02 ローラー作戦

 それからおよそ二時間後、ユーリと瓜子は渋谷の街に到着していた。


「……やっぱり、ショッピングから始まるんすね。何だか自分の卒業式の日を思い出すっすよ」


「ああ、懐かしいねぇ! 確かに、こんな風にのんびり遊ぶのはあのとき以来かもぉ」


 すっかりご機嫌を取り戻したユーリが、人混みの中を闊歩している。

 つばのついたニット帽と、今日はサングラスでなく黒ぶち眼鏡。もこもこのボアコートに、レザーのロングブーツ。特徴的なピンク色の髪を隠していれば、そうそう面が割れることもないが、それでもやっぱり異様に人目を集めてしまっている。その正体がバレようとバレなかろうと、ユーリが尋常ならざる存在感を有しているということに変わりはないのだ。匂いたつような色気とフェロモンも、冬服の厚みていどで抑制しきれるものではない。


 いっぽうの瓜子といえば、先月の誕生日にユーリからプレゼントされたスタジアムジャンパーに、ストレートのデニムとスニーカーという格好で、左の頬の絆創膏や右の手首のテーピングなどと相まって、まるきり男の子のようであろう。十五センチもの身長差がなければ、カップルと間違われてしまいそうなところであった。


「……月曜日だっていうのに、何だかずいぶん賑やかっすね」


 瓜子が何気なくつぶやくと、器用にすいすいと他人との接触を回避しながら、「そうだねぇ」とユーリは笑った。


「さすがに冬休みって時期じゃないだろうし、みなさまどういった素性なのかしらん。先週だったらハッピーマンデーで、もっと賑わってたのかにゃあ」


「ハッピーマンデー?」


「うん。たしか成人の日って、一月第二週の月曜日じゃなかった?」


「ああ、なるほど。そしたら邑崎さんって、成人の日に入門してきたんすね。道場も普通に開いてたから、祝日って意識がなかったっすよ」


 そんな風に応じてから、瓜子は慌ててユーリを振り返る。


「ちょ、ちょっと待ってください。ユーリさんは、十一月で二十歳になったんすよね? てことは、ユーリさんも成人式だったんじゃないっすか!」


「おりょりょ? 今ごろ気づいたにょ? まあ最初っからそんなもんに参加する気はなかったので、ノープロブレム! 成人式なんて、クリスマスよりも興味ないわい」


「それはそうかもしれないっすけど……でも、本当によかったんすか?」


「いいにょいいにょ。住民票はこっちに移しちゃったから、知ってる人なんて全然いないし。……ま、地元にだって、会いたい人なんていないけどさあ」


「そういうネガティブなことを、さらっと言わんでほしいっす。……まあ、自分も成人式なんて、わざわざ出ようとは思わないかもしれないっすけどね」


「にゃっはっは。おたがいサツバツとした人生を送っておりますにゃあ」


 ユーリとこんな風に格闘技以外の話をするのも、珍しいことだった。

 特に、おたがいの過去に関わるような話は、ほとんどしたことがない。瓜子には隠すべきような過去もないのだが、ユーリの過去などうかつに聞きほじるものでもないだろうし――何より、過去の話などそんなに重要だとは思えなかった。


 今ならきっと、瓜子が望めばユーリは何でも打ち明けてくれるように思う。それでユーリが楽になれるなら、それこそいくらでも聞いてやりたいと思うが、たぶんユーリはそのようなことを望んではいないだろう。

 胸くその悪くなるような過去など、フタにカギをして永遠に封じこめてしまえばいい。

 大事なのは、今この現在なのだから。


「はい、到着! まずはこのビルから制覇しましょうぞ!」


 そうしてたどりついたのは、去年の春先にも連れてこられた覚えのある、渋谷でも一番有名であろう八階建てのファションビルだった。

 ユーリは本当に、着飾ることが大好きなのだ。頭の中には格闘技とファッションと美容と食べ物のことしか詰まっていない、と言っても言いすぎではないだろう。


 いっぽうの瓜子などは、みずからファッション誌を読むこともしない朴念仁であるからして。こういう際には、まるきり恋人の買い物道楽につきあわされる殿方連中のような心持ちである。ユーリにつきあわされるのは年に数度のことなので苦にもならないが、世のカップルたちは大変だなと気の毒に思えてしまう。


