02 君の名は
そんなこんなで、瓜子たち四人は慌ただしく道場を退出することになった。
本日の練習は午後の十時過ぎにまで及んだので、道場の外は夜の街に相応しい喧騒と賑わいに包まれている。
酔漢や、けばけばしい格好をした若者ら、ちょっとあやしげな外国人、女性言葉を使う男性の群れなどをすいすい回避しながら、瓜子らは連れだって新宿駅を目指した。
「……猪狩センパイのその格好も、愛音的には、ありえないのです」
と、愛音がしつこくからんでくる。
ちなみに瓜子の本日の格好とは、ジャージの上にベンチコートを着こんだだけの、まあ瓜子にしても最大級に身軽な装いであった。
「サキセンパイは、まあ論外ですし」
サキは前述の通り、年季の入った渋いスカジャンと、膝のぬけたストレートデニム、それにすりきれた雪駄である。
「どうしてこんなに卓越したファッションセンスを有しておられるユーリ様と行動をともにしていながら、センパイ方はそれに触発された気配も皆無なのですか?」
と、持ち上げられたユーリの格好は――人相を隠すニットキャップと、黒ぶち眼鏡。さらにカラフルなストールを巻いて口もとを隠し、上着はブランドもののダッフルコート、ボトムは紫色のスキニーパンツ、足もとはレザーのロングブーツ。
ユーリにしてはとりたてて派手なファッションでもないが、背も高くスタイルも超絶的なので、お忍びの芸能人まるだしである。
ちなみに愛音のほうはというと、やはりニットの房飾りのついた帽子に、エスニックな編み込みの可愛らしいコートと、膝丈の白いワンピースに、あたたかそうなレギンス、およびムートンブーツ。手首にはウッドのブレスレットが巻きつけられ、耳にはイヤリングまで揺れている。
トレーニングウェアを収納しているのも、サキや瓜子は実用的なリュックやスポーツバッグであったが、ユーリはやはりブランドものの黒いボストンで、愛音にいたっては布製の大きなトートバッグである。そちらの二名様を見て、格闘技ジムからの帰り道であると見抜ける人間は、まあいないだろう。
「いや、あのう……ユーリはおめかしするのが好きなだけであって、どちらかというと、うり坊ちゃんたちのストイックな装いこそが、ファイターとしての正しきお姿なのでは?」
「ストイックと無精を一緒くたにしてはいけません、ユーリ様! 近所のコンビニに出かけるわけではないのですから、こんな雑な服装はありえないのです!」
「いちいちうっせーなー。そんなにアタシたちの格好が恥ずかしいんなら、ひとりでとっとと帰りゃあいいだろーが?」
「そういう問題ではありません! 愛音はこれでもセンパイ方の行く末を案じているのです! 妙齢の女性でありながら女性らしさを放棄するなんて、人生を半分捨てているようなものなのです!」
「ふーん? 嫁と餓鬼のいるスキンヘッドの三十親父に色目を使うのが理想的な人生とは思えねーけどなー」
「い、色目なんて使った覚えはありませんです! 愛音のこの気持ちは、あくまでも女性らしさを保持するための擬似的な恋愛感情なのです!」
「だから、そんな七面倒くせーことに労力を使う意義が見いだせねーんだよ、アタシは」
「どうしてですか? 気になる異性のひとりもいない人生なんて、つまらなくないですか?」
さすがは思春期まっさかりの女子高生、とでも言うべきだろうか。
しかし、去年の春先までは同じ立場であったはずの瓜子にも、まったく共感をそそられることはなかった。
「恋人が欲しいとか、思わないのですか? いや、そもそもこれまでに異性とおつきあいしたことがあるのですか、センパイ方は?」
「……そんなぶしつけな質問に答える筋合いはねーな」
「そんなことはありません! ひそやかな心情を暴露された愛音には、聞く権利があるはずです!」
「ねーよ」
「ありますです! ……猪狩センパイは、どうなのですか? それだけ可愛らしいお姿をしてらっしゃるのに、言い寄ってくる殿方などは存在しなかったのですか?」
「……ノーコメントっす。別に可愛くもないし」
