03 思わぬ来客

・明日は2話同時更新です。読み飛ばしのないようにご注意ください。

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「ど、どうしたんすか、駒形さん? 雅選手にベリーニャ選手まで一緒だなんて……いったい何があったんです?」


 ころんとした身体をライトグレーのカジュアルなジャケットに包んだ駒形氏は、「はあ……」と力なくうなだれてしまう。

 雅選手はねっとりと笑っており、ベリーニャ選手は常にないほどの厳しい表情。そして、通訳の舘脇は――分厚い眼鏡を曇らせて、ぽろぽろと涙を流してしまっていた。


「ほら、あんたが喋らな話が進まんやろぉ? ちゃっちゃと覚悟ぉ決めてぇな」


 雅選手が蛇のように腕をのばして、舘脇の肩をちょんとつついた。

 それだけで舘脇はぐらりと倒れかかり、玄関口の上り框に平伏してしまう。

 そしてその口から、「申し訳ありませんでした……」という弱々しい声が吐き出された。


「いや、意味がわかんないすよ。舘脇さんは、誰に何を謝ってるんすか?」


「ふふん。どうやら瓜子ちゃんのお隣でぽけっと突っ立っとる物体に、お詫びを申し上げとるようやねぇ」


 雅選手はくすくすと笑って、かたわらの駒形氏に流し目をくれた。

 駒形氏は懐から取り出したハンカチで額の汗をぬぐいつつ、意を決したように発言する。


「じ、実はですね。本日のユーリ選手のライブイベントにて、お預かりしていた音源が無音のものとすり替えられてしまった一件……あれはこちらの、舘脇さんの仕業であったそうなのです」


「ええーっ!?」と、瓜子とユーリは驚きの声を合唱させることになった。

 それを小気味よさそうに見やりながら、雅選手はくすくすと笑う。


「何やあのままやと、アケミちゃんに疑いがかけられてまう気がしてなぁ。うちのネットワークを駆使して、徹底的に調べさせてもろうたんよぉ。そないしたら、その眼鏡っ子がPA卓のそばでウロチョロしとうたんを、スタッフのひとりが目撃しとったちゅうわけやなぁ」


「ほ……本当なんすか、舘脇さん?」


「はい……」と、舘脇は消え入りそうな声を絞り出す。

 自然、瓜子の目はベリーニャ選手に向けられてしまった。

 では――すべての黒幕は、ベリーニャ選手であったということなのだろうか?