「だから、どうして彼氏目線なのさぁ? うり坊ちゃんは、かわゆく横暴に彼氏さんを振り回すポジションでしょお?」


 そちらの方向に話が進むとまた面倒なことになりそうなので、瓜子はおとなしく口をつぐんでおいた。

 アクセサリー屋に足を踏み入れたユーリは、「うわあ」と瞳を輝かせる。


「見て見て! かわゆいブローチちゃん! イルカだよイルカ。イルカってかわゆいよねぇ?」


「そうっすね」


 異論はないが、ブローチなどどこにどうつければいいのかもわからない。まったく自慢にもならないが、瓜子の辞書にアクセサリーという文字はないのだ。


「お、こいつはちょっとエスニック! ムラサキちゃんに似合いそう! ……ムラサキちゃんは高校生だから、今頃はまだ学校かにゃ?」


「そうっすね」


 昨日は試合、今日はサボりで、二日ほど愛音とは顔をあわせないことになる。高校生の彼女は最初から新年会を辞退していたようだが、同じように辞退すると告げていたらしいユーリの出席を知り、そして本日は二人そろって道場にやってこないという事実を知ったならば、いったいどんな顔をするだろうか……明日顔をあわせるのが、いささかならず面倒くさい。


「ねえねえ、これってどうかにゃあ?」


 と、真鍮ぽい鈍い輝きをしたチェーンのブレスレットを、ユーリが瓜子の鼻先に突きつけてくる。


「はあ。いいんじゃないっすか?」


 ファッションに関して、瓜子がユーリにアドヴァイスなどできるはずもない。ユーリの鑑識眼の確かさは、この一年間で嫌というほど思い知らされているのだ。

 実際、そのブレスレットもユーリにはよく似合いそうだった。しかしユーリは「ううむ」と眉根を寄せ、その逸品を商品棚に戻してしまう。


「このお店では、こんなとこかにゃ。よし、お次のフロアに移動しませう!」


「え? もういいんすか?」


「うん! 千さんとの約束のぶん、午前中はテンポアップしていかないと!」


 すでに時刻は十時を回っている。どうやらこのぶんだと、午前中はショッピングで終わりそうだ。

 しかし、本日のユーリはいつになく慎重だった。ふだんであったら自室のキャパも考えずにあれこれ買いあさっているところなのだが、今日はいっこうに財布を取り出そうとしない。仕事をほとんどしていないので、少しは節約しようという殊勝な気持ちが芽生えたのだろうか。


「これはどうだろ? ちょっと派手かにゃ?」


 三件目の有名ブランド店にて、今度はイミテーションの黒い石が光るネックレスを差しだしてくる。どうやら今日は、アクセサリーに照準を絞っているらしい。


「はあ。まあ、いいんじゃないっすか?」


 確かに少し派手なデザインかもしれないが、ユーリはどんな派手さにも負けない容姿を有しているので、問題ないだろう。

 しかしユーリは、いくぶん名残惜しそうな顔をしながら、それもケースに戻してしまう。


「なかなかクリーンヒットしないにゃあ。お次の店に参りましょう!」


 そうしてユーリは地下二階から地上八階までをローラー作戦のごとく制圧していったが、ついに運命的な出会いが訪れることはなかった。

 二人は手ぶらのまま建物を出て、今度は公園通りのビルに移動する。


「あ、ちょっとCD屋に寄っていいすか?」


「ほお、お珍しい! 何か欲しいCDでもあるのかにゃ?」


「はい。発売日を確認したいんすよね。携帯で調べるのも面倒だし」


「うむうむ。世間様ではデジタル配信とやらが主流であり、CDを購入するお人もめっきり少なくなったと聞きおよびますにゃ」


「自分らはパソコンもやらないし、携帯も旧式だし、ちょっと時代に取り残されてる感はあるっすね」


「にゃっはっは。興味の薄い事柄にまで触手をのばしているゆとりはないから、いたしかたないですにゃ」


 まったくもって、その通りだ。他人様と殴り合うために、瓜子たちはずいぶん色んなものどもを切り捨ててしまっているのだろう。それを悪いことだとは毛ほども感じてはいないのだが、心配してくれている親たちなどには少し申し訳ないなと思えてしまう。


「うわ」

「おお」


 と、瓜子とユーリはおかしな声を唱和させることになった。

 何の気もなしに立ち寄ったCDショップにて、実に異なものを発見してしまったのである。

 それは、《アトミック・ガールズ》の最新DVDソフトの告知ポスターであり、さらに「ゴメンなさい! 品切れ中!」という手書きのポップが貼りつけられていたのだった。


「こ、こんなとこでも売られてたんすね」


「うん。しかも品切れ中だって……おかしいにゃあ。一般的には、女子格闘技なんてマイナーなはずなのにね?」


「マイナーだから、あんまりプレスしてなかったんすよ、きっと。だけど今回は……予想以上の売れ行きだったんでしょうね」


 何せこのたびのDVDには、ユーリの勇姿が三試合も収録されているのである。前回の、来栖選手を打ち負かした予選試合のDVDも、かつてないほどのセールスを記録したらしいが、それを踏まえた上での予測すら上回る売れ行きなのだろう。