「嫌味ですか? ユーリ様は別格としても、猪狩センパイだって格闘技界では指折りの美少女さんではないですか!」
「少女ってトシじゃないっすよ」
「ああ、そーいえば、おめーはキックでデビューしたとき、『美少女現役女子高生キックボクサー』とかいって騒がれてたらしーな」
「やめてくださいよ、サキさんまで! あんなのは、話題作りのための方便ですよ! とんだ恥さらしっす」
「にゃっはっは。うり坊ちゃんは、ほんとに自覚がないんだにゃあ。ユーリが男だったら、絶対うり坊ちゃんにプロポーズしてたと思うけど」
「やめてくださいってば。……邑崎さんも、にらまないでくださいよ」
「にらんでません! ……猪狩センパイもサキ先輩も、まさか同性愛者とかではないのでしょう?」
「つくづく失礼なガキんちょだな、おめーは」
「さすがにそれは、断固として否定させていただくっすよ」
「それじゃあ、どうして恋人をつくらないのですか? ……というか、そもそもお友達とかいらっしゃるのですか? 男女問わずでもけっこうですけれど」
「しつっけーなー。酒飲む仲間ぐらいだったら、そこら中にいるっての」
「え」
「え」
驚きの声をあげてしまったのは、瓜子とユーリだった。
一瞬の沈黙の後、鋭い平手打ちが失礼な後輩二名の後頭部を殴打する。
「ほうかほうか。おめーらがアタシのことをどう思ってたか、これでハッキリしたってもんだわ」
「だ、だって、サキたんにお友達がいるとか、超意外! 狼とは決して群れない生き物ではなかったにょ?」
「アタシはこれでも人間様なんだよ。牛のおめーと一緒にすんな」
「牛じゃないもん!」
「それでは、猪狩センパイは?」
「自分っすか? ……そりゃまあ、たまに電話やメールをするぐらいの友達はいるっすけど……おたがいに試合を観にいったりもしてますし」
「お相手も選手さんですか。まあ、学校でお友達が作りにくかったっていうのは理解できますけれどね。格闘技に熱中する女子ってのは、なかなか共感を得られにくいものですし」
「ま、何にせよ、この中で一番孤独な人生を送ってるのは、なんかの間違いで人間社会にまぎれこんじまったお牛様だろうなー」
「牛じゃないったら! ユーリにだって、お友達ぐらい、いるんだからね!」
「え」
このたび声をあげてしまったのは、瓜子ひとりだった。
いつも眠たげに見えるユーリの瞳が、恨みがましく瓜子をにらみつけてくる。
「にゃるほど……サキたんの怒りと悲しみが完璧に理解できたよ。サキたん、さっきはごめんなさい。心よりの謝罪を申し上げるユーリちゃんです」
「い、いや、違うんすよ、ユーリさん……」
「いいよいいよ、どーせユーリは嫌われ者だもんね! こんなユーリにお友達が存在するなんて、うり坊ちゃんには信じ難い出来事だったのでありましょう! ふーんだ!」
「そう。ひどい人なのです、猪狩センパイは」
「う、うるさいっすよ! そういう意味じゃないんですってば!」
ユーリは、接触嫌悪症である。
そんな病名が本当に存在するのかは知らないが。とにかく、他者と触れあえない体質なのだ。
触れれば、全身に鳥肌が立ってしまう。
ひどいときには、嘔吐すらしてしまう。
その原因は、幼少時のトラウマにあり――異性はもちろん、同性すらもが嫌悪の対象になってしまっている。
その事実を知る者は、ごく少ない。道場においては、瓜子とサキとコーチ陣だけで、新人門下生の愛音には、もちろん知らされていない。
それにつけ加えて、ユーリは異様に他者を惹きつける容貌と、素っ頓狂に過ぎる気性を有してしまっている。
有り体に言って、アイドルとしても、ファイターとしても、ユーリは偏執的な人気を博してしまう存在であり、それゆえに、同業者からはきわめて激しい嫉妬心や敵対心を集めてしまっているのだ。
それらのすべてに背を向けて、ユーリはファイターとしてのトレーニングに明け暮れている。
総合格闘技、MMAという競技に魅了されたユーリは、その練習や試合においてのみ、心の病をも超越して、他者と取っ組みあうことが可能になったのだ。
