04 それぞれの一回戦
二試合のプレマッチと、バンタム級のワンマッチが終わると、その次はもう無差別級トーナメントの一回戦だった。
まずはAブロックの第一試合、兵藤アカネ選手対、サキだ。
「ふん。あの目つきの悪いねーちゃんと、兵藤選手か。こいつはこのトーナメント戦で二番目にシビアな体格差やなあ」
同じ赤コーナーの沙羅選手が、モニターを眺めながら揶揄するようにつぶやいた。
小笠原選手はこの次が出番であるため、すでに姿を消してしまっている。
「でもまあ、二ヶ月前の暴れっぷりを見るかぎり、このサキいう選手も雑魚ではないようやな。……おっと、あんときマットに沈められたのはうり坊だったっけか」
「……………」
「アレは、いい試合やった。ひさしぶりに血が騒いだわ。兵藤選手も、油断してたら痛い目にあうやろなあ」
サキのスペックは、身長百六十二センチ、体重五十キロ。
兵藤選手は、身長百六十八センチ、体重七十九キロ。
格闘技において、二十九キロという体重差は、致命的だ。
しかも兵藤選手は、リュドミラ選手と同じく、柔道世界選手権第二位という功績を有しており、現在は柔術の道場に所属する、寝技のスペシャリストである。
四試合ある一回戦の中でも、とりわけ番狂わせを予想されていなかった組み合わせであろう。
しかし、サキは勝利した。
予選試合でマリア選手を完全な形で仕留めることのできなかった兵藤選手は、序盤から積極的だった。三試合を勝ちぬかなくてはならない過酷なトーナメント戦であるために、短期決戦を狙っていた、という思惑もあったのだろう。
猛牛の二つ名に相応しい突進力でサキを追いこみ、グラウンドに引きずりこもうとする。サキはストライカーであり、しかもそれだけの体重差であったのだから、ひとたびのテイクダウンで、兵藤選手は勝利を得ることができたはずだ。
しかし、それでも勝利したのは、サキだった。
攻め急ぐ兵藤選手を焦らすかのように、華麗なステップワークで距離を取り、時には右ジャブと右ローで牽制し、サキは相手を翻弄し続けた。そんな展開が三分以上も続けられたのち、兵藤選手が強引に両足タックルを仕掛けてきたところで、サキは奥足からの前蹴りを繰り出したのである。
サキの右足は狙いたがわず、兵藤選手の下顎を撃ちぬいた。
その一撃で、兵藤選手は昏倒してしまった。
三十キロ近く体重差のある相手をKOすることなど、本来はほぼ不可能な所業だ。だがこの際は、兵藤選手の突進力が仇となった。
自身の重量と、踏み込みの深さ、瞬発力、それらのすべてがカウンターの破壊力と化して、兵藤選手の頭蓋骨の中身を揺らし、意識を強奪してしまったのだった。
一瞬の沈黙の後、会場は大歓声に包まれた。
『い、一ラウンド、三分十五秒、フロントキックによるKOで、サキ選手の勝利です!』
プロ意識の権化であるリングアナウンサーですら、その舌が少し回っていなかった。
それほどの大番狂わせであったのだ。
「すごい……」
ふだん通りの仏頂面でレフェリーに右腕を掲げられているサキの姿をモニターごしに見つめながら、瓜子も思わずつぶやいてしまう。
さしもの沙羅選手も、呆気に取られた様子で口をつぐんでしまっていた。
「……ま、サキたんが一回戦目で消えるわけないからねぇ」
その言葉にびっくりして振り返ると、ユーリはいつもと同じ表情で、にこにこと笑っていた。
◇
二戦目は、Bブロックの第一試合。『ストライク・イーグル』の異名を持つ小笠原選手と、『ダッチ・ハリケーン』の異名を持つローザ・ブランコ選手の一戦である。
小笠原選手は武魂会の無差別級チャンピオンであり、ローザ選手はWAKFの元ライト級チャンピオン。どちらも《アトミック・ガールズ》においては屈指のストライカーであった。