「パラス=アテナさんもウハウハだねぃ。これでちょっとは女子格闘技も世間様に浸透しますようにっと」


 他人事のように言いながら、ユーリがおどけた様子で手を合わせる。


「ユーリさんって、そのへんはドライっすよね。この業界を引っ張っていこうっていう気概はないんすか?」


「ええ? ユーリは自分のことで手いっぱいだもん! お稽古と試合を頑張ること以外にまで頭が回らないよぉ」


「……そうっすね。きっとそれが正しい姿なんだと思います」


 どうせ放っておいたって、ユーリは台風の目になってしまうのだ。ならば小難しいことなど考える必要はない。……ただし、ユーリの行く末をすべてパラス=アテナの首脳陣に託してしまうのは危険な気がする。そういう意味では、ジムや道場ではなくスターゲイトがユーリの選手活動をフォローしているのは、かなり心強いことなのかもしれなかった。


「あの……もしかしたら、ユーリさんですか?」


「ほえ?」


 ユーリたちが振り返ると、黄色いエプロンをつけたCDショップの店員が、ダンボール箱を抱えながら目を丸くして立っていた。

 瓜子らと同世代の真面目そうな女の子である。その地味めだが可愛らしい顔に歓喜の表情が浮かびあがっていくのを見て、ユーリと瓜子は少しあわてる。


「は、はい。そうですよん。だけど今日はお忍びなので、あの……大きな声を出さないでくださいね?」


 と、ユーリはピンク色の唇に人差し指をそえながら、小声で店員に応対する。

 店員の女の子は、ハッとしたように口をつぐみ、敵でも探すかのように視線を巡らせた。


「す、すみません! あの……わたし、ユーリさんの大ファンなんです。去年のCDも、このDVDも買いました。右手のおケガは、大丈夫なんですか?」


「はい。完治はしてないけど、経過は良好でありますよん。……騒がないでくれて、ありがとうですぅ」


 ユーリがにっこり笑いかけると、店員の女の子は昨日の理央に負けないぐらい真っ赤になってしまった。


「ユーリさん、お店にサインだけいただけませんか? それと……よかったら、わたしにも……」


「はいはい。お安い御用ですぅ」


 そうしてユーリはバックヤードまで連れられていき、二枚の色紙と自身のデビューシングル『ピーチ☆ストーム~桃色の嵐~』のパッケージにサインをさせられることになった。

 まあ、昨年の秋口に比べれば可愛いものであろう。テレビや雑誌に出まくっていたあの頃は、電車に乗ることさえ困難なぐらいだったのだ。


「ありがとうございます! これからも頑張ってくださいね! 応援してますから!」


 めろめろの笑顔になりながら、女子店員は至極当然のように手を差しだしてくる。

 ユーリは一秒の半分ほど躊躇してから、笑顔で左手を差しだした。


「右手は修理中なので、左手でごめんなさい。これからもどうぞよろしくねん」


 そそくさと店を出て、二人同時に溜息をつく。思わぬところで時間を食ってしまったし、ついでに言うなら瓜子の欲しいCDの発売日も確認できなかった。


「ユーリさん、お疲れ様っすね」


「ううむ。疲れはしないけど、ほんのちょっぴり精神力ゲージを削られてしまったにゃあ」


 とぼけた声で言いながら、左手の指先をさすっている。きっと衣服の下では、びっしりと鳥肌がたってしまっているのだろう。


「だけどまあ、昨日なんて三百人斬りだったからね! 最後のあたりはニワトリに生まれ変わったような心地だったぞよ」


「サイン会なら、ついでに握手を求める人間だって山ほどいるんでしょうしね。迂闊にも、自分はユーリさんに話を聞かされるまで、まったく考えが及んでなかったすよ。こっちに戻ってきたときも、ユーリさんはすごくお元気そうだったし……」


「にゅっふっふ。うり坊ちゃんのセコンドをおつとめできるという喜びが、嘔吐感をも凌駕したのじゃ。昨日も今日もハッピー尽くしで、ユーリのハートは溶解寸前ですわよん」


 そう言って、ユーリは心から楽しそうに微笑んだ。


「よし! 気を取りなおして、出撃だぁ! うり坊ちゃん、心してかかるのだぞよ!」


 ローラー作戦の、再開である。

 しかし、今日のユーリの厳しい鑑識眼にかなうアイテムは発見できぬまま、前半戦はあえなくタイムリミットと相成ってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る