ACT.4 決戦前夜

01 卒業の日

 そして月日は流れゆき。季節は冬から春へと移行した。

 三月の、第二週の土曜日。

 その日は、瓜子の通う都立高校の卒業式だった。


 今年に入ってからは休学という名目のサボタージュを敢行した瓜子も、二ヵ月半ぶりにブレザーの制服を着て、パイプ椅子に座らされている。学校長は約束通り、こんな不真面目な生徒の卒業を許してくれたのだ。


(本当に慌ただしい二ヶ月半だったなあ)と、在校生の送辞の言葉を聞きながら、瓜子はぼんやり考える。

 アイドルとしての仕事などは規則性もへったくれもないので、その付添人たる瓜子もそれに合わせて不規則な生活を送ることになった。幸いなことに、睡眠時間や練習時間はしっかり確保できるように調整されたスケジュールではあったものの、毎日が変化の連続であったので、なかなか心のほうは休まるヒマがない。


 なおかつ瓜子は一月の終わりに、ついに品川MAジムから新宿プレスマン道場へと正式に籍を移していた。

《G・フォース》でチャンピオンを目指すと同時に《アトミック・ガールズ》でのMMAデビューを目指す、そのためのトレーニングを本格的に開始したのだ。


 総合格闘家、MMAファイターとしての、プロデビュー。

 最初は、環境の激変や将来への不安から揺らいでしまった自分を奮い立たせるための方便でしかなかった。

 しかし、今は違う。

 どんな過酷なトレーニングにも耐えうる気迫と情熱が、瓜子の内に蘇りつつあった。


(母さんたちが聞いたら、ひっくり返っちゃうだろうけどな……)


 もともと両親は、総合格闘技という競技にまったく理解を示していなかった。だから妥協案として、キックボクシングのジムである品川MAに通うことが、かろうじて許されたのだ。


 キックは良くて総合はいけないという両親の見解は不可解だったが、やはり倒れた相手の上にまたがって殴りつけることが許されている総合格闘技の過激さが受け入れ難かったのだろう。当時の瓜子はまだ中学生だったのだから、なおさらだ。


 しかしまあ、キックは総合と同じぐらい好きだったし、サキの蹴り技に魅了された瓜子としても、そんなに分の悪い妥協案ではないなと納得することができた。


 品川MAに通い初めて、この春でもう丸四年。その間に瓜子はプロ選手としてもデビューを果たし、ついにはランキング一位の座を獲得するまでに至った。瓜子の気持ちは自然にキックボクシングへと傾いていき、競技の別など関係なく、自分はこの世界でサキのような選手を目指すべきか───そんな風にも思っていたのだ。


 しかしやっぱり、胸の奥底にくすぶるものはあった。

 それが、敬愛するコーチの退陣および実家の消失という環境の激変を経て、一気に噴出してしまったのだろうと思う。


 ただしそれは、自分は本当に今後も選手活動を続けていけるのか……また、続けていくべきなのか……という不安や弱気をねじふせるための起爆剤でもあった。

 迷走していると言われても、これではしかたがない。


(だけど、今は違う)


 瓜子は、サキと出会った。

 もうひとり、おかしな娘とも出会ってしまった。

 彼女たちの闘う姿と、がむしゃらに稽古をする姿を目の当たりにして、瓜子の胸にはまたふつふつと熱い何かが満ち始めたのだった。


 彼女たちのようになりたい。

 一心不乱に突き進みたい。

 彼女たちと、同じリングに立ちたい。


 そんな焦げつくような想念にとらわれて、瓜子はごく自然にプレスマン道場への移籍を決心することができたのだった。


『卒業生、退場』


 と、瓜子がそんな思いにひたっている間に、式は閉会を迎えてしまっていた。

 周囲の女子生徒たちは、何人かが泣いている。これが正常な反応なのだろう。この三年間、放課後のトレーニングに情熱のほとんどを傾けていた瓜子にとって、学校は昼寝をする空間というぐらいの認識しかなかった。


(でもまあ、節目は節目だよな)


