インターバル
『リ☆ボーン c/w ネムレヌヨルニ』
「セカンドシングルのサンプルが、ようやく当社に届けられました」
いつでも冷徹な千駄ヶ谷女史は、いつも通りの冷徹な声音でそのように言いたてた。
場所は、新宿駅にほど近いカフェである。瓜子たちはこれからトレーニングであったため、多忙な千駄ヶ谷がわざわざここまでやってきてくれたのだ。
ユーリのセカンドシングル、その名も『リ☆ボーン』の発売日は、三月の第二金曜日に決定された。ユーリの復活の日となる《アトミック・ガールズ》三月大会の、二日前という日取りである。言うまでもなく、それは四ヶ月ぶりに選手生活を再開させるユーリの話題性を見込んでのスケジューリングであった。
セカンドシングルの発売日もユーリの復活の日も、もう目前に迫っている。
よって、多忙な千駄ヶ谷がわざわざ来訪してくれたこともわからなくはないのだが――瓜子はひとつだけ、ささやかな疑問を抱いていた。何故かこの場には、後輩の邑崎愛音まで呼び出されていたのだ。
「試合の当日には、物販のブースにもこちらのCDを配置していただけることになりました。ユーリ選手のベスト・バウトDVDとの同時購入特典に関しても、以前にご説明した通りです。どれだけの売り上げが計上できるものか、心して見守りたく思います」
「はいぃ。千さんのご尽力には、感謝を忘れないユーリちゃんなのです」
「そして三月大会の試合を終えたのちは、CDショップの販促キャンペーンたる店頭ミニライブツアーが開始されます。先年よりもなお過密なスケジュールとなってしまいましたが、ここが正念場と思しいただければ幸いに存じます」
「はいはいぃ。千さんのご尽力に報いるべく、ユーリちゃんも死力を尽くす所存なのであります」
そうしてユーリは、溶解をこらえるスライムのような面持ちで、上目づかいに千駄ヶ谷の顔を見やった。
「それで、あのぉ……本日は、そのサンプルとやらを届けに来てくださったのでありますよね? その前に、何かお説教タイムでも待ち受けているのでありましょうか……?」
「とは、どういった意味でしょう? クライアントたるユーリ選手に、私などが説教をする筋合いはないように思うのですが」
「いえいえ! そうでないのなら何よりでありますけれど……」
ユーリの懸念は、瓜子にも共感できた。見本品を届けに来たと言いながら、千駄ヶ谷はブリーフケースを開く素振りも見せないのだ。多忙にして効率主義の千駄ヶ谷が、理由もなく勿体ぶることはないはずであった。
「私はただ、猪狩さんと邑崎さんに感謝の言葉をお伝えしたいと願っていたのです」
「え? じ、自分たちがどうかしましたか?」
「いえ。お二人は、高名なカメラマンたる坂上塚御大の要請に従って、ご自身の画像がジャケットに使われることを承諾してくださいました。その件に関する、感謝の言葉です」
その言葉を聞いて、瓜子はずしんと胃が重くなってしまった。かのCDの裏ジャケットには、瓜子と愛音の水着姿が掲載されてしまっているはずなのである。
いっぽう、そのような羞恥心よりもユーリに対する憧憬のほうが上回ってしまっている愛音は、さきほどからずっとご機嫌の様子であった。
「愛音こそ、自分などの画像をユーリ様の作品に掲載させていただき、光栄の至りなのです。坂上塚センセイやスターゲイトの方々には、感謝してもしきれないのです」
「そのように言っていただけて、心よりありがたく存じます。また、邑崎さんのご家族にもご快諾をいただけたことを、何より得難く思っております」
愛音はいまだ高校生の身であったため、事後承諾の形でわざわざ契約書まで取り交わしたのだという話であった。
そこで愛音の両親が断固として拒絶していたならば、瓜子の画像も巻き添えで削除されていたのかもしれないが……そのような僥倖に見舞われることはなかった。
「それで、ジャケットはどのような出来栄えなのでしょう? 愛音はさっきから、ワクワクが止まらないのです!」
「はい。それでは謹んで、進呈させていただきます」
千駄ヶ谷はようやくブリーフケースを開いて、そこから大きな茶封筒を取り出した。
その茶封筒から抜き取られた三枚のCDが、テーブルの上に並べられていく。喜び勇んだ二人の後から、瓜子はのろのろと手をのばすことになった。
表のジャケットは、もちろんユーリ単独の画像である。
コルクボードの上に写真がピンでとめられているという体裁のデザインで、下のほうに『リ☆ボーン c/w ネムレヌヨルニ』と『Yu-Ri』のクレジットが記されている。協議の結果、音楽関係ではその名義が使われることになったのだ。
