02 作戦会議 in リビング

 総合格闘技───MMAとは、危険な競技である。

 もちろん危険でない格闘技などは存在しないのであろうが、それにしても一種独特の危険性を有する競技だということに間違いはないだろう。

 その特異性は、やはり技術の多様さ、複雑さに起因するのだと思われる。


 打撃技。

 組み技。

 投げ技。

 関節技。


 それらのすべてを使用できる競技など、他にはそうそう存在しないはずである。

 そもそも現代MMAのルーツと言われるブラジルの『バーリトゥード』という試合形式においては、およそ三つの禁則事項しか存在しなかった。


 目潰し。

 噛みつき。

 金的攻撃。


 その三つのみである。

 流派によっては金的攻撃さえ許されることもあったというから、驚きだ。


 しかし、それでは『スポーツ』として認知されることが難しかったため、現代MMAではさまざまな禁則事項がつけ加えられている。


 もっともポピュラーな北米ルールを参照するならば───


 頭突き。

 引っかき。

 咽喉への打撃攻撃。咽喉を指先でつかむ行為。

 後頭部、延髄、脊髄への打撃攻撃。

 横たわっている相手の頭部への、足による攻撃。

 指への関節技。

 相手の髪や衣服をつかむ行為。

 鼻腔、耳腔、口腔への攻撃。


 ───などなどが反則技とされている。


 ちなみに《アトミック・ガールズ》においては「肘打ち」も禁止されており、さらにはムエタイやボクシングのような「3ノックダウン制」が採用されていた。


 肘による攻撃を禁止とする団体は、日本に多い。肘打ちは、流血を招くことが多いからだ。

 逆に、ダウン制が取り入れられているプロの興行は珍しいかもしれない。倒れた相手にも攻撃を許されるのがMMAの醍醐味であるためである。


 しかしアマチュアの大会などではやはりダウン制が取り入れられていたし、《アトミック・ガールズ》も安全性を重視するために現状ではこのルールを是としていた。

 あるいは、女子選手だとパワー不足で一発KOという結末が少ないため、「三回のダウンを奪えばTKO勝利」というルールのほうが試合が盛り上がる、という判断もあったのかもしれない。


 何にせよ、主催する団体によってわずかな差異はあれど、MMAというのはそういう競技であるのだった。

 

 そこで勝ち上がっていくためには、技術も多様化せざるを得なかったのだろう。

 しかし端的に言って、そこまで幅広くすべての技術を習得することは不可能に近い。

 ゆえに、MMAの選手は打撃技の得意な「ストライカー」と寝技の得意な「グラップラー」に大別されることが多かった。


 ストライカーならば、できるだけ相手の組み技にはつきあわず、立った状態(スタンド)での打撃攻撃で、相手を制圧する。

 グラップラーならば、できるだけ相手の打撃技にはつきあわず、寝技の状態(グラウンド)にもちこんで、相手を制圧する。


 しかしもちろん、自分の得意な技術だけを磨けば良い、という話ではない。立ち技の技術がお粗末であればグラウンドの状態に引き込むことは難しいし、寝技の技術がお粗末であれば一発のタックルでも命取りになりかねないからだ。


