02 ルールミーティング

「よお、うり坊やんか。ひさしぶりやな」


 予定通りに午後の三時から行われたルールミーティングが終わるなり、声をかけてきたのは沙羅選手だった。

 右半分だけを金色に染めあげた髪と、健康的な小麦色の肌、凛々しく端整な面立ちと、人を食ったような関西弁。ユーリと同じくアイドルやモデルとしての顔を持つ、異色の実力派ファイターである。その引き締まった身体に纏っているのは、ごくありふれたスポーツブランドのトレーニングウェアだったが、やはりどことなく華やかさが違う。


「押忍。おひさしぶりっすね。年末の見事なKO勝利は、テレビで拝見したっすよ」


「はん。あの白ブタの代役っちゅうのが業腹やけどな。せっかくの民放ゴールデンタイムだったっちゅうのに、秒殺で終わってまったし」


 負傷でオファーを断ったユーリに代わって大晦日の《JUFリターンズ》に参戦した沙羅選手は、わずか一分足らずでカナダからの強豪選手をKOしてしまったのである。一般的に女子選手のKO劇は希少だとされているので、会場内はそうとう盛り上がっていたはずだ。


「白ブタは、まだサイン会かいな? まさか、試合も観ずに帰ったりはせえへんやろな?」


「はい。今日は自分のセコンドについてくれる予定っす」


 瓜子がそう答えると、沙羅選手は奇妙な風に片眉を吊り上げた。

 そして、「ほうかほうか」と笑いながら、瓜子の背中をバンバン叩いてくる。


「ほんなら、楽しい痴話喧嘩は無事に終了したっちゅうこっちゃな? ま、あれから二ヶ月もたっとるんやから、当然か」


「え?」


「え、じゃあらへんやろ。トーナメントの真っ最中に、ケンケンいがみあってたやんか? あの白ブタに自分なんかは必要ないとか何とか、ガキんちょみたいに涙目でわめいてたやろ。ウチはこれでも、けっこう心配してやってたんやで?」


「な、涙目になんて、なってないっすよ!」


 しかし、そういえば、瓜子が激情を抑制できないでいたときに、この沙羅選手とは控え室で顔をあわせる事態になってしまったのだ。悪いのは掛け値なしに瓜子たちのほうなのだが――他人からそんな話をされてしまうと、瓜子は両頬が炎上してしまうぐらい気恥ずかしかった。

 選手とセコンドと運営スタッフの入り乱れるリング下で、沙羅選手はにんまりと笑いながら瓜子の顔をのぞきこんでくる。


「この二ヶ月間、試合会場でも撮影の現場でも顔をあわせる機会がなかったもんやから、ずーっと魚の小骨みたいにひっかかってたんや。ウチがそこまで心配したる筋合いなんてあらへんのやけど、迷惑やから、ああいうのはもう勘弁したってな?」


「は、はい。どうも申し訳ありませんでした」


「ん。いい返事や。……で、あの白ブタの調子はどうやねん? 三月の大会では復帰できるんか?」


「うーん、現状ではちょっと難しいかもしれないっすね。タイミング的にはギリギリ間に合うかもですけど、安請け合いは危険でしょうから」


 話がそれたことにほっとしながら瓜子が答えると、愉快そうな顔をしていた沙羅選手が少し口もとを引き締めた。


「何や、煮えきらん返事やなあ。ブラジル女にやられた右肘は、そんなに深刻なんかいな?」


「え? いや、経過は良好なんすけど。もともと全治三ヶ月って診断だったんすから、予定通りでも完治は二月の半ばっすよね。それから元のコンディションまで回復させるのにどれぐらいの時間がかかるかは、稽古しながら様子を見るしかありませんし……同じ右手の拳まで割っちゃってるのが、また厄介なんすよね」


 もちろんユーリとて一日でも早く復帰をしたいと望んではいるのだが、現実問題として、完治もしないうちに試合のオファーは受けられないだろう。特に靭帯の損傷は再発が恐ろしいので、いっそう慎重にならざるを得ないのだ。


「二月と四月には、ひさびさの地方巡業も控えてるんすよね? その四月の大阪大会あたりが順当だと思うっすよ」


「ふうん。せやけど、二月に完治するんなら、三月に復活っちゅうセンも完全に消えたわけやないんやろ? ほんまに微妙なタイミングやなあ。ったく、人間様をやきもきさせてくれる白ブタやで」


