02 顔合わせ

「よお、瓜子ちゃん」


 午後の三時から開始されたルールミーティングにおいて、そのように気安く声をかけてきたのは、やはりレオポン選手であった。


「ああ、どうも。今日もセコンドなんすね」


「うん。ちょっぴり迷惑そうなお顔だな」


 レオポン選手は苦笑しながら、トレードマークであるライオン頭をかき回した。

 リング上で行われているルール説明を適当に聞き流しつつ、瓜子も苦笑を返してみせる。


「別に迷惑ではないっすけど、そんな風に言われちゃうと挨拶に困るっすね」


「ごめんごめん。サイトー選手がいたら、また尻を蹴られてるところだな」


 そうしてレオポン選手は、瓜子の左右に立ち並んだ両名にも頭を下げた。


「なんか、先週と同じ顔ぶれッスね。今日も一日、よろしくお願いします」


「ウン、ヨロしくねー」


「……どうぞよろしくお願いいたしますです」


 ジョンはにこやかに笑顔を返していたが、やはり愛音の眼光にはトゲがある。そしてその目は、レオポン選手のかたわらにたたずむ少女のほうへと速やかに移動された。


「大江山すみれさん。本日は、あなたの試合も楽しみにしていたのです。部外者ながら、健闘を祈らせていただきますです」


「はい、ありがとうございます」


 先日の《G・フォース》の試合会場で面識を得た少女、大江山すみれがにっこりと破顔する。栗色の立派なツインテールが特徴的な、ほっそりとした女の子である。愛音とは身長も体重も年齢も同程度であり、ついでに言うならば髪の色も似通っていた。愛音のほうがサイドテールにしているのが、これまた対照の妙を成立させているようだ。


「今日のお相手は、どのような御方なのですか? やはり静岡の選手なのでしょうか?」


「はい。天覇館静岡東支部の成沢選手という御方です。普段は天覇やフィストのアマ大会などで活躍されているそうですね」


 大江山すみれがそのように答えると、レオポン選手が補足した。


「年齢は二十二歳で、アマの戦績は五勝三敗。ここ直近は三連勝らしいから、着実に地力をつけてきてるアマの有望株ってところだな」


「アマでもう八戦もしてるんすか。いきなりプロのリングに上げてもらった自分としては、耳が痛いっすね」


《アトミック・ガールズ》は十八歳という年齢制限をクリアして、あとは実力と話題性さえ備わっていれば、すぐにプロとして試合を組んでもらえるのだ。それ以外の興行では、男子選手と同じようにアマの大会で実績を積み上げるのが常道であるのだった。


「でも、猪狩さんは《G・フォース》で実績を積まれてきたのでしょう? アマチュアとしてのキャリアが皆無のままでプロデビューを果たしたユーリさんとは、わけが違うように思います」


 大江山すみれのそんな言葉に、愛音はたちまち噛みつくことになった。


「なんですか? あなたはユーリ様のアンチなのですか? それでしたら、個人的な交流は控えさせていただきたく思うのです」


「とんでもありません。わたしはユーリさんを、尊敬しています。だって、あの来栖さんを打ち負かしたのですから」


 虫も殺さぬ笑みをたたえて、大江山すみれはそう言った。


「いつかわたしもプロ選手としてデビューすることができたら、ユーリさんに挑戦させていただきたく思っています。もしかしたら、邑崎さんもそのようにお考えなのですか?」


「え? ユーリ様に対戦を希望するなどとは、恐れ多いのです! そもそも愛音とユーリ様では、階級も違っておりますし……」


「ユーリさんと来栖さんだって、階級は違っていたでしょう? わたしはもともと来栖さんと対戦したいと願っていたので、ユーリさんがその座に入れ替わったということですね」


「大江山さんは、無差別級の来栖選手を目標にしてたんすか?」


 瓜子が口をはさむと、大江山すみれは「はい」とツインテールを揺らしてうなずいた。


「わたしの目標は、三人。《アトミック・ガールズ》の『女帝』来栖舞さんと、ベリーニャ・ジルベルトさんと、そして師匠でもある赤星弥生子あかぼし やよいこさんを打ち負かすことでした」


 赤星弥生子。

 その名はもちろん、女子格闘技界に轟いている。

 ただし、来栖選手が表舞台の『女帝』であるとしたら、赤星弥生子は舞台裏の異質なモンスターであっただろう。彼女は赤星道場の自主興行である《レッド・キング》でしか試合を行っておらず、そしてそれはいずれの団体においても公式試合に認められていなかったのだった。


 理由は、単純明快である。

 彼女はここ数年、男子選手としか試合を行っていないのだ。

 しかも彼女は、来栖選手ほど体格に恵まれているわけでもなく、十キロも二十キロも重い男子選手を相手に無敗の記録を打ち立てている。それは本当に真剣勝負であるのか、あるいはシナリオ通りの八百長試合であるのかと、世間では面白おかしく取り沙汰されていたのだった。