 柔術やレスリングの選手であれば、ムエタイやボクシングを学んで立ち技の技術を身につける。

 ムエタイやボクシングの選手であれば、柔術やレスリングを学んで組技と寝技の技術を身につける。


 もっとも現在は、他競技の出身でなく最初からMMAを学んできた、という選手も少なくはないため、上記のタイプに分類されない選手も存在する。

 あるいは、他競技の出身であってもすみやかに足りない技術を習得し、万能型の選手に育つこともある。

 打・投・極のどこにも穴のない、そういう選手は第三のタイプ、「オールラウンダー」に分類されることになる。


 しかしやっぱり、そこまで器用にすべての技術を体得できる選手はまれである。

 自分の得意な技術に磨きをかけ、なるべく穴のないように他の技術も習得する。それがやっぱりMMAのひとつの本道であるのだ。


 ユーリの弱さ───試合に勝てないその原因は、その本道をおろそかにしているゆえである、とサキは言う。

 果たして、そうなのだろうか。

 ユーリと出会って一週間の瓜子には、まだわからない。


 しかしまあ、ユーリが試合で勝てないのは「弱いから」ではなく「馬鹿だから」だというサキの言には、何とはなしに納得できてしまう瓜子なのだった。


                 ◇


「先週の試合な、ありゃあいったいどーゆーつもりだったんだ?」


 その夜、三鷹のマンションに帰りついてもサキの調教は終わらなかった。

 サキ特製の白味噌鍋で夕食を済ませた後、ユーリと瓜子は再びトレーニングウェアに着替えさせられて、先週の試合を再現させられたのである。


「まずはユーリの華麗なハイキックね。もちろんこれは奇襲技だけど、あっちが得意なパンチの間合いに入ってこれないように、最初に牽制しておこうと思ったんだよぉ」


 いつぞやのグラビア撮影を思い出させる身のこなしで、ユーリは振り上げた右足をぴたりと止める。


「だけどそいつをダッキングでかわされて、まともにボディアッパーをくらったんだったな」


「たしか左っすよね。こんな感じっすか」


 ユーリの長い右足をかいくぐり、瓜子は左の拳をみぞおちに押し当てる。

 きちんと稽古モードになっていたユーリは、嫌がりもせずにその接触を受け入れてくれた。


「で、ユーリはまだ蹴り足が下りきってない体勢だったから、バランスを崩して前のめりになっちゃったのね」


 言いながら、言葉通りに身体を折り曲げていく。

 片足立ちの体勢でこんなスロー再生が可能なのは、やはりバランス感覚に優れている証拠だろう。


「ほしたらアメリカ女が、右の裏拳でこめかみをバシン、だな」


「こうっすか。なかなか強引な攻撃っすね。めちゃくちゃ至近距離だし、こっちの重心は右足に残ったままですから、殴るってよりはなぎ払うって感じだったんすかね」


「そうそう。そんでユーリは、おでこからマットに墜落しちゃったの。こんな具合に」


 ぺたりと、まんまるのおしりをつきだして、ユーリがリビングのマットに這いつくばる。


「で、一瞬だけだけど意識がトンじゃってさぁ。気づいたら、ジーナ選手のお手々が首の下に入りこんでたの。胴体も両足でクラッチされちゃってたし、あれよあれよという間に身体を伸ばされて、チョークスリーパーを極められちゃったんだぁ」


「ふん。もっとまともなパンチで倒れてたんなら、レフェリーだってダウンとみなしただろうけどな。ダメージもなく倒れた後に勝手に頭を打ったんだったら自己責任だ。レフェリングにケチをつけるわけにもいかないだろーぜ」


「うみゅみゅ。別にレフェリーにケチをつける気はないけどぉ、ちょっとストップは早かったよね?」


「他の団体ならいざ知らず、アトミックだったらあんなもんだろーよ。普通はあそこまでチョークが極まったら、どうあがいたって逃げ出せねーからな」


「うみゅう。ユーリは逃げれたと思うんだけどにゃあ」


「だから、人外の牛に合わせてルールを曲げることはできねーって話だろうが?」


「牛じゃないもん! 霊長類だもん!」


「うるせーよ」と、サキはばっさり切り捨てる。


「その後の攻防は検証するだけ無駄だな。五分の条件なら、寝技で負ける相手じゃねーだろうによ。……さて、立ち技の攻防はせいぜい十秒ぽっちだったけど、これだけでも色んな反省点が見えてくるだろ?」


「反省点……やっぱり、試合開始早々のハイキックは無謀っすよね」


 瓜子が言うと、ユーリは「だけど!」といきりたった。


「ユーリって生粋のグラップラーじゃん? 目的は牽制だったけど、これなら意表をつけると思ったんだよねぇ」


「意表をつくだけじゃ甘ーんだよ。あっちはキックの元世界王者なんだぞ? それでおめーも距離をとりたくて、牽制にハイキックを使ったってんだろ?」


「うん……」


「だけどおめーは、ドン臭い牛だ。パワーはすげーけどスピードはねーし、重さはあっけどキレはねー。そんなお粗末なハイキックなんざ、キックの元チャンプだったら楽々かわせて当たり前だろうがよ」