 明日から瓜子は、学生でなくなるのだ。

 年齢も、もう十八歳。

 両親は、はるか彼方の海の向こう。

 スターゲイトに置ける肩書きも、アルバイトの研修生から契約社員にステップアップされることになる。


 自分は猪狩瓜子という一人の人間として、これから世界に立ち向かっていかなくてはならないのだ。

 列にそって体育館の出口に向かいながら、自然と瓜子の背筋はのびた。


 すると───

 とんでもないモノが、見えてしまった。


「うり坊ちゃん、卒業おめでとーっ!」


 厳粛な空気を打ち砕く馬鹿でかい声。

 そして、クラッカーの破裂音。

 その場にいるすべての人間が凍りつき、その不作法な闖入者を呆然と注視することになった。


「……あり?」


 発射済みのクラッカーを手に、ニット帽と黒ぶち眼鏡で人相を隠した、異様にスタイルのいい娘さんが小首を傾げている。

 その隣では、真っ赤な髪をしてスカジャンを羽織った、人相の悪い不良のような娘さんがたたずんでいる。


 ずらりと立ち並んだ父兄のみなさまがたの中で、その二人だけが尋常でないぐらい異彩を放ってしまっていた。

 青い顔をしてそちらに殺到する教師陣の姿を横目に、瓜子は肺腑の中身をすべてしぼりだすように溜息をつかずにはいられなかった。


                 ◇


「ぷひゃひゃひゃひゃ! うり坊ちゃんの、スカート姿! まるで女の子みたい!」


 校舎裏、人目を避けた桜の木の下で、ユーリが楽しそうに笑っている。

 もちろん瓜子は、心の底から地獄のように不機嫌だった。


「……こんなところでナニをしてるんすか? ユーリさんを卒業式に招待した覚えはないっすよ?」


「えー? だってうり坊ちゃん、ご両親は北海道なんでしょぉ? 晴れの門出にひとりぼっちじゃさびしいだろうから、わざわざ祝福しに来てあげたんだよぉ」


 ニット帽に黒ぶち眼鏡、それにピンク色のふわふわとしたカーディガンと、オリーブグリーンのスキニーパンツ。人目を忍びたいんだか目立ちたいんだかよくわからない格好のユーリが、えっへんとばかりに大きな胸をそらす。


 そのかたわらに立ちつくすサキのほうは、真冬と変わらぬスカジャンにカーゴパンツ。真っ赤に染めた髪も口の端にくわえた禁煙用パイポもいつもの通りで、人の目に立つという意味ではユーリとあまり大差はない。それが学校の敷地内とあっては、なおさらだ。


「……サキさん、どうして止めてくれなかったんすか?」


 恨みがましく瓜子が言うと、サキはポケットに両手をつっこんだまま、面倒くさそうに肩をすくめた。


「この牛が暴走しはじめたら、アタシごときじゃ止めらんねーよ。アタシはか弱き人間様なんだからなー」


「ユーリだって牛じゃないよ! ……うふふ、だけどうり坊ちゃん、ほんとにかわゆいね? スカートスカート」


「さわらないでください! まったく……ユーリさんは、こんなことしてる場合じゃないっすよね?」


 本日は、土曜日だ。

 だから明日は、日曜日だ。

 三月第三週の日曜日。それはつまり、ユーリの大一番が明日にせまっているということだった。

《アトミック・ガールズ》の三月大会───NJGPのジュニア王者、沙羅選手との対戦の日なのである。


「この二ヶ月間、みっちり稽古を積んできたもーん。沙羅選手、何するものぞ! 明日こそ新生ユーリの記念すべき誕生の日となるのだよ、うり坊ちゃん!」


「わかりました。わかりましたから、大声を出さないでください。……だいたい、今日は計量日だったんじゃないんすか?」


「そんなの朝一番に済ませてきちゃったよん。他の選手の迷惑にならないよう、ユーリは時間をずらして来てくれって言われてるの。失礼しちゃうよねぇ?」


 それは確かに理不尽な話だが、他の選手の気持ちもわからなくはないので、瓜子は明言を避けることにした。瓜子だって、当初はユーリのすぐそばで着替えをしたりするのは、ものすごく気が進まなかったのだ。


