04 閉会式
試合の後には、閉会式というものが存在する。
その日に出場した選手がリング上に集まって、代表者が挨拶し、次回興行の宣伝などを果たしたのち、最後に記念撮影をするのだ。
試合にしか興味のない観客たちはぞろぞろと帰りはじめ、熱心なファンたちだけがその光景を見守ることになる。本日は、最終試合があっけなくも衝撃的なKO劇だったせいか、七割がたの観客たちが居残って、声援や拍手を送ってくれた。
「ユーリさん、お疲れ様です。ちょっと予想外の幕切れでしたね?」
試合後そのままリングで瓜子たちを待ちかまえていたユーリは、「ほんとだよぉ」とピンク色の唇をとがらせる。
「次のラウンドではユーリのほうから仕掛けるぞって、気合を入れてたのにさぁ。このコが勝手に試合を終わらせちゃって……えいえい、悪いコ悪いコ」
と、自分の右膝をぴしゃぴしゃ叩き始めたので、瓜子も苦笑してしまう。
「なに言ってんすか。あの魅々香選手に勝てたんすよ? それで悪いコ呼ばわりされたんじゃ、いくら何でも右膝が可哀想っすよ」
「それもそうかぁ。だけど無意識の膝蹴りだったから、実感なくてさぁ。……ま、いいや。叩いてごめんね? いいコいいコ」
本当に、たいした破壊力の膝蹴りだ。これで今後は、どの選手もユーリにはうかつにタックルを仕掛けられなくなるだろう。
進化を始めたユーリには、ますます死角がなくなっていく。
「……よぉ、白ブタ。今回もずいぶんド派手に勝ちくさりやがったもんやなぁ。憎ったらしいやつやで、ほんま」
そんな風に声をかけてきたのは、もちろん第六試合に出場した沙羅選手だった。
すでにトレーニングウェアではなく、ダメージだらけのタンクトップにワッペンだらけのワークシャツを羽織った、小洒落た私服姿である。
「あ、沙羅選手、おつかれさまでぇす。今日もかっちょいいお召し物ですねぇ」
「はん。服なんかじゃなく、試合内容をほめろや。ウチかて完勝したんやから、そうそう簡単に独走はさせへんで?」
沙羅選手と対戦したジーナ選手、ユーリと対戦した魅々香選手は、ともに病院送りとなってしまったため、姿がない。
そしてサキの姿が見当たらないことも、瓜子はさっきから気がかりでしかたがなかった。
もしかしたら、サキもこの閉会式を待たずして、さっさと帰ってしまったのだろうか。
実のところ、数週間ぶりにようやく顔を見れたというのに、瓜子たちはまだ一言もサキと言葉を交わせていないままだったのだ。
『ご来場くださったみなさん、そして本日の大会に参加した選手のみなさん、どうもありがとうございました! 本日も熱いファイトの目白押しで、私も一ファンとして大いに楽しむことができました』
と、あまり聞きおぼえのない男性の声が、マイクを通して会場中に響きわたる。
聞きおぼえのない声だったが、見おぼえのある顔ではあった。この《アトミック・ガールズ》の総責任者で、たしか花咲とかいうイベント屋の社長である。ふだんは裏方にひっこんでいる彼がマイクなどを握っているのは、なかなかに珍しい。
『ファンのみなさんに、選手のみなさん、双方に心よりの御礼を申し上げます。……そして本日、私は非常に喜ばしいニュースをお伝えしたく、このように不慣れな場へ参上する段と相成りました』
報道陣が、フラッシュをたいている。どうやら段取り通りの展開らしい。
ユーリはきょとんと目を丸くして、沙羅選手は緊張気味に口もとを引きしめていた。
太鼓腹をゆらしながら、花咲社長はゆっくりと力強く宣告する。
『単刀直入に申し上げます。《スラッシュ》の元・無差別級王者にして地上最強の女子ファイター、ジルベルト柔術の第四世代、ベリーニャ・ジルベルト選手の《アトミック・ガールズ》参戦が、このたび正式に決定したのです』