「…………」


「で、当たれば一発KOの破壊力だとしても、これまで試合で当たったことがねーんだから、そのおっかなさは誰も知らねー。おっかなくねーキックだったら、牽制にも威嚇にもなりゃしねーだろ? 頭ん中まで牛なんだな、おめーは」


「ちょっとサキたん! 言葉責めもいいかげんにしてよ! それじゃあ牛さんがかわいそうでしょっ!」


「おめーがアホなのは認めんだな。……あのな、せめて牽制のハイキックだったら、おめーの馬鹿力を知ってる連中に使ってやれよ。それなら、ちっとは効果的だからよ」


 真っ赤な髪をかきあげながら、サキはがりがりとパイポをかじる。


「で、お次は相手の攻撃な。左のボディアッパーから、右の裏拳。……裏拳なんてのは、バックハンドブロー以外ではなかなか使われない攻撃だ。アレはやっぱり瓜の言う通り、おめーを地べたに這いつくばらせたくて、強引にぶち当てただけなんだろ」


「うにゅ? 異議あり! どうしてストライカーのジーナ選手が、グラップラーのユーリをグラウンドに引き込みたいわけ? ユーリってそこまでナメられちゃってる?」


「ちげーな。きっと本当は、パウンドで勝負をきめるつもりだったんだろ。だけど簡単にバックマウントを取れたもんだから、欲を出してスリーパーにいったんだ。……ま、あくまでアタシの想像だけどよ」


 パウンドというのは、グラウンド状態におけるパンチ攻撃のことだ。

 関節技が不得手なストライカーでも、パウンドの技術を磨けばグラウンドで優位に立つことができる。


「あのアメリカ女は、今までの試合もほとんどパウンドで勝ってきた。あいつが所属してるゴードンMMAってのは、レスリングを重視してるジムだからな。まだまだサブミッションなんざはお粗末なもんだが、自分が上に乗れりゃあ勝てるっつー自信があったんだろ」


「ふぅん。サキたんはよくアメリカのジムのことまで把握してるねぇ」


「……ゴードンつったら、格闘技ブームの頃に日本で大暴れしてたレスリングのメダリストだろーが? おめーが物を知らなさすぎるんだよ、鈍牛」


「……ぎゃふん」


「ま、そんなわけで、ちっと強引な形ででも牛をひきずり倒したかったんだろうよ。試合を長引かせないようにって思惑もあっただろうしな」


「試合を長引かせないように? あの選手はスタミナに難があるんすか?」


「いんや、普通だ。普通じゃねーのは、こっちだな」


 マットにぺたりと座りこんだまま、ユーリは不思議そうに小首を傾げる。

 サキは、溜息をつくついでのように言葉を続けた。


「あのな、牛、おめーの輝かしい戦績の中で、たった一回だけ引き分けの試合があったろう。アレはどんな試合だった?」


「うむん? 引き分けっていうと、アレだね、去年の夏、《JUFリターンズ》っていうイベントでブラジルのノーマ・シルバ選手と試合したときだっ! すっごく強い柔術の選手なんだけど、あちらさんも立ち技に自信がなかったみたいでさぁ、五分三ラウンド、延々グラウンドの攻防になっちゃったの。で、延長なしの引き分け有りルールだったから、時間切れで引き分けになっちゃったんだぁ」


「さすがに負けてねー試合は印象に残ってるみてーだな。……他の連中もそれは同様で、アレ以来、おめーがスタミナのバケモンってことと、本場もんの柔術家と互角に渡りあえるぐらいのグラウンドテクニックを持ってるってことがバレちまったんだよ。だからその試合があった去年の夏以降、おめーと闘う連中はみんな露骨に立ち技主体の短期決戦を狙ってきてやがるわけだな」


「うーん? そうかしらん?」


「そーだよ、タコ。試合が長引く前にとっとと三回のダウンを奪っちまうか、グラウンドで上を取ってパウンドを打ちまくる。それが現時点での、一番有効な牛の調理法ってわけだ。アタシだって、この牛を料理しろって言われたらおんなじような戦法をとるだろーぜ」


