07 後日談

「……本当にタコスケなんだな、おめーたちは」


 翌日の、夕刻。

 練習前のストレッチにはげみながら、実にどうでもよさそうな口調で、サキはそう言った。


 アマチュア志向の、一般練習生のための稽古時間である。

 仕事の後、美容院へと向かったユーリはまだ姿を現しておらず、新人の愛音は一般練習生に混ざって基礎練習に取り組んでいる。今日のコーチは、憧れのジョン先生だ。


「なんか心配事があったんなら、直接本人に問い質しゃ済む話じゃねーか? こそこそ後をつけ回すとか、アホかよ」


「はい、アホっすよ。心の底から後悔しました。……だけどまあ、色々考えさせられることも多かったから……まったくの無駄ではなかったとも思ってるっすけどね」


 同じように身体を動かしながら、瓜子は答える。


「馬鹿の考え、何とやらだろ。ただでさえ、おめーはモノを考えるのに向いてねーんだから、いちいち頭を使おうとしないでいいんだよ」


「嫌だなあ。それじゃあ、まるでユーリさんみたいじゃないっすか」


「だからあいつは、考えねーんだろ。ま、それはそれで大馬鹿だけどなー。けっきょく馬鹿なら、頭を悩ますだけ無駄ってもんだ」


 まったくもって人の悪いことを言いながら、サキは入念に右足の筋をのばしている。左足を負傷しているぶん、負担のかかりがちな右足に気を使っているのだろう。

 またサキが試合で活躍する姿を早く見たいな、と瓜子はこっそり考える。


「……で、どーせおめーは、今もつまんねーことをウダウダ考えてやがるんだろ?」


「え? 何のことっすか?」


「やっぱりあの牛のダチになれるようなヤツは普通じゃなかったかーとか。いやいやそんな風に考えるのは相手に失礼かーとか、どーせそんなことで頭を悩ませてるんじゃねーのか?」


 瓜子は、まじまじと相手の顔を見つめ返した。

 本当にこの口の悪い先輩様は、読心術の特技でもあるのではないかと怖くなるときがある。


「くっだらねーなー。おい、瓜。おめーはどうして、あんな牛なんざとつるんでるんだよ?」


「え? どうしてって……」


「あいつが不幸な生い立ちを抱えてるからか? それとも、あいつが周りの連中に毛嫌いされてるからか?」


「そ、そんなことは……まったく関係ないわけじゃないかもしれないっすけど、でも、それだけが理由ってわけじゃあ……」


「そりゃーそうだろ。そんなもん、切り離して考えられる話じゃねーんだよ」


 面倒くさそうに言いながら、サキは「よっこらしょ」と立ち上がる。


「牛のダチ公は、ホモだったんだって?」


「ホ、ホモっていうのは、差別用語らしいっすよ」


「だったら、ゲイでもオネエでも何でもいいけどよ。それじゃあ、あの牛は、この国に何人いるかもわかんねーゲイ野郎のすべてとオトモダチになれるような女なのか?」


「……そんなことは、ないでしょうね」


「そのゲイ野郎も、男に興味がない女としかダチづきあいできないような大馬鹿なのか?」


「アキくんのことはよく知らないっすけど……そういうわけでは、ないと思います」


「ほんなら、それでいいじゃねーか。なんも悩むようなこっちゃねーや」


 だいぶん長くなってきた前髪をうっとうしそうにかきあげつつ、サキがじろりとにらみつけてくる。


「ダチづきあいなんて、気が合うから成立するんだろ。ほんで、どーして気が合うか、なんてことを考えたって、そんなもんは全部、後付けなんだ。考えるだけ、無駄なんだよ」


 そう……なのだろう、おそらくは。

 アキくんは、異性に恋愛感情を抱けない男性だった。

 ユーリにとって、それは友達としての必須条件だったのかもしれない。自分を性の対象として見る相手と友達づきあいをすることなど、ユーリにとっては不可能なのだろうから。


 しかし、条件はあくまで条件に過ぎないのだ。

 ユーリに性的な欲求を抱かない人間なんて、男女を問わなければ、この世界に何人だっている。

 その中から、ユーリは、アキくんや、サキや、瓜子と巡りあった――それだけの話なのだろう、たぶん。


「何をぼけっとしてんだよ。お次は、ウォームアップだろ?」


 と、サキに頭を小突かれる。

「押忍」と答えつつ、瓜子は道場の片隅に転がっていたサキ用のアイテムを持ってきてやった。

 直径五十センチほどの、特殊ゴムでできたボール。いわゆるヨガボール、バランスボールというやつだ。左足を負傷したサキのために、コーチ陣が準備してくれたアイテムである。


