ACT.5 二人のサマータイム

01 歓喜のビーチタイム

「やったぁ、海だぁっ!」


 ビキニ姿で、ユーリがはしゃいでいた。

『P☆B』からプレゼントされた、この夏の最新モデルである。ユーリのイメージカラーでもあるピンクとホワイトのストライプで、首の後ろと腰の左右で蝶結びにしたリボンがひらひらと揺れている。


 神奈川県は藤沢市の、とあるビーチ。時は八月。天気は快晴。絶好の海水浴日和であることに間違いはない。


 ゆえに――ビーチは、人でごった返している。

 そんな中にビキニ姿のユーリが割って入るということは、それはもうちょっとした爆弾を投下するようなものだった。


 誰もが、ユーリを振り返る。男も、女も、若者も、若くない者も……ユーリの言語を絶した吸引力やら破壊力やらと無縁でいられるのは、せいぜい年端もいかない子どもたちぐらいのものだった。


 そんな視線などどこ吹く風で、砂浜に降り立ったユーリは「うひゃほい!」と雄叫びをあげている。

 でっかい麦わら帽子とサングラスで人相を隠しているが、ビーチにいる人間の何人かは、もうその正体に気づいてしまっているのではないだろうか。何せユーリは異様に目立つし、だいたいその水着は、現在発売されている有名ファッション誌の表紙で着用しているのと同一のアイテムなのだ。


 そして、また───


「むむ? うり坊ちゃん、キミはいつまでそのようなモノにくるまっているのだねっ! 砂浜におりてまで水着姿を隠すなどというのは、海に対する冒涜だぞよっ!」


 いっそこのまま人混みにまぎれて消えてしまおうかと画策していた瓜子のほうを振り返り、ユーリが馬鹿でかい声で言った。

 まずい、と瓜子は身をひるがえそうとしたが、タッチの差で襟首をつかまれてしまう。


「いや、自分のことはおかまいなく! どうぞ楽しんで来てくださいよ! 自分は荷物番でもしてますから……」


「ぷはははは! おかしなことを言うね、うり坊ちゃんは! ひとりぼっちで遊んでも楽しいわけがないじゃあないかっ! さあ、覚悟を決めたまえっ!」


「うわわ、ちょ、ちょっと! ストップ、ユーリさん!」


 必死にもがいたが、ユーリの馬鹿力にあらがうすべなどあろうはずもなく、瓜子は問答無用でビーチタオルをはぎ取られてしまった。

 あわてて両腕でガードしようとしたが、どこを隠せばいいのかもわからない。ユーリのかき集めた視線の余波を満身にあびながら、瓜子は羞恥のあまりぶっ倒れそうだった。


「うん! かーわゆい! うり坊ちゃんはやっぱり黒が似合うねぇ」


「う、う、うるさいっすよっ!」


 瓜子が着ているのもまた、やはり『P☆B』の最新作───黒字にショッキングピンクでふちどりのされた、何というか、いわゆる普通の、ビキニなのだった。


 ふだんは決して、ビキニなど着ない。着ないといったら着ない。もともと海やプールなどそんなに好んで行くほうではなかったから、自前の水着など、実家を離れる際に置いてきてしまったぐらいだ。


 職業柄、瓜子は手足に生傷が絶えないので、そんなに肌を露出する行為を好まないのだ。今はまあ、最後の試合から三週間ほども経過しているし、目立った青アザなどもないが、それとこれとは話が別である。

