03 不本意な追跡劇

 翌日の、午前十時。渋谷駅にて――

 何故か瓜子は、そんなに仲も良くない後輩と二人でかくれんぼに興じる羽目になってしまっていた。


「あのー、邑崎さん……こういうのはちょっと、まずいんじゃないっすかね……?」


「何がですか? いいから、きちんと隠れてください! ユーリ様に気づかれたら、どうするおつもりなのですか?」


 ハチ公の台座の陰に身をひそめた愛音が、往来のほうに視線を固定したまま、尖った声をあげる。

 もちろんその視線の先にたたずんでいるのは、ユーリだ。


 ダッフルコートにダメージデニム、それに昨晩と同じくニットキャップ・黒ぶち眼鏡・ストールの三点セットで人相を隠したユーリが、道端で退屈そうにたたずんでいる。そこそこ距離は離れていたが、人相を隠していてもユーリは目立つので、まず間違いようがない。


「いくら何でも悪趣味っすよ。これじゃあユーリさんをつけ回すストーカーと一緒じゃないっすか?」


「そんな犯罪者と愛音を同列に並べないでください! 愛音はただ、ユーリ様への絶対的な愛情だけを原動力に行動しているのですから!」


「……ストーカーって、そういうものなんじゃないっすか?」


「うるさいです! それじゃあ猪狩センパイは、ユーリ様のことが心配にならないのですか?」


「心配、っていうか……」


 瓜子はただ、意外だっただけだ。

 ユーリにプライヴェートの友人が存在する、ということと。

 それが異性であった、ということと。

 それが今風の若者であった、ということが。


(普通に考えたら、むしろ自然な組み合わせなのかもしれないけど……)


 しかし、ユーリは接触嫌悪症だ。

 なおかつ、やはり同性よりは異性を苦手としている。

 そしてまた、芸能界のほうでも色々と嫌な目にあってきたため、当世風の若者を忌避する節も見受けられる。

 恋愛の対象から遠ければ遠いほど、ユーリは他者に心を開きやすいのだろう、と思っていたのだが――それは、瓜子の認識不足だったのだろうか。


「だけどやっぱり、こんな風にこそこそつけ回すのはおかしいっすよ」


「うるさいですね。こんな土壇場で文句を言わないでください。耳触りだし、不愉快です」


「あのですね……だいたい、どうして自分がこんな格好をしなくちゃならないんすか?」


 瓜子は、愛音の持参してきた衣装一式に着替えさせられてしまっていた。

 といっても、もともと着ていたスタジアムジャンパーを奪われて、赤ずきんちゃんのように真っ赤なフードつきコートと、耳あてつきのキャスケット、それにやたらとふわふわしたタータンチェックのマフラーを巻きつけられただけなのだが――どれもこれもきわめて女の子らしいデザインをしており、瓜子にはたいそう着心地が悪かった。


「だって、猪狩センパイは恐れ多くもユーリ様と同居生活を営まれていらっしゃるのですから、どうせユーリ様にとって見覚えのある服しか持ち合わせていないのでしょう? それで尾行とか、不可能じゃないですか」


