03 思わぬ再会

 撮影スタジオの一階にあるエントランスホールにて、瓜子は脱力しきっていた。

 遺書でも書くべきか。親にお別れの電話でも入れるべきか。虚空を見つめながらそんなことを考えていると、さきほどから退屈そうにソファで身体をゆすっていたユーリがそろそろと忍び寄ってくる。


「あのぉ、うり坊ちゃん? 移動時間を考えたら、そろそろお昼をやっつけちゃったほうがいい頃合いだとユーリは愚考する次第なのですけれども……」


「…………」


「元気だしなよぉ。みんな喜んでくれたじゃん! 先生だってノリノリだったし。あやうくキャンセルになりそうだったお仕事がスムーズに進行して、きっと千さんだってほめてくれると思うなぁ」


「…………」


「それに、うり坊ちゃん、かわゆかったぁ。黒い下着もいいもんだね! カタログって、いつできあがるんだろ」


「あ……あんな写真が本当に世間の目にふれるようなことになったら……自分は、舌を噛み切って自害します」


「どうしてさぁ! あんなにかわゆかったのに!」


 心底不思議そうな顔をするユーリを、瓜子はうつろな目つきで見る。


「……あんなあられもない格好で、しかもユーリさんの隣に並べられて、写真を撮られまくったんすよ? 現段階で、すでに死にたいっす……」


「うにゅにゅ? これまた異なことを! あのねぇ、ユーリはちょいとばっかり日本人らしからぬプロポーションをしているものだから、カタログにはうり坊ちゃんみたいなモデルさんも必要なんだってよ! ……いいじゃん、Bカップ。そのかわゆらしいBカップもふくめて、ユーリはうり坊ちゃんのことが───」


「BカップBカップうるさいっすよ! 人の傷口に塩ぬって楽しいんすか!」


「何だよぉ。怒んないでよぉ。BでもGでも何でもいいじゃん。ユーリだって好きでGカップに生まれたわけじゃないし」


「はいはい、たいしたもんっすね。桃色天使にはかなわないっすよ」


「ぐわあっ! そ、その名をついに口にしたな! いかにうり坊ちゃんでも許さんぞ!」


 ユーリが顔色を変えて、つかみかかってこようとする。

 そこに、頭上からきわめて非友好的な声を投げかけられてきた。


「自分ら、何しとるん? 公共の場で騒ぐなや。いいトシこいて、ガキじゃあるまいし」


 右半分を金色に染めた髪、健康的な小麦色の肌、切れ長の目に、薄い唇……それは数ヶ月ぶりに見る、シャラ=サンシャインこと沙羅選手の姿だった。


 ガーゼ生地の派手なTシャツに、ワッペンだらけのアーミージャケット、黒のスキニーパンツに、ヒョウ柄のショートブーツというパンクテイストのファッションで、ライムグリーンのマニキュアを塗った指先には、ユニオン・ジャックがでかでかと縫いつけられたバッグをひっかけている。

 セミロングの髪はアップにまとめて、べっこうぶちのサングラスをかけており、試合会場で見るよりも、彼女はうんと芸能人めいていた。


 けげんそうに振り返ったユーリは、怒りの表情を消し去って、ちょっとよそゆきの笑顔をこしらえる。


「ああ、沙羅選手じゃないですかぁ。こんなところで会うなんて、すごい偶然ですねぇ。撮影ですかぁ? ユーリは『P☆B』さんですぅ」


「……ウチはこれから『ジュピター』や。ふん、山ほどあるスタジオで、まさかバッティングするとはな。ゲンが悪いったらないわ」


 この二人がまともに口をきく姿を、瓜子は初めて目の当たりにすることになった。

 ユーリは相変わらずののんびりとした笑顔。沙羅選手は苦い怒りに満ちた仏頂面だ。


「お元気そうで何よりですぅ。おケガのほうはもう大丈夫なんですかぁ?」


「はん。そんなん、いつの話や。一回ウチに勝ったぐらいで調子にのんなよ、垂れ目女」


「だけど、靭帯を痛めちゃったって聞いてたからぁ、すごく心配だったんですよぉ。前回の大会にも出てなかったし、ほんとに大丈夫なんですかぁ?」


「ムナクソ悪いアニメ声やな。……自分のドン臭い膝蹴りで、ちっとばかり股関節の外側を痛めただけや。最初の数日はパンパンに腫れてパンツもはけへんぐらいやったけど、二週間で松葉杖なんぞは突き返してやったわ」


