2nd Bout ~Birth Of The Pretty Monster~

プロローグ

復帰戦

 レバーにミドルキックをくらい、瓜子は二度目のダウンを喫してしまった。

 白いマットに膝をつき、必死に呼吸を整える。


「おらあ、根性見せろや、猪狩!」

「ダイジョウブだよー。ウリコはカてるよー」


 歓声の狭間から飛んでくる、セコンド陣の叱咤と激励。

 サイトーと、コーチのジョンだ。


 そして、あらぬ方向から「うり坊ちゃん、頑張れえっ!」の声。

 言われなくったって頑張りますよ、と瓜子は重い身体を引きずりあげた。


 ラウンドは、すでに三ラウンド目。これが最終ラウンドだ。

 一ラウンド目は互角だったと思う。しかし、二ラウンド目からじょじょに追いこまれ、ラウンド終了まぎわに膝蹴りでダウンを奪われてしまった。そのダメージを残したまま最終ラウンドを迎え、そして現在の体たらくである。


 瓜子はレフェリーのカウントを聞きながら、ニュートラルコーナーにたたずむ対戦相手の姿をにらみすえる。


 フライ級のランキング第四位、アヤノ=ホワイトタイガー。

《G・フォース》においては品川MAジムと並んで主力である、ホワイトタイガー・ジムのベテラン選手だ。


 さすがに数ヶ月前まで籍を置いていた品川MAの選手をぶつけられることはなかったが、このアヤノ=ホワイトタイガー選手もかなりの実力者であり、そして、瓜子が苦手とする足クセの悪い選手でもあった。


 瓜子は背が低い。アヤノ=ホワイトタイガー選手は百六十二センチであるらしいから、まるまる十センチは小さいことになる。リーチとコンパスで負けている上に、瓜子はパンチが主体のスタイルであるために、どうしても射程距離に差が出てしまうのだ。


 しかし、相手が自分よりも長身であるというのは今に始まったことではない。ここ数ヶ月は自分よりも大柄な相手とばかりスパーを積んでいたし、なおかつ自分よりも小柄なサイトー選手にさまざまな戦法を伝授されてもいる。

 それらの成果を発揮する前に、試合を終わらせるわけにはいかなかった。


 カウントナインまでたっぷり休んでから、瓜子はファイティングポーズをとる。


「ファイト!」


 レフェリーの声とともに、アヤノ=ホワイトタイガー選手はのそりとコーナーから進み出る。

 残り時間は、一分半ほどだ。確実にポイントを稼いだ相手はもはや強引に攻めこんでこようとはせず、守りに入ろうとするだろう。


 しかし絶対に逃がしはしない。

 ここが勝負の際と見て、瓜子は頭から突進した。


 長い足から繰り出される前蹴りをかわし、左ジャブから右フック。

 ガードされたら、すかさず左のショートフック。

 離れようとする相手の懐にもぐりこみ、ショートアッパー。レバーブロー。ダメージはあっても、まだまだ回転力は瓜子のほうが上だ。


「ローだろ、ロー!」


 そうだ。攻撃を散らさないと、相手の防御は開かない。パンチを打ったら、必ずロー。これを三ラウンド続けることで、相手の足にも着実にダメージを重ねられているはずだった。


 うるさそうに顔をしかめながら、相手はバックステップを踏む。

 ならば、もっとうるさがらせてやろう。


 左右のワンツー。右のロー。

 レバーブロー。右フック。左のアッパー。右のロー。

 左と右、上と下、横と縦。可能なかぎり、まんべんなく攻撃を散らすのだ。


「いいぞぉ! いけいけ、うり坊ちゃん!」


 うるさいな、と顔をしかめる。

 あなたの声は周波数の幅が広いから、歓声の中でもひときわ耳につくんですよ、と瓜子は頭の片隅でそう悪態をついた。


 その間にも、攻撃の手は止めない。

 ここが正念場と覚悟を決めた、無酸素ラッシュだ。

 これで活路が開けなければ、残り一分弱で相手を仕留めることは不可能だろう。


 こめかみが脈打ち、脳が煮え立つ感覚を味わいながら、瓜子は懸命に攻撃を撃ちこんだ。

 意識的に、ボディブローを増やす。


 三ラウンド終盤で腹を殴られるのは、誰だって嫌なはずだ。ましてや相手は二十代も後半のベテラン選手である。突貫ファイトが信条の瓜子と三ラウンド撃ち合って、そこまでスタミナにゆとりがあるとも思えない。瓜子の攻撃を的確にブロックしつつ、じょじょに相手のガードが下がっていくのがわかった。


(くらえ!)


