間ときたもんだ」


「押忍。いっそう燃えてきました」


 瓜子が笑顔を返してみせると、サキは手の甲で頭を小突いてきた。

 すかさずユーリも逆側の頭を小突いてきて、鳥肌の浮いた手をさすりながら「にゅふふ」と笑う。


「いや、にゅふふじゃないっすよ。……あ、鞠山選手、貴重な情報をありがとうございました」


「ふん! 呑気に笑ってる場合じゃないだわよ! あんたは、テストされてるんだわよ!」


「テスト?」


「あんたの実力がどれほどのものか、パラス=アテナの連中が最終試験を繰り出してきたんだわよ」


 ずんぐりとした胴体をそらしながら、鞠山選手はそう言った。


「あんたはこの前、ピエロ女を撃退してみせただわね。だけどあいつはトップファイター呼ばわりされてるけど、あちこち穴がありすぎるんだわよ。だから今回はオールラウンダーで、フィジカルも強い外国人選手を当てられたんだわね。こいつに打ち勝ってこそ、あんたは真のトップコンテンダーってことだわよ」


「なるほどね。普段だったら、それがタイトル挑戦の布石になるところだけど……今回に限っては、黒船をせきとめる防波堤の最終試験ってことか」


 楽しそうな笑顔で、小笠原選手が割り込んできた。


「同じストライカーでインファイターの大垣さんすら、先月の大会ではあのザマだったからね。ピエロの篠宮に続いて外国人選手のオールラウンダーを打ち負かしたら、ようやくアンタも挑戦者の資格を得られるってわけだ」


「挑戦者っすか。元・世界王者のメイ=ナイトメア選手に挑戦できるなら、光栄の限りっすね」


「そーそー。だから、メイをこの合宿に誘えなかったんですー」


 と、ひとりで黙々とウォームアップに励んでいたオリビア選手が、ふいに発言した。


「ウリコやサキはメイと試合を組まれるかもしれないから、誘えなかったんですよー。メイもいたら楽しかったんで、残念ですー」


「ん? ちょっと待った。あんただけじゃなく、あのドレッド頭も日本に来てるの? 次の大会まで、まだあと三週間もあるじゃん」


 灰原選手の言葉に、オリビア選手は愛想よく「ハーイ」と応じた。


「メイはアトミックに定期的に出場することが決まったから、ビザを取ったみたいですー。この前の大会から、ずっと日本に滞在中ですよー」


「ふーん。あんたやベリーニャもそうだけど、ビザってそんな簡単に取れるもんなの?」


「ワタシ、玄武館の指導員として、就労ビザ持ってるですよー。ベリーニャも、きっとそうですねー。メイは――よくわからないけど、どうにかして取得したみたいですー」


「どうにかしてって、どういうことさ。なんだか、得体の知れないやつなんだね!」


 すると、灰原選手を押しのけるようにして、サキが発言した。


「そーいえば、おめーはあの黒船女とツレだったな。今回は、お仲間のためにスパイに出向いてきたってわけか?」


「スパイ、違いますー。どうせメイは、ワタシの言うことなんて聞かないですよー」


 そう言って、オリビア選手はにこりと笑った。


「メイは負けたら、もっと強くなれると思うんですー。だからワタシは、誰かがメイに勝ってくれることを期待してるんですねー」


「なんか事情があるみたいだね。でもまあそいつは、稽古の後にしておこうか」


 小笠原選手が、パンッと両手を打ち鳴らす。


「ウォームアップは、もう十分だよね? 補強練習でさらにじっくり汗をかいたら、スパー形式の稽古に移ろう。時間を一秒も無駄にしないようにね」


 そうして、合宿初日の稽古が開始された。

 世間では、多くの人々が余暇を満喫していることだろう。

 しかし瓜子たちにとっては、これこそがもっとも充足した休日の過ごし方であるはずだった。

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