03 昼下がりの茶番劇

 バラエティ番組の収録は、赤坂のスタジオで執り行われた。

 なんと民放の、深夜番組であるらしい。


 早寝早起きを信条とする瓜子は聞いたこともないような番組名だったが、若手のお笑い芸人が無謀な企画にチャレンジをする、という趣旨の三十分番組であるとのことで。午後の一時過ぎにスタジオへと到着したユーリはプロデューサーだかディレクターだかいう小太りの中年男と弁当をつつきながら打ち合わせをして、瓜子はひたすらその背後で二人のやりとりを拝聴していた。


 そして、グラビア撮影のときよりもげんなりとしてしまう。

 なんと今回の「無謀なチャレンジ」とは、ド素人の若手芸人がユーリ・ピーチ=ストーム選手に総合格闘技の試合を挑む、というものであったのだ。


「……最初のチャレンジャーがヤッくんで、彼は虚弱なヘタレ芸人です。少しぐらいのアクシデントはしかたありませんが、流血や骨折の事態にはならないよう配慮してあげてください。本当に、ちょんとつつけば倒れてしまいそうな男の子ですので」


「ふむふむ」


「二番目のチャレンジャーは、筋肉芸人のスグルくん。ボディビルが趣味なので力はまあまあありますが、見かけ倒しが彼の芸風なんで、やっぱり弱いです。別番組の収録でも、女子プロレスラーを相手に十秒でギブアップしています」


「にゃるほど」


「最後のチャレンジャーが、ケンペーくん。ただいま売り出し中のふとっちょ芸人で、身長は百七十四センチ、体重は百二十キロ。これまた根性なしが売りなんですが、高校時代は柔道部で、いちおう黒帯です。キレキャラの一面もあるので、あまり追い込みをかけるとロボコンみたいに暴れだすかもしれません」


「……ロボコン?」


「失礼。気にしないでください。……当番組はヤラセなし、彼らが本気で苦しみもがくサマを撮りたいので、手加減などは一切無用です。彼らにも手加減はさせません。……しかしですね、彼らが全勝などしてしまうと番組の旨みが損なわれてしまいますので、そうなった場合は他の選手を呼んで第二戦を執り行う必要が出てきてしまうのです。そうなると、単純計算で制作費用が二倍に膨れあがってしまうのですね」


「あははぁ。大丈夫ですよぉ。ユーリはいちおープロですから!」


「……可能であれば、ヤッくんとスグルくんには完勝していただけると番組的には盛り上がります。ケンペーくんは体重が体重ですし、柔道の経験もありますし、彼に苦戦するようなことがあってもプロファイターとしてのユーリさんの名前に傷はつかないと思いますが……」


「はぁい。ご期待にそえるように頑張りまぁす」


 ユーリの笑顔を心配そうに振り返りつつ、やがて男は部屋を出ていった。

 六畳ていどの小さな楽屋である。畳敷きで、粗末なテーブルと鏡台がある他にはなんにもない。

 仕出しの弁当を三名分もたいらげたユーリは「よし!」と一声あげるや、おもむろにカーディガンやブラウスを脱ぎはじめた。


「撮影開始まで、あと三十分って言ってたよね? 大急ぎでアップを済ませないと!」


「……ユーリさん、大丈夫なんすか?」


 あっというまに下着姿になってしまったユーリから何となく目をそむけつつ瓜子がそう呼びかけると、「何がぁ?」という不思議そうな声が返ってきた。


「何がじゃないっすよ。男相手に勝てるんすか? どんな素人でも、男は男っすよ?」


「ありゃりゃ。信用ないんだにゃあ。このルールだったら大丈夫だよ! 目潰し、噛みつき、金的攻撃以外はオールOKのバーリトゥードなんて、ユーリのやりたい放題じゃん!」


「……やられ放題にならなきゃいいっすけどね」


 数分後、ユーリは完全武装になっていた。


 ハーフトップの胸あてに、おしりの形が丸わかりのショートスパッツ。カラーリングはやはりピンクとホワイトだが、昨日のコスチュームとは少しデザインが異なるようだ。さきほどのビキニ姿よりはよほどマシだが、それでもやっぱり露出は多いし、胸の大きさを強調するようなホルターネックのデザインでもある。


