ACT.3 そうる・れぼりゅーしょん#2

01 会場入り

 ユーリのセカンドシングルが無事に発売され、二日後の第三日曜日――その日はついに、ユーリの復活の日たる《アトミック・ガールズ》の三月大会であった。


 その日の会場もミュゼ有明であり、去年の十一月大会以来の満員札止めであったと瓜子は聞いている。ユーリは二月の終盤からセカンドシングルの販促のために各メディアを賑わせて、ついでに興行の告知もしまくっていたので、その恩恵もあらかたであったことだろう。また、三月発売の雑誌にはユーリのグラビアも数多く掲載されていたために、世間には再びユーリ旋風が巻き起こりつつあるはずであった。


 だが、その本番は今日となるはずだ。

 もともとユーリは、モデルやアイドルとしても卓越したビジュアルを有していた。そこに拍車をかけたのは、ユーリがファイターとしても並外れているという付加価値が備わったためであったのだ。


 ユーリが再びファイターとしての強さを証明しない限り、昨年ほどの熱気が生まれることはないだろう。

 もちろんユーリはファイターとして生きていければ満足であると自己完結しているのであるが、それならばなおさら、奮起しなければならないはずだった。最近のパラス=アテナはユーリの存在に寄りかかり、社運をかけているようにすら感じられてしまうのだ。


 ユーリがつまずいてしまったら、パラス=アテナの船底に大穴を空けてしまうかもしれない。

 そして現在、MMAの女子選手にとっては、《アトミック・ガールズ》こそが大事な活躍の場であるのだ。《アトミック・ガールズ》が失われてしまったら、女子選手が試合を行う機会は半分以下に減じられてしまうはずだった。


 ともあれ――そんな運営陣の思惑などどこ吹く風で、ユーリは意欲に燃えている。ならば、思いのままに暴れ回るしかあるまい。瓜子としてはこれまで通り、その勇姿を間近から見守らせてもらう所存であった。


                     ◇


「うひょー! ついに、この日が来ちゃったねぇ!」


 ミュゼ有明に到着するなり、ユーリは快哉をあげていた。

 先月も先々月も瓜子のセコンドとして会場入りしていたユーリであるが、やはり選手として来場するのはまったく別種の感慨であるのだろう。それぐらいのことは、瓜子にも痛いほど理解できた。


「今日は、自分がセコンドっすからね。これまでお世話になった分も、がっちりサポートさせてもらいますよ」


「えへへ。うり坊ちゃんは、そばにいてくれるだけでいいんだよぉ。それだけで、ユーリは元気もりもりなんだから!」


 ふざけた言葉を発しつつ、瓜子を見つめるユーリの眼差しはやわらかい。

 前回、瓜子がユーリのセコンドを務めたのは、無差別級王座決定トーナメントであり、あれほどの騒ぎを巻き起こしてしまったのだ。そういう面でも、瓜子はすっかり入れ込んでしまっていた。


「まあ、サキさんとジョン先生がいる限り、自分は雑用係に徹するしかないっすけどね。……それじゃあ、行きましょうか」


「うん! いざ出陣なりー!」


 ユーリと瓜子は自宅のマンションからタクシーで駆けつけたために、サキたちとは現地集合であった。

 関係者用の入り口を通って、まずは控え室を目指す。ゆとりをもって到着したために、出場選手やセコンド陣はまだ半分ていどしか集まっていないようだった。


「おう、来やがったか。今日もでっぷり脂がのって、体調も万全みてーだな」


 控え室では、すでにサキとジョンが待ちかまえていた。どちらも黒とオレンジの、プレスマンのジャージ姿だ。自宅のマンションから駆けつけた瓜子もその上にブルゾンを羽織っているだけであり、このような場所できっちりめかしこんでいるのは、もちろんユーリただひとりであった。


「うん、ユーリは今日も元気いっぱい! でも、リカバリーと肥満は一緒にしてほしくないお年頃なにょ」


「御託はいいから、準備しやがれ。とっとと会場に移動するぞ」


 すると、ジョンが「んー?」と細長い首を傾げた。


「サキ、ちょっとピリピリしてるねー。セコンドは、センシュイジョウにリラックスしないとダメだよー?」


 サキの毒舌はいつものことだが、気配り屋のジョンには何か感ずるものがあったのだろう。サキは口をへの字にしながら、半分赤毛のざんばら髪をかき回した。


「そんなつもりはなかったけどな。……ちっと先に移動して、頭を冷やしてくるわ」


 そう言い捨てるなり、サキはさっさと控え室を出ていってしまった。

 ジョンはつるつるのスキンヘッドを撫で回しつつ、きょとんと目を丸くしている。


「サキがあんなにピリピリするのは、メズラしいねー。そんなにドッグ・ジムのヒトタチとオリアいがワルいのかなー?」


「ええまあ……そういうことなんでしょうね」


 ここ二週間で、サキはプレスマンのコーチ陣にもドッグ・ジムとの因縁を打ち明けていた。

 とはいえ、プレスマンに入門する以前の中学生時代に通っていたことと、人間関係のゴタゴタから縁切りをした、と告げたていどである。瓜子たちにしても、そのゴタゴタというのがどういう内容であったは知らされずにいた。