それで、肝心の画像のほうは――いかにも春っぽい桜色のワンピースで、こちらに半分背中を向けつつ、笑顔のユーリが振り返りざまにピースサインを送っている、という構図であった。
ユーリの無邪気さと過剰な色香が、このように小さな写真の中に凝縮されまくっている。にっこりと笑ったユーリの顔にも、ぴんとのばされた二本の指先にも、身体をねじったことで生まれる肢体の曲線美にも、ユーリらしさというものが嫌というほどあふれかえっているのだ。
レコードのような紙ジャケットであったので、何気なくケースを開いてみると、ジャケットの裏側にもユーリの画像がプリントされていた。
こちらは試合衣装であり、正面を向いたユーリが横向きにピースサインをかまえている。その手もオープンフィンガーグローブに覆われており、試合に勝利したときのように幸福そうな笑顔であった。
(……本当に、カメラマンとしては超一流なんだろうなあ……)
瓜子がしみじみと息をついている間に、ユーリと愛音ははしゃいだ声をあげていた。
「これ、いい写真だねー! うり坊ちゃんもムラサキちゃんも、すっごくかわゆい!」
「ありがとうございます! ユーリ様にそのように言っていただけただけで、愛音は感無量なのです!」
瓜子は覚悟を決めて、ケースをひっくり返すことにした。
そこに掲載されているのは、三人娘の水着姿だ。
ユーリは表の画像と同じポージングだが、水着姿なので色香も十倍増である。ビキニは白地でピンクの縁取りがされており、ユーリの白い肌をいっそう際立たせているかのようだ。
そしてユーリの後方に、瓜子と愛音が居並んでいるのだった。
場所は、このために借り切った屋内プールのプールサイドである。
ライトブルーのビキニを纏った愛音は瓜子に背を向ける格好で、タイルの床にぺたりと座り込んでいる。
いっぽう瓜子は白黒ストライプのビキニ姿で、頭にのせたビーチボールを両手で支えている。何だよこのわざとらしいポージングは、と瓜子は頭を抱えたくなってしまった。
この時は「ユーリ以外、笑うな」と命じられていたので、瓜子も愛音も無表情だ。
瓜子などは、内心で不貞腐れていたはずなのだが――いざ写真ができあがってみると、つんと取りすましているように見えてしまう。瓜子はその顔に、自分の手で往復ビンタでもくらわしてしまいたい心境であった。
アップで映されたユーリの背後に控えているので、大きさとしては五センチほどのものである。また、ナチュラルながらもメイクなどされているので、ぱっと見で瓜子と気づく人間は少ないかもしれない。
が、ユーリと瓜子の関係性をわきまえている者であれば、ひと目で看破してしまうだろう。身近な人間であればあるほどその可能性が高くなるという、瓜子にしてみれば絶望的な状況であった。
「すごいですねー! ユーリ様はおんなじポーズを取れと指示を出されていたわけでもないのに、表と裏でそっくり同じようなポーズになっているのです!」
「うんうん。ほんとだねぇ。これぞ、坂上塚マジック! ユーリなんて、ひたすらカメラにピースサインを送ってただけなのににゃあ」
ユーリと愛音は、ご満悦の様子だ。
瓜子としても事ここに至っては、しばらくCDショップには近づくまいと誓いを立てることしかできなかった。
「……みなさん、ご満足いただけたでしょうか?」
千駄ヶ谷の問いかけに、ユーリと愛音は「はーい!」と合唱した。
「でもでも、二人の写真ってほんとに裏ジャケだけなのですねぇ。あんなにパシャパシャ撮ってたから、ライナーノーツにも映ってるんじゃないかって期待しちゃいましたぁ」
迂闊なことに、瓜子はそこまで確認していなかった。
が、ケースに収納されていたライナーノーツはペラ一枚で、表側に表題曲とカップリング曲の歌詞が、裏側にユーリのモノクロ画像が使われているだけの、シンプルなデザインであった。
ただ、ライナーノーツとは別に、五枚の紙片がこぼれ落ちてきた。名刺サイズの、厚紙のカード――いわゆる、トレーディングカードである。
「おりょりょ? そんなものも隠されていたのだねっ!」
ユーリと愛音も嬉々として、自分の手にしたCDケースからトレーディングカードを引っ張り出した。
瓜子は激しい動悸を覚えつつ、五枚のカードをテーブルに広げ――そして、安堵の息をつく。そこにプリントされていたのは、さまざまなポーズを取ったユーリ単独の水着姿ばかりであった。
「販売用の製品には、そちらのトレーディングカードのいずれか一種類が封入される予定です。ライナーノーツを豪華に仕上げるという案もあったのですが、予算の都合上、そういった仕様に決定されました。また、トレーディングカードに猪狩さんや邑崎さんの画像を使用するのはコンセプトにそぐわないと判断された次第です。……ご期待にそえず、申し訳ありません」