「……それはおめーが、ムダにエロくせー水着なんざを着てくからだろ。ファッションショーじゃあるまいし、何なんだよあのカメラマンの数は」


「だってぇ、ファンのみんなも毎回楽しみにしてくれてるんだもぉん」


 無意味に色っぽく身体をくねらせながら、ユーリは舌を出す。


「それにしても、学校ってひさしぶりぃ! ユーリは一年で自主退学しちゃったからさあ、けっきょく高校って卒業してないんだよねぇ」


「ふん。アタシは入学すらしてねーや」


 と、対極的な娘ふたりがもの珍しそうに辺りを見回し始める。

 それにつられて、瓜子も視線を動かした。


 桜の向こうに校舎が見える。ユーリのカーディガンと同じ色をした花びらが、まだまだ冷たい春の風に舞い、三人のもとにもひらひらと落ちてくる。

 もう二度とこの場所に戻って来ることはないんだな、という感慨が、今さらのように瓜子の胸中を満たしはじめた。


「……さて、美味しいもんでも食べに行こっかぁ。計量が終わったから、やっと好き放題食べられるぞぉ!」


 くるりと瓜子に向きなおり、ユーリが楽しそうに笑う。


「卒業記念に、何でもおごっちゃうよ! うり坊ちゃん、あらためまして、卒業おめでとぉ!」


 なんだか喉咽がつまってしまっていたので、瓜子は口をへの字に結んだまま、ぺこりと小さくうなずき返すことにした。

 けっきょくこの人たちは何をやらかしても自分の胸をかき乱してくれるのだな、という、自分でも整理のつかない感情をもてあましながら。


                 ◇


 その日はユーリもサキも仕事はオフだったので、残りの半日を気ままに過ごすことにした。


 年中オーバーワーク気味のユーリも、試合前日ぐらいはしっかりと休むらしい。……とはいえ、体力温存とは言いがたいはしゃぎっぷりであり、遊びっぷりであったのだが。


 デザートが有名だというイタリアンのレストランで昼食をとり、その後は渋谷や原宿に移動して、ユーリのショッピングにさんざんつきあわされたあげく、シメはカラオケとボーリング。さらに和食のレストランで夕食まで済まし、三鷹のマンションに帰りついた頃にはとっぷりと夜も更けていた。


「うおぉ、遊んだ! こんなに遊んだのは何年ぶりだろう! うり坊ちゃん、卒業おめでとう!」


「それはもういいっすよ。……あの、これ、どうもありがとうございました」


 瓜子はブレザーの制服から、原宿でユーリに買い与えられた新品の衣服一式にフォームチェンジさせられてしまっていた。


 遊び歩くのに制服姿では都合が悪かろうと、ユーリが気をきかせてくれたのだが。ジップアップの小洒落たパーカーに、七分丈のゆったりとしたデニムパンツ、それに牛革のベルトとスニーカーまで合わせて、総額は決して教えてくれなかったが、瓜子のバイトの給料三日分よりも下、ということはないはずだった。

 いくら卒業記念と言い張られても、これでは恐縮せざるを得ない。


「いーのいーの。似合ってるよ! ほんとはもっとガーリーな感じにコーディネイトしてあげたかったけど、どーせうり坊ちゃんはイヤがるだろうからさぁ」


 ご明察だ。ユーリがフリフリのワンピースを吟味しているときの、瓜子の顔色を見てとってくれたのだろう。

 その後に選びなおしてくれた、これらのカジュアルな衣服一式は───口惜しいことに、文句のつけようもない。ファッションなどには造詣も興味も持ちあわせていない瓜子をして、動きやすくていいな、とか、色の組み合わせが素敵だな、とか、ユーリのセンスと選眼力をほめるしかない、という心境なのだった。


「にしても、私服はジャージしか持ってないなんて、お年頃の娘さんとしては大問題だよねぇ。せっかくかわゆいお顔をしてるんだから、もったいないよ、うり坊ちゃん?」


 自室のベッドに倒れこみながら、ユーリがにまにまと笑いかけてくる。

 二ヶ月ばかりもともに過ごして、だいぶん打ち解けてきたとは思うのだが、こういう顔は無条件で張り飛ばしたくなる。


「荷物になるから、暖かくなるまでは実家で預かっておいてもらおうと思っただけですよ。どうせ冬の間は、何を着たってベンチコートで全部隠されちゃいますしね」


「だから、冬のアウターがベンチコート一着っていう女子力の低さを指摘してるんだってばぁ」


「大きなお世話です。だいたいユーリさんこそ、そんなに服を買いこんでいったいどこに仕舞いこむ気ですか?」


「んー? クローゼットにおしこめば何とかなるっしょー」


 いや、何ともならないから、この部屋はこんなに悲惨な有り様に成り果てているのではないだろうか。

 ファッション雑誌と、ぬいぐるみと、色とりどりの服の山。そこに瓜子の手荷物まで増えてしまったのだから、もはやベッドの上以外にはロクに足の踏み場もない。


「試合衣装と下着だけで、けっこーかさばるんだよねぇ。下着なんて、『P☆B』さんがバシバシ新作を送ってくれるもんだから、いまだに未使用なのもありあまってるぐらいなにょ」