「まあ、あんまりヨウスがオカしかったら、ボクがフォローするからねー。ユーリは、シアイにシュウチュウしてねー」


「はい! もとよりそのつもりでございまする!」


 ということで、ユーリもお着換えの時間である。控え室の奥のほうがカーテンで仕切られていたので、バッグを抱えてそちらに移動する。瓜子はブルゾンを脱ぐだけで準備完了であったが、何かあってはいけないのでユーリに同行することにした。

 カーテンの向こうでは、三名ばかりの女子選手たちが着替えをしている。

 その中に、髪を半分だけ金色に染めた凛々しい女性の姿もあった。


「おー、白ブタ。ひさしぶりやな。でっぷり肥えて、元気そうやないか」


「いきなりのご挨拶ですねぇ、沙羅選手。そちらもお元気そうで何よりでございます」


 最近は撮影現場でバッティングすることもなかったので、ユーリと沙羅選手が顔をあわせるのは一月大会ぶりのことであった。

 ただし、どちらもテレビや雑誌などのメディアに登場しているので、元気な姿はおたがいに確認できていたはずだ。


「いよいよミドル級王座への一段目やな。初っ端でコケたら、笑うてやるで」


「どうでしょうねぇ。ユーリは人事を尽くして天命を待つ所存でございますよぉ」


 ユーリは鼻歌まじりに、その身の衣服をぽいぽいと脱ぎ捨てていった。

 馴染みの薄い他の選手たちは、そんなユーリの肢体を横目でこっそり観察している。ユーリは筋肉が筋肉に見えないという特異体質であるからして、どうしてこのようにグラビアアイドルそのままの肉体をしたユーリがあれほどの試合をできるのかと、誰もがけげんに思っているのだろう。


「……にしても、自分は特異体質やなあ」


 先に着替えを済ませた沙羅選手が、しみじみとした口調でそう言った。

 脱いだブルゾンを自前のバッグに片付けていた瓜子は、「え?」と顔を上げる。


「今のは、自分へのお言葉っすか?」


「当たり前やろ。他に誰がおんねん」


「いや、ユーリさんがいるじゃないっすか。特異体質といったら、ユーリさんでしょう?」


「そこの白ブタは人外なんやから、人間様の尺度では測れんのやろ。あらためて考えると、自分のほうが不可解やわ」


 沙羅選手は切れ長の目で、瓜子の姿を上から下まで見回してきた。


「いやな、実はさっき、物販ブースに置かれてた白ブタのセカンドシングルやらを拝ませてもろたんや。そんでうり坊の悩殺ピンナップをひさびさに拝見して、不可解な思いを再確認させられたわけやな」


「な、なんすか? 自分だって、好きであんな写真をさらしてるわけじゃないんすよ?」


「お宝画像の目白押しやったやないか。ほんま自分は、モデルとしても脅威的な存在やわ。……まあそれは置いといて、自分はライト級で五十二キロがリミットなんやろ? で、通常体重はもっとあるって話やなかったか?」


「ええ。計量で落とすのは、ほんの一キロか二キロっすけどね」


「てことは、今も五十三か四はあるってことやないか。そうとは思えんような細さやろ」


 そういった話は、プレスマンでもたびたびされていた。何せ瓜子は、背丈が百五十二センチしかないのだ。


「自分でもよくわかんないっすけど、とりあえず骨密度が尋常じゃないって言われたことがあるんすよね。骨が重い分、肉が薄いのかなって解釈してます」


「へえ。骨がみっちり詰まっとるんかいな。そいつがあの、えげつないガトリング・ラッシュを生み出しとるわけやな」


 そう言って、沙羅選手はにっと笑った。


「実はな、最近は出稽古で天覇ZEROにお邪魔してたんや」


「へえ。天覇の系列にもコネがあったんすか」


「コネなんざ、自分でこしらえるもんやろ。以前は来栖をターゲットにしとったから、いちおう遠慮しとったんやけどな。しばらくはあいつと当たる見込みもないし、ちょいと修業の場を広げてみたんや」