「……赤星弥生子さんは、ベリーニャ選手にも勝ったことがあるんすよね?」


 瓜子の問いかけに、大江山すみれはまた「はい」とうなずいた。


「でもそれは、すいぶん昔のお話ですよね。今なら勝負はどう転ぶかわからないと、弥生子さんはそんな風に言っていました。だからわたしも、ベリーニャさんを目標のひとりとして掲げることになったのです」


「なるほど……」


 瓜子が赤星弥生子とベリーニャ選手の対戦について聞き及んだのは、ここ数ヶ月の話であった。情報源は、もちろんユーリである。ベリーニャ選手は北米の《スラッシュ》に参戦する以前、一度だけ来日しており、《レッド・キング》において赤星弥生子と対戦していたというのだ。


「でもそれはベル様が十代の頃のお話で、真剣勝負じゃなくエキシビジョンのショー・マッチだったんじゃないかって噂だったから、ユーリもあえて手をのばさなかったのだよねぃ」


 当時のユーリは、そのように語らっていた。

 また、《レッド・キング》の試合模様は当日に現地までおもむかない限り、映像をダウンロード購入しないと観戦することがかなわない。よって、デジタル音痴であるユーリにはいっそう縁遠いものであったのだろう。瓜子自身、《レッド・キング》の試合映像を観たことは一度としてないのだ。


(でもこの娘さんは、同じ道場で稽古をつけてもらってるんだもんな。それならまあ、目標にしたいぐらいの実力は持ってるってことなのかな)


 瓜子はそのように考えたが、やはりそれほど深入りする気にはなれなかった。

 赤星道場は業界内の興行主のいくつかと折り合いが悪く、《アトミック・ガールズ》の興行主たるパラス=アテナもそのひとつであったのだ。赤星道場の人間が《アトミック・ガールズ》に参戦することはかまわないが、こちらの所属選手が《レッド・キング》に参戦することは推奨されていない――というか、そのような真似をしたらアトミックで干されることが不文律とされている。


 なおかつ、赤星弥生子に至っては、《レッド・キング》の外で試合を行ったことが一度としてない。それで近年は男子選手とばかり試合をしているものだから、「その実力は果たして本物か?」と取り沙汰されることになったのだ。

 赤星弥生子がそうまで閉鎖的なスタンスであるならば、アトミックを主戦場とするユーリや瓜子が気にかける甲斐もないように思われた。


(だけどまあ、赤星道場に関しては、ジョン先生にも出稽古をおすすめされたしな。ユーリさんとマリア選手の試合に決着がついたら、考えさせてもらおう)


 ということで、瓜子は気持ちを切り替えることにした。

 本日は、『新人キラー』として名高い鞠山選手との対戦なのである。まだ見ぬ赤星弥生子の幻影などを追っている場合ではなかった。


「おっと、そうこうしている内にルールミーティングも終わっちまいそうだな。ユーリちゃんは、まだ外でお仕事かい?」


「はい。思ったよりも、時間をくってるみたいっすね」


「それじゃあ、よろしく伝えておいてくれ。こいつには、また後で挨拶をさせるからよ」


 そうしてレオポン選手と大江山すみれは、人混みの向こうへと立ち去っていった。

 その後ろ姿を見送りながら、愛音は「むー」とおかしな声をあげる。


「なんだか赤星道場って、得体の知れないお人が多いみたいですね。まあ、実力さえともなっていれば、それでいいのですけれど」


「そうっすね。あの大江山ってお人が邑崎さんのライバルに成り得るかどうか、じっくり観戦させていただきましょう」


 やがてルールミーティングは終了し、リングは選手たちに解放されることになった。

 新参たる瓜子はリングの下でウォームアップをして、マットに空きが出るのを待ち受ける。ユーリが帰還したのは、そのタイミングであった。


「お待たせー! ようやくお仕事が終了したよ! けっきょく三百人以上も集まちゃって、ユーリはもうへろへろだよー!」


「お疲れ様でした。グッズが三百個も売れたんなら、ユーリさんもウハウハっすね」


「いやー、ユーリ印のTシャツなんかは早々に売り切れちゃって、スタッフさんが謝罪の嵐だったよー。前回から引き続き、準備態勢に疑問が残るところですにゃあ」


「それはつまり、ユーリさんの人気がすごすぎるってことっすよ。今日も大歓声が楽しみっすね」


「うにゃー! それだけは、カンベンしてほしいっすー」


 ユーリはピンク色の頭を抱えていたが、瓜子としては満足な結果であった。ただ、本日も握手責めをくらったであろうユーリの体調が心配になるばかりだ。

 そうしてウォームアップに励んでいると、また別の人影が近づいてくる。


「よお。今日は勢ぞろいしてるね」


「あーっ! 小笠原選手! 先日は、まことにありがとうございましたー!」


「だから、声がでかいって」と、小笠原選手は苦笑した。彼女も先月の大会に出場していたが、隣県の神奈川が地元ということで、連戦のオファーを受けていたのだ。しかも本日は、外国人選手を迎えてのメインイベントである。