「いや、だから……」


「愛音が中学のときのコートですけど、サイズはぴったりみたいですね。よかったら、そのまま猪狩センパイにさしあげますよ。どうせ愛音にはもう着られないサイズですし」


 こちらに突きだされているその小さなおしりを蹴りとばしてやろうかな、と瓜子は真剣に思案した。

 ちなみに愛音は大きめのニット帽の内側に長い髪を収納し、ちょっとアーミーっぽいジャケットを着て、ボトムもだぶだぶのカーゴパンツである。

 ふだんはエスニックなテイストのワンピースやら何やらを好んでいる愛音なので、確かにこちらこそ別人みたいだ。


「帽子以外は、お兄ちゃんのを拝借してきたのです。本当はこんな美意識のカケラもないファッションは嫌なのですけれどね」


 いや、ふだんとは別人のようでも、意外に似合っていないこともない。

 男装の美少女か、あるいはフェミニンな美少年、といった風情だ。

 顔立ちは可愛らしいのに表情はいささかならずキツめである、というのもちょっと男の子っぽいのであろう。


「せっかくだから、カップルっていう設定にでもしましょうか。愛音もそんなに大柄ではないですけれど、猪狩センパイよりは五センチ以上も大きいですし」


「……あのねえ、邑崎さん」


「本当は、猪狩センパイとカップルだなんて、演技だとしても虫唾が走りますけれども。すべてはユーリ様のためです」


「あのねえ、邑崎さん!」


「うるさいです。……ターゲットが、出現しましたよ」


 愛音の声に、瓜子もハッと視線をめぐらせる。

 果たして、昨晩見た通りの風貌をした青年が、ユーリに近づき、声をかけているところだった。


 そんなに大柄でない、ほっそりとした青年だ。

 百六十七センチのユーリより、二、三センチ大きいぐらいだろう。

 だけど、頭が小さくて手足の長いモデル体型で、規格外のプロポーションを有するユーリと並んでも、見劣りすることはない。


 ヘアワックスでふくらませた茶色っぽい髪と、色の白い細面。

 大きな瞳に、細くて筋の通った鼻。

 頬から下顎のラインなどは、女の子みたいに繊細でやわらかい。


 タイトなシルエットの黒いコートと、やはり黒色の細身のパンツ。

 ルーズに巻いた、ストライプのマフラー。

 本当に、モデルかアイドルと見まごうばかりの美青年っぷりである。

 ただし、かの人物は芸能人でも何でもない。ユーリいわく「元・美容師で、現在はバーテンダー」だそうである。


「もともとはユーリの行きつけの美容院で働いててね。それで知り合うことができたんだよー」と、ユーリは昨晩、実に楽しそうに笑いながら、そう語っていた。

 年齢は、二十四歳。都内のマンションで、ひとり暮らし。趣味はサボテンの世話で、好きな音楽はクラブミュージック。


「何ですかそれは。アホな女が求めるイケメンの理想像ですか」


 ユーリに聞こえないところで、愛音はそんな風にぼやいていた。

 瓜子も声をひそめつつ、それに反問したものである。


「……趣味がサボテンの世話って、理想像っすか?」


「それで趣味がダーツとかサーフィンとかだったら狙いすぎでしょう? ベッタベタな設定の中にひとつだけキテレツな要素を放りこむことで、アホな女たちは狂喜するのです」


 とにかく愛音は、そういう当世風の若者が、ユーリにとって特別な存在――数少ない友人のひとりであるというのが、気に入らなくてしかたがないようだった。

 そんな昨晩のやりとりを反芻しつつ、瓜子は愛音の険悪な横顔に語りかける。


「……だけど、女性らしさを放棄するなとか、女は恋をするべきだとか、そんな風に主張してたのは邑崎さん自身っすよね?」


「それは、猪狩センパイたちに向けた言葉です! 女性としてすでに究極形態にあるユーリ様に、つまらん男の接近なんて必要ないのです!」


「ひどい言い草っすね。仮にもユーリさんのお友達っすよ?」


「……そこのところが、解せないのです。それじゃあ猪狩センパイは、あんな小洒落た今風の若者が、ユーリ様のお友達として相応しいとでも思ってらっしゃるのですか?」


「うーん……相応しくない、とは思わないっすけど……まあ、意外だったっすね」


「そうでしょう? しかもあの人物は、格闘技になど一切興味がない、むしろスポーツ全般に対して否定的だ、と、おっしゃっていたじゃないですか?」


 そう。ユーリは確かに、そう言っていた。


「ファイターとしてのユーリ様に興味がないなんて、そんなのはユーリ様の存在を半分も理解していないということです! そんな不埒者をユーリ様に近づけるわけにはいかないのですっ!」


「いや、だけど……別に恋人とかじゃないんだから、友達ぐらいにはなれるんじゃないっすか? ユーリさんも、美容やファッションについておしゃべりするのは好きみたいだし……そういうことを話せる相手は、格闘技関係じゃあんまりいないでしょうしね」


「恋人とかじゃないんだから、ですか」


 愛音が、ちらりと一瞬だけ瓜子をにらみつけ、またユーリたちのほうに向きなおる。


「猪狩センパイは、男女の友情は成立する派ですか?」


「別に。……する人はするし、しない人はしないってだけでしょう」


「そうですね。愛音の言い方がよくありませんでした。……猪狩センパイは、あのユーリ様という蠱惑的な存在を前に、世の男性陣が自分の気持ちを『友情』の範囲内に留めておくことは可能である、とお考えになられますか?」


 瓜子は、咄嗟に返事をすることができなかった。

 何せ瓜子は、昼も夜もユーリと行動をともにする立場なのである。ユーリの存在が、どれぐらい異性をひきつけるか――ユーリがこれまでにどれぐらいの数の異性にアプローチされ続けてきたかを、目の当たりにしてしまっているのだ。