「えぇ? 二週間も下半身丸出しだったんですかぁ?」


「最初の数日言うたやろが! 頭だけじゃなく耳まで悪いんか、この白ブタは!」


 口が悪い。が、それはバラエティ番組などで目にする通りの沙羅選手だ。毒舌・横暴が彼女の芸風なのである。

 何というか、きわめて不機嫌そうなのに、不思議と敵意や悪意はあまり感じられない。


「再来週の大会は、ウチも出るで。春先に自分がぶざまに一本負けした、ジーナ・ラフいう毛唐女と対戦や。……この意味、自分は理解しとるんやろな?」


「意味、ですかぁ?」


 子猫のように首を傾げるユーリの姿を、沙羅選手はサングラスごしににらみつける。


「自分に負けたウチを、自分が負けた毛唐女にぶつける意味や。自分はまだあの毛唐女にリベンジしてないんやから、言ってみれば、あっちのほうが格上ってことやろ? したら、《アトミック・ガールズ》の魂胆が見えてくるやないか。連中は、そこまではっきりウチを自分の下に置くつもりはない、ってことや。自分の勝てなかった毛唐女を見事ぶっつぶして、名誉挽回してみせろっちゅうことやろが」


 それは確かに、そうかもしれない。

 せっかく鳴り物入りで参戦してきた沙羅選手を、たった一度の敗北で切り捨てることはないだろう。サキの立てた予想によると、沙羅選手は選手層の薄いミドル級を活性化させるための、次期チャンピオン候補として迎え入れられた存在であるはずなのだから。


「うぅん、よくわかんないですけどぉ、ユーリは沙羅選手を応援しますねぇ。頑張ってくださぁい」


「はん! 人の応援しとる場合かいな。自分こそ、毛唐女よりさらに格上の、魅々香選手とやりあうんやろが。あの気色悪いオバハンは、強いで? ミドル級の日本人選手では、三本指に入る実力者やろ」


 それも、その通りだ。事実、魅々香選手は昨年のミドル級トーナメントで三位の座を獲得している。本来ならば、四勝十敗などという戦績を持つ選手がマッチメイクされるような相手ではない。


「難儀なこっちゃなぁ。《アトミック・ガールズ》のおエラいさんは、調子を上げてきた自分にタイトル挑戦させたくてウズウズしとるんや。ほんまはウチにその役を振りたかったんやろうけど、予定外に自分が勝ってもうたから、まずは自分をプッシュしていく方向にシフトチェンジしたんやろな」


「はぁ。ようやく勝ち星を拾うことができるようになったユーリにタイトル挑戦なんて、なんだかピンとこないお話ですねぇ」


「ふん。ミドル級だけ外国人選手が王座にのさばっとるんが、よっぽど気に食わんのやろ。アトミックはけっきょく日本人選手が主体のイベントやからなぁ。……ま、自分がどっかでコケれば、次にチャンスが回ってくるのはウチや。コケなくたって、最終的にベルトを巻くのはウチやけどな」


「はぁ……そうですかぁ」


「気の抜けた返事するなや! 自分がチャンピオンにおさまってもウチがすぐにベルトをかっさらったるって宣戦布告しとるんやから、やれるもんならやってみいぐらい言えんのかいな?」


 そんな風にすごまれても、ユーリはソファの上できょとんと目を丸くするばかりだった。


「だって、やっぱりピンとこないですよぉ。ユーリがミドル級のチャンピオンだなんて……そりゃあもちろんユーリだって王座獲得を目標にはしておりますけれども。だけどユーリは、春先まで地上最弱とか呼ばれてたんですよぉ? そんなユーリがタイトル挑戦とかミドル級チャンピオンとか、せめて今まで負けた相手全員にリベンジを果たすまでは、誰も納得しないんじゃないですかぁ?」


「昔は昔、今は今やろが。ウチに勝った時点で、チャンピオンになる資格なんて十分や」


「あははぁ。確かに沙羅選手はものすごく強かったですぅ」


「……ムカつく白ブタやな。問答無用で中段蹴りでもぶちこみたくなるわ」


 言うだけで実行に移さない沙羅選手を意外に常識的なんだな、などと思ってしまうのは、平気でポンポンとユーリを蹴り飛ばすサキの姿に見なれてしまっているからだろうか。


 何にせよ、沙羅選手は至極まっとうにユーリを好敵手と見なし、反感をつのらせつつも敬意を払っている、ということなのかもしれない。

 少なくとも、会場の控え室や、あるいはテレビ局のスタジオなどでコソコソとユーリを口汚く罵っている連中に比べれば、この沙羅選手のほうがよっぽどユーリを人間あつかいしているように思えてならなかった。


(まあ……この人も、いわゆるアイドル格闘家なわけだしな)