「……ずいぶんと、ユーリさんの動向を気にかけてらっしゃるんすね? ユーリさんの復活が三月でも四月でも、沙羅選手にそれほど影響はないんじゃないすか?」


「何でやねん。おんなじミドル級では一番の難敵なんやから、ウチに影響ないわけないやろ」


「それはまあ、その通りかもしれないっすけど……でも、ユーリさんは無差別級への転向をパラス=アテナのお偉方に打診している最中なんすよ?」


 瓜子が言うと、沙羅選手の切れ長の目がキラリと光った。


「何やそら。タイトル挑戦もせんうちに転向て、どういう話やねん? そんな話が通ったら、ミドル級はうちの独壇場になってまうやんか?」


「独壇場で、いいんじゃないっすか? まあ、お偉方がどう考えるかはわからないっすけど」


「ふん。まあそう簡単には許さへんやろなあ。せやけど、三月に復帰できへんかったら、おんなじことか……まあええわ。あの白ブタがリタイアしたところで、ウチのやることに変わりはあらへんし」


「リタイア? いったい何のお話っすか?」


 沙羅選手は、悪戯小僧のようにふてぶてしく笑う。


「いつぞやも、こんな風に話した覚えがあるなあ? 情報が遅いで、自分らは。……三月から、ミドル級タイトルの争奪戦が開始されるんや。白ブタの復帰が間に合わんなら、レースの優勝はウチで決まりやな」


「ああ、そういうことだったんすか。……だけど、ずいぶん急な話っすね? 年末に無差別級のトーナメントが終わったばかりだっていうのに」


「何や裏事情があるみたいやで? ま、ウチかてほんまはミドル級を制覇してから無差別級に挑むつもりやったから、この急展開は大歓迎やけどな。……しかし、あの白ブタにとってはミドル級のベルトよりも、ブラジル女との決着のほうが大事なんかなあ?」


 そりゃあもちろんそうでしょう――と言いかけて、瓜子は慌てて口をつぐむ。ミドル級のタイトル戦線に興味がない、ということは、沙羅選手との再戦にも興味はない、という意味をもふくんでしまう気がしたのだ。

 そんな瓜子の顔色を見てとって、沙羅選手はまた不敵に笑う。


「よけいな気づかいは無用やで、うり坊。あの白ブタがミドル級に居残ろうが無差別級に転向しようが、ウチの最終目的はアトミックのてっぺんを獲ることなんやからなあ。てっぺんを狙うとるかぎり、あの白ブタを避けては通れへん。いつかはどこかでぶつかりあう運命や。……そのときこそ、絶対にリベンジを果たしたるからな?」


「……宣戦布告は、本人にお願いします」


 瓜子としてはそんな風に答えるしかなかったが、内心では少し感心もしていた。ユーリに敗れ、ベリーニャ選手に敗れながら、なおも頂点に挑もうとする、その沙羅選手の闘志と心意気に。

 もともと瓜子は、大言壮語の人間をあまり好いていない。が、沙羅選手はしっかりと現実を見すえている。その上で、高い目標に向けて己を奮い立たせているのだ。自分の大言に恥じぬ生き様を見せてやらんと闘志をみなぎらせるその姿は、何だかとても魅力的だった。


「ま、まずは本日のお仕事をこなさんとな。こんなところでコケてたら、ベルトもへったくれもあらへんわ。……ちなみに、今日のうり坊のお相手は誰やねん」


「あ、四ッ谷ライオットの灰原選手っす」


「灰原? 知らんなあ。雑魚かいな?」


「雑魚じゃないっすよ。……『極悪バニー』って言ったほうが、通りがいいすかね」


「ああ! ライト級のコスプレ三銃士っちゅうやつか! こらおもろい。モニターでがっつり観戦させていただくわ」


「恐縮っすね。……沙羅選手は、どなたと対戦でしたっけ?」


「こっちゃも四ッ谷ライオットの、多賀崎っちゅう選手や。……ま、雑魚やな」


 それはちっとも雑魚などではない。沖選手、魅々香選手、マリア選手に続く、ミドル級の日本人では四番手のトップ選手ではないか。

 しかしまた、沙羅選手が負けるとも考えにくい。《アトミック・ガールズ》における戦績は二勝二敗の沙羅選手であるが、外部の試合では外国人ファイターを相手に四戦全勝なのである。ユーリとベリーニャ選手の他には土をつけられたことがないのだから、この沙羅選手の強さも十分に底が知れなかった。