また、オランダ出身のローザ選手は、かつて来栖選手や兵藤選手にも勝利したことのある、名うてのベテラン選手でもある。小笠原選手がデビュー三年目の新鋭であることを考えると、これもまた世代交代をかけた新旧対決と銘打つことができただろう。
そうして世代交代は、無事に果たされることになった。
もともとの登録選手の中では最強の外国人選手と評されていたローザ選手を相手に、小笠原選手はストライカーとしての実力差を見せつけることになったのである。
長いリーチを活かしてのヒット&アウェイ。空手流の重い打撃。軽妙なステップワーク。ローザ選手が苦しまぎれに組みついてきても、長い腕で突き放し、膝蹴りで応酬する。小笠原選手もまた、苦手なグラウンド戦にひきずりこまれることなく、こちらは二ラウンドの半ばでKO勝利をもぎ取ることができた。
「……強いなぁ。リュドミラ選手に勝てたら、準決勝のお相手は小笠原選手かぁ」
瓜子にだけ聞こえるように、ユーリはそっとつぶやく。
「本当に、小笠原選手は来栖選手より強いのかも! 何だかドキドキしてきちゃうよぉ」
レオポン選手との邂逅と、それにサキの劇的なKO勝利にかき乱された気持ちを修復できぬまま、瓜子は「そうっすね」と答えた。
本当に、化け物のように強い選手だらけだ。
そして、それに続く三戦目においては、全選手の中でもっとも輝かしい戦績を持つ、化け物の中の化け物が、ついにリングに姿を現したのだった。
Aブロックの第二試合、ベリーニャ・ジルベルト選手対、沙羅選手の一戦である。
◇
ベリーニャ・ジルベルト。
身長百六十八センチ。体重六十キロ。年齢は二十四歳。
ブラジリアン柔術の名門・ジルベルト家の末裔にして、《スラッシュ》の元・無差別級王者。
生ける伝説と呼ばれながら、来日経験がほとんどなく、また、日本国内では《スラッシュ》の試合を目にできる機会がほとんどないため、よほどの格闘技ファンかマニアでなければ実情を知ることもない。そういう意味でも伝説のごとき存在である。
その生ける伝説が、数年ぶりに、日本にやってきたのだ。
開会セレモニーではまだパーカー姿だったベリーニャ選手は、トレードマークである黒の柔術衣で入場してきた。
あちこちがワッペンで彩られており、その胸には『Gilbert・J・A』の文字が、上腕のあたりにはブラジルの国旗が刺繍されている。
こちらは日本においても嫌というほど高名な、ジルベルト柔術最強の男ジョアン・ジルベルトをたったひとりのセコンドとして引き連れて、ベリーニャ選手が《アトミック・ガールズ》のリングに立ちはだかった。
『無差別級王座決定トーナメント、Aブロック一回戦、第二試合、五分二ラウンドを開始いたします!』
リングアナウンサーが、朗々と声を響かせる。
『青コーナー。百六十八センチ。六十キログラム。ジルベルト柔術アカデミー所属。《スラッシュ》元・無差別級王者。《S・L・コンバット》無差別級、二連覇……ベリーニャ・ジルベルト!』
大歓声の中、漆黒の柔術衣を脱ぎ捨てて、頭ひとつぶんも背の高い兄にそれを手渡す。
その下から現れたのは、野生の動物のようにしなやかな肉体だ。数字よりもずいぶんほっそりとして見えるが、同時にまた、とほうもない力と躍動感に満ちあふれてもいる。
黒い半袖のラッシュガードにハーフのスパッツ、という何のへんてつもない試合衣装だが、映画出演にモデル業までこなすベリーニャ選手である。目の前の沙羅選手に劣らぬほど見目は麗しく、それでいて、かもしだされる空気は異様なほど静かだった。
アップにひっつめた長い黒髪。夜の湖を思わせる大きな瞳。浅黒い肌。彫りの深い、端正な顔立ち。すらりとした体格。
これが、女子格闘技界最強の選手なのだった。
『赤コーナー。百六十七センチ。五十五・五キログラム。NJGP所属。NJGPジュニア・チャンピオン……沙羅!』
ベリーニャ選手にも引けを取らない大歓声の中、沙羅選手は小さく右腕を振りかざす。