「……で? そのゲイ野郎は、どんなゲイ野郎だったんだ?」


 ボールにまたがってバランスを取りながら、サキがそんなことを聞いてきた。


「どんなやつ? ……ていうか、その呼び方は定着させないでくださいね。いくらなんでも、アキくんが気の毒っすから」


 何せコーチを「鰐」呼ばわりするサキなので、心配だ。


「ゲイはゲイだろ。おめーこそ、妙に親しげな呼び方じゃねーか。ゲイを相手に、横恋慕か?」


「ええ? そんなんじゃないっすよ。本人にそう呼んでほしいって言われたから、そう呼んでるだけっす。……自分は大して喋ってないっすけど、まあ、おとなしくて優しそうな人だったっすよ」


「全然、伝わってこねーなー。女に興味がないってのは、マジなのかよ? 世の中には、男でも女でもどっちでもいけるって器用なやつも山ほどいるんだろ?」


「そこまで踏み込んだ話はしてないっすよ。トシ先生の口ぶりだと、これまで女性に心を動かした様子はなさそうっすけどね、たぶん」


「たぶんかよ。おめーらはそこのところが心配で探偵の真似事までしでかしておいて、肝心の部分はほったらかしできちまったのか?」


「え? いや、だけど……信用できそうな人ではありましたから。トシ先生も、アキくんを信用するって言ってましたし……」


「ゲイの相方は、立場上、信用するしかねーだろうがよ。ったく、頼りになんねータコスケどもだなー」


「いや、そんな風に言われても……」と、言いかけて、瓜子は、はたと思いあたった。


「ああ……要するに、サキさんもユーリさんのことが心配だったんすね?」


 言った瞬間、ものすごい力でおしりを蹴り飛ばされた。

 バランスボールにまたがったまま、サキが右のミドルキックを繰り出してきたのだ。


「ざっけんな。あんな牛がどうなろうと、アタシには一切関係ねーこった。寝ぼけたこと抜かしてっと、次は本気で蹴り飛ばすぞ」


「お、おもいっきり本気だったじゃないっすか。やめてくださいよ。……そうっすね。サキさんはアキくんと顔をあわせてないから、心配になるのもわかります。だけど……うわあっ!」


