05 波乱の閉会式
『本日のベスト・バウト賞は……メインイベントで勝利を収めた、ユーリ選手に贈られます!』
閉会式においてそのような言葉が伝えられると、客席からはまた爆発的な歓声が巻き起こった。
試合衣装に桜吹雪のガウンを羽織ったユーリは、満面の笑みでその歓声に応えつつ、駒形氏から金一封を受け取った。試合直後はへそを曲げてしまっていたユーリであるが、瓜子が誠心誠意なだめた甲斐あって、ご機嫌を取り戻してくれた様子である。
瓜子自身はリング下からユーリの勇姿を見上げつつ、じんわりとした幸福感を噛みしめている。
試合の終わり方が特殊であったため、すぐさま感情が爆発することはなかったが、そのおかげでこんなにもゆったりとした気持ちでユーリの勝利を噛みしめることがかなったのだった。
マリア選手も氷嚢で左側頭部を冷やしつつ、笑顔でユーリの姿を見守っている。KO負けを喫した彼女であるが、意識を失うほどのダメージではなかったのだ。去年の春以降、ユーリと対戦して病院送りにならなかったのは、これがベリーニャ選手に続いて二人目であるはずだった。
『続きまして、ベスト・ストライキング賞は……第六試合で勝利を収めた、メイ=ナイトメア選手に贈られます!』
軽いどよめきの後、拍手と歓声があげられた。
メイ=ナイトメア選手の試合もまた特殊な内容であったが、本日はライト級以下の試合が多かったためか、ユーリと彼女の他にKO勝利を収める選手が存在しなかったのである。
オリビア選手に耳打ちされたメイ=ナイトメア選手は石のような無表情で立ち上がり、何の感情も見せぬままに熨斗袋を受け取った。試合から時間が経っているためか、すでに真っ赤なパーカー姿である。
『続きまして、ベスト・グラップリング賞は……セミファイナルで勝利した、沙羅選手に贈られます!』
沙羅選手は、試合衣装の上からトレーニングウェアを着込んだ姿で進み出た。ユーリたちの一戦を観戦するために、着替える時間がなかったのだろう。彼女は不敵に笑いながら、熨斗袋と一緒にマイクまでをも強奪した。
『ほんまやったら、ベスト・バウト賞もいただきたかったところやなぁ。白ブタちゃんより、ウチのほうがかっちょよかったやろ?』
沙羅選手に同意する歓声と、笑いまじりのブーイングが巻き起こった。彼女の陽気な毒舌キャラはテレビ番組などでもすっかりお馴染みであるし、深刻な怒りを買うこともないのだろう。
『沙羅選手、ありがとうございました! それでは引き続き、来月四月に行われる大阪大会の詳細をお伝えさせていただきます!』
ユーリの復帰戦であったためか、観客たちもまだ大半が会場に居残っている様子である。
そんな人々に、リングアナウンサーは意気揚々と宣言した。
『ユーリ選手はミドル級王座挑戦を巡る熾烈なレースの真っ只中であるため、残念ながら大阪大会に出場することはかないません! ですが、その代わりに……サプライズのイベントを行っていただくことになりました!』
思わぬ報告に、観客たちはまた歓声を振り絞る。
リングアナウンサーに再び招き寄せられたユーリは、マイクをつきつけられながらふにゃふにゃと笑っていた。
『えっとぉ、ここでそれを話しちゃったら、サプライズにならないんじゃないですかぁ?』
『いいのですいいのです! 今、この瞬間が、サプライズなのですよ!』
『ああ、そういうものですかぁ……えっとぉ、大阪大会では、ユーリがお歌をお披露目することになっちゃったのですよねぇ』
客席のボルテージは、高まるばかりである。
「CD買ったよー!」という声なども巻き起こり、ユーリはなんとも曖昧な顔で笑うことになった。
『ありがとうございますぅ。……でも、リングでお歌なんて歌っちゃっていいのですかねぇ? ユーリは恐悦至極なのですけれどもぉ……』
『いいのですいいのです! 大阪のファンの皆様も、きっと喜んでくださることでしょう! むしろ、大阪ばっかりずるい! という声があがるぐらいなのではないでしょうか?』
芝居っ気たっぷりのリングアナウンサーが、客席のほうにマイクを突きつけた。
「ずるいー!」だの「ここで歌ってー!」だのという声があげられて、ユーリはますますふにゃふにゃになってしまう。