 こんな露出度の高い水着は気恥ずかしいだけだし、それに、とある事情から、瓜子はこの姿をできるだけ人目にはさらしたくなかったのだ。


「ふーん……確かに肌は綺麗なんやなぁ、自分。さすが『ミリアム』の巻頭を飾るだけはあるわ」


 と、敵対心まるだしの関西弁が、瓜子の急所をグサグサとえぐる。

 巨大なビーチパラソルを肩にかつぎ、ビニール製のバッグを逆の手にぶら下げた、力強くも魅力的な水着姿の女性――言わずと知れた、沙羅選手である。


「スタイルは並やけど、それをカヴァーできるぐらいの美肌ってことは認めたるわ。師弟そろって小憎たらしい連中やなあ。化粧水にトウガラシでも混ぜたろか」


「や、や、やめてくださいよ、沙羅選手! 自分はユーリさんの弟子になんてなった覚えはありません!」


「あん? プロファイターとしては自分のほうが先輩らしいけど、モデルとしてはこの白ブタが師匠やろ? 『P☆B』のカタログかて、きっちりチェックさせてもろたで」


 瓜子は、本当にぶっ倒れそうになった。

 悪気はないのだろうが、トラウマを直撃だ。


「やめてください! 本当に! アレはきっと、現実じゃなくて夢なんです! あんなカタログは、本当はこの世に実在しないんですよ!」


「何やけったいなおチビやなぁ。……おおい、白ブタ、可愛いお弟子はんが何やら瀕死になっとるでえ」


「むにゅ? ダメですよぉ、沙羅選手! ユーリの大事なうり坊ちゃんをいじめないでくださぁい!」


 と、異様にやわらかい物体が背中から飛びついてきたが、瓜子にはもはやそれをはね返す気力さえなかった。


 有名ファッション誌、『ミリアム』七月号───モデルとしても格段に仕事の増えてきたユーリは、そこで表紙と巻頭の水着特集ページを飾ることになったのだ。

 それはいい。それはいいのだが、問題は、カメラマンのほうにあった。


『ミリアム』に雇われたのは、あの、『P☆B』のカタログ撮影の際に出会ってしまった坊主頭でメガネでヒゲの痩せ型中年カメラマンで、彼の要望により、瓜子はまたもや撮影地獄へと引きずりこまれてしまったのだった。


 しかも今回は、千駄ヶ谷女史を通じての正式な依頼だったのである。

 クライアントたるユーリのために最高の環境を整えるのがスターゲイトの責務だとか何だとか、言葉の内容はあまり覚えていない。ただ、千駄ヶ谷女史の迫力に満ちた無表情と、マンションからの退去を脅迫の道具に使われたことだけは、忘れようにも忘れられなかった。


「うふふぅ。それにしてもうり坊ちゃんはかわゆいなぁ。食べちゃいたいぐらいだなぁ。食べちゃおっかなぁ」


 と、すべすべの物体が頬ずりしてくる。

 無意識なのかもしれないが、サキと決別して以来、ユーリのスキンシップは過剰になってきている気がした。


「と、とりあえず、あんまり騒がないでくださいよ、ユーリさん。こんな格好でこんな場所まで連れてこられただけで、自分は正直、息の根が止まりそうなんすから」


 何せ有名ファッション誌の巻頭を飾ってしまったユーリと瓜子が、そのときとまるきり同じ格好で、並んで立っているのである。もしも自分の素性がバレてしまったら───と、そんな風に思うだけで、瓜子は足が震えてしまいそうだった。


(……どうしてユーリさんも沙羅選手も、あんな仕事を平気で続けていられるんだろう……)


 そんなことさえ、考えてしまう。

 瓜子はもう二年半も前から《G・フォース》のプロ選手で、先月はついに《アトミック・ガールズ》でのデビューも果たした。が、キックやMMAなどはいわゆるマイナースポーツであることだし、CS放送や格闘技専門誌ぐらいでしか人目に触れることもない。プライヴェートにおいて、瓜子が顔を指されることなどは、これまで一度としてなかったのだ。


 が、ファッション誌ともなれば、話が違う。『ミリアム』の発行部数など寡聞にして知らないが、若年の女性向けファッション誌といえば『ミリアム』か『ジュピター』というぐらいの一流誌ではあるのだ。何百か、何千か、何万か……いや、下手をしたら何十万という規模の人間があの雑誌を目にしているのだろう。


 そんな誌面に、瓜子の写真が掲載されてしまった。

 しかも、ふだんは決して着ないようなビキニ姿で。


 穴があったら入りたいとはこのことだ。本当に穴でも掘ってやろうかと、瓜子は力なく白い砂浜を見つめやった。


「よぉし、何はともあれ、UV撃退だぁ。うり坊ちゃん、日焼け止め日焼け止めぇ」


「ふん。白ブタにはきっつい季節やな。ま、ウチもこれ以上黒なったらギャル系になってまうけど」


 白い砂浜にどっかりとあぐらをかき、仲の悪い二人が仲良く並んで、日焼け止めクリームを塗りたくり始める。

 どうしてこんなことになってしまったのか……と、こっそりユーリの手もとから奪い返したビーチタオルにその身を包みながら、瓜子は今さらのように溜息をついた。


 三日ほど前、たまたま撮影スタジオで沙羅選手に出くわして、夏になり、撮影では何度もビーチまで出向いているのに、プライヴェートでは一度も行っていない、という話で盛り上がり、そして、二人のオフ日が一致した。