「……それってけっこう、ユーリさんが他の選手に警戒されてるってことっすか?」


 瓜子が尋ねると、「そりゃあ警戒されまくってるよ」とサキは面倒くさそうに言った。


「こんな女くせー面して、歩いてるだけで逮捕されそうな乳をぶら下げて、野郎どもにはチヤホヤされるし、雑誌やらテレビやらには引っ張りダコだし、おまけにデビューはテレビ局とのタイアップ、つまりは企画もんのアイドル選手だろ。こんなふざけた女に負けられるかって、真面目に頑張ってる選手なら誰でも最初はそんな風に思うだろうよ」


「そ、それはそうかもしれないっすけど……」


「いいのいいの。罵詈雑言はユーリの宿命! この一年間でスルーするすべを身につけたから、痛くもかゆくも何ともなーい!」


「で、あげくにこいつはデビュー戦こそぎりぎり何とか勝てたものの、その後はぶざまに負け続けちまったからな。今となっては、日本人選手で闘いたがるヤツなんて一人もいねーんだよ。爆弾みてーなポテンシャルを持ってる危ねー相手なのに、勝って当然、負けたら屈辱なんて、リスクばっかでメリットもねえからなー」


「……だからユーリさんは、外国人選手との試合が多いんすか」


「ああ。もともとミドル級は日本人不足だしな。……で、対戦相手はそれなりに名のある外国人選手ばっかだから、こいつ自身はなんの実績もねーくせにセミファイナルを飾ったりもするしよー。そもそもこんなに結果を残せてねーやつが毎回必ず試合を組まれてるってだけで、面白く思わねーヤツは山ほどいるんだ。もっともっと試合に出たいって選手は下にどっさり控えてるんだからな。……ま、それはこいつの責任じゃなくて、マッチメイクをしてる興行主側の問題なんだけどよ」


「うーん、人気者はつらいっ!」


 はしゃいだような声をあげるユーリの頭を、サキが右かかとでごちんと小突く。


「ふおお! ユーリの頭は土足厳禁だよ! ……あ、裸足か」


「うるせーっての。……さて、恥ずかしい過去のおさらいはこれぐらいにして、お次は未来に目を向けてみようかい」


 そう言って、サキはリビングの隅に転がっていたユーリのバッグから、黒いビニール袋を取り出した。

 近所のレンタルショップで借りてきた、シャラ=サンシャイン選手のベストバウトDVDだ。


「うむう……こんなDVDが発売されてるあげく、レンタルショップにまで置かれているなんて……許すまじ、シャラ=サンシャイン!」


「吠えんな、牛。だったらおめーも輝かしい試合の数々をDVDにまとめてもらったらどうだ?」


「……今はまだその時期ではありませぬ」


 いまひとつ危機感の感じられないユーリのつぶやきをよそに、古いが大きなテレビ画面にひとりの若い女子選手の姿が映しだされる。


 右半分だけ金色に染めあげられた、セミロングの髪。

 きりっと吊り上がった鋭い目。繊細な鼻筋。ひきしまった口もと。

 スレンダーだが力強い、いかにも俊敏そうな身体つき。

 ほどよく日に焼けた小麦色の肌。

 明るいグリーンとブラックを基調にした、スポーティーな試合コスチューム。


 身長は、百六十七センチ。

 体重は、五十五キロ。

 年齢は、二十一歳。

 血液型は、AB型。

 出身は、兵庫県。

 得意技は、上段回し蹴りと腕ひしぎ十字固め。

 バックボーンは、空手とレスリング。


 薄暗い、無人のトレーニングルームでサンドバッグを蹴る沙羅選手の姿をバックに、そんなプロフィールがつらつらと表示されていく。


「レスリングったって、アマレスじゃねーぞ? こいつはキャッチ・レスリングの正統な後継者っていうご大層な触れ込みでデビューしたんだ」


「キャッチ・レスリング?」


「知らねーか。キャッチ・アズ・キャッチ・キャンっていう、サブミッションを重視した古いレスリングの一流派だよ。今のプロレスの、まあ源流みたいなもんだな。もともと日本での総合格闘技ブームってのは、従来のプロレス界を飛び出したプロレスラー連中が起こしたもんだろが? こいつのバックボーンはそのあたりにあるってこったろ」