『あうう……ただでさえ、生で歌うのって緊張しちゃうのですよねぇ。しかも、試合の合間にそんなプレイをお披露目することになろうとは……その日に出場する選手のみなさまにも、申し訳ない気持ちでいっぱいですぅ』
ネガティブな発言は差し控えるようにと千駄ヶ谷や運営陣に申しつけられていたユーリであるが、やはり本心を覆い隠すことは難しいようだった。この仕事を言い渡されたときも、「ユーリの歌なんぞでアトミックのリングが穢れてしまわないだろうか!」とずっと頭を抱えていたのである。
『ユーリ選手の麗しき歌声を、わたくしも楽しみにしております! ……そして当日の対戦カードですが、メインイベントはバンタム級のタイトルマッチ、現王者である雅選手の防衛戦となります!』
その後も、粛々と対戦カードが発表されていく。
リング下に控えていた瓜子はタイミングを見計らって、リングに通ずるステップに向かうことにした。
『そして第七試合では、「マッド・ピエロ」の異名を誇るイリア=アルマーダ選手と、若き新鋭にして「ガトリング・ラッシュ」たる猪狩瓜子選手の一戦が執り行われます! 猪狩選手は本日ユーリ選手のセコンドとしてご来場しておりますので、ひと言ご挨拶をお願いいたします!』
ほどよい歓声に包まれながら、瓜子はロープをくぐってリングインした。
この役目も、事前に通達されていたのである。先日の浜松大会で、予告もなしにコメントを求められるのは難儀であると、ユーリが運営陣にクレームを入れた恩恵であった。
『えー、猪狩です。まだまだ新参の自分ですが、イリア選手と対戦する栄誉を授かることになりました。胸を借りるつもりで、おもいっきりぶつからせてもらおうと思います』
『猪狩選手は今年に入ってから、立て続けにバニーQ選手とまじかる☆まりりん選手を撃破することなりました! ライト級の誇る「コスプレ三銃士」を全撃破なるか、わたくしも刮目して見守らせていただきたく思います!』
『はい。ありがとうございます』
瓜子も《G・フォース》でキャリアを積んだ身であるので、こういったインタビューには免疫ができている。しかし、《アトミック・ガールズ》のリングでそれを行うというのは、やはり感慨深いものであった。
『そして猪狩選手といえば、ユーリ選手のメイトとしてのモデル活動のほうも勇躍めざましいさなかでありますね!』
『え? あの、ちょっと、何を言ってるんすか?』
『本日、会場のブースで販売されているユーリ選手のセカンドシングルにも、猪狩選手の麗しきお姿が掲載されております! 皆様どうぞ、お買い逃がしのないように!』
『だから、やめてくださいってば! あれは他人の空似なんすから!』
瓜子は本気で、ボディブローのひとつも繰り出しそうになってしまった。
会場からは「瓜子ちゃん、かわいー!」などという声もあげられて、失神寸前である。かくして瓜子は、選手活動とアイドル活動を切り離したいと願うユーリの苦悩を、満身で痛感させられることになったのだった。
『それではせっかくですので、猪狩選手も記念撮影にお加わりください。……えー、そして最後に、大阪大会におけるスペシャルマッチの詳細もお伝えいたします!』
新たな人物が、リングの上に姿を現した。
ユーリは「うきゃー!」とわめきながら、脱力した瓜子に抱きついてくる。
黒いパーカーを纏ったその人物は、ベリーニャ・ジルベルト選手その人であったのだった。
ベリーニャ選手がフードを下げると、会場に歓声が巻き起こる。
そして――リングに密集した選手たちの中では、メイ=ナイトメア選手が野獣のように双眸を燃やしていた。
『来春まで《アトミック・ガールズ》と専属契約を交わしたベリーニャ選手でありますが、これまではユーリ選手との対戦で痛めたお体の静養につとめておられました! 四月の大阪大会は、五ヶ月ぶりの復帰戦となるわけですね!』
通訳の女性に耳打ちされて、ベリーニャ選手は静かな表情でうなずく。
『ただし! ベリーニャ選手は五月大会にも出場が予定されておりますため、大阪大会においてはグラップリング・マッチを行っていただきます! その対戦相手は……無差別級の雄、兵藤アケミ選手となります!』
