ACT.4 復活の刻

01 入場

 ユーリの試合がすぐ次であったため、沙羅選手とオリビア選手の一戦を見届けることはできなかった。

 ミット打ちは途中でジョンと交代していたが、今はユーリのことだけを考える時間であるのだ。入場口の扉の向こうからは凄まじいまでの歓声が聞こえており、期待にたがわぬ好勝負が繰り広げられているということだけは察知できた。


 そうして、第二ラウンド開始のゴングが聞こえて、少しした後――いっそうの大歓声とともに、ゴングが乱打されることになった。


『二ラウンド、二分五十五秒! 腕ひしぎ十字固めによるタップアウトで、沙羅選手の勝利です!』


 どうやら『日本人キラー』たるオリビア選手は、本日も日本人選手を仕留めることがかなわなかったようだった。

 しばらくすると、自身のテーマソングに乗って、沙羅選手が意気揚々と凱旋してくる。


「おう。準備は万端みたいやな。とっとと帰りたいんで、とっとと仕留めろや、白ブタ」


「いえいえぇ。白ブタじゃないユーリちゃんは、四ヶ月ぶりの試合をじっくり堪能する所存でございますぅ」


「はん。じっくり炙られてチャーシューにならんようにな」


 沙羅選手は普段通りの調子であったが、もちろん全身汗だくであり、右の脇腹をさりげなく庇いつつ、右の足を引きずっていた。オリビア選手の繰り出すローとボディブローで、さんざん痛めつけられることになったのだろう。


 しかし、勝利したのは沙羅選手だ。

 これで沙羅選手は、ミドル級の王座挑戦者決定トーナメント戦に出場する資格を得た。

 ミドル級の日本人筆頭と名高い沖選手に、それと覇権を争う魅々香選手、さらに沙羅選手が待ち受けるその戦いの場に、ユーリが辿り着けるかどうか――いよいよ決着の刻であった。


 ユーリはジャージを脱ぎ捨てて、新調した入場用のガウンを羽織る。

 当然のように、試合衣装もガウンもホワイトとピンクのツートンカラーだ。

 ユーリの肉感的にすぎるボディを包み込むハーフトップとショートスパッツは、スポーティながらも華やかなデザインで、濃淡のピンクでアシンメトリーなラインがプリントされている。衣装提供の『P☆B』のロゴは、右胸の下側の縁とその真下にあたる腰の部分に、それぞれ小さいながらもくっきりと主張されていた。


 その上に羽織るガウンのほうは、何やら振袖のようなデザインだ。

 そして一面に、桜吹雪がプリントされている。まず間違いなく、春を意識したデザインであるのだろう。


(そうか。沙羅選手に勝った試合から、ちょうど一年ぶりの興行になるんだな)


 あの日の前日、瓜子は高校を卒業することになった。そして、サプライズで出現したユーリとサキと桜の木の下で語り合い、その後は夜までお祝いされることになったのだ。

 そうして夜にはベリーニャ選手のドキュメント番組を拝見し、明くる日に沙羅選手と対戦することになった。

 あの日と同じように、ユーリは合掌してむにゃむにゃと何かをつぶやいている。

 あの日と同じように、瓜子とサキとジョンがユーリの姿を見守っている。

 そこに、インカムをつけたスタッフの若者が呼びかけてきた。


「ユーリ選手、入場の準備をお願いします!」


「はぁい」と気軽に答えてから、ユーリは瓜子たちの顔を見回してきた。


「ではでは、出陣です! みなさま、よろしくお願いいたしまする!」


「ウン。ガンバろうねー」

「テンパって、作戦を忘れるんじゃねーぞ、乳牛」

「……頑張ってください、ユーリさん」


 ついつい感慨にふけってしまい、瓜子は返事が遅れてしまった。

 ユーリは瓜子を見つめながら、「うん!」ととびっきりの表情で笑う。


『続きまして第十試合、メインイベントを開始いたします! ……青コーナーより、ユーリ・ピーチ=ストーム選手の入場です!』


 この日で何度目かの歓声が爆発した。

 その隙間をぬうようにして流れるのは、一昨日発売した『リ☆ボーン』のインストゥルメンタルバージョンだ。

 そのリズムに合わせた手拍子と足拍子が響きわたり、もとのバージョンで歌が入るタイミングで、ユーリは扉を飛び出した。


 一年前のあの夜と同じように、音と光が乱舞している。

 いや、その勢いはあの夜以上であるのだろう。この一年で、ユーリはそれだけの人気を博したのだ。


「ユーリ!」のコールが、耳を聾せんばかりに響きわたる。

 いまだユーリに反感を抱いて、ブーイングを発している者もいるのだろうか。

 もしもそのような者が存在したとしても、今日はユーリの復活を喜ぶ歓声によってかき消されていた。


 そんな祝福を満身にあびながら、ユーリは花道を闊歩している。

 途中でユーリは何度もターンして、振袖のごとき衣装の裾をマントのようにひるがえした。そのたびに、輝くような笑顔が瓜子の前にさらされて――そのたびに、ユーリは瓜子を見つめたようだった。