「ちゃうちゃう。この眼鏡っ子は、ベリーニャ選手もだまくらかしとったんやてぇ。そやさかい、そないなおっかない目でにらまんといてなぁ」


「だまくらかしたって、どういう意味っすか? なんか、さっぱり話が見えてこないんすけど」


「そやから、その眼鏡っ子がその物体を恨み抜いてたいう話なわけやねぇ。まったく、難儀な話やわぁ」


 その物体たるユーリは、瓜子以上に困惑の表情で視線をさまよわせている。

 すると、厳しい表情でたたずんでいたベリーニャ選手が、悲しげに眉をひそめて「ゴメンナサイ」と頭を下げてきた。


「どどどどうしてベル様が、ユーリなどに頭を下げるのです? どどどどうか頭をおあげください!」


「ちょっと入り組んだ話みたいっすね。場所を変えましょうか。……あの、こちらの方々をお部屋に通しちゃっても大丈夫っすか?」


 瓜子の問いかけに、仲居さんは「へえ」とうなずいた。


「ただし、部屋のもんを壊したら罰金でっせ? 元気なのはよろしいけど、うちも商売やき」


「承知しました。みなさん、こちらにどうぞ」


 そうして瓜子はさっぱりわけもわからぬまま、四名の珍客たちを部屋に招くことになってしまった。

 賑やかな声の伝わってくる宴会場の前を通過して、廊下の突き当たりを目指す。


「どうぞ。散らかってますけど」


 真っ先に入室した瓜子は、とにかく六名分のスペースを確保するべく、もともとの荷物を壁ぎわに追いやった。

 空いたスペースに人数分の座布団を配置して、珍客たちと向かい合う。舘脇はぐしぐしと泣いており、ベリーニャ選手は何かをこらえるように眉をひそめたままだ。


「これじゃあ、埒があかへんな。駒形はん、あんたから説明してもらえへん? あんたなら、客観的に喋れるやろ」


「しょ、承知しました。……あの、道場での一件もお話ししたほうがよろしいのでしょうか?」


「そこから話さな、わけわからへんやろぉ? 低能な物体にも理解できるよう、かみ砕いて説明してやりぃな」


「はあ……そちらの件に関しては、我々も無関係なのですが……」


 ごにょごにょと語尾を濁しつつ、やがて駒形氏は語り始めた。


「え、ええとですね、まずその……ユーリ選手はデビュー前、ジルベルト柔術アカデミー調布支部において稽古を積んでおられましたね? そちらで不測の事態が発生して、早々に稽古場所を移すことになった一件は、我々も当初から聞き及んでおりました。ユーリ選手のドキュメント番組の制作に関しては、パラス=アテナとスターゲイトとスポーツチャンネル企画部の共同企画でありましたため……」


「あ、あの、お話はそこまでさかのぼってしまうのですかぁ?」


 ユーリはベリーニャ選手の様子を気にしながら、そのように口をはさんだ。

 駒形氏は「はい」と、また額の汗をぬぐう。


「で、ですがその一件は、ユーリ選手に何ら非はなかったと報告を受けております。ユーリ選手の魅力にまいってしまった二名の門下生が、ユーリ選手を巡って騒ぎを起こしただけであると、そのように承っておりましたので……それで、ええと……」


 と、駒形氏はすすり泣く舘脇のほうを気にする。


「実はですね……その騒ぎを起こした男性がたの片方が、こちらの舘脇さんの恋人であられたと……そういう話であるようなのですね」


「え……それはユーリも知りませんでしたぁ」


「はい。道場内にて、お二人の交際は秘密にされていたそうです。それで、あの……恋人であった男性が、ユーリ選手に目移りしてしまったため……それをきっかけに、お二人の仲が破局してしまったと……つまりは、そういう次第でありまして……」


「……それで舘脇さんは、ユーリさんを逆恨みしたってことっすか?」


 瓜子が思わず身を乗り出すと、雅選手がそれを押し返すような仕草をした。


「いちいちキレとったら、話は進まへんでぇ? 肝心なのは、ここからやろしなぁ。……駒形はん、よろしゅう」


「は、はい……それで舘脇さんは、ユーリ選手に反感を抱くようになってしまい……本日のライブイベントで恥をかかせてやろうと、音源に細工を施したわけですね。この件に関しては、パラス=アテナとしても厳格な対応を――」


「それ以外にも、何かあるんすか?」


「は、はい……ユーリ選手とベリーニャ選手の仲を裂くために、あることないことを吹き込んだとか……」


 瓜子は、いっそう鼓動が速くなっていくのを感じた。


「どれがあることで、どれがないことなんすか? 説明してくださいよ、早く!」


「は、はい! わ、わたしも今ひとつ把握しきれていないのですが、とにかくおたがいがおたがいを嫌い合っていると誤解させるように、それぞれ適当な言葉を吹き込んだということのようですね。ユーリ選手に対しては、神聖なリングでライブイベントなどを敢行するということをベリーニャ選手が腹立たしく思っている、などと伝えて……ベリーニャ選手に対しては……ええと、なんでしたっけ?」


 舘脇はぐしぐしと鼻をすすりながら、ひさかたぶりに口を開いた。


「ユーリ選手はベリーニャ選手を打ち負かすことを目標にしており……リングの下で交流を結んでしまうと、闘志が鈍ってしまうため……できれば今後は、個人的な交流を控えさせてもらいたいと……そんな根も葉もないことを並べたててしまいました……」


