04 華やかなる百鬼夜行

 舘脇のもたらした騒動は、ひとまず落着することになった。

 満足そうに微笑みながらそれらの様子を見守っていた雅選手が、「ほな」と腰をあげようとする。


「話はこれでおしまいやね。そないしたら、サキちゃんにも挨拶させてもろうて帰ろかぁ」


 雅選手のそんな言葉に、瓜子は思わず「あ」と声をあげてしまう。


「あっちは今、赤星道場のみなさんと宴会中なんすよね。赤星道場と折り合いが悪いことはないっすか?」


「はぁん? うちは別に、ええも悪いもあらへんけど」


 雅選手も何かを察した様子で、ベリーニャ選手のほうを振り返った。

 立ち上がりかけていたベリーニャ選手は、「アカボシドージョー?」と不思議そうに小首を傾げる。


「はい。上の会場でキックの試合があって、そっちに出場してた赤星のお人らと合同の祝勝会を開こうって話になったんです。それで、道場主の赤星弥生子さんもいらっしゃるんすけど……」


 駒形氏が通訳している最中に、ベリーニャ選手は「ヤヨイコ」と反復していた。

 その目が、はっきりと驚きをあらわにしている。


「ヤヨイコ、イルデスカ? アイサツ、OKデスカ?」


「は、はい。折り合いは悪くないんすよね?」


「ワタシ、ヤヨイコ、ソンケーデス。カノジョ、サイキョーデス」


 弛緩していたユーリが、その言葉でしゃきんと背筋をのばした。


「ベル様! ベル様にとって、赤星弥生子さんは最強の存在なのでありましょうか!?」


 ベリーニャ選手は少し迷うように口ごもってから、英語で答えた。

 駒形氏が、びっくりまなこでそれを通訳してくれる。


「私が知る中で、赤星弥生子は女子最強の選手です。私の生涯の目標は、五人の兄たちと赤星弥生子に打ち勝つことなのです。……と、仰っています」


「ほええ……」とユーリは嘆息した。


「あの赤星弥生子さんは……そんなものすごいお人であられたのですねぇ……」


「そ、それじゃあベリーニャ選手は、どうして《レッド・キング》じゃなくてアトミックに参戦したんすか? あっちだって、ベリーニャ選手の参戦を断ったりはしないでしょう?」


「今の私では、まだ彼女に勝てません。同じ相手に二度負けることは許されないと、父や兄たちから厳しく申しつけられているので、私はまだ彼女に挑戦できないのです。……と、仰っています」


 そのように通訳する駒形氏も、すっかり困惑の表情であった。今やベリーニャ選手は、《アトミック・ガールズ》の無差別級王者なのである。


「なんやおもろいことになってきたなぁ。ほな宿命のお二人が相対するお姿を拝見させてもらおかぁ」


 瓜子はたいそう落ち着かない気持ちで、一行を宴会場まで案内することになってしまった。

 しかし、赤星弥生子の側がどういう気持ちを抱いているのかはわからないので、まずは先に確認を取らせてもらうことにする。


「ベリーニャが、私に挨拶を? ……それはもちろん、かまいはしないが」


 赤星弥生子は凛々しい眉のあたりに困惑の色をたたえつつ、そのように答えた。

 周りの面々も、べつだんおかしな様子は見せていない。ただ、大江山すみれは内心の読めない微笑をたたえつつ、どこか期待に瞳を輝かせているように感じられた。


「お邪魔しますえ」と、雅選手を先頭に、四名の客人とユーリが入室してくる。

 その姿に、マリア選手が「わーい!」とはしゃいだ声をあげた。


「ベリーニャ選手だけじゃなく、雅選手もいらしてたんですねー! 今日はお疲れ様でしたー!」


「あら、マリアちゃんも来とったんかいな。華やかでよろしいなぁ」


 雅選手が道を譲ると、ベリーニャ選手は単身で赤星弥生子のもとを目指した。

 赤星弥生子は座卓からベリーニャ選手の方向に向きなおり、座布団の上で姿勢を正す。ベリーニャ選手は、その正面に膝を折った。


「ヤヨイコ、オヒサシブリデス。ゲンキ、ヨカッタデス」


「うん。……ずいぶん日本語が上手くなったな」


「ハイ。タクサン、ベンキョーシテマス」


 浴衣姿の赤星弥生子とパーカー姿のベリーニャ選手が、正面からおたがいを見つめ合っている。

 赤星弥生子はいつも通りのぴりぴりと張り詰めた雰囲気で、ベリーニャ選手はいつも通りの静かなたたずまいだ。

 七年前に対戦したという両者が、いったい何を思っているのか――外面からは、まったく推し量ることもできなかった。


「……ソレデハ、シツレイシマス」


 と、ベリーニャ選手がふいに深々と一礼した。

 すると、マリア選手が「えーっ!」と大きな声を張り上げる。酒が入っているせいか、いつも以上に元気になってしまったようだ。


「せっかく来たのに、もう帰っちゃうんですかー? よかったら、一緒に飲みましょうよー!」


 ベリーニャ選手がいくぶん困ったように眉を下げると、赤星弥生子が「マリア」と低く声をあげた。


「ベリーニャの一家は、酒をたしなまないんだ。無理を言って引き留めるのは、迷惑だろう」


「だったら、お鍋もありますよ! ベリーニャ選手も、お食事はこれからでしょう? それに、ベリーニャ選手だって試合に勝ったんですから、一緒に祝勝会をしちゃえばいいじゃないですかー!」