「……そんな大量のパンツ、ありがた迷惑っすね」


「かといって、捨てちゃうわけにもいかないしねぇ。そろそろ古い服を処分しよっかな?」


 つぶやきながらベッドを這い降りて、ぬいぐるみの山をかきわけつつ、クローゼットを開帳する。

 衣装ケースとダンボールで、四角い空間はみっしりと埋めつくされてしまっていた。


「服も下着も、サイズが合えばうり坊ちゃんにプレゼントするのににゃあ。ミドル級とライト級じゃ、サイズが合うはずないもんねぇ?」


「そうっすね」


「ユーリはGで、うり坊ちゃんはBだしね?」


「……ひっぱたいていいっすか?」


「ダメー。……いいじゃん、ちっちゃいほうが。どーせあいつはでっけーだけだとか言われると、まだまだかわゆさが足りないかなあって落ち込まされるもんなんだよ?」


 そんな苦悩は、理解の外だ。瓜子はユーリの代わりにベッドに陣取りながら、ガタガタとクローゼットをあさっている後ろ姿の優美なラインを、じっとりとした目つきで見守った。


「あ……ユーリさん、危ないっすよ!」


「うにゅ?」


 警告したが、遅かった。

 ユーリの乱暴な所作に抗議をするかのごとく、てっぺんに積まれていた巨大なダンボールが衣装ケースの上から崩れ落ちてきたのだ。


「うきゃあっ!」


 頭をかばうユーリの背中すれすれの空間を通りすぎ、ダンボールがぬいぐるみたちの上に落下した。

 フタが開いて、その中身が盛大に弾け飛ぶ。


「だ、大丈夫っすか、ユーリさん?」


「う、うん。あーびっくりしたっ!」


 どうやらケガなどはないようだ。

 瓜子はほっと息をつきながら、浮かせかけていた腰を下ろし───そして、あらためて息を呑んだ。


 ダンボールから飛び出した物体のひとつが、瓜子の足もとにまで届いていたのだ。

 瓜子はごくりと生唾を飲み下しつつ、震える指先で「それ」を拾いあげる。


「ユ、ユーリさん、これって……?」


「うにゅにゅ?」


 けげんそうに、ユーリが振り返る。

 その顔は、まるで死神でも見たかのように一瞬で蒼白に成り果てた。


「ぷぎゃああああぁぁぁっっ!」


 今まで聞いた中で一番猛烈な雄叫びをほとばしらせ、足もとに飛び散ったそのモノどもを両手で回収しはじめる。

 が、それは莫大な量だったので、拾いあげるそばからまたポロポロとぬいぐるみの上に落ちていった。


 四角いプラスチックのケース。

「桃色天使」という、ピンク色の文字。

 青い空と、白い裸体。


 それはDVDソフトのケースであり───言語道断な格好をした若い娘がぬけるような青空の下で、とろんと物欲しそうな目つきをしながら瓜子を見つめ返していた。


 いちおう水着だ。だけど何だ、この水着は。これなら全裸のほうがよっぽどマシだ、というようなデザインで、白くてやわらかそうな裸身がおしげもなく瓜子の目にさらされてしまっている。


 白い砂浜にしゃがみこみ、片方の膝を立てながら、右手の人差し指をくわえている。ウェーブがかった栗色の髪に、ぽってりと肉感的なピンク色の唇。しみひとつない白い肌。自分の膝をおしあてられて、ぶにゃりと変形した大きな胸が、言語に尽くせぬほどいかがわしい。