 そしてふだんの試合とは異なり、スパーリングで使用するような膝あてとすねあて、ニーパッドとレガースパッドを着用し、拳にはおなじみのオープンフィンガーグローブ。ただしその下にバンテージは巻いていない。


「……よくもまあ、試合の翌日にこんな仕事を入れられるもんすね?」


「えー? だってユーリ、試合でケガしたことなんてほとんどないもん! いっつも一ラウンドで試合は終わっちゃうしさぁ」


 それはつまり、ケガをするヒマもなく、あっというまに負けてしまうということか。さすがは地上最弱のプリティファイターである。

 畳の上でストレッチを始めたユーリを横目に、瓜子はこっそり溜息をついた。


(ま、この人の弱さは周知の事実なんだ。素人とはいえ男相手に三連敗したところで、誰の胸も痛まないか)


 そんな瓜子の思惑も知らぬげに、ユーリは終始、楽しそうな表情を浮かべていた。


                ◇


 セリ台を使用した大仰な登場シーンおよび対戦前の挨拶シーンを撮影し終えると、その後はもうすぐに対戦のシーンだった。

 とても小ぶりのスタジオなので、リングなどを持ち込めるわけもなく、そこに用意されていたのはジムでもよく見るラバー製のジョイントマットである。


 ヤッくん、スグルくん、ケンペーくんと紹介された三人のお笑い芸人がずらりと立ち並び、レフェリーは───呆れたことに、瓜子でも顔と名前を知っている、有名な現役の悪役プロレスラーだった。


「手前ら! もしも女に負けるようなことがあったら、俺が根性を叩きなおしてやるからな!」


 芸人たちとは比較にもならない頑強そうな図体に、マフィアまがいの黒スーツとサングラス。そんな彼が突然ドスのきいた声でがなりだしたので瓜子はびっくりしたが、よく見ればカメラが回っている。どうやらこのプロレスラーは芸人たちの鬼コーチという設定であるらしい。


「はい、カット! ……それでは対戦シーンに入りまーす。ユーリ選手、鮫島選手、それに一番手のヤッくんは、マットの中央にお願いします」


 声をかけられた三名が、それぞれ異なる表情で言われた場所に進み出る。

 と───サングラスに隠された鮫島選手の目が、値踏みするようにユーリを見た。


「お前さん、本当にプロの格闘家か? ずいぶん色っぺえカラダをしてるじゃねえか」


「えー、そうですかぁ? ありがとうございますぅ」


「……こんな腰抜けどもでも、いちおう男だ。油断して怪我するんじゃねえぞ?」


 なんと、意外に気のいい男ではないか。

 そんな風に思いつつ、瓜子はなんとなく面白くない。


(それにしても……本当に勝てるのかな、ユーリさんは)


 最初のヤッくんは、問題外だ。身長はユーリよりも小さいぐらいで、体重は……へたをしたら、瓜子よりも軽いぐらいかもしれない。ガリガリのガイコツみたいな体型で、坊主頭で、小動物のような目つきをしており、だぶだぶのタンクトップからはアバラの浮いた薄い胸板がのぞいている。コレに敗北するようなら、ユーリは本当にプロファイターを廃業したほうがいい。


 しかし、二番手のスグルくんとやらは、身長こそ百七十センチそこそこであったが、確かにボディビルダーらしい小麦色のマッチョボディで、腕の太さなどは鮫島選手にも負けていない。角刈りで温和そうな顔つきをしており、あまり緊張もしていないようだ。


 そして、三番手のケンペーくんとやらは……自堕落な私生活が見え見えの肥満体だが、百キロオーバーの巨体というのはそれだけで武器だろう。もしも瓜子がこのような巨漢と闘う羽目になってしまったら、ひたすらステップを踏みながら逃げまどい、ローキックで膝を削るしかない、と思う。