「それじゃあベリーニャ選手は、どうしてあんな態度だったんすか?」


 瓜子がそのように問いかけると、舘脇ではなく駒形氏が通訳をしてくれた。彼も普段は、外国人選手を相手に通訳を務めているのだ。

 ベリーニャ選手は悲しげに眉をひそめてユーリを見つめたまま、英語で何かを語らった。


「ベリーニャ選手はユーリ選手に個人的な交流を断たれてしまったことが、とても悲しかったのだそうです。それでも取り乱した姿を見せないようにと、懸命に気を張っていたのだそうです」


 瓜子は脱力して、その場にへたりこみそうになってしまった。

 そこに、雅選手の忍び笑いが低く響きわたる。


「そらあ当人同士はロクに言葉も通じへんのやさかい、そない言われたら信じてまうやろなぁ。どっちかが頭ぁ来て突撃しとったら、その場で露見しとったんやろうけど」


「……本当っすね。自分が突撃しとけばよかったっすよ」


 力の抜けた瓜子の心に、ふつふつと怒りがみなぎってくる。

 しかしそれは、ベリーニャ選手の発言によってさえぎられることになった。

 通訳のために、ポルトガル語ではなく英語で語られている。駒形氏は、それを速やかに通訳してくれた。


「ピーチ=ストーム、ごめんなさい。門下生の罪は、わたしの罪です。何も悪いことをしていないあなたのことを傷つけて、迷惑をかけてしまい、とても申し訳なく思っています」


 駒形氏が口をつぐむと同時に、ベリーニャ選手は畳に手をついて頭を垂れた。

 舘脇は子どものような泣き顔になりながら、そのしなやかな背中に取りすがる。


「ベリーニャ選手は、何も悪くありません! 悪いのは、みんなわたしです! 三年も前の話をいつまでも引きずって、あんな嘘でお二人を騙して……わたしが、全部悪いんです!」


「そらそやな」と、雅選手がせせら笑った。

 ベリーニャ選手が身を起こすと、舘脇は床に突っ伏して泣き崩れてしまう。

 すると、駒形氏がおどおどとしながら発言した。


「で、ですがあのう、一点だけよろしいでしょうか? 三年前の道場の一件について、我々は事態を正確に把握していたつもりでありますが、現場においてはユーリ選手に責任がなすりつけられていたとの報告も受けております。門下生のお二人は、ユーリ選手にそれぞれ誘惑されたがために、騒ぎを起こすことになったのだと……こちらの舘脇さんも、その風聞に振り回されてしまったというお立場なのではないでしょうか?」


「はい。それはそうに決まってますよぉ。そもそもは、誤解をさせちゃったユーリが悪いんです」


 瓜子は仰天して、ユーリを振り返ることになった。

 ユーリは、とても気の毒そうに舘脇の姿を見やっている。


「ユーリって、誤解されても面倒になって、ほったらかしにしちゃうんですよねぇ。特にあの頃は、稽古のことで頭がいっぱいで、他のことなんて目にも入ってなかったし……だから、悪いのはユーリです」


「いやいや、ユーリさんは悪くないっすよ! ……いや、たとえユーリさんに何パーセントかの責任があったとしても、舘脇さんのやったことは許されません」


「うん。ベル様に嘘をつくなんて、それだけは絶対にダメだよね」


 と、ユーリは形のいい眉をきゅっと吊り上げた。


「タテワキさん。ユーリのことは恨んでもいいですけど、ベル様に嘘をつくのはダメなのです。ジルベルト柔術アカデミーの門下生として、それだけは許されないのです!」


「なんやそら? けったいなこと抜かす物体やなぁ」


 雅選手は口だけで笑いながら、駒形氏にまた流し目を送った。


「まあええわ。うちの仕事はここまでやからな。後の始末は頼むでぇ、駒形はん? アトミックのリングで――たとえそれがしょーもない余興でも、アトミックのリングで不義理な真似されたら、うちも黙ってられへんさかいなぁ」