「はあ……」


 よほど瓜子の表情が間抜けなものになってしまっていたのか、サキはいくぶん閉口した様子で口もとのパイポを上下させた。


「ピンとこねーか? 日本では、まず格闘系プロレスの連中がブームの下地を作って、そこにブラジルから逆輸入されてきた柔術とバーリトゥードって試合形式が合わさって、今の形に落ち着いたんだよ。ブームの最盛期でも、まだプロレス対柔術って図式の名残はあっただろ?」


「そうか。プレスマン道場の創始者であるレム・プレスマン選手も格闘系プロレス団体の出身だったんすよね。すいません。勉強不足でした」


「別に謝るこっちゃねーや。……で、こいつはわざわざ格闘系プロレスをルーツにするジムでMMAの稽古を積んでから女子プロレスでデビューした変わり種なんだよ」


 そんな説明をしながら、サキはポチポチとリモコンを操作する。


「プロレスの試合は割愛させていただくぜ。おめーが観なきゃいけねーのは、こいつの数少ない格闘技戦だ」


 シャラ=サンシャインこと沙羅選手は、サキの言う通り、あくまで女子プロレスラーである。

 所属しているのも、NJGP───ニュー・ジャパン・ガールズ・プロレスリングという、れっきとした女子プロレス団体だ。


 しかし、格闘技色の強い空手やキャッチ・レスリングなどをバックボーンにしているだけあって、彼女は常々「格闘技戦」というものに強い執着を見せていた。


 ルールは《アトミック・ガールズ》とほとんど変わらない。オープンフィンガーグローブを着用し、グラウンド状態における打撃も有効。勝利条件はKOかTKOかギブアップのみ。国際基準に近いMMAのルールで海外の選手を招聘し、彼女はそれに三戦三勝していた。


 一戦目は、グレコローマン・スタイルのレスリングをバックボーンとするアメリカの選手に、鮮やかなハイキックでKO勝利。

 二戦目は、キックボクシングをバックボーンとするオランダの選手に、両足タックルからの腕ひしぎ十字固めで、一本勝ち。

 三戦目は……なんと、ユーリが引き分けたブラジルのノーマ・シルバ選手と対戦し、二ラウンド一分十六秒、怒涛の打撃技でKO勝利を奪取していた。


「ありゃりゃ……ノーマ選手、負けちゃったぁ……」


「立ち技の技術に差がありすぎたな。なんでもこいつは小学生の頃から空手を習ってて、その後レスリングにハマったらしい。寝技にも立ち技にも死角のない、なかなか優秀なオールラウンダーってこった」


「なんか……プロレスラーっていうよりは、普通に総合の選手っすね。体型だってレスラーっぽくないし、これで本業はプロレスラーっていうほうが不自然な気がします」


「ふん。こいつは格闘系プロレスの選手に憧れてプロレスラーになったらしいからな。最初っから総合で闘える技術を磨きながら、『プロレスこそ最強』って古式ゆかしいキャッチフレーズを使いたかったんだろーよ」


「なかなかユニークな発想っすね。この選手は計算高いっていうサキさんのお言葉が、少し理解できた気がします。……それにしても、外国人選手に三連勝だなんて、普通に強いっすよね。ユーリさん、大丈夫っすか?」


「大丈夫だよ。アタシからの課題をきちんとクリアできればな」


 ユーリが口を開く前に、サキがあざとく答えをかっさらった。

 ユーリは虫歯でも痛むような顔つきで「うーむ」とうなりだす。


「だけどこの沙羅って選手、雑誌やテレビではもっと華やかな印象だったんだけれども。ファイトスタイルもワイルドだし、なんか、思ったよりもプリチーじゃないにゃあ。お顔も別人みたいにおっかなくなっちゃってるし!」


