06 真相
とにかくいったん落ち着きましょう、という話になり、総勢五名になったパーティは、近くのオープンカフェまで移動することになった。
男性二名が並んで座り、それと差し向かいで、ユーリ、瓜子、愛音の順番で並ぶ。
「えーとね、こちらがユーリのお友達で、アキくんこと、清寺彰人くん。ほんでもって、こちらはカメラマンのトシ先生」
「……
まだちょっとおかんむりの様子で、トシ先生はぷいっとそっぽを向く。
サカガミヅカトシロウという本名は、瓜子もこれまで知らなかった。
しかし、ハンチングとマスクを外し、サングラスを銀ぶちの眼鏡に取り替えたその顔は、瓜子の記憶にある通りのものだった。
坊主頭で、眼鏡で、ヒゲで、ひょろひょろに痩せ細った四十前後の中年男性――ユーリのグラビア撮影で何度もお世話になったことのある、それなりに著名であるはずのカメラマンさんである。
「えーっとね、アキくんと先生はおつきあいをされてらっしゃるの」
それはもうさきほどの会話で丸わかりだったが、あまりこういうことに免疫のなさそうな愛音は、「ぐう」と寝不足のモグラのように咽喉を詰まらせていた。
もちろん瓜子だってそんな免疫を持ち合わせていたわけではないが。トシ先生の恋愛観については初対面の際に明かされていたので、そこまで驚かされることはない。ただ、なんちゅーオチだよと溜息をこらえるばかりであった。
「で、もうすぐ先生のバースデーだから、ユーリはアキくんのプレゼント選びにおつきあいしてたわけ。それだけといえばそれだけの話なんだけど、つくづくアキくんはサプライズとかに向いてないんだねぇ」
「うん……昨日の電話で、トシさんに今日の予定を聞かれて……ユーリちゃんとショッピングって言ったら、きっとプレゼントを買いに行くんだなってバレちゃうと思ったから……ちょっと、しどろもどろになっちゃったんだよねえ」
申し訳なさそうに、青年――アキくんが微笑する。
近くで見ると、本当に綺麗な男の子だ。男の子、という年齢でもないはずだが。表情がすごくやわらかくて、女の子みたいに優しげなので、美青年というよりは美少年とでも言いたくなってしまう。
「……だって、今年のその日は仕事で会えそうにないから、ケーキもプレゼントもいらないって言ったでしょ? そもそも誕生日なんて、アタシにとっては恐怖以外の何物でもないんだから!」
まだ強情にそっぽを向いたまま、トシ先生はとげとげしくそう言った。
ユーリみたいにワガママで強情な御仁なのだ、この先生は。
「だけど、それでも僕は、お祝いしてあげたかったからさ……」
と、アキくんは悲しげに目を伏せる。
これまた女の子みたいに、睫毛が長い。
「あのねぇ、先生。年を取るって、そんな恐怖するようなことじゃないっしょー? まだまだ若造のユーリが言っても説得力ないかもだけど、少なくとも、誕生日ってのはその人だけの特別な日であるはずだよ! 大事な人の誕生日だったら、お祝いしてあげたいのが当たり前じゃん!」
「…………」
「そんなことより、このていどのことでアキくんの気持ちを疑う先生のほうが、ユーリは罪が重いと思う! アキくんがユーリに心変わりなんて、そんなことあるはずないじゃん! どうしてそんな当ったり前のことがわからないかなぁ?」
「……だって、ユーリちゃんは、本当にアキと仲がいいじゃない? それに、アキと出会ったのだって、アタシより早いわけだし……」
「あ、ユーリはもう三年ぐらい前にアキくんと美容室で出会ってるのね。それでその後、先生にアキくんのことを紹介してあげたの」
と、ユーリが瓜子たちに補足説明をしてくれる。
「要するに、アキくんと先生に運命の出会いをもたらした、キューピッド的な存在なのだよ、このユーリは! ……そんなユーリとアキくんの関係を疑うなんて、先生、ひどくない?」
「……アキが女に走るとしたら、その相手はユーリちゃんしかいないって思ってたのよ。ユーリちゃんは……なんていうか、そこらの女とは全然違う存在だし。アタシやアキなんかのことを、本当に理解してくれてるみたいだったし」
先生は、けっこう大きく広がっている額になよやかな指先をあて、ふっと憂いげに溜息をつく。
「それに……やっぱり若いアンタたちには、わからないのよ。もう若くなくなった人間の気持ちなんて。……それに、大して美しくもなく生まれついた人間の気持ちなんて、ね」
「んにゃー? 年齢や外見なんて、関係ないじゃん。……ていうか、年齢や外見なんて関係ないところで魅力的な先生こそ、本当に素敵な存在だと思うよ、ユーリは」
ホットココアの注がれた白いカップに両手をそえ、ユーリは天使のように微笑んだ。
