6th Bout ~March Of Valkyrie~

ACT.1 西国見聞録#1

01 出陣

「それでは、いざしゅっぱーつ!」


 四月の第三日曜日――の、前日である。

 不測の事態や天変地異に見舞われることなく、瓜子は《アトミック・ガールズ》の大阪大会――の、前日を迎えることになった。


 要するに、本日は四月の第二土曜日となる。

 新宿プレスマン道場の一行は、試合の前日から前乗りで大阪に向かう事態に至ったのだった。


「このメンバーで二泊三日の大阪遠征なんて、ウキウキワクワクしちゃうねぇ。ユーリはもう、昨日の夜から不整脈の嵐だったよぉ」


 ワゴン車の後部座席で瓜子の隣に収まったユーリは、さきほどからずっとはしゃいだ声をあげていた。

 ジョンの隣の助手席に収まっていたサキは、「うるせー牛だなー」とそれを掣肘する。


「おめーらは先月末から大阪・名古屋・仙台と遠征しまくりだったんだろーがよ? 今さらナニをはしゃいでやがるんだ?」


「それはもちろんうり坊ちゃんとのしっぽり二人旅も至福の極致でありましたけれど、サキたんとのお泊まり旅行は初めての経験だからねぇ。そりゃあウキウキワクワクしようってもんさぁ」


 ご機嫌オーラを放出しながら、ユーリはそのように言いたてた。


「それに、うり坊ちゃんと過ごす時間は至福の極致であろうとも、向かう先に待ち受けるは副業のお仕事だったからねぇ。今回はうり坊ちゃんの試合が待ち受けておるのだから、それは喜びも倍増さぁ」


「へん。おめーはそのリングで副業とやらをぶちかますくせに、何を言ってやがるんだか」


「あうう……それは言わないお約束なのです……でもでも! うり坊ちゃんのセコンドであることに変わりはないからね!」


 ユーリは千駄ヶ谷とパラス=アテナの人々に掛け合って、なんとかそれを認めさせてみせたのだ。明日ユーリはリング上でライブイベントを開催すると同時に、瓜子のセコンドまで務めてくれるのだった。


「逆に自分は、ユーリさんのマネージャー業を放棄する形になっちゃいますからね。申し訳ないようなありがたいような、なんとも複雑な心境っすよ」


「何をおっしゃる、うり坊ちゃん! 試合の当日にユーリの面倒を見るなんて、そんな馬鹿げた話はありますまい! そもそも荒本さんが担当だったときは、こーんなつきっきりではなかったのだからねぇ。ユーリも三日に一回ぐらいは、ひとりで現場に向かっていたのだぞよ」


 それはまあ、スターゲイトの仕事はあくまでマネージメントの管理であり、本来はクライアントに同行する義務もないのである。ただ、ユーリは野放しにしておくとトラブルに巻き込まれがちであったために、特別な措置として瓜子が専属マネージャーに任命されたのだ。それはまた、瓜子の境遇に同情したスターゲイトの社長が千駄ヶ谷に命令して、なんの能もない瓜子に仕事をあてがってくれたという背景が存在したのだった。


「だからうり坊ちゃんはユーリのことなど気にせずに、試合に集中しておくんなさい! ユーリのほうこそセコンドとして、うり坊ちゃんに尽くしまくる所存でありますぞ!」


「はい、ありがとうございます。……でも、ユーリさんのお歌は楽しみにしてるっすよ。控え室のモニターから、ばっちり鑑賞させていただきます」


「あうう……大阪の方々から大ブーイングを浴びるのではないかと、ユーリちゃんは大きな不安を抱えているのだよねぃ」


「大丈夫っすよ。今のユーリさんの人気だったら、歓声のほうが上回るはずです」


 すると、助手席のサキがまた「へん」と鼻を鳴らした。


「客よりも、選手のほうがカリカリするだろうからな。とりわけ、あっちの牛はこっちの牛を目の敵にしてやがるんだからよ」


 あっちの牛――『西の猛牛』の異名を持つ、兵藤アケミ選手のことである。関西の出身である彼女は、このたびベリーニャ選手とグラップリング・マッチを行う予定であるのだ。


「自分が初めてユーリさんと出会った日も、控え室で兵藤選手に怒鳴りつけられてましたもんね。来栖選手との一件でも、アトミックを離脱するだの何だの大騒ぎでしたし……そのあたりの憤懣は収まったんでしょうかね」