 このような状況で笑顔を返すことはできないので、瓜子はただ胸中に満ちる思いを眼差しに込めてみせる。

 それだけで、ユーリはいっそう幸福そうに笑ってくれた。


 リングがようやく近づいてくると、ジョンが素早くユーリのかたわらをすり抜けて、トップロープを固定する。

 ユーリは軽やかにステップを駆け上がり、満開の桜をふわりとなびかせながらトップロープを跳び越えて、マットの上に降り立った。


 マットの上でもユーリはひらひらと回転し、観客たちの歓声に応える。

 普段よりもたっぷりと間を取ってから、リングアナウンサーはマリア選手の名前をコールした。


『赤コーナーより、マリア選手の入場です!』


 歓声の勢いはそのままに、ユーリの名を呼ぶ声だけがいくぶん控えられる。

 マリア選手もまた、数多くのファンに支援される存在であるのだ。


 どこか古めかしい洋風のロックサウンドが流されると、それに合わせて歓声もうねりをあげた。

 赤コーナー側の入場口が開かれて、マリア選手が颯爽と登場する。

 マリア選手は青地に赤い鳥がデザインされたレスラーマスクをすっぽりとかぶり、それと同色のマントをなびかせて、一気に花道を駆け抜けた。

 マスクもマントもラメ素材であるため、色とりどりのスポットライトを激しく反射させている。まるで、極彩色の大鷲がオーロラの輝く天空を翔けているかのようだった。


 同じ勢いのままリングのステップを駆け上がったマリア選手は、コーナーポストのてっぺんに右手をかけるや、そこから左右にのびるトップロープにひょいっと跳び上がる。人力で固定されていないロープを踏みしめて、その上で身を起こすのだ。それは彼女が、並外れたバランス感覚を有している証であるはずだった。


 マリア選手が両腕を広げると、それに答えるように歓声が跳ね上がる。

 その反応をぞんぶんに満喫してから、マリア選手はマントを脱ぎ捨てて、マスクに手をかけた。

 マントはひらひらとリング下に舞い落ちて、マスクはマリア選手の手によって客席へと放り込まれる。瓜子はあずかり知らぬことであるが、これも往年の覆面レスラーのパフォーマンスであるとのことだ。実際の覆面レスラーは素顔をさらすこともできないので、わざわざ二重にマスクをかぶっているとのことである。


 最後にもうひとたび客席を煽ってから、マリア選手は軽やかにマットへと飛び降りる。トップロープの高さは百二十センチばかりもあるはずだが、膝と腰のクッションがきいているために、猫科の動物じみたなめらかさであった。

 その頃になって、ようやくセコンド陣が到着し、リング下に放り出されたマントを回収する。レオポン選手と、大江山すみれである。


 ユーリとマリア選手は対角線上から、おたがいの姿を笑顔で見返していた。

 会場には、両者のコール合戦が始まってしまっている。優勢なのはユーリであるが、マリア選手もそこまで大きく引けは取っていない。

 ユーリもこれまで数々の人気選手と闘ってきたわけであるが、その中でもマリア選手は群を抜いているのだろう。圧倒的な実力で人気を獲得してきた来栖選手や小笠原選手とは異なり、マリア選手は白黒半々の戦績でありながら、派手なパフォーマンスと端正な顔立ちで、いわゆるミーハーな人気を獲得しているのだった。


(言ってみれば、鞠山選手と似たようなタイプかもしれないけど……それでもマリア選手は、ミドル級の日本人選手でナンバースリーの実力だからな)


 そしてマリア選手は、「大物喰い」の一面を有している。思わぬ相手にころっと負けたりしながら、格上の選手を打ち破ったりもしているのだ。現在ミドル級に所属している中で、マリア選手に一敗もしていないトップファイターというのは――未対戦の沙羅選手を除くと、現王者のジジ・B=アブルケル選手のみであるはずだった。


(それで、無差別級の予選試合では兵藤選手に負けてたけど……サキさんが不気味なことを言ってたからなあ)