 至近距離から、バックハンドブロー。

 ぐらついたところに、ボディアッパー。

 そして、右のローキック。


 瓜子の身体を突き飛ばし、相手は露骨に逃げようとする。

 ここだ。


 瓜子は足を止め、この試合では初めてのハイキックを繰り出した。

 とっさに頭部をかばいつつも、相手の身体がぐらりと左側に揺れる。


 そこに、瓜子は渾身の左フックを叩きつけた。

 頭部をガードした右腕の手首をえぐるようにして、確かに下顎をぶちぬいた感触が左拳に走りぬける。

 相手がマットに崩れ落ちる姿を目の端で確認しつつ、瓜子も勢いあまってロープに突っ込み、しがみついてしまう。


 限界だ。

 酸素不足で、頭が破裂しそうになっている。


 ダウンを奪えたのならば、ニュートラルコーナーに下がらなくてはならない。しかし瓜子は一歩として動くことができず、トップロープを抱えこんだまま、ぜいぜいと荒い息をつくことになった。


 その耳に、乱打されるゴングの音色が飛びこんでくる。

 時間切れになってしまったのか……と、瓜子はその場にへたりこみそうになった。

 その右腕を、後方から何者かにひっつかまれる。


「ウィナー!」


「……え?」


 右腕をつかんでいるのは、レフェリーだった。

 見ると、アヤノ=ホワイトタイガー選手は完全に失神し、早くもリングドクターとセコンド陣に取り囲まれはじめていた。


『三ラウンド、二分五十一秒、猪狩瓜子選手のKO勝利です!』


 リングアナウンサーも、そう宣言している。


 勝ったのだ……

 右腕を高々と吊り上げられながら、瓜子は天を仰いで、目を閉ざした。

 ランキング一位でありながら、半年ぶりにようやくマッチメイクされた試合に、勝てたのだ。


 嬉しいというよりは、ほっとした。

 これで負けては、移籍先の新宿プレスマン道場の面々に申し訳が立たない。


「やったな、猪狩!」

「ウリコ、ガンバったねー」


 サイトーとジョンの声が近づいてくる。

 そして、その反対側から、「やったね、うり坊ちゃん!」という声も。


「ええ? いや、ちょっと……うわあっ!」


 右腕をかかげたレフェリーから強奪するかのような勢いで、何者かが瓜子を抱きすくめてくる。

 やわらかくてふわふわとした、生あるマシュマロのように心地よい物体が。


「ユーリさん! 何やってんすか! リングに上がったらまずいでしょう?」


 確認するまでもない。それは道場の先輩であり、仕事上のパートナーであり、そして半年来の同居人たるユーリ・ピーチ=ストームこと桃園由宇莉ももぞの ゆうりだった。


 しかし今回、彼女はセコンドでも何でもない。ユーリがその白くてやわらかくて色気とフェロモンに満ちみちた肢体にまとっているのは、ホワイトとライトグリーンを基調とした、スポーティかつ華やかな水着であり───つまりは、ラウンドガールの衣装であった。

 ユーリは現在、副業の勤務の真っ最中であったのだ。


「よかったねぇ。頑張ったねぇ。おめでとうねぇ」


 瓜子の言葉など耳に入った様子もなく、ユーリはさらに馬鹿力で瓜子の五体を絞めあげてくる。

 そして最後には、いつぞやと同じように渾身の力で頬ずりされることになった。


「……こら、ラウンドガール、何やってんだよ」


 呆れ果てたような、サイトーの声。

 それでユーリもようやく我に返ったのか、突然「うぴゃあっ!」と叫んで、瓜子の身体を突き飛ばしてきた。

 瓜子はマットに崩れ落ち、ユーリは寒そうに自分の両腕を抱えこむ。


「うー、鳥肌っ! 半年たっても、まだダメかあ。……何はともあれ、うり坊ちゃん、おめでとう!」


 瓜子は深々と溜息をついたが、それは客席中からわきおこった爆笑の声によってかき消されてしまった。

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