「どーだかな。来栖のババアもあれ以来はナリをひそめちまってるし、猛牛女も拳を下ろす場所が見つからねーんだろ」


 座席の隙間から横顔を覗かせたサキは、鋭い横目で瓜子とユーリをねめつけてきた。


「ま、その牛は正々堂々と来栖のババアを打ち負かしたんだから、あっちが何を騒ごうと負け犬の遠吠えだろ。これ以上騒ぐようなら、恥の上塗りになるだけなんだからな」


 それは瓜子も、まったくの同感である。彼女たちはユーリを無差別級の試合に組み込むつもりであれば、《アトミック・ガールズ》から離脱すると脅しをかけていたが、最終的には『女帝』たる来栖選手がユーリを迎え撃てばいいというパラス=アテナの提案を受け入れた。それでユーリが勝利を収めた以上、もはや文句をつける筋合いではないはずだった。


 しかしその後で、事態はいささか複雑になってしまっている。

 ユーリに敗れた来栖選手が引退を示唆して、それで朋友たる兵頭選手が怒り狂っているというのだ。

 来栖選手がどのような思いであるのかは不明であるが、兵藤選手としては怒りが収まらないのだろう。これまでさんざん見下してきたユーリの手によって、《アトミック・ガールズ》の立役者たる来栖選手が引退に追い込まれてしまうなどというのは――ユーリ陣営たる瓜子にしたって、居たたまれない気分であるのだった。


「唯一の救いは、小笠原選手が中立の立場ってことっすけどね。あとはやっぱり、来栖選手の心中が知りたいっすよ。あのお人はそれだけの影響力を持ってるんすから、引退をほのめかしてダンマリってのは卑怯な感じがします」


「お。アタシより容赦ねーな。故障だらけのロートルは、とっととご退陣を願いますってか?」


「いや、そういうつもりじゃないっすけど……あのお人らは、アイドルが片手間でアトミックの舞台を荒らしてるって気持ちだったから、腹を立てていたんでしょう? ユーリさんはそんな半端な気持ちじゃないって証明してみせたんすから、もうちょっとこう……認めてくれたっていいじゃないっすか」


「そんな簡単にはいかねーよ。だったらおめーは自分がロートルになったとき、そんなすんなり自分の座を受け渡せるってのか?」


 サキの眼光はただ鋭いばかりでなく、ひどく真摯な光をたたえているようにも感じられた。


「トシを食った人間は死に物狂いで今の居場所にしがみついて、若い連中は死に物狂いでそれを蹴落とす。それが正しい新陳代謝ってもんだろ。摩擦がなきゃあ、熱なんて生まれねーんだよ」


「うわあ、かっちょいい! ユーリが格闘技雑誌の記者さんだったら、今のお言葉をどどーんと大文字の見出しにしちゃうね!」


「……瓜。手が届かねーから、代わりに調教しといてくれや」


 先輩の命令とあらば、是非もない。瓜子はユーリのピンク色をした頭を、平手でぽふっとはたいてみせた。


「あうう、鳥肌……でも幸せ!」


「牛につける薬はねーな。……とにかくあっちの猛牛女にはアタシが目を光らせておくから、おめーは試合に集中しとけ。ハンパな気持ちでどうにかできる相手じゃねーんだからな」


「ええ、もちろんっす。何せ、サキさんと戦績タイの強豪選手なんですからね」


 すると、無言でドライブを楽しんでいたジョンが、「スゴいよねー」とふいに発言した。


「マサカ、ウリコがゴセンメでイリアとアたるとはオモわなかったよー。ナニせイリアは、サキのマエのチャンピオンなんだからねー」


「へん。アタシだって、あいつと五戦目あたりでぶつけられたけどな。……それで、まんまと負けちまったわけだ。リベンジするまで、一年がかりだったぜ」


『マッド・ピエロ』たるイリア選手とサキは、ほぼ同時期にプロデビューをして、おたがいに連勝記録を重ねていた。その実績が認められて、デビュー一年目の新人同士がタイトル挑戦者決定戦にピックアップされることになったのだ。


 当時の瓜子はテレビにかじりついて、その一戦を見守っていた。

 しかし、サキは負けてしまった。五分三ラウンドの時間内にイリア選手のトリッキーなファイトスタイルを突き崩すことがかなわず、判定で惜敗を喫してしまったのだ。

 その後、タイトルに挑戦したイリア選手は見事に戴冠し、それからおよそ一年後のリベンジマッチで、サキが王座を強奪した――というのが、ライト級王座の変転の歴史であった。