 マリア選手は、グラップラーである兵藤選手に蹴り技を使わず組み合いを挑み、ストライカーである高橋選手には組み技も寝技も仕掛けなかったというのだ。後日に映像で確認したところ、サキの言葉は確かに真実そのままであった。


(マリア選手の本番は《レッド・キング》の試合だから、アトミックでは手を抜いている……いや、相手の得意なフィールドでやり合って、修業を積んでるってことなのかな)


 それが真実であるのかどうかは、わからない。

 ただ、マリア選手はルールミーティングを終えた後、「全力で頑張ります!」とユーリに宣言していた。

 ならば、ユーリには全力でぶつかってくるのではないだろうか。

 そもそもユーリはグラップラーであったものの、規格外の破壊力を有する打撃技をも体得しているので、区分の難しい一面があった。


(まあ、こっちはこっちで全力を尽くすだけだしな。もしも立ち技と寝技のどっちかを封印するような、ふざけた真似をするようだったら……ユーリさんの恐ろしさを思い知ることになるだろう)


 そうして大歓声の中、ようやくリングアナウンサーは試合の開始を告げ始めた。


『本日の第十試合、メインイベント、ミドル級王座挑戦予選試合、五分三ラウンドを開始いたします!』


 歓声はとどまることを知らず、ただ奔流のようにうねることで強弱をつけていた。


『青コーナー。百六十七センチ。五十六キログラム。フリー。無差別級王座決定トーナメント準優勝……ユーリ・ピーチ=ストーム!』


 歓声は、うねりにうねって最高潮に達したようだった。

 ユーリは至福の表情で、脱いだガウンをひと回ししてから、リングの外へと放り投げる。それは計算したように、瓜子の手もとに飛来してきた。


『赤コーナー。百六十五センチ、五十六キログラム。赤星道場所属……マリア!』


 マリア選手は元気いっぱいに両腕を振り上げて、エプロンサイドではレオポン選手がラメ素材のマントをぶんぶん振り回していた。大江山すみれはそのかたわらで、微笑む寸前のような表情をしている。


「両者、リングの中央へ!」


 歓声が凄まじいために、レフェリーも負けじとがなり声になってしまっている。

 ユーリとマリア選手は、リングの中央で粛然と向かい合った。


 身長は、二センチしか変わらない。

 マリア選手も手足が長く、すらりとしていながら肉感的というスタイルであったため、どこかユーリと似通って見えた。

 もちろんユーリはファイターらしからぬ蠱惑的なプロポーションをしているため、そこまで似通っているわけではないのだが――その張り詰めたバストとヒップをちょいと引っ込めれば、両者のシルエットはずいぶん重なるように思えた。


 マリア選手は、そこまで筋肉の目立つ身体つきをしていない。それほど減量を必要としないナチュラルウェイトであるのか、いい具合にリカバリーできているのか、全身がなめらかな曲線を描いており、瑞々しさを感じるほどであった。


 腕にも足にもしっかりと肉が張り詰めており、関節部分はきゅっと引き締まっている。よくよく見れば臀部も太腿もふくらはぎも肉感が凄まじく、この下半身があのバネと安定感と俊敏性をもたらすのだろうと思われた。

 とにかく、自然体である。無理に作った肉体ではない。そういう意味では、ベリーニャ選手にも通ずるものがあるのかもしれなかった。


(確かに、これは……ユーリさんの天敵みたいな存在なのかな)


 ユーリよりも俊敏で、パワーでもそこまで引けは取らず、アウトタイプのサウスポー。蹴り技と組み合いとスープレックスが得意で、関節技のバリエーションは少ないが、グラウンド状態で上を取ったときのキープ力はずば抜けている。それが、数々の試合映像を吟味した上で、かつては実際にスパーリングをした経験もある、サキの見込みであったのだった。


(でも、それでサキさんとジョン先生が対策を練り倒してくれたんだ。ユーリさんなら、やってくれるさ)


 ルール説明の後、ユーリとマリア選手はがっしりと握手を交わしていた。

 ユーリは背中しか見えないが、マリア選手は満面の笑みだ。

 そう――こういう部分も、彼女は自然体で、ユーリに似通っていたのだった。

 彼女は根っから、格闘技を楽しんでいる様子なのである。


『セコンドアウト』のアナウンスが響き、瓜子たちはリング下におりた。

 青コーナーに帰還したユーリは、びっとピースサインを送ってくる。


「では、行ってまいります!」


 そうして、四ヶ月ぶりとなるユーリの試合が開始された。

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