 いつの間にか瓜子のすぐそばに接近してきていたユーリが、瓜子の陰で「うにゅにゅ」とこっそりうなり声をあげた。マリア選手の無遠慮な言動に、心を痛めてしまっているのだろうか。

 すると――ベリーニャ選手が、瓜子たちを振り返ってきた。

 その黒い瞳は、瓜子の肩越しにユーリの姿をとらえている。


「ピーチ=ストーム、メイワク、アリマセンカ?」


「ひゃい!? め、迷惑とは、なんのお話でありましょう!?」


「ワタシ、ココニイル、メイワク、アリマセンカ?」


 そう言って、ベリーニャ選手ははにかむように微笑んだ。


「ピーチ=ストーム、ヤヨイコ、ミンナイッショ、ウレシイデス。デモ、メイワク、アリマセンカ?」


「めめめ迷惑だなんて、滅相もありませぬ! ただただユーリは恐れ多いばかりでありまして……!」


「だから、ユーリさんの日本語は難しいんですって」


 すると、親切なジョンがユーリの言葉を通訳してくれた。

 ベリーニャ選手は嬉しそうに笑ってから、正面の赤星弥生子に向きなおる。


「ヤヨイコ、メイワク、アリマセンカ?」


「私の側に、拒む理由はないけれど……そちらは本当に大丈夫なのか? マリアの言うことなど気にする必要はないのだぞ」


 その言葉もジョンによって訳されると、ベリーニャ選手はまた魅力的な笑顔を覗かせた。


「ワタシ、メイワク、アリマセン。ミンナイッショ、ウレシイデス」


 ということで、ベリーニャ選手までもが祝勝会に加わることになってしまった。

 駒形氏は今日の内に舘脇から詳しい事情を聴取しなければならないということで、辞去を申し出る。いっぽう雅選手は、当然のように参席を希望した。


「なんや目障りな物体もうろちょろしとるけど、こないなメンバーで飲める機会はそうそうあらへんさかいなぁ」


 なんだか、とてつもない顔ぶれになってしまった。

 瓜子にしてみれば、百鬼夜行にまぎれこんでしまったような気分である。

 だが、他の面々はおおよそ新たな闖入者たちを歓迎するかまえであった。


「……すごいですね。ユーリ選手にベリーニャ選手に弥生子さん。わたしの目標とする三人が一堂に会してしまいました」


 そんなつぶやきをもらしていたのは、大江山すみれである。

 確かにこれは、女子格闘技界を席巻するモンスターの集いのようなものであった。よくよく考えると、バンタム級王者の雅選手とライト級王者のサキまで居揃っているのだ。これでミドル級王者のジジ選手までひょっこり現れたら、《アトミック・ガールズ》のオールスターという意味まで加算されてしまう。


(それはともかくとして……)


 瓜子とユーリは、どのように振る舞うべきなのであろうか。

 ベリーニャ選手は赤星弥生子と相対したままであり、現在はそこにマリア選手と大江山すみれも加わっている。雅選手はサキにしなだれかかり、男性陣は男性陣で輪を作っており――どこに突撃するべきかも判然としなかった。


