02 真なる強豪

「うり坊ちゃん! おっめでとう!」


 控え室に戻るなり、ものすごい力で抱きすくめられた。

 誰に、などとは言うまでもないだろう。


「デビュー戦で秒殺なんてすごい! しかもKOじゃなく、タップアウト! うり坊ちゃんはユーリの誇りだっ! ライト級をゆるがす超新星だっ!」


「ちょ、ちょっとちょっと、オーバーっすよ、ユーリさん。これは相手が本調子じゃなかっただけなんすから」


 控え室にはさまざまなジムの選手が控えているのだから、これはあまりにもバツが悪い。

 しかも最近では「鳥肌」の呪文も効かなくなってしまったので、瓜子にはユーリの怪力を振りほどくすべも残されていなかった。


「それに、秒殺でもないっすよ。一分以上かかってるんすから」


「ちっちっち。昨今では百秒以内に終われば秒殺とみなされているのだよっ! とにかくおめでたい! おめでたいぞ、うり坊ちゃん!」


「わかりました。わかりましたから、ちょっと落ち着いてください、ユーリさん」


 その丸っこい背中をタップすると、ユーリはようやく離れてくれた。

 が、瓜子の両肩をわしづかみにしたまま、至近距離から見つめてくる。

 その顔は心底から嬉しそうに笑っており、瓜子はますます扱いに困ってしまう。


「うにゃ? うり坊ちゃんは、デビュー戦を華々しい勝利で飾った直後であらせられるのに、ずいぶんクールに決めておられるのね?」


「はあ。まあ、先輩様にひとしきり説教をくらった直後なもんで」


「いくら実力差があったって、余裕をかますには百年早いだろ。絞め技なんざ狙わねえでタコ殴りにしてやりゃあ、もっとノンリスキーに勝てたっつう話だよ」


 と、そのおっかない先輩様が、瓜子の足を蹴っ飛ばしてくる。


「相手を押さえつけたまんま膝蹴りの二、三発でもぶちこんでやりゃあ、それだけでタップしてたろうさ。お前さんは必死さが足りねえよ、猪狩」


「……押忍。すみませんでした」


「サイトーはキビしいねー。デビューセンをカンショーしたんだから、もっとホめてあげればイいのに」


 と、ジョンまでこちらに寄ってきた。


「タちワザでもネワザでも、ウリコがアットウしてたねー。アイテセンシュにはキのドクだけど、レベルがチガうってカンじだったよー」


「押忍。ありがとうございます」


 ほめられたらほめられたで、今度は気恥ずかしくなってきてしまう。

 しかし何にせよ、瓜子はデビュー戦を勝利で飾ることができたのだ。

 サキやユーリが闘う、《アトミック・ガールズ》のリング上で。

 長年の夢であった、MMAの舞台で。

 これで嬉しくないわけがなかった。


 ただ、何だか気持ちが落ち着かない。

 試合は無事に終わったのに、喜びにひたりきることができない。

 それはたぶん、あまりにもあっけなく試合が終わってしまったということと、それに、自分の試合と同じぐらい大事で気にかかる試合がこの後に二試合も控えているからなのだろうなと思われた。


                 ◇


 そんな瓜子の複雑な心境もよそに、その後の試合は順当に進んでいった。

 注目の第六試合、沙羅選手対ジーナ・ラフ選手の一戦は、第二ラウンド二分六秒、沙羅選手の勝利に終わった。


 キックの元世界王者と立ち技で互角に闘いぬき、最後は両足タックルから、ジーナ選手のお株を奪うようなパウンドの嵐、そして得意の腕ひしぎ十字固めを極めて、レフェリーストップ。控え室に戻ってきたジーナ・ラフ選手は、顔面のあちこちを青黒く腫らしており、閉会式を待たずに病院へと直行してしまった。