「ぎゃーっ! 見たらダメだってばっ!」


 ユーリの指先が、そのシロモノをかっさらっていく。

 が、その胸もとから同じものがバラバラと落ちてきたので、瓜子はまた「それ」を手中におさめることができた。


「ユ、ユ、ユーリさん……プ、プロダクションとの約束は守れたんすよね? そ、それじゃあどうしてこんなDVDが……?」


「ひ、ひ、人聞きの悪いことを言わないでよっ! こ、これはえっちなDVDなんかじゃなくて、れ、れっきとしたアイドルちゃん時代のイメージDVDなんだからっ!」


「え、ええ? アイドル……?」


 思考停止寸前の頭でつぶやきつつ、瓜子はひょいっとパッケージを裏返してみる。

 そこに写しだされていたのは……もはや口にも出せないぐらいの、至極可愛らしい少女による至極みだらがましい艶体の数々だった。

 瓜子は顔を真っ赤にして、視線をジャケットからもぎ離す。

 こんなもの、五秒と見ていられるわけはなかった。


「グ、グ、グラビア以上アダルト未満ってやつ? 最初はここまで過激にする予定じゃなかったんだけど、カメラマンも監督もノリノリになっちゃって、社長も『売れそうだから、まあいいか』ってゴーサインを出しちゃって、ほんとはこんなのイヤだったんだけど、ほら、当時はユーリも必死だったからさ! アイドルで一番星目指すしか生きる道はないって燃えてたから! そう、若気のいたりってやつよ! しかたないじゃん! ユーリはまだ十七歳だったんだからっ!」


「十七歳……」


 信じがたい思いで、瓜子はまた表側のジャケットに目を落とす。

 確かに表情は今以上に幼げだし、栗色の髪も少し短い。それに手足も、ほんのちょっぴりだけ今よりほっそりしている気がする。


 ……しかし、これが、十七歳?

 十七歳の少女にこのような格好をさせるのは、何か法的にひっかかりはしないのだろうかと、瓜子は本気で考えこんでしまった。


「うわわわ! そんなじっくり見ないでってば! 言われなくったって、コレはユーリの恥ずべき過去なの! 黒歴史なの! だからこれ以上は人目にふれないように、こうやって回収しまくってるんじゃん!」


「回収って……自力で全部買い戻すつもりっすか?」


 そんなことは、不可能だろう。

 しかし部屋中に飛び散ったDVDの山は、少なく見積もっても百本近くはありそうだった。


「こ、これを発売した直後に、ユーリは引退を決めたから! これ以上プレスしないでって社長に泣いて頼んだの! 初回プレスは三百本だったから、あと百本で回収完了なんだよぅ」


「そ、それじゃあここに、おんなじもんが二百本もあるんすか?」


「うん。ダンボールでもう一箱。……だけど、残り百本が大変なんだぁ。たまぁにオークションとかで見かけるんだけど、びっくりするぐらいプレミアがついちゃってるの! こんなことなら、格闘家としてデビューして知名度が上がっちゃう前に、借金してでも買い集めるべきだったよぉ」


「あの……水を差すようで悪いっすけど、DVDなんてパソコンがあればいくらでも複製できるんじゃあ……?」


「言わないで言わないで! 結果じゃなくてプロセスが大事なの! 勝敗よりも、大事なのは試合内容でしょ?」


 と、ユーリが頭を抱えこんでしまったために、せっかく回収したDVDもすべてベッドの上に散らばってしまった。

 四方八方からなまめかしい目で見つめられつつ、瓜子は気持ちも考えもまとまらない。


「だ……だけどまあ、その、イ、イメージDVDなんだったら、そこまで気にしなくてもいいんじゃないっすか? アイドルだったのは事実なわけですし……」


「コレのどこがアイドルよ! モノホンのアダルトより百倍ヤラシーって、発売当初は大評判だったんだからっ!」


 ユーリも混乱しているのだろう。わけのわからないことを叫びながら、また頭を抱えこんでしまう。


「あうう。恥ずかしいよぉ。時間を逆戻ししたいよぉ。行く気もないけどおヨメに行けないよぉ」


「……ユーリさんにも、そういう羞恥心ってあったんすね」


「そりゃあるよ! ボーダーラインまでは何でもやるけど、このDVDはギリギリアウト!」


 ギリギリなのか。

 まあ羞恥心のていどは人それぞれだ。


「ユーリの一番の夢は、ベル様みたいな格闘家になること! 二番目の夢は、このおぞましいDVDを一本残らず回収すること! それを果たすまでは、何があろうと死んでも死にきれぬわっ!」

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