「ほんならな。健闘を祈っとるで」と軽妙に手を振りつつ、沙羅選手は立ち去っていく。

 それと入れ替わりに、少し離れたところでこのやりとりを見守っていたらしいセコンド陣が、瓜子のほうに近づいてきた。


「ずいぶん親しげに喋ってたなあ。あの半分金髪頭は、テレビでよく見るアイドルレスラーちゃんだろ? お前さん、あんなんとも交流があるのかよ?」


 サイトー選手と、コーチのジョンである。

 ちょっと立ち技に偏りすぎな布陣だが、本日の相手もストライカーであるし、グラップラーのユーリもいることだし、問題はないだろう。


「はい。ユーリさんの副業のほうでも顔をあわせる機会があるもんで、気づいたらこういう感じになってたっす」


「ふうん。愉快な人間には愉快な仲間が集まるもんなんだな。てっきりお前さんは、ああいう輩には目くじらを立てるタイプかと思ってたぜ」


「そうっすかね。まあ、悪い人ではないっすよ」


 瓜子が好きになれないのは、人気に実力がともなっていない選手だけなのだ。ユーリや沙羅選手はきちんとした実力を兼ね備えているのだから、副業で水着になろうがテレビに出ようが、べつだん気にならない。


 で、本日の対戦相手である『極悪バニー』こと灰原久子選手も、沙羅選手が言っていた通り、『コスプレ三銃士』の異名で知られる名物選手であるわけなのだが、はたして実力はともなっているのだろうか。

 瓜子としては、けっこう楽しみにしていた試合なのである。


「ま、お前さんもあのネエチャンの隣で水着になったりしてたもんなあ。そいつを考えたら、目くじらを立てるわけにもいかねえか」


 と、いきなりそんなことを言われてしまい、思わず瓜子はくずおれそうになってしまう。


「や、やめてくださいよ。試合前に選手を動揺させないでほしいっす」


「何でだよ? 色っぽかったぜ、あの水着姿は。オレが男に生まれついてたら、あのネエチャンよりもお前さんのほうに欲情してただろうなあ」


 何の悪気もなさそうに、サイトー選手は豪快に笑いだした。

 ド新人の面倒を見ているようなヒマはない、と愛音の世話を瓜子に託しておきながら、試合ではこうして自らセコンドに名乗りをあげてくれる。それは本当に、心の奥底から嬉しく、ありがたい話だったのだが。まさかサイトー選手にまで、こんな風にからかわれるとは思わなかった。もうあの忌まわしいファッション誌が発売されてから半年もが経過しているのだから、そろそろ勘弁してほしいと思う。


 そうして瓜子が、さらなる抗議の声をあげようとしたとき、何者かが背中にぶつかってきた。

 反射的に「痛ッ」と声をあげてしまいながら、後方を振り返ってみると――そこには、誰よりも背の高い女子選手が無表情で立ちはだかっていた。


「あ、小笠原選手。……おつかれさまです」


 無差別級のホープ、武魂会の小笠原朱鷺子おがさわら ときこ選手である。

 小笠原選手は百七十八センチの高みから無言で瓜子の姿を一瞥し、そしてそのまま立ち去ってしまった。


「何だありゃ? 礼儀がなってねえなあ。挨拶してんのに、シカトかよ」


「何だか機嫌が悪そうでしたね。以前にお会いしたとときは、ずいぶん感じのよさそうな方だったんすけど」


 何せ、ユーリをして「あんなに気さくに話しかけてくれる選手は珍しいかも」と言わしめた人物なのである。


「ああ、あの大女はトーナメントでアイドルちゃんに逆転負けしたんだっけか。坊主憎けりゃ袈裟までってやつかな、こりゃ」


「いやあ、そんな器の小さな人じゃないと思うっすよ。無差別級トップスリーの中では、唯一ユーリさんを認めてくれていたお人ですし」


「そうかあ? だけどあの女、さっきおもいっきり壁を蹴っ飛ばして、周りの連中をビビらせてたぜ?」


「……はい? どういうことっすか?」


「何だよ表のあの馬鹿騒ぎは、って怒鳴り散らしてたんだよ。そいつにはまあオレも同意見だったけど、そこまで腹を立てるような話でもねえだろって思ったもんだ」


 瓜子は思わず、試合会場を出ていこうとする小笠原選手の姿を目で追ってしまった。

 試合に負けたからといって、そこまで態度が豹変するものだろうか?

 来栖選手が負かされたことによって、すっかり逆恨みの虜になってしまったらしい兵藤選手に対して、小笠原選手は否定的な見解を抱いていたはずであるのだが――それでは、小笠原選手だって同類になってしまうではないか。

 なまじ同じ立場の沙羅選手から濁りのない宣戦布告の言葉を聞いたばかりだったので、瓜子は大いなる違和感を覚えることになってしまった。


「ウリコ、そろそろバンテージをマいておこー」


 と、ジョンのにこやかな声音が、瓜子を想念から呼び戻す。

 心の片隅にちょっとした疑念と不審の念をこびりつかせつつ、とにかく今は試合に備えようと、瓜子はセコンド陣とともに控え室へと戻ることにした。

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