 そしてイリア選手には、ライト級の前王者という肩書きの他に、《アトミック・ガールズ》の初代・問題児という側面も存在する。

 彼女には「プロダンサー」という本業があり、MMAの試合は「余興」と公言してはばからなかったのだ。なかなか食べていくには難しい本業のほうで名を売るために、試合の場をお借りしたい、と――そのようなスタンスでMMAに取り組んでいたのだった。


「……イリア選手も、やっぱり兵藤選手たちに嫌われてるんすかね?」


 瓜子の質問に、サキは「どうだかな」と気のない声をあげた。


「そりゃーあれだけヘラヘラしてたら、好かれる理由はねーけどよ。あいつはこちらのお牛様と違って、デビュー当時から結果を出してたからな。ほんでもって、話題性はあっても試合数をこなせねーから、運営側にとっても旨みは少ない。旨みが少ないから、どこかのお牛様ほどえこひいきもされていない。猛牛どもがそれほどカリカリする理由はねーように思えるな」


「ああ、なるほど……それじゃあユーリさんがいくら結果を出しても、運営陣の極端な取り扱いがなくならない限り、兵藤選手らの気は晴れないってことっすか」


「自分のことを考えろって言ってんのに、まーた牛の話かよ。おめーらついに、いくとこまでいっちまったのか?」


「いやーん。たとえサキたんとはいえ、デリケートな領域は土足厳禁ですわよん」


「ちょ、ちょっと、誤解を招くような言い方しないでくださいよ。……兵藤選手らの動向はアトミックの行く末にも関わってくるんですから、気にするなってほうが無理でしょう?」


「今のあいつらに、そこまでの影響力があるのかね。来栖のババアが音頭を取ったって、せいぜい天覇の連中しか踊らねーだろ。そこのお牛様は無差別級のトーナメントを決勝戦まで勝ち抜いて、名実ともにアトミックの象徴に成り上がったんだからよ。牛に負けた来栖がトップじゃあ、それ以上の団体なんざ作れるわけがねーってこった」


「そう……っすよね。フィスト・ジムや武魂会まで出ていっちゃったら興行の危機ですけど、そこまで天覇につきあう義理はないっすよね」


 横顔をひっこめたサキは、シートにもたれて深々と溜め息をついたようだった。


「苦労性だな、おめーは。そもそも来栖のババアは引退をほのめかしてんだろ? 膝や腰はガタガタだし、お牛様にも負けちまった。これじゃあ新しい団体なんて立ち上げようがねーよ。お気の毒なことに、世代交代も新陳代謝もとっくに完了済みってこった」


「それじゃあ……兵藤選手はどうなんでしょう?」


「あいつは、来栖の腰ぎんちゃくだろ。来栖のライバルにして、永遠のナンバーツー。所属の柔術道場ジャグアルも関西の勢力だし、アトミックから抜けたところで大した影響はねー。……それでいよいよアトミックも、あいつに引導を渡そうってんじゃねーか?」


「引導? 明日の試合のことっすか?」


「ああ。地元の関西で、しかもお得意のグラップリング・マッチでブラジルの柔術女に負けちまったら、もうタイトル戦線から排除されても文句は言えねーだろ。肝心のトーナメントだって、軽量級の誰かさんにKOされちまってるんだからよ」


 昨年末の無差別級トーナメントで兵藤選手をKOに下したのは、他ならぬサキである。体重差二十九キロという圧倒的な不利をくつがえして、サキは兵藤選手を退けてみせたのだった。


「……こっちだって、死に物狂いなんだ。弱肉強食の世界で、敵さんに情けをかけてるヒマはねーよ」


 サキ自身、ベリーニャ選手との対戦で左膝靭帯を破壊されてしまっている。引退も世代交代も新陳代謝も、サキにとっては決して他人事でなかったのだった。


「……自分の最終目標は、サキさんを打ち負かしてライト級のベルトを腰に巻くことですからね。復活の日を楽しみにしてるっすよ」


 胸中にあふれるさまざまな感情をねじ伏せて、瓜子はそんな風に言ってみせた。

 サキはシートの向こう側で、「ははん」と鼻で笑う。


「だったらまずは、ピエロ狩りだな。あいつのふざけた顔面を、おめーのガトリング・ラッシュでぶっ潰してみせろや」


 瓜子は万感の思いを込めて、「押忍」と答えてみせた。

 ユーリは呑気に鼻歌を歌いつつ、そんな瓜子の姿を横目でこっそり見守ってくれていた。

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