5th Bout ~Re:Born Of The Pretty Monster~

ACT.1 そうる・れぼりゅーしょん#1・5 in 浜松

01 いざ浜松

 二月の第三日曜日――

 その日、瓜子は《アトミック・ガールズ》の浜松大会に出場するために、朝から新宿プレスマン道場に集合することになった。


「ゼンイン、ソロったみたいだねー。それじゃあ、シュッパツするよー」


 浜松までの道のりは、プレスマンの専用車で駆け抜ける。運転手はチーフセコンドのジョンであり、同行するのは雑用係のユーリおよび愛音であった。


 車は巨大なワゴンで、黒塗りの車体にオレンジ色で「Shinjuku Pressman dojo」とペイントされている。創始者のレム・プレスマンがオランダ出身であるために、プレスマン道場のイメージカラーはオレンジであるのだ。


 遠征や大人数の移動ではこちらのワゴン車が使われるのが常であるが、瓜子やユーリが乗らせていただくのは初めてのことである。新宿から東名高速道路を目指す間、ユーリはずっと子どものようにはしゃいだ声をあげていた。


「すごいすごい! 車なんてしょっちゅう乗ってるけど、やっぱりプレスマン号は乗り心地が違うねえ、うり坊ちゃん!」


「ええ、やっぱり感慨深いっすよね」


「うんうん! 部外者のユーリまで乗せてくださって、ジョン先生には心より感謝いたしまする!」


「ユーリはブガイシャじゃないよー。もうイチネンハンもイッショにケイコしてるのに、ユーリはいつまでもミズクサいねー」


 巨大な車のステアリングを軽やかに切りながら、ジョンは陽気な声で言った。

 すると、その横合いから愛音が「あの」と尖った声をあげてくる。


「どうして猪狩センパイは、当たり前のようにユーリ様のお隣を確保しているのでしょう? 愛音は、疑問と不満を禁じ得ないのです」


 瓜子とユーリは後部座席の二列目で、愛音は助手席であったのだ。

 瓜子が気のきいた答えをひねり出す前に、ジョンが「あははー」ととぼけた笑い声をあげた。


「ボクのトナリがイヤだったかなー? ジコをオこしたりはしないから、ジョシュセキでもアブナいコトはないとオモうよー?」


「い、いえ! 決してジョン先生のお隣が嫌というわけではなく……」


 と、愛音は顔を赤くして言葉を濁してしまう。そういえば、彼女はジョンを仮想恋愛の対象に定めていたのだった。


(だったら、楽しいドライブになりそうじゃないか)


 瓜子は心中で、こっそりそのようにつぶやいておくことにした。

 本来、今日のセコンドはサキにお願いしていたのであるが、妹分の牧瀬理央が二日前にいきなり発熱してしまったということで、急遽この愛音が同行することになったのだ。今日の帰りは深夜になってしまうのだが、たまたま明日が創立記念日であったとのことで、愛音は全力で家族を説得し、この遠征に同行する許しをもらえたのだという話であった。


 いっぽうのユーリは雑用係からサブセコンドに繰り上がったわけであるが、とりたててメンバー交代の声はあがらなかった。ユーリは卓越したグラウンド・テクニックを有しているのだから、試合中でも遠慮なく助言を送ればいいと、ジョンがそのように太鼓判をおしてくれたのだ。


 つい先日、右肘の靭帯も右拳の骨折も完治したと診断されたユーリは、見ている瓜子がついつい微笑みを誘われてしまうぐらいご機嫌の様子であった。

 窓の外に視線を飛ばしては、珍しくもない建物や看板の名前などを読みあげている。これではまるきり、遠足に行く幼稚園児である。


「でも、浜松までは四時間がかりなんすよね? 試合をするのは自分ひとりなのに、なんか恐縮っす」


 瓜子がそのように声をかけると、ジョンはマホガニーブラウンのスキンヘッドを撫でながら「ウン」と応じてきた。


「ジュウタイがなければ、サンジカンぐらいでツくみたいなんだけどねー。ニチヨウビだから、ゆとりをもってシュッパツしたんだよー」


「そんでもって、ユーリのせいで一時間も早く出ることになってしまったのですよね! 本当に、恐悦至極でございますっ!」


 ルールミーティングはいつも通りの午後三時であったのだが、ユーリはまたもやサイン会を申しつけられて、一時間早く到着するように依頼されてしまったのである。さらに昼食の時間も作るために、出発は午前の九時に定められたのだった。