 ユーリと相対することになった男性は、たったふたつの道しか選ぶことを許されない。

 求愛するか、礼儀正しく距離を取るか、だ。

 少し大仰な物言いかもしれないが、今のところ、瓜子はその2パターンしか見たことがないのである。


 才能というか、体質というか、たぶんユーリは自分の意思と関わりなく、異性を惹きつけるフェロモンだか何だかを過剰分泌してしまっている人間なのだ。ユーリが大の男嫌いでなかったら、いったいどのような人生を送っていたのか。それはそれで、恐ろしい話なのかもしれなかった。


「それで……けっきょく邑崎さんは、何が言いたいんすか?」


「だから! 愛音はあの人物に下心がない、などという夢物語を信じることができないのです! 今はオトモダチという関係性でも、自分ぐらいかっちょよければ、いつかこの女もモノにできんだろーとか考えてるかと思うと、ハラワタが煮えたぎってくるのですっ!」


「いや、だけど……」


「そうして、そんな男を大事な友人だと思われていたユーリ様が裏切られ、傷つけられることになるのが、胸が張り裂けそうになるぐらい悲しいのです! そんな最悪な未来をユーリ様に迎えさせるわけにはいかないのですっ!」


 瓜子は、少しだけ感心することになった。

 この娘も、ただ自分の独占欲に凝り固まっていたわけではなかったのだ。


「でも……もしも彼がどんな風に考えていたとしても、ユーリさんが受け容れれば、相思相愛のカップルができあがるってだけの話じゃないっすか?」


 そんなことはありえないと知りながら、一般論として瓜子は追及してみた。

 愛音は、小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。


「さきほど猪狩センパイご自身がおっしゃっていたではないですか。ファイターとしてのユーリ様を理解できない人間が、ユーリ様と恋愛関係になられるだなんて、そんな可能性はありませんし、また、その資格も存在しません。そんな冒涜的な行為が許されていいはずはないのです」


「冒涜って……オーバーっすよ」


「冒涜は冒涜です。ユーリ様は格闘技にすべてを捧げておられるのです。そんなユーリ様に対して、格闘技に理解のない男が近づくことなど、決して許されないのです」


 この邑崎愛音という娘は、ユーリがプロ選手としてデビューして以来、その魅力に取り憑かれ、試合の映像やインタビューなどが掲載された格闘技雑誌はおろか、バラエティ番組の映像やグラビアの掲載された雑誌まで欠かさずコレクションしている、という話であるのだ。


 よって、ユーリと実際に出会ったのはここ一ヶ月足らずでも、ユーリのことは大概知りつくしている。幼少時のつらい過去や、その延長上にある不幸な体質は知らないままに――それでも、ユーリがどれぐらいの真摯さで格闘技に取り組んできたかは、十分に理解できているのであろう。


(まいったなあ……)


 本当は、愛音を止めるつもりで、瓜子はここにやってきた。

 あんなに楽しそうにしているユーリをこっそり監視するだなんて、そんなのはやっぱり、ユーリに対する裏切り行為だとしか思えなかったし――そんなことは、したくなかったのだ。


 しかし、愛音は愛音で、ユーリのことが心から心配なのだろう。

 瓜子だって、もちろん心配だ。


 かの清寺彰人なる人物の姿を見て、愛音と同じような考えに陥らなかったわけでもない。世間や流行といったものに背を向けてしまった人間としての反感やら偏見というやつだって、十二分に持ち合わせてしまっている。

 あんなチャラチャラした人間には、ユーリに近づいてほしくない、という、きわめて狭量な感情だ。


(でも……)


 やっぱり、ユーリを信じたい、とも思う。

 ユーリの、人間を選ぶ目を、だ。

 ユーリはおそらく、格闘技業界においては、瓜子とサキにしか、本当の意味では心を開いていない。つまり、ユーリの鑑識眼を疑うということは、瓜子やサキを選んでくれたユーリの感性を疑う、ということであるのだ。

 そんなことは、したいはずがなかった。


「あ、ほら、移動しますよ。バレないように気をつけてくださいね、猪狩センパイ」


 そんなことを考えている間に、道端で談笑していたユーリたちも、雑踏の向こうに姿を消し去ろうとしてしまっていた。

 後輩をたしなめて渋谷駅に引き返すべきか否か、その決断もできぬままに、瓜子はユーリの後を追って足を踏み出すことになってしまった。

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