03 地上最凶のプリティモンスター

 サキと瓜子に対する情愛の念がひとしきり語られたのちは、試合映像の再開である。

 ここからは、瓜子もすべて現地で見届けている。快進撃というも愚かしい、怒涛の七連勝の試合模様であった。


 まずは三月大会の、沙羅選手との一戦。

 こちらは入念に、両者の計量シーンまで収録されている。ユーリがセクシーな水着姿で計量に臨むのは毎度のことであるが、別時間に撮影された沙羅選手もまた、それに負けない露出度の水着姿であった。


 そうして試合が開始され、両者の激闘が入場シーンまでノーカットで公開される。

 結果は一ラウンド四分五十五秒、アームロックによりユーリの勝利だ。


 大歓声の中、左足を痛めたユーリはサキに肩を借りながら、大輪が咲き誇るような笑顔で観客たちに手を振っている。

 この構成は卑怯だな、と瓜子はまたもや涙をこらえることになってしまった。

 十回の敗北と一回の引き分けというぶざまな戦績を網羅することで、この一年と四ヶ月ぶりの勝利がことさら胸に響いてしまうのだ。


 画面上の瓜子は、こらえようもなく涙を流してしまっていた。

 自分はこんな泣き顔をさらしていたのかと、瓜子は思わず赤面し――そして、いつまでも映像が切り替わらないことに、若干の懸念を覚えた。


 その懸念は、的中した。ユーリが瓜子の肩に手を回して、涙に濡れた頬をぺろりとなめる瞬間まで、その映像は流され続けたのである。


『あのときは、本当に感動でしたねぇ。負けた試合でも楽しかったんですけど、勝ったらこんなに幸福な気持ちになれるんだぁってことを再認識させられちゃいましたぁ』


 嫌がる瓜子と笑うユーリを画面に映したまま、ユーリの声がかぶせられた。

「お宝映像だなこりゃ」と、サキは呆れたようにつぶやいている。このシーンは格闘技雑誌の表紙でも採用されてしまっていたが、試合の放映時ではここまで長々と映されていなかったのだ。


「あははぁ。試合前に流されてたインタビューは、このシーンのための伏線だったのかにゃあ」


 ユーリはちょっぴり気恥ずかしそうな声で、そんな風に語っている。

 瓜子は愛音の眼光によって、右頬の皮膚を突き破られてしまいそうな心地であった。


 そうして画面では、ようやく次の試合に切り替えられる。

《NEXT》の四月大会、秋代拓実あきしろ たくみ選手との一戦だ。


「あー、これがさっき話題に出た、アトミックの離脱騒動の首謀者っすよ」


 愛音の関心をそらすべく、瓜子はそんな風に声をあげてみせた。

 今から四年ほど前、《アトミック・ガールズ》の主力選手が運営陣と対立し、大量離脱する事件が勃発した。その首謀者が、当時のミドル級王者であったこの秋代選手と見なされていたのだ。


 当時の秋代選手は業界の最大手であるフィスト・ジムの所属であったため、その系列のジムまでもがこぞって《アトミック・ガールズ》から離脱してしまい、本当に存亡の危機であったのだと、瓜子はそんな風に聞いている。《アトミック・ガールズ》がかろうじて沈没をまぬがれたのは、天覇館の系列がその動きに賛同せず、来栖選手や鞠山選手などといった歴戦の選手たちが屋台骨を守ったゆえであるのだろう。


 しかし、秋代選手のクーデターは失敗に終わった。

 彼女はフィスト・ジムの後ろ盾でもって新しい団体を立ち上げてみせたのだが、今度はそちらの運営陣と衝突してしまい、わずか一年で幕引きされることとなってしまったのだ。

 結果、フィスト・ジムおよび系列ジムはパラス=アテナと和解し、秋代選手と何名かの主力選手だけが帰らぬ人となった。現在は、《NEXT》を始めとする外部の団体で細々と活動を行っているようである。