「試合を観戦しての第一声がそれっすか! ……そりゃあ試合中にそこまでばっちりメイクしてるのは、ユーリさんぐらいのもんっすよ」


「ああ、そうかあ。でも、うり坊ちゃんもすっぴんだよね? すっぴんだったら、うり坊ちゃんのほうがかわゆいぐらいだねぇ」


「な、何をわけのわからんこと言ってるんすか! もうちょい真面目に考えてください!」


「考えてるよぉ。このコはファイターとしてだけじゃなく、副業のほうでもライバルなんだから。先月号の『ジュピター』でのコート姿は、なかなかのかわゆさだったにゃあ」


「……で、本業のほうは? まさか、今さらアタシとの約束を破ろうってハラじゃねえだろうなー?」


 サキにぐっと詰め寄られて、ユーリは視線を泳がせる。


「そりゃあもちろん、そんなつもりはないけどぉ……でも、ジョン先生って、たしかもともとムエタイの選手だったんだよね?」


「おう。それから総合に転向したんだけど、五年ぐらい前に右膝をやっちまってな。まだ引退するようなトシじゃねーんだけど、他にもあちこちガタがきてたから、すっぱりトレーナー業に専念することに決めたらしーぜ」


「ふぅん。……これは偏見かもしれないけどぉ、ムエタイって立ち技の中でも特に野蛮なイメージがあるんだよねぇ……」


「あん? そいつは肘打ちで流血が多いからとか、そんなていどの理由だろ。アトミックじゃ肘打ちは禁止なんだから関係ねーよ。……つーか、格闘技やってるくせに野蛮もへったくれもあるか」


「うん、それはそうなんだけどねぇ。でも、やっぱりユーリにもこれまで積み上げてきたイメージってもんがあるじゃん? ユーリが目指してるのは強さとかわゆさを兼ね備えたベル様みたいなファイターだし。こんなかわゆいユーリちゃんが打撃のラッシュで相手をぶちのめすってのは……ちょっといかがなものなのかにゃあ」


 それを聞くなり、サキは「よっこらしょ」と大儀そうに立ち上がった。


「半年間、世話になったな。後の面倒は瓜にまかすから、道場で会っても知らんぷりしてくれや」


「うわわ、嘘だよ、嘘だってば! 別に約束を破ろうってわけじゃないの! サキたん、ユーリを見捨てないでぇ!」


 ほとんど胴タックルのような勢いで、ユーリがサキのほっそりとした腰にしがみつく。


「嘘か。嘘つきはカマドウマの次に嫌えだ。なおさらアタシには話しかけねーでくれ」


「嘘じゃなかったです! ただこのナイーブなハートをしめつける不安感が口からこぼれ落ちてしまっただけなのです! 泣き言は言っても嘘はつきませぬ! 約束も破りませぬ!」


「うるせー牛だな。近所迷惑だ。……それに馬鹿力でベアハッグを極めてんじゃねーよ。アタシの華奢な背骨が折れちまうだろーが」


「放さないよ! サキたんはずっとユーリと一緒なの!」


 とりあえず話はまとまったようなので、瓜子は抑えこんでいた嘆息を解放することにした。


「まったく……本当に仲がいいんすね、おふたりは」


「心の底からお慕い申し上げておりまする!」


「アタシは心の底からうざってーよ」


 それでも、ユーリが試合やトレーニング以外で身体に触れることができるのは、このサキただひとりであるらしいのだ。

 いまだに同じベッドで寝起きをともにしていながら、気持ち悪がられないように気をつけなくてはならない瓜子としては、羨ましいなどとは一ミリも思えない反面、やっぱり少しだけ複雑な心境だった。


(この部屋で暮らし始めて、やっと一週間か……)


 なんだかもう、何ヶ月もこんな風にドタバタと過ごしているような気がしてしまう。

 日中はユーリの仕事の付添人、夜はプレスマン道場かこのリビングでトレーニング。その合間にはこうして何やかんやと騒いでいるので、退屈する時間などは微塵もない。


 しかしまた───そんな忙しさにかまけて、瓜子は自分の問題をすっかり先送りにしてしまっていた。

 いまだ籍を残したままの品川MAジムには、今年に入ってから一度も顔を出していない。

《G・フォース》からも、試合のオファーはまったく来ない。


 自分は、何から手をつけるべきなのだろう?

 二人の大騒ぎする姿を眺めながら、瓜子はひとりそんな想念にとらわれてしまっていた。

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