「ユーリもウリコもミズクサいねー。コレだってボクのダイジなシゴトなんだから、エンリョはいらないよー」


 バックミラーごしに、ジョンがにこりと笑いかけてきた。


「それに、ボクはドライブがスきだからねー。ヒルはドライブで、ヨルはウリコのシアイで、キョウはタノしいコトずくめだよー」


 つくづくジョンというのは、人格者であるようだった。瓜子がプレスマンに入門して一年ほどが経とうとしているが、いまだにこの陽気で温厚なコーチが声を荒らげるところを見たことはなかった。


「サライゲツは、オオサカなんだよねー? そっちでも、シアイがオファーされるのかなー?」


「どうでしょうね。さすがに三月の東京大会は見送られることになっちゃったんで、できればお誘いが欲しいところっすけど……今日の試合で結果を出せれば、可能性はあるかもしれません」


「ナルホドねー。そうしたら、またボクがセコンドについてあげるから、ガンバってねー」


「押忍。頑張ります」


 ジョンのおかげで、瓜子はいっそうの闘志を燃やすことができた。

 そのかたわらで、ユーリは「うみゅう」と難しい顔をしている。


「逆にユーリは三月の試合が決まってるから、大阪大会には出られないのかにゃあ?」


「そうっすね。普段だったら毎月でもオファーがきそうなところっすけど。三月に復帰でいきなり連戦はきついでしょうし、しかもユーリさんはタイトル挑戦の予選中なんすから、なおさら難しくなりそうっすね」


「そしたら、うり坊ちゃんとはしばらく互い違いの出場になっちゃうんだねぇ。同じ日に試合をできない悲しみは、セコンドをできる喜びでかき消すしかないかぁ」


 ユーリは三月大会でマリア選手と対戦し、それに打ち勝てば五月のトーナメント戦に出場することになるのだ。ならばさすがに、四月の大阪大会は見送られるはずであった。

 いっぽう瓜子は一月と二月で連戦となったため、すでに三月大会は見送られることが決定されている。ユーリほどの人気がなければ、そこまで連戦のオファーが来ることもないのだ。


(そもそもアトミックで四ヶ月連続興行ってのが、数年ぶりの話なんだもんな)


 基本的に《アトミック・ガールズ》は、隔月で興行を行っている。それがこのたび、地方巡業を組み込んで四ヶ月連続の興行となったのは――まず間違いなく、ユーリの出場を見込んでの決定であるはずだった。


 試合会場の予約というものは、数ヶ月も前に申し込まなければならないのだ。そうしてユーリは昨年下半期から飛躍的に人気が上昇したため、これならば集客を見込めると判断したのだろう。

 しかしユーリは昨年の十一月に、全治三ヶ月の深手を負ってしまった。ユーリの欠場した一月大会も集客に苦戦したようであるし、パラス=アテナの首脳陣もさぞかし頭を抱えていることだろう。


(今日の集客がどれほどのものかは知らないけど、自分は自分の試合をするだけだからな)