「だけど、他団体ではそこまで女子選手の試合に力を入れてねーからな。アトミックに頼らねーとなると、試合をするチャンスも激減しちまうだろ」


 ユーリと秋代選手の試合を眺めながら、サキはそんな風につぶやいた。


「かつてのミドル級王者も、それじゃあ試合カンが鈍っちまうさ。おめーもそれほど苦労しなかったろ?」


「いやいや、秋代選手もお強かったよぉ。何せ、アマレスの元・強化選手だっていうんだからねぇ」


 秋代選手は美形だが、やたらと物騒な目つきをした二十代半ばの女子選手であった。

 彼女はかつて《アトミック・ガールズ》を潰そうとした張本人であり、そしてユーリはその経営難を救った救世主であるのだ。そういった裏事情が、ユーリ個人への敵意に転化したのかもしれなかった。


 彼女はレスリングとグラップリングに長けた試合巧者であり、序盤から豪快なスープレックスを決めていた。が、ユーリは下になっても慌てず騒がず、持ち前の技術でするりと逃げ出してしまう。スタンド状態でダメージをもらわない限り、ユーリは本場の柔術選手とフルラウンドで寝技の攻防をこなせるほどの力量であるのだ。


 そうしてスタンドに戻ったユーリは、ジョンから伝授されたムエタイのスタイルで秋代選手にダメージを重ねていく。

 ローキックと首相撲からの膝蹴りをくらいまくった秋代選手は見る見る間に動きが落ちていき、遠い距離からユーリに両足タックルを仕掛けようとした。

 その顔面に、ユーリの膝蹴りがヒットする。

 秋代選手はかろうじてユーリの足もとにへばりついたが、すでに膝が崩れてしまっている。ユーリが体重をあびせるとあっけなく手を離し、そのまま亀になってしまった。


 ユーリは秋代選手の背中にのしかかり、無防備な咽喉もとに右腕をねじ入れる。

 普通は先に両足で相手の胴体をホールドするものであるが、あまりに無防備であったため手がのびてしまったのだろう。両腕をチョークの形でクラッチしてから、ユーリは下半身のホールドに取りかかろうとしたようだが――それより早く、秋代選手がユーリの腕をタップしていた。


 ユーリはきょとんとした顔で手をほどき、秋代選手の背中から身を起こす。

 仰向けに転がった秋代選手は顔面が血みどろで、座椅子の理央がびくっと身体を震わせることになった。さきほどの膝蹴りで、秋代選手は鼻骨を砕かれてしまっていたのだ。


「おー、こいつはひでーや。十八禁の世界だな」


 サキがさりげなく手をのばして、理央の左手を握りしめていた。

 おびただしい鼻血が、咽喉の奥にも流れ込んでしまったのだろう。血みどろの顔面で激しく咳き込む秋代選手の姿は、凄惨そのものであった。


「そういえば、こいつもこの試合以来、すっかり噂を聞かねーな。まだ引退するトシでもねーだろうによ」


 コーチ陣に引退を示唆されたサキであるからして、そんな何気ない言葉にも重みが感じられるところであった。

 画面上では、次なる試合に切り替えられている。


「あ、オリビア・トンプソン選手でありますね」


 愛音が、わずかに身を乗り出していた。秋代選手の次は、オリビア選手とのリベンジ・マッチであったのだ。

 オリビア選手はオーストラリア出身のトップファイターで、二週間後には沙羅選手との対戦が決定されている。フルコンタクト空手の最大派閥である玄武館の所属で、身長はミドル級で随一の百七十五センチ。『日本人キラー』の異名を持つ実力者であった。


 玄武館では顔面への拳による攻撃が禁止されていたため、MMAファイターに転じたオリビア選手も、強烈なボディブローと蹴り技を得意にしている。おまけに手足も長かったため、当時のユーリも苦戦を強いられていた。