 引き締まった腰に手をやって、沙羅選手は愉快そうに言葉を重ねた。


「でな、例の魔法少女にも寝技の稽古で世話になったんやけど……自分のこと、ボロカスに言うてたで。キックもパンチも鈍器さながらで、無茶苦茶しんどかったってな」


「それは……光栄なお話っすね」


「せやから、教えてやったんや」


 瓜子は思わず、沙羅選手と笑顔を交換することになった。

 すると、試合衣装の上から白とピンクのジャージを着込んだユーリが、「にゅー!」と顔を寄せてくる。


「お二人の織り成す仲良しオーラが、ユーリの孤独感をかきたててやみませぬ! セコンドとは、まず第一に選手の様子を気づかうべきではありませんでしょうか?」


「あ、それは失礼いたしました。それじゃあみんなで仲良く移動しましょうか」


 ユーリは納得した様子でもなかったが、沙羅選手の同行を嫌がることもなかった。何せ去年の夏には、ともに海水浴を楽しんだ仲なのである。ユーリの副業に偏見を持たない――というか、れっきとした同業者である沙羅選手は、ユーリの理解者になりえる希少な存在であるはずだった。


 そうしてジョンとも合流し、客席の設営が始められている試合場へと移動する。

 その道中で、瓜子は長年の素朴な疑問を沙羅選手にぶつけてみることにした。


「そういえば、沙羅選手ってあんまりセコンドと一緒にいないっすよね。いつもおひとりしか連れていないようですし」


「ああ、あれはウチの後輩や。MMAなんて門外漢やから、ただの雑用係やな」


「プロレス関係の後輩さんだったんすか。セコンドの助言もなしに試合をするなんて、なかなか珍しいっすね」


「試合中にやいやい言われたって、気が散るだけやろ。ウチには、無用の長物や」


 なかなかの大言壮語だが、それでも沙羅選手はしっかりと結果を残している。現時点での成績は、たしか六勝二敗であり、ユーリとベリーニャ選手にしか負けていないのだ。


「だーかーらー! ユーリにもっとかまってよぅ。ユーリにたっぷり尽くすというあのお言葉は、その場限りの言い捨て御免だったにょ?」


「ただの世間話っすよ。そんなにへそを曲げないでください」


 ユーリをなだめつつ、ちらほらと選手の集まったリングに近づいていく。ルールミーティングまでには、まだ十五分ほどの時間が残されていた。


「あ、サキたん! おつむはひんやりできたかにゃ?」


「さて、どうだかな。……なんだ、プロレス女と呉越同舟かよ」


 沙羅選手は、小首を傾げてサキの仏頂面を見返した。そういえば、両者が相対する姿を目にするのは、瓜子にとって初めてかもしれない。


「なんや、ライト級の王者はんか。しばらく見んうちに、ワイルドさに磨きがかかったなぁ。……それはともかく、この白ブタとやりあうのは再来月のことやから、今日のところは敵も味方もないやろ」


「へん。取らぬタヌキの何とやらだな」


 かつては似た部分も多いと思っていた両名だが、こうして並べてみると相違点のほうが目立ってしまった。切れ長の目が印象的なシャープなる面立ちと、それに相応しい引き締まった体形と、遠慮も容赦もない口の悪さは似通っているのだが――いつでも陽気な沙羅選手と、めったに笑うことのないサキであるのだ。かもしだす空気からして、まったく異なっているようだった。


(まあ、似てようが似てなかろうが、どっちも魅力的なお人だからな)


 瓜子がそんな風に考えたとき、新たな人影が近づいてきた。

 やたらと高低差のあるコンビであるが、どちらも女性である。その姿に、瓜子はハッと身をすくめることになった。


「ハーイ。ちょっといいですかー? ご挨拶、お願いしますー」


 ジョンよりも流暢な日本語で語りかけてくる、それはオリビア・トンプソン選手であった。短めに切りそろえた褐色の髪に、深い色合いをした碧眼を持つ、身長百七十六センチのすらりとした身体――つい二週間前にも、DVDの鑑賞会で拝見した姿である。


「なんや、どつきあう前に挨拶するタイプなんか? まあ、ウチはかまへんけど」


 オリビア選手は本日、沙羅選手の対戦相手であるのだ。

 オリビア選手は試合中の映像からは想像もつかないほどのにこやかな表情で、沙羅選手を見返している。面長で、鼻を中心にきゅっと顔が前に出ており、愛嬌のある鳥類を思わせる風貌であった。