「やっぱり強いなぁ、沙羅選手は。……正直なところ、今までユーリが対戦してきた中で一番強いのは、この沙羅選手じゃないかと思うんだよねぇ」


 他の選手には聞かれないよう、瓜子の耳もとにピンク色の唇をよせながら、ユーリは小声でそう囁いた。


                  ◇


 そして、第七試合。

 サキ対、奥村選手。

 ここで少し、波乱が起きた。

 第一ラウンド開始早々、サキが相手の右フックでダウンを喫してしまったのだ。


 対戦相手の奥村選手は、ヒロ・イワイ柔術道場所属の選手で、立ち技においては荒っぽいフックの連打ぐらいしか武器のない、寝技主体のグラップラーだった。

『サムライキック』の異名をとり、華麗なハイキックでKOの山を築いてきた、ライト級のチャンピオンにして随一のストライカーであるサキと、立ち技で渡り合えるような相手ではないのだ、本来は。


 ダウン後は、いつもの調子を取り戻して相手を翻弄し、一度として寝技に引きこまれることもなく、一ラウンド三分五十二秒、必殺の燕返しでKO勝利。

 無事にチャンピオンとしての面目は守ったが、瓜子としては手放しで喜ぶ気にはなれなかった。


「サキさんのダウンなんて、ひさしぶりに見ました。やっぱり調子がイマイチなんすかね?」


「んー。やっぱしメンタルの問題かにゃあ。でも、けっきょくKOで勝てたんだから、心配はいらないよ!」


 ユーリの笑顔は、ふだんの通りである。

 サキのことを、信頼しているのだろう。確かに瓜子などがそこまで気をもむのは、さしでがましいことなのかなとも思える。

 だけど、心配なものは心配だ。

 今日ぐらいはマンションに帰ってくればいいのにな、と瓜子は心中でそう独りごちた。


                 ◇


 そして、メインイベントである。

 ユーリ・ピーチ=ストーム対、魅々香。

 それまでの試合とは比較にならぬほどの大歓声が、観客たちの期待感を如実にあらわしていた。


『青コーナー。百六十七センチ。五十五・九キログラム。フリー……ユーリ・ピーチ=ストーム!』


 毎回華やかな衣装で観客の目を楽しませてくれるユーリ選手の本日のいでたちは、ホワイトをベースにピンクのラインでアクセントをつけた、ふだんよりは少しだけスポーティなデザインの、ハーフトップとショートのスパッツだった。

 過剰なフリルやリボンはない。が、もともとプロポーションそのものが過剰なユーリであるので、本日もファンの皆様は大満足のご様子である。


『赤コーナー。百六十五センチ。五十六キログラム。天覇館東京本部所属……魅々香!』


 いっぽうの魅々香選手といえば、ミドル級のトップファイターというだけでなく、その異質な風貌と独特のファイトスタイルで有名な選手だった。


 まず、女性であるにも拘わらず、髪と眉をつるつるに剃りあげてしまっている。それだけで、女性としては異相と言えるだろう。

 おまけに、ぎょろりと大きい落ちくぼんだ目と、軟骨が潰れて歪んだ鼻筋、げっそりとこけた頬に、大きな口、という、どことなく爬虫類を思わせる無機質な顔立ちをしており、一見では男か女かもよくわからない。中性的というよりは、性別など存在しない別種の生き物みたいな雰囲気を漂わせているのだ。


 試合衣装のタンクトップとハーフパンツは、どちらも黒地で装飾性は皆無である。

 ただ、胸には大きく『天覇館』の名が刺繍されている。


 体形は、腕が長く、背中が広い。

 特に後背筋の発達具合などは、男子選手顔負けだ。

 おそらくは前日計量までにそうとう絞り込んだ上で、当日には五キロばかりもリカバリーしているのだろう。

 むきだしになった腕や足にはごつごつとした筋肉の線が浮いており、女性らしいやわらかさなど、どこを探しても見当たらなかった。


(何ていうか……迫力が違うよなあ)


 サイトーらとともに控え室のモニターを見守りながら、瓜子はこっそりユーリの健闘と無事を祈る。


《アトミック・ガールズ》の頂点、無差別級のナンバーワン選手・来栖舞くるす まいも所属している天覇館は、国内において屈指の古い歴史を持つ総合格闘技道場の一派である。