「小笠原選手と本日お会いできることを、心待ちにしておりました! こちら、先日のハンケチーフをつつしんで返却させていただきたく思う次第でありますっ!」


 ユーリはコートのポケットをまさぐって、そこからファスナー付きの小さなプラスチック・バッグを取り出した。先日に小笠原選手から借り受けたハンカチが、そこに収納されていたのだ。


「何もこんな、厳重に梱包する必要はないでしょうよ。ハンカチなんて、汚れてなんぼなんだからさ」


「いえいえっ! きちんと他の洗濯物とは選り分けて、ユーリ菌が付着しないように細心の注意を払いましたので! どうぞおおさめくださいませ!」


 ユーリはその場に膝をつかんばかりの体勢で身体を屈めて、両手にのせたプラスチック・バッグを恭しげに差し出した。


「……なんかさ、この間っからアンタのイメージが崩壊しまくりだわ。このふざけた感じは、アンタの素なわけ?」


「はにゃ? ユーリは普段から、思うままに振る舞っているつもりですけれども」


 ジョンの手を借りてストレッチをしていた瓜子は、そこで口をはさませていただくことにした。


「そうでもないっすよ。たぶんユーリさんは無意識なんでしょうけど、相手によってきちんと態度を使い分けてるはずです」


「えー、そうなのかにゃあ? ユーリには、さっぱりわからんちん」


「ほら、そのふざけた言い草。少なくとも、これまで控え室でそんなふざけた態度を目にした覚えはないよ」


 小笠原選手の言葉に、ユーリは「あうう」と眉を下げた。


「それは無意識の領域のお話ですので、ユーリにはセーブが難しいようでございます。大恩ある小笠原選手をご不快にさせてしまったでしょうか?」


「だから、アンタの不始末に関しては手打ちって言ったでしょ? 大恩だの何だの言われる筋合いはないよ」


「あうう……口を開けば開くほどに、ユーリは無礼を重ねてしまうようでありまする……」


「そいつはきっと、アンタが根っから無礼な存在なんだろうさ」


 意地の悪いことを言いながら、小笠原選手は楽しそうな顔をしている。よって、瓜子も不安になることはなかった。

 小笠原選手はユーリの手からハンカチの封入されたプラスチック・バッグをつまみあげつつ、ジョンへと視線を転じる。


「えーと、ジョンさんだったよね? よかったら、後で話をさせてもらえないかな?」


「んー? ドウいうハナシかなー?」


「出稽古について、相談させてもらいたいんだよ。武魂会の人間がプレスマンに出稽古って、たぶんこれまでにはなかった話だろうからさ」


「えっ! 小笠原センパイが、プレスマンに出稽古にいらっしゃるのですか?」


 愛音の言葉に、小笠原選手は「うん」とうなずいた。


「アンタも知っての通り、武魂会の人間は出稽古で寝技を磨くしかないからさ。ま、うちは天覇館やフィスト・ジムと繋がりが深いから、出稽古の場所に困ることはないんだけどね」


「それがどうして、プレスマンに?」


「そりゃあもちろん、ベリーニャ選手と対戦した人間が二人もそろってるからさ」


 無邪気な顔で笑いつつ、小笠原選手の目に一瞬だけ鋭い光が閃いた。


「ここ最近でベリーニャ選手と対戦したのは、桃園とサキと沙羅選手だけでしょ? 沙羅選手の所属はプロレス団体で、あいつ自身も出稽古で寝技を磨いてるって話だから、役に立たない。なら、プレスマンのお世話になるのが最善の道ってことさ」


「小笠原選手は、ベル様との試合が決定されたのでしゅか?」


「いや。でも、アイツの専属契約とやらが終わるまでには、何としてでも挑ませてもらうつもりだよ。アトミックだって、そいつを考えてないはずはないからね」


 小笠原選手は、無差別級のホープである。たとえトーナメントに敗退した身であっても、確かに優先順位は高いはずだった。


「試合が決まってからバタバタしたって、手遅れだろうからね。動ける内に動いておこうと思ったんだよ。……プレスマンと武魂会は、べつだん仲違いしてるわけじゃなかったよね?」


「ウン。プレスマンは、ダレでもダイカンゲイだよー」


 さすがは自由さと奔放さで知られる、新宿プレスマン道場である。

 瓜子のもとから身を起こしつつ、ジョンはにこにこと微笑んだ。


「それに、トキコはブコンカイのムサベツキュウオウジャだからねー。キックのセンシュとスパーしてもらえたら、こっちもアリガタいかなー」


「そこは、持ちつ持たれつってことで。それじゃ、よろしくね」


 それぞれ長身のジョンと小笠原選手は、実に屈託のない微笑みを交わし合っていた。大江山すみれとは異なり、裏も何もなさそうな微笑みの応酬だ。

 過酷な試合を眼前に控えながら、瓜子は実に微笑ましい気持ちを抱くことができた。

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