初陣こそユーリに敗れたが、その後の二戦では勝利をおさめて面目を躍如した、ミドル級のホープである。
こちらもモデル業やタレント業の活躍いちじるしく、人気は高い。
半分だけ金色に染めた髪を複雑な形に編みあげて、今日もグリーンとブラックの試合衣装に身を包み、沙羅選手は恐れげもなくベリーニャ選手と向かい合っていた。
どちらもそれぞれ階級など意識せず、自然に鍛えあげた身体で闘うことを信条とした、二人の選手である。
《アトミック・ガールズ》におけるミドル級、世界標準においてはフライ級の五十六キロより少しだけはみだしたベリーニャ選手と、少しだけ上限にゆとりのある沙羅選手。どちらも無差別級の体格ではない。
パワーではなく、スピードとテクニックで自分よりも大きな相手を倒すことのできる、言ってみれば同タイプの選手による対戦だった。
「ううう。ベル様、頑張れ! 沙羅選手もほどほどに頑張れ!」
入場口の扉の隙間からその様子をのぞきこみつつ、ユーリが小声で応援の声をあげている。
このすぐ次が自分の試合なのだから、そんな余裕はないはずだろうに……と苦々しく思いつつ、瓜子も目を向けずにはいられなかった。
この試合の勝者が、二回戦ではサキと対戦するのだ。
沙羅選手は、世界最強の女子選手に一矢報いることができるのだろうか?
「ファイト!」
ゴングが鳴り、レフェリーが腕を振り下ろす。
それと同時に、ベリーニャ選手が青コーナーを飛び出した。
低い体勢だ。明らかにタックル狙いである。
なめるなよ、とばかりに、沙羅選手も腰を落とす。
が、二人の身体が接触する寸前、ベリーニャ選手の黒い弾丸じみた突進が、沙羅選手の左手側にそれた。
のばしかけていた沙羅選手の左腕をかいくぐるようにして、ベリーニャ選手の両腕が、沙羅選手の左足にからみつく。
もちろん沙羅選手はとっさに相手の右肩と後頭部を手で押さえ、倒れまいと踏ん張った。
それでもベリーニャ選手の突進は止まらない。
片足立ちの不安定な体勢で、沙羅選手はぴょんぴょんと後ずさる。
そのままコーナーにでももたれてしまえば、反撃のチャンスだ。
が、沙羅選手の身体がそこまで到達する前に、ベリーニャ選手の身体が、きりもみ回転した。
相手の左足を抱えこんだまま、背中からマットに倒れこむようにして、沙羅選手に投げ技を仕掛けたのである。
柔術の技ではない。
プロレスの、ドラゴンスクリューそのままの投げ技だ。
さすがに意表を突かれた沙羅選手は、見事に一回転して肩口からマットに落ち、倒れこんだその身体の上に、ベリーニャ選手がするりとまたがった。
あっというまの、マウントポジションである。
相手の胸部を抱えこもうとする沙羅選手の顔を無慈悲に押し返しつつ、ベリーニャ選手がパウンドを打ち下ろす。
いや、パウンドではなく、手の平による掌打だ。
顔面や、こめかみや、耳の裏に、機械のように的確な掌打が雨あられと落とされる。
沙羅選手は頭を抱えこみ、たまらず身体を半身にした。
その喉喉もとに、ぐいっとベリーニャ選手の右腕がねじこまれる。
沙羅選手は、慌ててまた上を向こうとする。
しかし、ベリーニャ選手のボディコントロールが、それを許さなかった。
沙羅選手の背中側に身体を落とし、深く右腕をねじこみながら、足には足をからめていく。
両者が真横を向いた状態で、完全にバックマウントのポジションになった。
沙羅選手とて必死に抗っているはずなのに、まるで無意味のようだった。
完全に沙羅選手の首を巻き取ったベリーニャ選手の右腕が、自分の左上腕をつかみ、右手首をはさみこんだその左腕が、沙羅選手の後頭部へと回されていく。
チョークスリーパー、リア・ネイキッド・チョークだ。
完全に入った。
レフェリーが確認の声をあげるより早く、沙羅選手は右手で相手の腕をタップした。
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