ACT.4 夏の夜の空
01 パラス=アテナ
「……どーしてユーリは、エントリーしちゃいけないんですかぁ?」
爆発寸前のダイナマイトを思わせる口調で、ユーリは静かにそう問うた。
《アトミック・ガールズ》の総本山、株式会社パラス=アテナのオフィスである。
パラス=アテナとは、《アトミック・ガールズ》の運営のためにのみ設立された会社であるからして、オフィスといっても雑居ビルの一室にすぎない。
四台ばかりのパソコンと、書類の束や雑誌の山が積み重ねられた、さほど大きくもないデスク。そこに陣取ってユーリと相対しているのは、ブッキングマネージャーの駒形という中年男性だった。
対してこちらは、ユーリと瓜子と千駄ヶ谷女史のスリーマンセルである。
瓜子などはオマケにすぎないが、怒れるユーリと冷徹なる千駄ヶ谷女史を単身で相手取る羽目になった駒形氏は、さきほどから恐縮というか萎縮しきった様子で、肉付きのいい身体を縮こまらせていた。
「いいえ、あの、エントリーしてはいけない、などとは言っておりません。名目上、ユーリ選手にも出場資格は存在するわけですから……ただ、何とかエントリーをご遠慮願うことはできないかと、こちらからお頼みしているわけでして……」
「だから、それは、どうしてなんですかぁ?」
「えぇと……ですから、それは……そう、ユーリ選手は層の薄いミドル級を支える中核的な存在であり、まずはそちらでタイトル挑戦を目指していただきたい、というのが我々の方針なのです。魅々香選手に勝利した今、タイトル挑戦ももう目前なのですから、ここはミドル級一本に照準を定めていただいてですね……」
「そんなのイヤだっ! ユーリだって、ベル様と闘いたいっ!」
実にあっさりと爆発して、ユーリはバンッとデスクを叩く。
わかりきっていたことだが、ユーリの導火線は非常に短いのである。
《アトミック・ガールズ》七月大会から二日後の、夕刻だった。
沙羅選手の予言通り、無差別級王座決定トーナメントのエントリーを拒否されてしまったユーリは、「電話じゃラチが明かない!」とわめき散らし、こうして《アトミック・ガールズ》の心臓部にまで乗りこんできたのだ。
「駒形さん。御社の方針はよく理解できました。ユーリ選手にはミドル級の試合に集中してほしいという、それ自体は理にかなったご提案だと思います。無差別級とミドル級、それぞれを異なるアプローチからプロデュースしていくというのは、商業的にも正しいご判断だと思いますので」
いつも通りの冷静な口調で千駄ヶ谷女史が言い、駒形氏はほっとしたような顔になり、ユーリは「そんなーっ!」と飛び上がった。
「千さん、ひどいですよぉ! 千さんは、いったいどっちの味方なんですかぁ? ユーリは絶対、ベル様と闘いたいのにぃ!」
「業務をこなすにあたって、敵だ味方だという考え方をしたことはありません。私は常に、ユーリ選手にとって最も望ましい環境をつくりあげることに尽力しているだけです」
「だったら! 無差別級トーナメントにエントリーすることが、今のユーリにとっては一番望ましい環境なんですよぉ」
「それはどうでしょう? 興行主の意向を無視してまで他階級のイベントに乗りこむことが、現在のユーリ・ピーチ=ストーム選手にとって最善の道かどうか、私には疑問です。いよいよミドル級の首位争いに参加できるようになったこのタイミングで、体格的に不利な無差別級に挑むことが、果たして本当に最善の道なのでしょうか?」
「…………」
ユーリは赤くなったり青くなったりしながら、金魚のように口をパクパクとさせ、最終的に、瓜子の腕にすがりついてきた。
しかし、すがりついてこられても、瓜子に何ができようはずもない。
「いやあ、ご理解いただけたようで何よりです。今後もユーリ選手には《アトミック・ガールズ》の立役者としていっそうのご活躍を……」
「お待ちください、駒形さん。弊社としましても、御社のご提案にまったく異論はないのですが……ただ、ひとつだけ気にかかることがあるのです」
と、ユーリを一刀両断した弁舌の刃先が、今度は駒形氏に突きつけられる。
「ユーリ選手と同じくミドル級のホープであられる沙羅選手は、どうされたのでしょうか?」
「……はい?」
「沙羅選手も、このたびの無差別級トーナメント開催には非常に意欲的な姿勢を示していたと聞きおよんでおります。……その沙羅選手は、エントリーを辞退されたのでしょうか?」
「……いえ。昨日のうちに申し込みがあり、私が受理しました」
何かわめこうとするユーリを手で制し、千駄ヶ谷女史はふちなしメガネを光らせる。
「そうですか。それでは、ミドル級の日本人エースたる沖選手は? 魅々香選手に、マリア選手などはいかがでしょう?」
それは、いずれもユーリがこれから打倒していかなくてはならないミドル級のトップ選手たちの名前だった。
沙羅選手と魅々香選手は、すでに打倒した。あとは沖選手とマリア選手を打ち負かせば、それこそタイトル戦などもう目前だろう。