 瓜子がそのように考えたとき、ユーリが「あにょう」とおかしな感じに呼びかけてきた。


「本当に今さらのお話なのですけれども……ユーリは、うり坊ちゃんのセコンドについていいのだよね……?」


「はい? どういうことっすか?」


「だってほら、先月の大会ではあのような騒ぎになってしまったし……」


 瓜子は、「ああ」と笑ってみせた。


「そんな話、忘れてたっすよ。同じ騒ぎになるなら、自分は大歓迎っす」


「なんのお話です?」と、愛音が身をよじって後部座席を覗き込んできた。


「ああ、テレビでは入場シーンもカットされてたんすよね。実は――」


「わーっ! そんなの言わなくってもいいってば!」


「邑崎さんだって今日のセコンドなんだから、説明しておいたほうがいいっすよ」


 ということで、試合会場が「ユーリ!」のコールに満たされたことを説明してやると、愛音はしみじみと息をつきながら「なるほど」とつぶやいた。


「さすがはユーリ様なのです。本日同じ現象が巻き起こったならば、愛音は感動に打ち震えてしまいそうなのです」


「ユーリは、申し訳なさで打ち震えちゃうよぉ。……あ、そうだ! マリア選手ばりにプロレスのマスクを着用するというのはどうかしらん!」


 マリア選手はメキシコの覆面レスラーを父に持つため、入場時にはそういったパフォーマンスをお披露目していたのだ。

 しかし瓜子は笑いながら、「無駄っすよ」と言ってみせた。


「首から上を隠したって、たぶんバレバレでしょうからね。その乳やらおしりやらを引っ込めない限り、正体を隠すのは不可能っすよ」


「いやーん、セクハラ! サキたんが伝染しちゃったの?」


「そうですよ! ワイセツなお言葉でユーリ様を辱めるのは禁止なのです!」


 そんな具合に、道中は終始なごやかに過ごすことができた。

 高速道路に突入してからはなかなかの渋滞っぷりであったが、それも事前の想定通りだ。

 東京から神奈川に入り、途中のサービスエリアで昼食を取り、しばらくしたら、ついに静岡に突入である。終盤には海沿いのエリアに差し掛かり、昼下がりの雄大な水平線を拝むことができた。


 目的の浜松に到着したのは、午後の一時四十分のことである。

 会場の浜松アクト・ガーデンというのはさまざまな施設が密集する複合施設群の総称であり、《アトミック・ガールズ》の試合が行われるのは展示イベントホールという場所であった。


 普段は展示会やレセプションなどが行われており、平地のまま使用すれば三千名もの人間を収容できるという。本日はその中央にリングを持ち込むために、確保できた客席は千五百席とのことであった。


「おお、お待ちしておりました、ユーリ選手!」


 と、会場の駐車場にワゴン車を乗り入れるなり、パラス=アテナのブッキングマネージャー駒形氏が飛んでくる。


「プレスマン道場の方々も、こちらにどうぞ。控え室には入室できるように手配いたしましたので、そちらでおくつろぎください」


 前回の一月大会と同じような展開であるが、本日はジョンと愛音も同行している。好奇心旺盛な両者はサイン会の場を見物したいと申し出たので、控え室に荷物を搬入したのちは、五人で連れだってロビーに向かうことになった。


「うわぁ。こりゃまた、前回にまさるとも劣らない賑わいでございますねぃ」


 その場をこっそりと覗き見たユーリは、深々と嘆息していた。

 ロビーはユーリのサインを求める人々で賑わっており、会場の外まで人があふれてしまっている様子である。


「さきほどの報告では、二百五十九名であるようです。また、今回はDVDのみならず、《アトミック・ガールズ》のグッズを購入された方々のすべてにサインを特典としてつけることになったため、いっそうの販促効果が望めるかと思われます」


 もちろんユーリ関連のグッズが売れれば売上の何パーセントかがマージンとしてユーリの手に渡るのだから、こちらも喜ぶべきであるのだろう。

 しかし、サイン会においては握手を求める人間も非常に多いため、ユーリにとっては苦行に他ならなかったのだった。


「よろしければ、開始時間を前倒しいたしましょうか? 早く開始すれば、そのぶん早く終了するはずですので」


「そうですねぃ。セコンドとしてのお仕事を全うできるように、ちゃちゃっと片付けてしまいませう!」


 そうしてユーリは、再びファンの荒波に突入することになった。

 選手として復帰すれば、さすがにこういった案件を持ち込まれる機会も減ることであろう。ユーリとしては、サインをするよりも試合を観てもらうことが何よりの本懐であるはずだった。

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