「ユーリなんて、アイドルやファイターをやれなくなるぐらい年をとっちゃったら、いったい自分に何が残るんだろーって。考えると怖いから、絶対考えないようにしてるもん! こんなおバカなユーリに、ただでさえ女の子の苦手なアキくんがときめいちゃうわけないっしょー?」
「……アナタがそんな女の子だから、アタシは不安を完全には消し去ることができなかったのよ」
トシ先生は、再び雄弁な溜息をついた。
その骨ばった肩に、アキくんがそっと白い指先を触れさせる。
「トシさん。ユーリちゃんは、僕にとって一番大事な友達だよ」
「…………」
「だけど、それより大事な恋人は……この世で、トシさんだけなんだ」
気の毒な愛音は、ホットカフェオレに手もつけられぬまま、椅子の上で目を白黒させていた。
まあ、瓜子も似たような状況なのだったが。それでも瓜子は、目の前の恋人たちよりも、ユーリのほうにこそ意識を奪われてしまっていた。
とても嬉しそうに――そして、ちょっと切なそうに目を細めて、ユーリは大事な友達とその恋人の姿を見守っている。
ユーリが決して手に入れられないものを、彼らはすでに手に入れているのだ。
それはもちろん、楽しいだけの話ではないのだろうが――ユーリの胸中を思いやると、瓜子のほうこそ息苦しくなるぐらい切なくなってしまった。
「……で? けっきょく、うり坊ちゃんたちは何だったのかにゃ? ユーリはまだ釈明の言葉を何ひとつ聞いていないですぞ?」
と、いつもの顔つきに戻ったユーリが、瓜子のほうを振り返る。
「え……いや、まあ……自分たちも、似たようなもんすよ。その……ユーリさんのお友達とやらが、ユーリさんに下心でも持ってたら、嫌だなと思って……」
という、しょうもない内容の責任を愛音ひとりにおっかぶせるのは気が引けたので、瓜子が率先して恥をかくことにした。
ユーリは眉をひそめつつ、ずいっと顔を寄せてくる。
「ほんとーに、それだけが理由? ほんじゃあ、何故にうり坊ちゃんはそんなにかわゆらしい格好をしてるわけ? ユーリにも見せたことのない一張羅で、ムラサキちゃんとおデートしてたんじゃないの?」
「これは変装用っすよ。帽子もコートもマフラーも、全部邑崎さんのです」
「そんな変装をして、ユーリの後をつけ回してたの? まるで探偵ごっこみたく?」
「……はい」
ユーリは拳を握りしめ、「うぬぬ」と不穏なうめき声をもらす。
「そんなの、めっちゃ楽しそうじゃん! ずっこいよ! ユーリだって、つけ回されるより、つけ回す役のほうがいい!」
「……怒るポイントが、そこっすか」
「何で呆れたお顔をしてんのさ! 今は謝罪のお時間でしょ! ユーリに、きちんと謝って!」
「そんなピントのズレた怒り方をされたら、こっちもどう謝ればいいのかわかんないすよ。つけ回す役にお誘いできなくてごめんなさい、とでも?」
「うぬーっ! どうしてうり坊ちゃんがそんなエラそうな態度なのだ! 被害者はユーリのはずなのに、なんかおかしい! 理不尽だっ! 不条理だっ!」
「ユーリちゃん」と、静かな声が、ユーリのわめき声をさえぎった。
肩に乗せられたアキくんの手に自分の手を重ねたトシ先生が、いつになく透徹した目つきで、ユーリを見つめている。
「醜い嫉妬心にかられて、ユーリちゃんを疑うような真似をして、ごめんなさい。アタシはもう、二度とアキやユーリちゃんを疑ったりしないわ」
「え? ああ、はい。わかってくれれば、よいのですよぉ」
「ありがとう。……アンタたちも、何か言う言葉があるんじゃない?」
と、トシ先生の目が、今度は瓜子と愛音のほうを見る。
瓜子は愛音の腕をこっそり小突いてから、アキくんのほうに頭を下げた。
「清寺彰人さん。ユーリさんの大事なお友達のあなたに、あらぬ疑いをかけてしまって、申し訳ありませんでした。……これからも、ユーリさんをお願いします」
「え、あ、ちょっと……えーと、あの、申し訳ありませんでしたっ!」
「はい。よくできました」と、トシ先生がにっこり笑う。
アキくんも、何だかくすぐったそうな表情で笑ってくれていた。
「それじゃあ、これで手打ちにしましょ。せっかくアキとひさしぶりに会えたってのに、お邪魔しちゃってごめんね、ユーリちゃん」
「んにゃ? 別にお邪魔ではないですぞよ。プレゼント選びはできなくなっちゃったけど、それはもう後日おふたりでしっとり再チャレンジしてくださいまし」
トシ先生は穏やかに微笑みつつ、無言でうなずいた。
ユーリも持ち前の無邪気さで、にこりと笑う。
「そんじゃあ、この後はどうしよう? せっかくだから、このまま五人でショッピングでもしましょっか?」
「え? でも、午後から撮影でしょ、ユーリちゃんは」
と、瓜子よりも先にトシ先生が言いだしたので、瓜子は驚かされた。