「沖選手は……やはり、すでにエントリーされています。魅々香選手は、先日の試合で眼窩底を骨折してしまい、全治三ヶ月だそうなので、きっとエントリーは不可能でしょう。マリア選手は……まだご連絡はありませんが、まあ……エントリー、されるでしょうね……」
「だ、そうですよ、ユーリ選手?」
千駄ヶ谷女史は優雅に足を組み替えて、引き絞っていた手綱を放す。
ユーリは、再び爆発した。
「そんなのズルい! ズルいったらズルい! ミドル級の選手はみんなエントリーしてるんじゃん! どうしてユーリにだけ意地悪するのさっ! ユーリも、絶対、エントリーするぅ! するったらするの! ベル様と闘うのっ!」
「ユ、ユーリ選手、落ち着いてください……千駄ヶ谷さん、困りますよぅ」
「困っているのは、こちらです。これでは大事なクライアントたるユーリ選手を説得できそうにありません。……そして、私自身も納得することができません」
「な、納得?」
「納得です。ユーリ選手にはミドル級戦線で活躍してほしいとご提案をされながら、ミドル級のトップ選手は残らず無差別級トーナメントにエントリーさせ、ユーリ選手にのみ辞退をせまるとは、いったいどういうことなのでしょう? これで私は、何をどう納得すればいいというのでしょうか?」
「…………」
「無差別級は、ミドル級以上に日本人選手の層が薄いはずです。それゆえに、階級や実績は問わない、などという参加資格を提示されたのでしょう? そもそも、他の階級の選手が必要ないのでしたら、無差別級ではなくヘビー級と銘打つのが道理でありましょうし。……そして、他の階級から参加させるなら、もっとも体格に恵まれているミドル級の選手が中心となることは必然です。駒形さん、これはいったいどういうことなのでしょう?」
「ど、どう、と申されましても……」
たじろぐ駒形氏に、千駄ヶ谷女史はずいっと詰め寄る。
「駒形さん。貴方がたはこれまで、ユーリ選手に多大な期待をかけてくださっていたではありませんか。それが、今回に限ってユーリ選手をスポイルするというのが、私には腑に落ちないのです。ベリーニャ・ジルベルト選手の参戦、無差別級王座の認定、これほどの大イベントに比べれば、ミドル級王座へのタイトル戦など、かすんでしまうに決まっています。……ましてや、ミドル級の名だたる選手のほとんど全員がその無差別級トーナメントにエントリーされるというのなら、なおさらでしょう」
「…………」
「ユーリ選手は《アトミック・ガールズ》の看板であり、象徴だったはずです。そんなユーリ選手に、エントリーを辞退せよ、と願うのは何故ですか?」
この人が試合の対戦相手でなくて良かったな、と思えるほどの冷徹さであり、迫力であった。
株式会社パラス=アテナのブッキングマネージャー駒形氏は、頭痛でもこらえるようにこめかみをもみほぐしつつ、雄弁なため息をつく。
「わかりました。お話ししましょう。……この裁定は、実は、ある人物の意向を汲み取っての判断だったのです。あの……くれぐれも、他言無用でお願いしますよ?」
「無論です。どうぞご安心してお話しください」
「はあ……それでは単刀直入に申し上げますが、実は、ユーリ選手の無差別級への参戦を快く思わない人物がいるのです」
「どうしてですかぁ? ユーリ、なんにも悪いことなんてしてないのにっ!」
わめくユーリに、駒形は弱々しい視線を向ける。
「その通りです。ユーリ選手に罪はありません。ですが……私どもも、苦しい立場なのです。その人物は、ユーリ選手を無差別級に参戦させるようなことを許せば、自分たちは《アトミック・ガールズ》を出ていく……そして新しい団体でも立ち上げる、とまで言い張っておりまして……それは、ベリーニャ選手の参戦などとは関わりなく、それこそ、ユーリ選手のデビュー当時から、彼女たちが主張し続けていたことだったのです……」
「彼女たち……ということは、それは首脳陣のどなたかではなく、所属選手の、しかも複数名、ということでしょうか?」
「はい。代表格は一名で、残り二名はそれに追従している形ですね」
エアコンのきいたオフィスの中で、暑くもないのに駒形氏は額の汗をぬぐう。
「その代表格の選手とは……無差別級のエース、来栖舞選手なのです」
「は……」
「その意見に追従しているのは、小笠原選手と、兵藤選手……つまりは無差別級のトップスリーが、ユーリ選手の参戦を拒絶しているのです。ミドル級での活動は、いたしかたがない。しかし、ユーリ選手を無差別級に転向させるような事態が訪れれば、自分たちは《アトミック・ガールズ》を去る、と……実は、ユーリ選手を《アトミック・ガールズ》でプロデビューさせる、という企画自体に、彼女たちは最初から猛反対をしておりまして……それを何とかなだめるために、当方としても彼女たちの要望を受諾するしかなかった、ということなのですね……」
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