歓声が、さらなる勢いで渦を巻く。
これは、瓜子たちも初耳の話であった。
『ご説明するまでもなく、兵藤選手はブラジリアン柔術の黒帯を所持する、《アトミック・ガールズ》随一のグラップラーであります! ただし、兵藤選手と双璧をなす来栖選手は、かつての《S・L・コンバット》において、ベリーニャ選手に敗北を喫することとなりました! 重量でまさる兵藤選手と、柔術の申し子たるベリーニャ選手では、いったいどちらが勝利を収めるのか……皆様も、どうぞこの熱戦にご期待ください!』
ユーリは瓜子を抱きすくめたまま、「いいな、いいな」と身をゆすっている。きっと全身鳥肌まみれであろうが、それを知覚するゆとりもないのだろう。
『それではベリーニャ選手! 兵藤選手との対戦に向けて、ひと言お願いいたします!』
マイクを手渡されたベリーニャ選手は、落ち着いた声で語り始めた。
もちろんポルトガル語であるため、それを理解できる人間はほとんどいない。
それなりの時間を語った後、ベリーニャ選手はすみやかに通訳の女性へとマイクを受け渡した。
『兵藤選手は、とても素晴らしい選手です。ブラジリアン柔術のブラックベルトに相応しい実力でしょう。そんな兵藤選手とグラップリングで闘えることを、とても楽しみにしています。……そして今日の大会では、数々の素晴らしい試合を目にすることができました。それに負けない試合をお見せできるように、明日からも練習に励みたいと思います』
実に優等生的なコメントである。
きっとベリーニャ選手は、根っから善良な人間であるのだろう。
そして、落ち着きと自信に満ちている。自信があっても、それを過信としない自制心も備えている。彼女のストイックな精神性が、その言葉とたたずまいにあふれかえっているかのようだった。
『ベリーニャ選手、ありがとうございました! それでは、最後に記念撮影を――』
そのとき、赤い人影がゆらりと立ち上がった。
言うまでもなく、メイ=ナイトメア選手である。
そちらに背中を向けていたベリーニャ選手は、誰かに注意を喚起されるまでもなく、ふわりとそちらを振り返る。それでようやく、リングアナウンサーもメイ=ナイトメア選手の接近に気づくことになった。
『お、おや? どうなさいましたか、メイ=ナイトメア選手?』
「ごめんなさいですー。メイがベリーニャに挨拶したいそうですー」
オリビア選手も、ひょこひょこと進み出てきた。ベリーニャ選手の言葉は、彼女がメイ=ナイトメア選手に通訳していたのだ。
大晦日の一件をわきまえている者たちは、一様に緊迫する。負傷によって試合を欠場したベリーニャ選手に対して、メイ=ナイトメア選手は唾を吐きかけたあげく、獣のような形相でつかみかかろうとしていたのだ。
しかし、メイ=ナイトメア選手の顔は石のような無表情のままだった。
ただ、その黒い瞳だけが爛々と燃えている。
メイ=ナイトメア選手は、英語と思しき言葉を低い声音で語り始めた。
ベリーニャ選手も北米に居を移したという話であったので、あるていどは理解できていることだろう。しかし、親切な通訳の女性が、それを同時通訳してくれていた。
やがてメイ=ナイトメア選手が語り終えると、うんうんうなずいていたオリビア選手が笑顔でリングアナウンサーを振り返る。
「今の言葉、お客さんにも聞かせるべきだと思いますが、どうですかー?」
「は、はあ……あまり不穏な内容でなければ……」
自分の手でマイクを覆いつつ、リングアナウンサーは肉声で答えていた。いったい何が起きているのかと、客席はざわめきたっていたのだ。
オリビア選手はにこにこと笑いながら、リングアナウンサーからマイクを受け取った。
『こんばんはー。オリビアですー。メイがベリーニャに宣戦布告したので、みなさんも聞いてもらえますかー?』
オリビア選手は日本びいきで、なかなか愉快なキャラクターをしているために、日本のバラエティ番組などにも何度か出演の経験があるのだと聞いている。よって、客席の観客たちも大人しくオリビア選手の言葉に耳を傾けていた。