すると、ユーリが「それは先生も一緒じゃーん」と言いだしたので、ますます瓜子は驚かされる。
「ちょ、ちょっと待ってください。今日の撮影って、もしかして先生が担当されてるんすか?」
「当たり前じゃない。なんなの、前回のCDジャケットは? アレだってアタシにやらしとけば、もう何万枚かは売り上げが違ったはずよ?」
「そ、そうですか……」
何だか、嫌な予感がした。
カメラマンとしては相当に腕が良いようなのだが――トシ先生が担当になった現場において、瓜子はたびたび窮地に陥らされていたのだ。
「アンタたちにも、迷惑をかけたわね。……そうだ、おわびと言っちゃ何だけど、せっかくだから、アンタたちもユーリちゃんと一緒に撮影してあげよっか」
「な、何をおっしゃってるんですか? 今日の撮影は、CDのジャケット撮影なんすよ? 部外者の割り込むスキなんて、これっぽっちもないはずです」
「そんなの、アタシの権限でどうとでもなるわよ」
空恐ろしいことを言いながら、トシ先生は下顎に手をそえて思案顔になる。
「ええと……表の側はさすがにピンじゃないとまずいから、裏ジャケのほうよね……うん、イメージがわいてきた。ちょっと衣装屋に連絡しとくわ」
「け、けっこうですってば! 別に自分たちは、そんな大それたこと……」
「ユーリ様と一緒に撮影していただけるのですかっ!?」
瓜子の大声は、愛音のさらに大きな声によって、かき消されてしまった。
「しかも、CDのジャケットで? そ、そんな栄誉を愛音のようにちっぽけな人間が賜ってしまってもよろしいのでありましょうか!?」
「アタシを誰だと思ってるのよ? クライアントがどんなに文句を垂れたって、アタシの撮った画を見れば、ぐうの音も出ないはずよ」
だったら、代わりに瓜子がぐうの音をあげたかった。
「せ、先生、ひとつだけ確認しておきたいんすけど、まさかこの季節に水着とかじゃないっすよね? それだったら、自分もまあ……」
「水着よ」と、携帯端末を操作しながら、先生は何でもない風に言う。
「表側は春服、裏側は水着って指定を受けてるの。春先に発売でどうして水着よ、とか思わないでもなかったけど、まあ、モデルがユーリちゃんなら、異存はないわ」
「こ、こっちは異存だらけっすよ! 何度も何度も言ってる通り、自分の仕事はユーリさんのマネージメントで――」
「だから、モデルとしてやっていくつもりなら、アタシが面倒を見てあげるって、こっちのほうこそ何度も言ってるでしょ? 美しく生まれついた人間には、他の人間の目を楽しませる義務があるのよ」
「う、美しくなんか、ないですってば!」
「わかってないわねえ。ユーリちゃんの隣りに並んで見劣りしない肌質の持ち主なんて、本職のモデルでもそうそういないのよ? ……そっちのアンタは、どうかしらね。悪いけど、アタシの画を壊すようなお肌だったら、一緒に映してはあげられないから」
「審査が必要ですか!? 脱ぎますか!?」
「後でいいわ。……あ、もしもしぃ? モデルを二名ほど追加したいから、衣装の準備をよろしくねぇ」
もう駄目だ。
この先生様がそうと決めたら、何者にもその決定をくつがえすことは不可能なのである。
こんな調子で、瓜子はこれまでにも二度ほど撮影地獄に引きずりこまれた経験があったのだった。
「……猪狩センパイは、すでに先生のお墨付きをいただいているのですね」
と、敵対心まるだしの目つきで、愛音がにらみつけてくる。
「絶対に負けないですよっ! 女性らしさを放棄している猪狩センパイなどに、負けるわけにはいきません!」
「……やかましいっすよ」
晴れわたった冬の空を見上げやりながら、瓜子は深く、深く息をついた。
ユーリのことを信用せず、こそこそと後をつけ回した代償が、これか、と。
しかし、それにしては――同様の罪を犯したはずのトシ先生や愛音などは至極満ち足りた様子で、瓜子ばかりが溜息をつかなくてはならないのは、何故なのだろう。
そんなこの世の理不尽さを呪いながら視線を戻すと、ユーリとアキくんは楽しそうに顔を見合わせながら、くすくすと笑っていた。
同性しか愛せない青年と、誰に対しても恋愛感情を抱くことのできない娘が、たがいを慈しむように。
(社会にうまく順応できない人間ふたりが、傷をなめあっているだけ……)
なんてことを言い出すやつがいたら、自分がこのお二人に代わって鉄拳制裁でも食らわせてやろう。
そんなことを考えながら、瓜子はもう一度、何とはなしに頭上を見上げやった。
一月の空は、何かを祝福するように冴えざえと晴れわたっていた。
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