 キャッチレスリングを母体とする格闘系プロレスとも、十数年前に逆輸入されたブラジリアン柔術とも異なる、空手と柔道の融合を発祥とする、言ってみれば日本独自の総合格闘技道場なのだった。


 もちろんこの十数年でレスリングやキックボクシング、それに柔術の技術も取り入れて、近代的に改良は為されてきたが、どことはなしに「武道」の気配が濃く漂っている。《アトミック・ガールズ》に参戦している天覇館の選手はいずれも寡黙で、ストイックであり、そして強かった。


 そして、何を隠そうこの魅々香選手も《アトミック・ガールズ》におけるミドル級のトップファイターでありながら、《G・フォース》においてはフェザー級第二位の座を獲得しており、しかもブラジリアン柔術においても茶帯の腕前なのだった。


 年齢は二十六歳。雑誌や番組で掲載される二つ名は『海坊主』、あるいは『豪腕のオールラウンダー』。

 立ち技でも寝技でも十分な実力を兼ね備えた、真の強豪選手なのである。

 ユーリにとって、過去最強の対戦相手であるということに間違いはなかった。


「ファイト!」


 大歓声の中、ゴングが鳴る。

 ユーリはムエタイスタイルのアップライト、魅々香選手は脇を開いて重心を落とした、独特の構えだ。


 天覇館の選手は、選手によってファイトスタイルが千差万別である。

 その中で、この魅々香選手はいくぶん変則的な打撃技を得意とする選手だった。


「さぁて、ジョン=アリゲーター=スミス直伝のムエタイスタイルが、このタコ入道にどこまで通用するか、見ものだな」


 サイトーは、両腕に刻まれた風神と雷神のタトゥーを組み合わせつつ、興味深げにそうつぶやいた。《G・フォース》にも参戦している魅々香選手は、サイトーにとっても顔なじみの相手なのだ。


 魅々香選手は左のリードジャブを繰り出しつつ、ユーリの周囲を回り始めている。

 ユーリがカウンタータイプであるため、対戦相手は体格などに関係なく、たいがい自分が回る役を受け持つことになるのだ。

 相手の拳をパーリングしながら、ユーリも慎重に間合いをはかっている。


「あっ!」


 瓜子は、思わず声をあげてしまった。

 ふいに繰り出された魅々香選手の右ストレートが、両腕のガードの間をぬって、スパンとユーリの頬を打ったのだ。


 一瞬遅れて、前蹴り気味のローキックが、魅々香選手の左膝上を打つ。

 ユーリのローより、魅々香選手のストレートのほうが速い。

 速い上に、射程距離も長い。

 これが第一の懸念事項だった。


「このタコ入道は、身長と比べて腕が長えからなぁ。パンチ勝負の苦手なアイドルちゃんには厄介な相手だろ」


 そう、ユーリは長身の上に、見た目の印象よりも手足が長いため、同じ階級の選手が相手ならば、たいていリーチで勝っているのだ。

 しかし、魅々香選手も腕が長い。それに加えて肩幅も広く、それを活かしたパンチの打ち方をしている。

 おたがいに相手の外側を取ろうと回りながら、少しずつ後方に下がらされているのは、ユーリのほうだった。


「……来るぜ」


 魅々香選手が、一気に踏み込む。

 ユーリの、左ロー。

 それをカットし、さらに前進。

 魅々香選手の速いワンツー。右のロー。

 そして、オーバースイングの、右フック。


 ユーリのガードのさらに外側に回りこんだ魅々香選手の右拳が、栗色の髪をなびかせた側頭部にヒットした。


 ユーリの身体が、ぐらりと傾く。

 魅々香選手が、たたみかける。

 低い姿勢で、左のショートアッパー。右ストレート。右のロー。左のジャブ。

 さらに、右フック。


 ユーリは倒れ、「ダウン!」の声が響いた。

 ほうっ……と、控え室中の人間が小さく息をつく。

 ユーリがダウンを喫するのは、沙羅選手との試合以降、初めてのことであった。

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