ほう……と、観客たちは感心したようなどよめきをあげる。
そんな中、ユーリはものすごい力で瓜子の左手を握りしめてきた。
『この参戦を受けて、《アトミック・ガールズ》はこれまで見送ってきた無差別級のタイトルを制定いたします。九月に予選大会を行い、十一月に本戦大会───出場選手八名によるトーナメント戦をとり行い、この優勝者を《アトミック・ガールズ》の初代無差別級王者と認定するものであります』
MMAの世界に足を踏み入れたばかりの瓜子には、ベリーニャ・ジルベルト選手の価値が今ひとつ実感しきれていない。
しかし、会場に居残っていた観客たちは大いに盛り上がって花咲社長の発表に賛辞をしめし、そしてユーリはわなわなと白い肩を震わせはじめていた。
『出場選手八名のうち三名の枠は、ベリーニャ選手を始めとする外国人選手に割り振り、残り五名の枠を、九月の予選大会で日本人選手に競っていただきます。出場資格は、《アトミック・ガールズ》の登録選手であること。階級や実績は問いません。これはベリーニャ選手の参戦を祝するとともに、《アトミック・ガールズ》最強の選手を決めようという非常に有意かつ冒険的な試みであり───』
「社長さん! 階級や実績を問わないってことは、ユーリにも出場資格があるってことですかっ?」
たまりかねたように、ユーリが叫んだ。
会場からは笑い声がもれ、花咲社長は折り目正しくユーリを振り返る。
『もちろんです。ユーリ・ピーチ=ストーム選手のように魅力的な選手が出場してくだされば、このトーナメント戦もいっそう盛り上がることでしょう』
その返答に、観客席のほうこそがいっそうの盛り上がりを見せた。
日本においてはテレビ放映さえされていない《スラッシュ》の元・王者などより、《アトミック・ガールズ》の看板娘たるユーリ・ピーチ=ストームのほうが、観客たちにとっては重要なのだ。
数瞬後、ユーリはくにゃくにゃと力を失って、瓜子にしなだれかかってきた。
「どうしよう……ほんとにベル様と対戦できちゃうかもだよ、うり坊ちゃん!」
「ええ、こいつは予想外の展開でしたね」
いつだったかに打ち立てた瓜子の予想は、全面的に撤回せねばならなかっただろう。
階級を度外視したトーナメント戦であるならば、ユーリにもチャンスは巡ってくる。組み合わせ次第では、他の強豪選手と当たる前にベリーニャ選手と対戦できるのだ。
しかし───感激のあまり目をうるませているユーリの反対側で、沙羅選手が皮肉っぽく口もとを歪めていることに、瓜子だけは気がついてしまった。
「まったく役者やな、タヌキ親父め。この白ブタを出場させる気なんざ、ハナからないくせになぁ。ま、ファンのみなさんの手前、そんな内部事情をさらすわけにもいかんか」
「しゃ、沙羅選手、それはいったい、どういうことっすか?」
ユーリはもう感極まって、沙羅選手のそんなつぶやきも耳には入っていないようだった。
沙羅選手の切れ長の目が、いくぶん苦々しく瓜子を見る。
「そんぐらいは自力で調べろ言うたやろ? ウチはくだらん派閥争いなんぞには関わりたくないんや。そんなことで、ウチまで出場資格を失ったらつまらんからな。……知りたいんやったら、その白ブタをエントリーさせてみろや。電光石火で横槍が入ること間違いなしやで?」
言われなくても、ユーリはエントリーするだろう。千駄ヶ谷女史だって、許可するはずだ。
果たして、ユーリは翌日の朝一番でスターゲイトを通じて無差別級トーナメント予選大会へのエントリーを申し込み、そして、沙羅選手の言葉が完全に正しかったことを思い知らされたのだった。
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