「ユーリさんは、ベリーニャ選手とおしゃべりを楽しんだらどうっすか?」


「いやいや、あんまりベル様とご一緒してると、ユーリは高血圧を発症してしまいそうだし……それに、マリア選手とオオエヤマちゃんもいるからなぁ」


「それなら大人しく、サキさんとご一緒させてもらいましょうか。ユーリさんを物体あつかいするお人もいますけど」


「ああ、雅選手ならかまへんよぉ。嫌いなら嫌いで無視してくれたほうが、ユーリは気楽なのでありんす」


「ぜ、絶対に雅選手の前で、そんな軽口は叩かないでくださいよ?」


 そのとき、瓜子の懐で携帯端末が震動した。さきほど部屋に戻ったついでに、確保しておいたのだ。


「あれ、姉さんからだ。メールじゃなくって電話なんて、珍しいな。……すいません、ちょっと先に行っててもらえますか?」


「サキたんだけに、お先にねぇ」


 やはりユーリも浮かれているのか、浴衣の袖をぱたぱたとはためかせながら、凶悪なる王者コンビのもとへと突撃していった。

 瓜子は広間の隅まで退き、小首を傾げながら通話をオンにする。


「もしもし? 急にどうしたの?」


『あ、瓜子? 今日はおめでとう! KOなんて、すごいじゃん!』


 四歳年長である瓜子の姉が、携帯端末の向こう側ではしゃいだ声をあげている。

 瓜子は柱にもたれて腰を下ろしつつ、「ありがと」と苦笑した。


「でも、ずいぶん情報が早いね。ネットの記事か何かで見たの?」


『ううん。会場で観たんだよ。なんとか立見席をゲットできてさあ』


 瓜子は、心から驚かされることになった。

 瓜子の姉は三年前に結婚をして、この大阪に転居したのだが――子供の世話があるために、今日の試合は観に来られないという話であったのだ。


『瓜子からチケットを買ってれば、マージンが入ってたんでしょ? 役に立たない姉貴でごめんねえ』


「い、いや、そんなのどうでもいいけど……子供の世話はどうしたの?」


『けっきょく、お義母さんに頼んじゃった。なんか当日になったら、居ても立ってもいられなくなっちゃってさあ』


 通話口で、姉はけらけらと笑っていた。


『数年ぶりに、血が騒いじゃったよ。やっぱいいねえ、格闘技は!』


「……旦那さんは、格闘技とか嫌いなんじゃなかったっけ?」


『だから、普段は我慢してるんだよ! でも、妹の応援ぐらいしたいじゃん。こんなことで怒るようなヒトじゃないから、心配いらないって』


 宴会場の狂騒を見守りながら、瓜子は再び苦笑することになった。


「結婚して落ち着いたかと思ったのに、また逆戻りしちゃったね。こりゃあ旦那さんも大変だ」


『うっさいなあ。あんたのせいで、血が騒いじゃったんだよ!』


「会場まで来てたんなら、顔を見せてくれればよかったのに」


『どうせあんたは忙しいんでしょ? キックの頃は挨拶に行っても、迷惑そうな顔してたじゃん』


「あの頃は、ジムのムードもピリついてたからさ。今はもう、くにゃくにゃだよ」


『へーえ。でも、あんたはそっちのほうが合ってるんじゃない? 根っこが真面目だから、堅苦しい場所は肩が凝っちゃうでしょ』


 そこで姉は、忍び笑いをもらした。


『時間ができたら、父さんや母さんにも電話してあげなよ。あっちもけっこう落ち着いてきたみたいだからさ』


「うーん、でもなあ。あたし、勝手にMMAの試合を始めちゃったから、まだちょっとギクシャクしてるんだよね」


『そんなの、ポーズでしょ。あんたの試合を観るためだけに、あっちでもスポーツチャンネルに加入したぐらいなんだから』


「え、ほんとに? あたしのキックの試合だって、顔をしかめてたぐらいなのに……」


『心配だから、観ずにはいられないんでしょ。そんであんたの試合を観たら、納得できるさ。あんた、すっごく楽しそうだもん』


 瓜子は背後の柱に、こつんと軽く頭を打ちつけた。


「……ん、わかった。今度、電話してみるよ」


『うん。盆も正月も帰らなかったんだから、電話ぐらいしてやりな。……あ、旦那が呼んでるから、もう切るね』


「わかった。おやすみ。……姉ちゃん、ありがと」


『こっちこそ、楽しい時間をありがとね』


 そんな言葉を残して、通話はあっけなく切れた。

 瓜子は、しみじみとした思いを噛みしめる。


 もともと格闘技を好んでいたのは、姉のほうであったのだ。

 姉の影響で、瓜子もキックやMMAの試合を観戦するようになった。そうしてついには品川MAに入門することになり、当時は姉もたいそう喜んでくれていたのだが――格闘技に興味のない男性と結婚し、この大阪に転居してから、姉との交流は途絶えてしまっていた。実際のところ、最後に顔をあわせたのは一昨年の盆であったし、声を聞くのも今年の正月以来であったのだ。


(べつに、格闘技ファンをやめたことを怒ってたわけじゃないけど……)


 ただ、瓜子は寂しかったのだ。

 自分に格闘技の面白さを教えてくれた姉が、あっさりとファンをやめてしまったことと――自分の試合を観てもらえなくなってしまったことが。


(ほんと、人の気持ちをひっかき回してくれるよなあ)


 瓜子は携帯端末を懐に突っ込んで、狂騒の場をあらためて見回した。

 いつの間にやら、ユーリはベリーニャ選手のもとに追いやられている。おそらく、サキに尻でも叩かれたのだろう。そこから離脱したマリア選手はジョンや青田コーチと語らっており、サキと雅選手はレオポン選手たちと合流していた。


 みんな、さまざまな道を通って、さまざまな思いを抱え込みながら、それぞれ格闘技という存在に関わっているのだろう。

 サキやユーリやベリーニャ選手に比べれば、瓜子などは何のドラマも抱えてはいない。ファンが高じて、ただこの世界に飛び込んだだけであるのだ。


 しかし、どのような事情を抱えていようとも、根っこはひとつであるはずだった。

 こんな素っ頓狂な面々と、瓜子は同じ場所に立っている。今はその事実がひたすら誇らしく、そして何よりもかけがえのないことだと思えてならなかった。

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