 今度は鼻先にまで、サキの蹴りが飛んできた。

 なんというバランス感覚と、体幹の強さであろうか。当たっていたら、たぶん鼻が折れていた。


「だから、心配なんかじゃねーって言ってんだろ。口で言ってもわかんねーのか、おめーは」


「て、照れかくしでそんな殺人的な蹴りを繰り出さないでください!」


「うるせえ」


 切れ長の目に物騒な光をちらつかせながら、サキがにじり寄ってくる。

 バランスボールにまたがったままだったので、はたから見れば遊んでいるようにしか見えなかったかもしれないが、瓜子は少なからず生命の危険を感じることになった。


「何してんの! 楽しそう!」


 と、素っ頓狂な大声が、瓜子の背後から響きわたる。

 別に確認しなくても声の主はわかりきっていたが、瓜子はサキから十分な間合いを取ってから、そちらを振り返った。


 ピンクとホワイトのツートンカラー。その艶かしい肢体にぴったりと吸いつくラッシュガードとスパッツに着替えたユーリが、瞳を輝かせながら、そこに立っていた。


「ああ、ユーリさん、早かったっすね。いつのまに来てたんすか?」


「うん! これなら置いてけぼりにならないぞと思って、声をかける前に着替えてきたのだ! もうウォームアップまで終わっちゃった?」


「いや、ストレッチが終わったばかりです」


「だったらユーリも追いつくから、ほんのちょっぴり待っててね!」


 と、ユーリはマットにしゃがみこみ、それでも手を抜かず入念に身体をほぐし始める。

 溜息を呑みこみつつサキを振り返ると、切れ長の目が「よけいなことを喋ったら殺す」とばかりに燃えていた。

「わかってますよ」と目で答えてから、瓜子もユーリのかたわらに腰を下ろす。


「あのね。さっき、アキくんからメールが届いたよ!」


「え? 今度はどういうご用件っすか?」


「えっとね、うり坊ちゃんに会えて嬉しかったって! ちょっとイメージと違ってたけど、とってもかわゆらしい女の子だとホメておりましたぞ」


「イメージと違うって……あっちは自分のこと、知ってたんすか?」


「そりゃあそうでしょ。ユーリが黙ってられるわけないじゃん! ユーリにとっては、一番大事な相手なのに!」


 一瞬、ドキリとした。

 一番大事とは……どちらが?


「よかったら、一緒にまた遊びましょうねって。アキくんは夜のお仕事だから、なかなか都合があわないんだけどさぁ。お誘いがあったら、うり坊ちゃんにも報告するねん」


「……そうっすね。そういえば、自分の友達もユーリさんには会ってみたいって、ずいぶん以前から言われてたんすよ」


 胸中の雑念を振りはらいつつ、瓜子は明るい声で答えてみせた。


「なんなら、今度はそっちのほうでも計画を立ててみましょうか」


「え、やだよ」と、ユーリは唇をとがらせる。


「アキくんとうり坊ちゃんのトリオで遊ぶのはいいけど、うり坊ちゃんのお友達と遊ぶのは、いや」


「ど、どうしてっすか? 自分の友達は、みんな女の子っすよ? それに、学校の知り合いとかじゃなくて、みんなキックの選手とかっすから、別にユーリさんをアイドル扱いしたりもしないし……」


「それでも、いや」


「そうですか? ……言っておくけど、自分の友達は噂話なんかを鵜呑みにして、ユーリさんに悪印象を抱くような人たちでもないっすよ?」


 ユーリの頑なさにちょっと苛立った声をあげてしまうと、ユーリは反抗的な目つきでにらみ返してきた。


「申し訳ないけど、ユーリはうり坊ちゃんほど心が広いわけではありませんので。うり坊ちゃんのお友達なんかとは、できるかぎりお顔をあわせたくないにょ」


「どうしてっすか?」


「だって、悔しいじゃん! この人たちはユーリと出会う前のうり坊ちゃんを知ってるんだ、とか考えたら、知らずうちに最悪な態度を取ってしまいそう! そうしたら、うり坊ちゃんだって困っちゃうっしょ?」


 とてつもない肩透かしを食らって、瓜子はずっこけそうになってしまった。


「いや、あの……そこは何とか社会人としての良識とか何とかいうやつをひねりだしてもらうわけにはいかないっすかね?」


「そんなご大層なモノの持ち合わせはございません! ユーリは独占欲の権化であり、嫉妬心の化身でもあるの! これだけ長いおつきあいでありながら、うり坊ちゃんは本当にユーリのことがわかっていないのだねぇ」


「……それはユーリさんの性格が複雑怪奇に過ぎるからだと思われます」


「あっそう。だったらもっと理解できるように洞察力を磨いてくださいまし」


 と、とてつもなく小生意気な顔つきでアカンベーをしながら、ユーリは言った。


「ユーリはうり坊ちゃんのことが大好きなの。この世で一番大切な存在なの。うり坊ちゃんがいないと生きていけないの。そんなユーリがうり坊ちゃんのお友達なんぞと遊んでみたいと思うかどうか、それぐらいのことは即座に察していただかないと、ユーリちゃんはやってられませんことよ?」


 そんな表情でそんな台詞を吐かれて、瓜子はどんな返事をすればいいというのだろうか。

 結果、瓜子は無言のまま、溜息をつくことになった。


「……だけど、ムラサキちゃんが心配する気持ちも、ユーリにはよくわかるんだなぁ。うり坊ちゃんがいつまでも独り身でいるのは心配だから、ユーリのことなどは気にせずに、早くかっちょいい彼氏さんでも作っちゃってね?」


「だから! そういうことを言うから、ユーリさんは複雑怪奇だってんですよ!」


「にっひっひ。そういうところも早く理解できるように精進しておくんなまし」


 悪戯小僧のように笑ってから、ユーリはすっくと立ち上がる。


「さて、それではウォームアップを始めましょう! 今日も楽しいお稽古の始まりだよ、うり坊ちゃん!」

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