 しかし驚くべきことに、たがいにローキックで足を削り合っていくと、最初に嫌がったのはオリビア選手のほうであった。なおかつユーリはタックルのフェイントを織り交ぜるようにとサキやジョンから言いつけられていたため、そちらの面でもオリビア選手はペースを乱されていた。


 そうして下半身に意識を散らされたオリビア選手は、ユーリの華麗なハイキックによって、一撃KOである。

 しかも、頭部をガードしようとした左手首の尺骨をも砕かれて、試合後は病院に直行している。対戦相手を三人連続で病院送りにしたことで、ユーリは『地上最凶のプリティモンスター』なる異名を拝命したのだった。


(本当に、見違えるような進化だよな)


 ユーリが積み上げてきた鍛錬の成果が、サキやジョンの指導によって、正しい方向に放出されることになったのだ。ユーリの数奇なる半生に思いを寄せて、瓜子も胸が詰まるような心地であった。


 さらにユーリは次の試合でも魅々香選手の眼窩底を粉砕し、そこからはいよいよ無差別級へのチャレンジであった。

 そこでまた、ユーリのインタビュー風景が差し込まれる。ユーリを格闘技の世界に導いたベリーニャ選手との対戦に向けて、心情を問われたのだ。現地では、ここでユーリがあまりにエキサイトしてしまったため、何度かの撮り直しをさせられたことを、瓜子ははっきりと記憶に留めていた。


 それはともかくとして、来栖選手とリュドミラ選手を相手にした試合は、いま見返してもみても圧巻である。瓜子はどちらの試合も会場で見守っていたが、映像で観ても彼女たちの迫力に変わるところはなかった。

 さらに、両選手は試合中に古傷の膝を痛めて救急搬送されたことがテロップによって伝えられる。三月の沙羅選手の試合以降、ユーリはベリーニャ選手を除くすべての対戦相手を病院送りにしていたのだった。


 そして、小笠原選手との試合模様は――たまらないほど、胸が痛くなってしまう。瓜子と諍いを起こして心を乱してしまっていたユーリは、途中でレフェリーストップされなかったのが不思議なほど、一方的に叩きのめされてしまっていた。


「……普通の試合なら、一ラウンドで止められてたろうな。レフェリーも、客寄せパンダを簡単に負けさせちまっていいものかどうか、判断に迷ったんだろ」


 サキは、そのように語っていた。

 レフェリーは公正でなければならないが、それでも人間に過ぎないのだ。これだけユーリに対しての声援が巻き起こっていれば、判断を間違ってしまうこともあるのだろう。


 しかしそのおかげで、瓜子は試合に間に合うことができた。

 もしも瓜子が間に合わず、ユーリが負けてしまっていたら――と考えると、瓜子はぞっとしてしまう。ユーリ自身の心情はともかく、瓜子は今よりも遥かに大きな罪悪感を抱え込んでいたはずであった。


(何せここで負けてたら、ベリーニャ選手との対戦も実現してなかったんだからな……)


 ともあれユーリは、小笠原選手に大逆転勝ちを果たした。

 手足のあちこちに赤黒い内出血の痕を浮かばせて、口の端からは血を流している。レフェリーに勝利を宣告されても、笑みのひとつも浮かべようとしない。その姿は傷ついた獣のように痛々しく、いつでも明るく輝いているその瞳も、曇ったガラス玉のように虚ろであった。


「……これはちょっと、見てられんにゃあ」


 ユーリはうつむき、ピンク色のショートヘアをぐしゃぐしゃにかき回していた。

 そして――座卓の下から、こっそり瓜子の手を握りしめてくる。

 たとえ鳥肌を誘発されてでも、そうせずにはいられなかったのだろう。

 瓜子は同じ力で、その指先を握り返してみせた。


 ユーリは深くうつむいたまま、ちらりと瓜子のほうを盗み見てくる。

 その瞳には、とても恥じ入っているような光と、とても幸福そうな光が、複雑に入り混じっているようだった。

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