「いえいえ、とんでもないですぅ。ユーリは前回のジャケットより、こっちのほうがダンゼン大好きです! さすがはトシ先生ですねぇ」
「はい。やはり御大の手腕には、私も感服させられます」
そうして千駄ヶ谷は、再びブリーフケースをまさぐった。
その中から取り出されたのは――さきほどよりも、いくぶん厚みを増した茶封筒である。
「つきましては、このようなものを作製することに決定いたしました。いわゆる、限定特装版というアイテムとなります」
「げんてーとくそーばん?」
千駄ヶ谷の手によって、再びCDがテーブルに並べられていく。
そちらのジャケットでは、同じ衣装で別のポーズを取ったユーリがプリントされていた。
「も、もしかしたら、こっちにも……?」
瓜子は勇気を振り絞り、その限定特装版なるCDのケースを裏返した。
が、そこにプリントされていたのは、水着姿で表と同じようなポージングをしたユーリ単独の画像だ。
瓜子は、安堵の息をつきかけたが――そんな安堵は次の瞬間、木っ端微塵に粉砕されることになった。
「わー、見て見て! すごいよ、これ! うり坊ちゃんたちがぎっしりだー!」
ユーリの手によって、ケースに仕掛けられていたギミックが解き明かされていた。こちらのケースにはカラーのフォトグラフが何重にも折りたたまれて、ジャバラのように収納されていたのである。
ケースと同じ面積をしたフォトグラフが、十ページ以上もつなげられている。そしてそれらの一ページずつに、ユーリと瓜子と愛音の水着姿がみっしりと掲載されていたのだった。
機能停止した瓜子の鼻先に、ユーリがそのフォトグラフを突きつけてくる。
三人一緒に写っている画像もあれば、それぞれ単独の画像もある。三人がプールに浸かって水をかけあっていたり、瓜子と愛音が水着姿のままファイティングポーズを取って向かい合っていたり、笑顔のユーリが瓜子の背後からチョ-クスリーパーを掛けようとしていたり、笑顔のユーリが瓜子のビキニに手をかけてぶん殴られそうになっていたり――色とりどりの、地獄絵図である。
そして、偶然なのか故意なのか、瓜子の鼻先には瓜子単独の画像が突きつけられていた。
スカイブルーの青空めいた壁を背景に、瓜子がひとりでたたずんでいる。裸身に水滴が浮いているので、プール遊びをした後の一幕であろう。小脇にビーチボールを抱えて、逆の手で濡れた前髪をかきあげており、ななめ四十五度の角度で、あらぬ方向に視線を飛ばしている。そんな瓜子のあられもない水着姿が、頭のてっぺんから膝下あたりまで、くっきりと天然色でプリントされていたのだった。
「な、な、な……なんすか、これ……?」
もはや瓜子には、大きな声を出す気力も残されていなかった。
「ですから、限定特装版です」と、千駄ヶ谷は冷徹に言い放つ。
「これだけ素晴らしい写真が数多く存在しながら、商品に使用しないのはあまりに惜しい話だという結論に至り、急遽、限定特装版を作製することに決定されたのです。ユーリ選手にはご報告が遅れてしまい、まことに申し訳ありません」
「いえいえー。面倒なお話は、すべて千さんに丸投げしておりましたので! 文句をつける筋合いなどこれっぽっちも存在しないことと、ユーリはそのように理解しておりますです!」
「恐れ入ります。……また、複数の画像を使用することは、邑崎さんと取り交わしたご契約にも抵触しないかと認識しておりますが、それで間違いなかったでしょうか?」
「もちろんなのです! 愛音はもう、感無量の波状攻撃なのです!」
では、悲嘆に暮れているのは瓜子ひとりということであった。
椅子の上で脱力する瓜子に、ユーリがにっこりと笑いかけてくる。
「ユーリは、これが一番のお気に入りだにゃあ。うり坊ちゃんは、どう思う?」
それは、何ページもつなげられたフォトグラフの、先端のページにプリントされた画像であった。
瓜子はお行儀悪く片方の膝を立てて、そこに頬杖をついている。その横合いから、腰を屈めたユーリが瓜子の顔を覗き込んでいる構図であった。
これは、休憩中のスナップであるはずだ。
だから、ユーリも瓜子も自然な感じで微笑み合っている。
ユーリはにこにこと楽しそうに、瓜子は半分苦笑まじりで――それでもおたがい、無防備きわまりない笑顔であった。
「……水着姿じゃなかったら、ポスターにしてほしいぐらいっすね」
瓜子がそのように答えると、ユーリはその写真とそっくり同じ表情で微笑んだ。
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