「……ファイト!」


 そんなことを考えている間に、第一戦目が始まってしまった。

 ガリガリの痩身にはあまりにも不似合いなグローブやらレガースやらを装着した、ヤッくん。

 スーツ姿のままレフェリー役をつとめるらしい、鮫島選手。

 そして、見た目はセクシーなグラビアアイドルにしか見えない、ユーリ。


 ……茶番だ。

 バラエティ番組の収録なのだから当然だが、溜息が止まらないぐらいの茶番劇である。


(うわ……なんだか見てられないなぁ)


 なまじ負けられない相手だけに、瓜子はこの初戦が一番緊張してしまった。

 しかし、勝負は瓜子が想像していた以上にあっけなく終了することになった。

 ユーリが無造作に繰り出したハイキックが、ものの見事にヤッくんの左側頭部を撃ちぬいてしまったのである。


 それでもいちおう手加減はしていたのか、あるいはレガースで威力が落ちたのか、そもそも人間をKOする力などは備わっていなかったのか、クリーンヒットしたわりにヤッくんは「痛あっ!」と元気いっぱいに叫びながら、マットの上に倒れこんだ。


 ユーリはすかさずその上にのしかかり、「えいえい」とポカスカ殴りつける。

 専門用語で解説するならば、いちおうマウントポジションからのパウンド、ということになるのだが。そんな言葉を使うのがためらわれるぐらいの、子供のケンカじみた攻撃だった。


 ちっとも力などこもっているようには見えない。それでもヤッくんは首をひねられたニワトリのような悲鳴をあげて、マットをタップしまくった。


「それまで! ……それでも男か、馬鹿野郎!」


 と、鮫島選手がヤッくんの身体をひきずり起こし、背後からチョークスリーパーを極める。ヤッくんは白目をむきながら、今度は鮫島選手の太い腕をタップすることになった。


 彼らを取り囲んだテレビ局のスタッフたちは、腹を抱えて爆笑している。

 なんだか、無茶苦茶だ。


「……大丈夫ですよ。今は無音なので味気なく感じられますが、放映時にはゴングの音やBGM、それに実況のアナウンスなどもかぶせる予定ですので」


 突然背後からそんな風に声をかけられて、瓜子は飛び上がるほど驚いた。

 あの、楽屋にまで打ち合わせに来た小太りの中年男が、いつのまにか瓜子の背後に立ちつくしていたのだ。


「とりあえずヤッくんには完勝していただけて、ホッとしました。この調子でスグルくんにも勝っていただければ、番組として形にはなります」


「はあ……そうですか」


 鮫島選手に「ウィナー!」と右腕をかかげられたユーリの前に、そのスグルくんが躍り出る。


「ヤッくんの仇! ボクが相手だっ!」


 ハンディのカメラが、三人に寄っていく。

 ユーリはそちらに向かって流し目でウインクをした。


「ユーリだって負けないよ! ぺしゃんこにしてあげるから、かかってきなさい!」


 ……やっぱり茶番だ。


 ボディビルダーのスグルくんはヤッくんと同じ轍を踏まぬよう、慎重に腰を落としてユーリの周囲をぐるぐると回りはじめた。

 体格がいいからだろうか。それだけで雰囲気的にはいっぱしのレスラーか何かに見えてしまう。

 しかし、足の運びはいかにも素人くさかった。


「でやあっ!」


「うきゃあっ!」


 二人の声が、交錯する。

 スグルくんがタックルを仕掛け、それをくらったユーリが背中からマットにひっくり返ってしまったのだ。


(うわ……)


 万事休すだ。

 自分よりも身体の大きい、しかも筋肉の塊みたいな男にのしかかられては、逃げることなど不可能だろう。

 さきほどのユーリがそうしたように、もしもスグルくんが拳を落とし始めたら───そのように考えただけで、瓜子はぞっとしてしまった。


 しかし、悲鳴をあげたのはスグルくんのほうだった。


「あいたたたたっ!」

 