 それだけで、どうしてこのような事態になってしまったのだろう。


 まさかプライヴェートで沙羅選手とともに海水浴に来る日が来ようなどとは、瓜子は夢にも思っていなかった。

 ちなみにここまでの道中は、ご丁寧にも沙羅選手みずからが愛車のサファリで送迎してくれたのである。


「うり坊ちゃんも、日焼け対策したほうがいいよぉ? 日焼けしたお肌で寝技なんてやったら、すぐにタップアウトなんだから!」


「せやで。打撃技かて、ダメージ倍増や」


 念願の海水浴に来て、沙羅選手もご機嫌なのだろうか。鼻歌まじりで、小麦色の肌にクリームを塗っている。彼女がその身にまとっているのも、エメラルドグリーンの小洒落たビキニであった。


 くっきりと割れた腹筋や、見事に発達した上腕二頭筋など、いささかならず鍛えこまれた沙羅選手の肢体であるが、そこは現役のアイドルでありモデルである。それを補ってあまりある女性らしい魅力にあふれたプロポーションをしている。『ミリアム』のライバル誌たる『ジュピター』の誌面においては、ユーリたちと同様にその水着姿をさらしているのである。


 こんな二人と水着姿で行動をともにしなければいけない、というだけで、瓜子にとっては羞恥プレイのようなものだった。


「……にしても、沙羅選手って着痩せするタイプですよねぇ。実は何気にDカップ? いや、Eぐらいはありそうですにゃあ」


「85のEや。絶対負けないジャンルでケンカ売ってくるとは、天下御免の卑怯者やな、この白ブタは……どうせ自分は、90オーバーのFあたりやろ?」


「はぁい、ユーリは96のGでございますぅ。ほんでうり坊ちゃんは……うげげ、ギブギブ」


 だいぶんコツをつかめてきたチョークスリーパーでユーリの首を絞めあげていると、沙羅選手が切れ長の目でにらみつけてくる。


「75の、B……ってとこか。ま、ファッション誌ではちょうどええわ。グラドル目指すには、ちっとばっかりマニア向けになってまうやろうけどな」


「そんなもんは目指しません! 自分はアスリートで、なおかつスターゲイトの社員っすから!」


「社員ったって、契約社員やろ? こんな白ブタの付き添いやってるよりは、モデルでも目指したほうが試合度胸もつくで」


 その切れ長の目と、口の悪さに、瓜子は少しだけ胸が痛くなった。

 まさか、ユーリは――決別したサキの面影を、このライバル選手に重ねてしまったりはしていないだろうか?


「ご歓談の最中、失礼いたします」


「うわあっ!」


 突然背後から呼びかけられて、ユーリと瓜子は飛び上がることになった。

 真夏のビーチにはあまりに不似合いな、冷たい声。

 もちろんというか何というか、それはスターゲイトの千駄ヶ谷女史だった。


「せ、せ、せ、千さん? どうしたんですかぁ、いったい? 今日のユーリちゃんは、朝から夜まで完全オフでしゅよぉ?」


「ユーリ選手の仕事に関しては、私が誰よりも把握しています。たまたま仕事で近所を通りかかったものですから、ご挨拶にうかがったまでです」


「仕事……こんな海辺で、お仕事でしゅか?」


「はい。マネージメント契約しているプロサーフィン選手の練習場所がすぐ近所なのです」


 神出鬼没もはなはだしい。それに、きりりとしたスーツ姿は、灼熱の浜辺にはあまりに不似合いすぎる。


「それに、ついでと言っては何ですが、早急にお伝えしたいこともあったのです。……エントリーが、受理されました」


「……はい?」


「ユーリ選手の《アトミック・ガールズ》無差別級王座決定トーナメント予選大会のエントリーが、パラス=アテナの駒形氏に受理されました」


「ほ……本当ですか、千さん!」


「私は嘘や冗談を好みません」


 きわめて冷静に言い放つ千駄ヶ谷女史の横顔を、あぐらをかいたままの沙羅選手がななめ下からねめつける。


「アンタもスターゲイトの人間かいな? そいつは驚きのご報告やな。……この白ブタのエントリーには、どこかの誰かさんが猛反対してたはずやけど、いったいどんなマジックを使ってそいつを押し切ることに成功したんや?」


「マジック? 私は正規の手順でエントリーを申し込んだだけです。ただその際に、マッチメイクに関してひとつのご提案をさせていただきましたが」


「……マッチメイク?」


 麦わら帽子をかたむけるユーリに、千駄ヶ谷は「はい」とうなずき返す。


「予選大会は、九月に行われます。そこで勝ちぬいた五名の選手だけが、本戦のトーナメントに出場できるわけですが……貴女の対戦相手は《アトミック・ガールズ》最強の選手と名高い無差別級のエース、来栖舞選手に決定いたしましたよ、ユーリ・ピーチ=ストーム選手」

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