「シャラと試合できる、光栄ですねー。お手柔らか、お願いしますー」


「はん。お手柔らかに、どつき回したるわ」


 そうして沙羅選手も、瓜子たちと同じほうに視線を飛ばした。

 瓜子とサキとユーリの三名は、最初からそちらに目を釘づけにされていたのである。


「で、ひょっとせんでも、そっちのちっこいのは――」


「そう。メイ・キャドバリー。リングネーム、メイ=ナイトメアですねー」


 やはり、そうであったのだ。

 彼女は乾きかけた血の色のような暗いワインレッドのパーカー姿で、深くフードを傾けていたが、その姿を見間違うことはなかった。


 身長は、瓜子とあまり変わらないように感じられる。衣服がオーバーサイズであったために体形はわかりにくいが、大晦日のテレビ映像で確認した限り、細身の部類であるはずだ。


 肌は夜の闇のように黒く、赤みがかった金色のドレッドヘアがフードの脇からこぼれている。狂乱していた大晦日とは異なり、今は仮面のような無表情であるが――その黒い瞳は飢えた野獣のような輝きをたたえながら、一心にユーリの姿を見据えていた。


「……そうか。おめーらはどっちも、オーストラリア出身だったな」


 サキが低く声をあげると、オリビア選手は「ハーイ」と陽気に応じた。


「どちらも、シドニー出身ですー。だから、面識あったですー」


「……で? どうしてそいつは、親の仇みてーにこっちの牛をにらみつけてやがるんだ? ま、想像がつかないわけじゃねーけどな」


「ハーイ。ベリーニャ、ユーリのこと意識してるので、メイ、挨拶がしたい言ってましたー」


 メイ=ナイトメア選手は、ベリーニャ選手を追ってはるばると、日本にまで押しかけてきたのである。

 しかも、ベリーニャ選手が《アトミック・ガールズ》と専属契約を交わしたと聞くなり、自らも参戦を希望した。それがかなって、本日試合に出場することになったのだ。


「……ユーリ・モモゾノ」と、メイ=ナイトメア選手が地の底から響くような声をしぼりだした。


「……ベリーニャ・ジルベルト、ジブン、エモノ……オマエ、ワタサナイ……」


「ふにゅ?」とユーリは小首を傾げた。


「ベル様は、誰のモノでもないですよん。もちろん、誰にでも追いかける資格はありますけれども!」


 メイ=ナイトメア選手は、石のような無表情でユーリの言葉を聞いている。

 すると、オリビア選手は楽しそうに微笑んだ。


「メイ、日本語勉強中ですー。頭脳、天才的なので、すぐにユーリの言葉、理解できると思うですー」


「ふむふむ。オリビア選手は、ずいぶん日本語が堪能なのですね!」


「ハーイ。ワタシ、日本、ホームステイしてたですよー。その時、空手、出会ったですー」


 オリビア選手とメイ=ナイトメア選手は、何もかもが対極的であるようだった。

 その対極的な姿を見比べながら、沙羅選手が「はん」と鼻を鳴らす。


「せやったら、自分が通訳したらええやないか? そのちっこいのが日本語を覚えるのを待つより、手っ取り早いやろ」


「ハーイ。ワタシ、そう言いましたが、不要、言われましたー。今日、挨拶だけですー」


 オリビア選手の言葉に応じるように、メイ=ナイトメア選手はぷいっときびすを返してしまった。

 オリビア選手は最後にとびっきりの笑みを振りまいてから、その小さな姿を追う。


「それでは、失礼しましたー。シャラ、試合を楽しみにしてるですー」


「おう。病院の手配を済ませておくんやな」


 そうして高低差のあるコンビは、どこへともなく立ち去っていった。

 沙羅選手は傲然と腕を組み、また「ふん」と鼻を鳴らす。


「大晦日では控え室も別々やったから、はっきり顔をあわせる機会もなかったんやけど……ありゃあ難儀やな。ライト級の面々にはご同情申し上げます、や」


「ご同情? 沙羅選手だって、実力のある対戦相手を求めてるんじゃないんすか?」


「そいつはリターンあっての話やろ。日本で無名の世界王者なんざ、ウチには何の旨みも感じられへんわ」


 確かに《スラッシュ》はマイナーなプロモーションで、日本では試合映像を観る手段すら存在しない。ベリーニャ選手とて、ジルベルト柔術というブランドあっての重用であるのだ。

 しかし――あれだけの迫力を持つ選手が、只者であるわけがなかった。

 ユーリの試合に集中せねばと念じつつ、瓜子は自分の内側にメイ=ナイトメア選手の存在がくっきりと刻みつけられたことを意識せずにはいられなかった。

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