 ユーリほど露骨に色気を売っているわけではないが、それでもマスコミへの進出度はユーリを上回るぐらいだったし、たしか水着姿で写真集なども出版しているはずだ。同じような経歴を持つ沙羅選手に敗北すれば《アトミック・ガールズ》にユーリの居場所がなくなってしまう……などという危機感にとらわれていたあの頃がなつかしい。


「……ま、ミドル級のベルトなんて、ウチにとっては通過点にすぎんけどな。ウチの目標は、あくまで《アトミック・ガールズ》の頂点に立つことや」


「アトミックの頂点?」


「ふん。体重の重たいもんが強いって風潮はいまだに抜けとらんのやから、無差別級のでかぶつどもをブチのめして、初めて頂点やろ。天覇館の来栖、武魂会の小笠原、なんちゃら柔術の兵藤、この無差別級トップスリーが、ウチの最終ターゲットや。……うまくすれば、世界最強とか言われとるブラジル女ともやりあえる目も出てきたしな。まったく、面白くなってきたで」


「え……それって、ベル様のことですかぁ?」


 ずずいとユーリは身を乗り出し、沙羅選手にけげんそうな表情を浮かべさせる。


「ベル様て何やねん? ジルベルト柔術のブラジル女や。ありゃあ間違いなく、アトミックに参戦するやろ」


「し、しますかねぇ?」


「するやろ。せえへんわけあるかい。二年前の《S・L・コンバット》で、来栖は決勝まで勝ち進んでブラジル女と対戦しとるんや。結果は来栖の判定負けやったけど、日本にも強い女はおるっちゅう記憶は植えつけられたはずなんやから、まずは来栖がホームにしとる《アトミック・ガールズ》から荒らしたろ思うのが人情やろ」


《S・L・コンバット》とは、サブミッション・レスリング・コンバットの略で、要するに組み技と寝技のみの格闘技大会である。十数年ほど前、アラブの大富豪か何かが総合格闘技の試合を観戦した折にブラジリアン柔術の魅力に取り憑かれ、多額の賞金を懸けたトーナメント戦を定期的に開催し始めたのだ。


 出場資格はプロ・アマ問わずで、これにはベリーニャ・ジルベルト選手も《スラッシュ》の規約には触れずに参加できたらしく、六十キロ超級の女子部門で二連覇を成し遂げている。日本からも力試しの意で参戦する選手は多く、《アトミック・ガールズ》最強の女と名高い無差別級の来栖舞選手も、二年前に出場を果たしていたのだった。


「打撃ありのルールなら自分にも活路はあるて、来栖もさんざん息巻いてたからな。ブラジル女としても、見過ごせない相手やろ。ほんでもって、アトミックには専属契約なんてないんやから、気軽に参戦もできるやろうしな」


「…………うにゅう」


「あん?」


「いかんいかん! 閉じ込めておいた妄念がまた噴出してきた! 沙羅選手、申し訳ないですけど、ユーリの前でうかつにベル様の名前を発さないでくださいぃ!」


「何や、けったいな女やな。……ああ、自分はあのブラジル女がきっかけで総合デビューしたんやったな」


「ありゃりゃ。よくぞご存知で!」


「有名な話やろ。……ふん、せやけど残念やったな。自分がブラジル女と対戦する機会なんて、そう簡単には回ってきやせんで。アトミックとしては話題性たっぷりやから魅力を感じるやろうけど、ま、今のまんまじゃ、まず無理や」


「えぇ? どうしてですかぁ?」


 ユーリは愕然と目を見開き、今にもタックルでもかましそうなポージングをとった。

 沙羅選手は、口もとをねじ曲げて後方に引き下がる。


「出る杭は打たれるっちゅうこっちゃ。……自分が最弱の客寄せパンダでいる分には黙ってた連中も、自分のナワバリが荒らされそうになったら、そりゃあ目くじら立てるやろ。せいぜい駆逐されへんように気をつけるこっちゃなぁ」


「何ですかそれ! 全然わかんない! 誰がそんな意地悪をするって言うんですかっ?」


「そんぐらいは、おのれで調べろや。ウチはムナクソ悪い派閥争いなんぞには興味ないんやからな。……ま、今の自分にできることはひとつだけやろ」


「ひとつだけ……」


「ガタガタぬかすヤツは、力でねじ伏せろ。世界最強の女に挑戦する資格があるのは、アトミックで最強の女だけや。自分がそのポジションを手に入れれば、誰も文句なんざ言えなくなるやろが?」


 そう言って、沙羅選手はとても雄々しい表情で笑った。

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