 ユーリの白くてふくよかな両足が、スグルくんの頭を右腕ごとからめとっている。

 その丸太のような腕の先端を、ユーリの両手がぎりぎりとひねりあげており、肘関節がおかしな方向に曲がりはじめていた。


 柔道で言う、三角絞めだ。

 いや、肘関節を極めているから、腕ひしぎ三角固めと呼ぶべきか。

 ユーリの太ももにプレスされたスグルくんの顔が、苦悶に引き歪む。


「それまで! ……なんちゅー情けない声を出すんだ、手前は!」


 ユーリの拘束から解放されたスグルくんは、すぐさま鮫島選手にビンタをくらって、泣き面に蜂という格言をこれ以上ないぐらいまざまざと体現してくれた。


「くそお、うらやましい! ボクも同じコースでお願いします!」


 ふざけたことをぬかしながら、ケンペーくんがドスドスとユーリの前に進み出る。

 ユーリは腰に手をあてて、前かがみになりながら、アカンベーをした。


「おんなじ技じゃあテレビを観てる人が退屈しちゃうでしょ? あなたは違う技で肉ダンゴにしてあげるよ!」


「ふおお! 見た目と真逆のドSキャラなんですね! 正直、しんぼうたまりません!」


 頬肉におしあげられた小さな目をキラキラと輝かせながら、ケンペーくんは両腕を振り上げる。

 ブタとクマをかけあわせた新種の珍獣みたいだな、と瓜子は思った。


「ノってるなあ、ケンペーくん。番組的にもこれはベストな流れですよ」


 小男が、また小さな声でつぶやいた。


「ディレクターもカメラを止めようとしない。このままストレートで撮りきるおつもりのようです。……ユーリさんは本当に華のある女性ですね。自然体なのに、キャラも立っている。あれは天性のスターですよ」


「……はあ」


「小悪魔的なのに、毒がない。あれだけの色気を振りまきながら、表情は無邪気で初々しい。彼女が男性からも女性からも強い支持を受けているというのも納得です。……私はね、彼女が欲しいんです」


 瓜子はぎょっとして振り返ったが、小太りの中年男は真剣そのものの表情で、ドタバタと追いかけっこを始めたユーリたちの姿を見つめていた。


「おかしな意味ではありません。タレントとして、アイドルとして、芸能人として、彼女の存在を最大限に活かしてあげたいんです。彼女は格闘技の選手としては、三流の部類なんでしょう?」


「……まあ、そんな風に言われてもしかたがないぐらいの戦績ではありますけど」


「それでも彼女は格闘技の世界で、絶大なる人気を獲得しているのだと聞き及んでいます。試合で結果を残せていないにも拘わらず、それほどの人気を保てるというのは、ひとえに彼女のスター性のおかげと思うのですが、いかがでしょう?」


「それはまあ……そうなんだろうと自分も思います」


「もったいない話です。彼女が本当に輝ける場所は、格闘技のリングの上なんかではない。私にはそうとしか思えません」


 瓜子は無言で、男の顔から目をそらした。


 マットの上では、勝手にすっ転んだケンペーくんのぶあつい背中にまたがったユーリが、笑顔でフェイスロックを極めていた。

 右の頬をしたたかに圧迫され、図太い首を真横にねじ曲げられながら、どこかケンペーくんの表情が恍惚としているのは、逆側の頬にやわらかい弾力の塊をおしつけられている体勢のせいだろうか。


 もちろんユーリだって衣装の下にはチェストガードを装着していたので、ケンペーくんの頬にはそのごわごわとした質感しか届いてはいないはずであったが、何にせよ彼は幸せそうに見えた。

 瓜子は、その薄気味悪い面相からも目をそらす。


「それまで! ……とっととギブアップしろよ、馬鹿野郎!」


 鮫島選手がやんわりとユーリをおしのけて、ケンペーくんの巨体を軽々とボディスラムした。


「け……結婚してください……」


 それだけ言い残して、ケンペーくんはガクリと力つきる。


「しませんよーだ!」


 べーっと舌を出すユーリの右腕を、鮫島選手が真面目くさった顔つきで三たび持ち上げる。


「ウィナー!」


 ユーリは左腕も上げ、「わーい」と心から楽しそうに笑った。

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