「は、はい! 今回の不祥事に関しましては、わたしの責任において厳格に取り計らわせていただきます」


 瓜子もひとまず胸中の感情を抑えて、雅選手に頭を下げておくことにした。


「ありがとうございます、雅選手。おかげで、色々なことがスッキリしました」


「ふふん。うちはうちの仁義に従っただけやけど……瓜子ちゃんにそない言うてもらえるのは気分ええわぁ」


 雅選手は、にいっと蛇のように微笑んだ。

 その間に、ユーリはベリーニャ選手と見つめ合っている。


「それで、あの……ベル様は、ユーリの所業に怒っていたわけではないのでありましょうか……?」


「ショギョウ?」と、ベリーニャ選手は困ったように首を傾げた。

 瓜子は溜息を噛み殺しつつ、ユーリの袖を引っ張ってやる。


「ユーリさんの言い回しは、日本語を無駄に難しくしちゃってますよ。……駒形さん、通訳をお願いできますか?」


 駒形氏がその役目を果たすと、ベリーニャ選手は切なげに眉を下げながら英語で答えた。


「もちろんです。ピーチ=ストームこそ、私を疎ましく思っていませんか? ……と、仰っています」


「も、もちろんでございます! ユーリはその、大事なお相手と誤解や勘違いが生じたならば全力で正すべきと、こちらのうり坊ちゃんに教え込まれておりましたため……誤解が解けたのなら、心から嬉しく思いますです」


 そう言って、ユーリはふにゃんと微笑んだ。

 駒形氏からユーリの言葉を伝えられたベリーニャ選手も、見る見る笑顔になっていく。


「ピーチ=ストーム、アリガトウゴザイマス。ワタシ、スゴクウレシイデス。……アト、ライブ、サイコーデシタ」


「いえいえ! とんだお目汚しを……」


「トンダ・オメヨゴシ?」


 すかさず駒形氏が通訳すると、ベリーニャ選手は穏やかに微笑みながら「オメヨゴシ、チガウデス」と答えた。


「ピーチ=ストーム、ベリーキュートデス。ダカラ、ファン、タクサンデス。ワタシ、ピーチ=ストーム、ダイスキデス」


「にゅわあ」と断末魔のうめき声をあげて、ユーリは畳にくずおれた。


「反動が……反動がすさまじい……うり坊ちゃん、ユーリはもはやこれまでかもしれぬ……」


「はい。骨は拾ってあげますから、思うぞんぶん絶命してください」


 瓜子は万感の思いを込めて、ユーリの丸められた背中に一瞬だけぽんと手を触れてみせた。


「それじゃあ自分たちも、あとのことは駒形さんに一任させていただきます。……ただ、上司の千駄ヶ谷さんには報告を入れないといけないんすけど、そちらはどうしましょう?」


「ああ……穏便に……責任をもって対処しますので、なにとぞ穏便に……」


 千駄ヶ谷の恐ろしさを知る駒形氏は、青い顔でぺこぺこと頭を下げてきた。

 これでどうやら、一件落着の様子である。

 瓜子は最後に、すすり泣く舘脇へと言葉を投げかけることにした。


「舘脇さん。自分はユーリさんのチームメイトです。スターゲイトのマネージャーとしてよりも、チームメイトとして怒りを抑えられません」


「……はい……」


「でも、当事者のユーリさんがこんな感じなんで、自分が怒りをぶつけるのは筋違いでしょう。だから、何も文句を言うつもりはありませんけど……ただ、ひとつだけ理解してください。ユーリさんは、道場で男にうつつを抜かすようなお人じゃないんです。それに、その気もない相手に色目をつかうようなお人でもありません。愛想がいいんで誤解されがちっすけど、ユーリさんはそういうんじゃないんです」


「はい……わたしも、薄々わかっていたんです……ユーリ選手は、いつも一生懸命でしたから……」


 ならばこれ以上は、瓜子も語る言葉を持たなかった。

 あとの処分を決めるのは、パラス=アテナと千駄ヶ谷、それに道場の責任者たちである。


 それにユーリは、大事な大事なベリーニャ選手と、絆を結びなおすことができたのだ。

 ユーリはもじもじと身をよじりながら、ベリーニャ選手もいくぶん感情をもてあましている様子で曖昧な微笑みをたたえつつ、おたがいの姿を見つめ合っている。

 そんな二人の姿を見ているだけで、瓜子の中に燻る怒りもやんわりとなだめられていくようだった。

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