『メイは、ベリーニャを追って日本にまでやってきましたー。北米最大のプロモーションである《アクセル・ファイト》が女子部門を発足させるため、ベリーニャはそちらに参戦する予定であるそうですが、《アクセル・ファイト》は安全性を重視して、無差別級というものを設置していないのですねー。階級は厳密に区分されて、契約体重に達しない限りは上の階級に挑むこともできないのですー』
アクセントに多少のクセがあるものの、オリビア選手の日本語は実になめらかであった。
鼻が高くて愛嬌のある鳥類を思わせる顔つきで、オリビア選手はにこやかに言葉を重ねていく。
『ご覧の通り、メイは小柄ですので、ベリーニャと同じ階級で闘うことができないのですー。だから、去年の《JUFリターンズ》でベリーニャと闘えることを、心待ちにしていたのですねー。それがベリーニャの負傷で流れてしまったため、メイはとてもガッカリしていたのですー』
どうやらそれは、メイ=ナイトメア選手の言葉ではなく、オリビア選手による前置きの事情説明であるようだった。メイ=ナイトメア選手は、こうまで長々と語らっていたわけではないのだ。
そうしてオリビア選手はひとつ呼吸を整えてから、さらに言った。
『そんなメイにとって、この《アトミック・ガールズ》は格好の舞台でしたー。ベリーニャの専属契約が終了する来年の春までに、必ず《アトミック・ガールズ》のライト級を制して、ベリーニャに挑戦したいと言ってますー』
観客席が、新たなどよめきに包まれた。
そして――リング上に集ったライト級の選手たちは、一様に眼光を鋭くしている。
『今日は時差ボケで調子が出なかったけど、今後の試合も勝って勝って勝ち続けて、最後にはベリーニャを打ち負かすと言ってますねー。選手のみなさん、観客のみなさん、どうぞよろしくお願いいたしますー。……以上、メイ=ナイトメアからの宣戦布告でしたー』
観客たちは、歓声やブーイングを巻き起こしていた。
ライト級の選手に思い入れでもあれば、メイ=ナイトメア選手の言い草は不遜に聞こえてしかたがなかっただろう。かつて瓜子が感じた反感を、多くの人間が抱くことになったわけである。
(この展開も、パラス=アテナの思惑通りなのかなあ。……ま、どっちでもいいけどさ)
瓜子もまた、ライト級の選手である。もしも出番が巡ってくるのであれば、全身全霊でメイ=ナイトメア選手に立ち向かう所存であった。
宣戦布告された張本人のベリーニャ選手は、無言でメイ=ナイトメア選手を見つめ返している。その心中にはどのような思いがあるのか、外面から推し量ることはできなかった。
そしてまた、リングの端に陣取った犬飼京菜は、そんな両名の姿を値踏みするように見やっている。噛みつこうかな、どうしようかな、と小型犬が隙をうかがっているような雰囲気であり、それもまた不穏でならなかった。
『オ、オリビア選手、ありがとうございました! メイ=ナイトメア選手の参戦によって風雲急を告げるライト級戦線に、今後もご注目ください!』
リングアナウンサーがそのように締めくくっても、歓声とブーイングはなかなか収まらなかった。
瓜子の身体に取りすがったまま、ユーリは「うにゅう」とおかしな声をもらす。
「あのメイ=ナイトメア選手ってお人も、真摯なお気持ちでベル様の背中を追っかけてたみたいだねぇ。ベル様が大晦日の無礼をお許しになるのなら、ユーリも応援してあげちゃおっかなあ」
「え? ベリーニャ選手との対戦を譲っちゃうんですか?」
「そんなわけないじゃん! ……でも、ベル様を追いかける資格は誰にでもあるって言ったでしょ? 同じ夢を追っかけるなら、それは同志みたいなもんさあ」
そう言って、ユーリはにっこり微笑んだ。
「まあ、ユーリのやることに変わりはないしねぇ。まずは目の前の試合に向かって、精進あるのみなのです!」
「そうっすね。それは百パーセント同意するっすよ」
四ヶ月ぶりの試合を終えて、ユーリの心はもうその先に向かっているようだった。
瓜子も、負けてはいられない。まずは来月の、イリア=アルマーダこと篠宮伊里亜選手との一戦である。
祭の終わりを惜しむかのように、会場にはいつまでも歓声とブーイングが吹き荒れていた。
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