だからユーリは、格闘技以外のことに、興味がない。
なおかつ、格闘技を通じて得た知己の中で、ユーリが心を許せるようになったのは、瓜子が知る限り、瓜子とサキの二人のみだった。
そんなユーリに、瓜子たち以外に友人と呼べる存在がいるなどとは、瓜子にはまったく考えられもしなかったのである。
「だ、だってほら、ユーリさんと一緒に暮らすようになってもうけっこうたちますけど、友達と遊びに行くなんて話は一回もなかったじゃないっすか?」
「……それはうり坊ちゃんだって一緒じゃん」
「そりゃあまあ、昼間は仕事で夜は稽古っすから、なかなか遊んでいられる時間もないですし……」
「だから、それはうり坊ちゃんだって一緒じゃん! それでもユーリはうり坊ちゃんにお友達がいないだなんて、一度たりとも考えたことはなかったけどねー」
「ううう……すみませんでした……」
「こんな往来で痴話喧嘩してんじゃねーよ、タコスケども。アタシだって、牛に人間のお仲間がいるなんて初耳だったぜ?」
「牛じゃないってば! ユーリにだって、お友達ぐらい、いるもん!」
「本当かよ? 別に見栄を張る必要はねーんだぞ、牛?」
「牛じゃないし嘘でもないったら! そんなに言うんなら、今度、証拠を……!」
と、わめきかけつつ、ふいにユーリがいぶかしそうな表情をした。
「ちょいと失礼」と怒った顔で言い、ダッフルコートのポケットからメタリックピンクの携帯端末を取り出す。どうやらバイブ機能で着信が告げられたらしい。
「あっ! 噂をすれば、何とやら! お友達から、ひさびさのお電話だっ!」
「お友達」の部分を強調しつつ、得意顔でユーリは通話ボタンを押した。
「もしもし! おひさしぶり! どーしたのぉ、こんなお時間に?」
その間に、瓜子はこっそり残りのメンバーを観察してみた。
愛音は、「そりゃあそうだろ」という満足げな面持ち。
いっぽうサキは、「本当に本物か?」という不審げな表情。
瓜子は――きっとサキと同様の表情を浮かべてしまっていることだろう。
それぐらい、ユーリの背負った業が深いということを、瓜子やサキは知ってしまっている。あと、なかなかに人を選んでしまう、ユーリの破天荒な人柄も。
「ふみゅふみゅ。ちょっと待っててねん。……うり坊ちゃん、明日のお仕事は何時からだっけかね?」
「はい? 明日は午後の二時から、セカンドシングルのジャケット撮影っすよ」
「そっかそっか。あんがとねん。……もっしもしー? 午前中だったら、フリーだよん。朝の十時に渋谷駅集合とかでいかがかしらん?」
どうやら話はまとまったらしい。
通話ボタンを切り、ユーリはえっへんとGカップの胸をそらす。
「お友達がお買い物につきあってほしいとのことなので、明日は朝からお出かけすることになりましたっ! お仕事には現地直行することにするので、うり坊ちゃん、そこんとこよろしくねん」
「はあ、まあ、それはいっこうにかまわないっすけど……」
「牛。おめーの演技力もなかなかのもんだな」
「失礼な! 今の会話が一人芝居だったとでも!? ユーリはそこまで残念な娘さんじゃないもん!」
わめきながら、ユーリはポケットにしまいかけていた携帯端末のディスプレイを瓜子たちに突きつけてきた。
通話時間。二分十七秒。
そして――その横に表示された通話相手の名前を目にして、瓜子はちょっと息を呑むことになった。
「アキ……くん?」
「そう、
とても誇らしげに微笑みつつ、ユーリはぽちぽちと携帯電話を操作した。
「そういえば、前回遊んだときに、プリクラの画像を携帯に転送したんだった! そんなにユーリをお疑いだったら、これでアキくんの実在を証明してみせましょうぞ!」
そうして表示された画面を見て、今度は愛音の表情も凍りついた。
そこでユーリとともに、にっこりと笑っていたのは――きわめて当世風のいでたちをした、芸能人のように見目のいい細面の美青年だったのである。
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