第14話 二人展
さて、いよいよ二人展が始まった。朝九時半に会場に到着。二人は、受け付け用テーブルの上に芳名帳を置き、オープンの準備を始めた。望月も既に、会場の掃除を済ませ、一番のお得意さんを迎えに行っている。まだオープンには時間があるが、百合は会場に着いてからそわそわしっぱなしだ。
「なんだかドキドキする」
「別に普通にしていれば良いんだよ。オープンと共に大量のお客さんが来るわけじゃないから」
「そうなの?」
「ああ、せいぜい一日に三十人も来れば良いんじゃないかな」
「ふーん」
「なんだか気に入らないみたいだね」
「できたら一日百人は来て欲しいなあ」
「僕等はまだまだ駆け出しだから、そんなには来ないよ。初日もその半分来れば良しとしなきゃ」
「そっかぁ」
そんな話をしている間に、時間は十時。オープンの時がやって来た。とはいえ、予想通り誰も入っては来ない。
「やっぱり・・・」
肩を落とす百合の頭を清が撫でる。
「まあ、慌てなさんな。もうじき望月さんも来るから」
と、そこにひょっこりと片山画伯が現れた。
「おやおや、お二人さん。もう契りは結んだのかい」
百合は思わず真っ赤になって俯いた。
「はい、展覧会のあと、村を挙げてのお祝いをしてもらい、その場で祝言も挙げました」
「そりゃあ良かった」
画伯は芳名帳に名前を書きながら、微笑んでいる。果たして、弟子たちの間では、期待の大きな展示会には、画伯は一番乗りで現れる、という言い伝えがある。
「とにかく、先ずは作品を見させてもらうよ」
「はい、どうぞ」
画伯は鑑賞するときに、周りに人が居ることを嫌うのだ。恐らく作品を見る為の神経が、散漫になってしまうのだろう。ゆっくりと、作品を鑑賞しながら歩いては、時折立ち止まる。そんな動きが繰り返されていく。と、画伯の足が一枚の絵の前で、ピタリと止まった。そして、全く動かない。
「東君!」
突然呼びつけられ、清と百合は、慌てて画伯の元へ歩み寄った。どう見ても彼の顔は険しく、清からすると怒っているようにしか見えない。彼は恐る恐る画伯に尋ねた。
「せ、先生、どうかしましたか」
「東君、もしかして入選した絵は、四枚組ではなくて、五枚組だったのではないか?」
「・・・」
「黙ってないで、答えなさい!」
恐らく怒られる。清は直感的にそう感じた。しかし、答えろと言われて答えなければ、なおのこと画伯の怒りを買うことになる。もう、意を決して答えねばなるまい。
「実は先生のご推察どおりです」
「やはりそうか」
「はい、すいません」
もう、ここまで来たら謝るしか手だてが無い。と・・・清が頭を下げようとしたとき、逆に画伯は笑い始めたではないか。
「いやあ愉快愉快。日本美術界の錚々たるメンバーが、みんな騙されるとは。いや、騙すなんて、人聞きの悪い言葉は良くないな。みんなばかされるとは。見事だ。この絵は、一枚でも十分に素晴らしいが、やはり他の四枚の絵の芯として置くに相応しい作品だ。東君、なぜこの絵を展覧会に出展しなかったのかね」
「はい、実はこの作品は、私を支えてくれてきた妻への感謝を込めて描いたものでして、本当は誰にも見せない秘蔵の一枚なのです。しかし、今回は望月さんの裁っての願いで、非売品としての展示という条件で出展したんです」
「奥さん、あなたは幸せな人だ。恐らく今回のお客さんならば、この作品に法外な値を付けるだろうに、東君は、お金よりも貴女への愛を選択している」
「え・・・、あのぉ、私、なんて言って良いのか」
「ハハハ、何も言わなくて良いんだよ。東君の横で、いつも笑顔で居れば、貴女は本当に可愛らしい女性だ。もしも東君が貴女を困らせるようなことをしたら、私に言ってきなさい。ま、大それた事のできる奴ではないがね」
そう言いながら、画伯は再び作品を見て歩き始めた。
「良かったね。誉められちゃったよ」
「うん」
二人は受付の方に戻り、安堵の表情で次の客を待つことにした。そろそろ望月が、お得意さんを案内してくるころだ。と、その前に片山画伯が戻ってきた。
「先生、どうぞ腰掛けて下さい。今お茶を出しますから」
清が受け付けの横の、応接テーブルの椅子に腰掛けるよう促すと、画伯はにっこりと笑い椅子に座った。百合がすかさずお茶を出す。
「で、先生。総評は如何でしょうか」
「うん」
お茶を啜りながら、片山はなにか最良の言葉を探しているようだ。
「このお茶は、良いお茶だねぇ、奥さん」
「あ、はい。お客様に粗相のないように、奮発しました」
片山はにっこりと笑い、百合に対してウンウンと頷いてみせる。まるで孫娘を見ているかのような仕草だ。
「東君、今回の作品は、このお茶がよく似合う」
「と言いますと・・・」
清は緊張しまくって、片山の言っている事が理解できずにいるようだ。
「奥さんは、わかってくれましたよね」
「え、でも違っていたら・・・」
「本当に奥ゆかしい女性だ。違っていたらご主人に恥をかかせてしまう。ですか。東君。このお茶ならば、どんな地位の方が来られても良いお茶だと認めます。展示されている作品も、誰が見ても良い作品が並んでいる。私はそう言いたかったんですよ」
百合は嬉しくなって、思わず清の腕を掴んだ。当の清はというと、画伯のあまりにも高評価に呆然としている。
「東君、自信を持ちなさい。五枚組の作品の芯を抜いても入選したんだから。君の作品には癒やしとか、優しさがある。それをもっと二人で増幅させていくんだな」
「二人でですか・・・」
「そう、あの砂絵のようにね。君たちは二人で一人の夫婦画家なんだと私は思うよ。兎に角二人で頑張りなさい」
「「はい」」
『二人で一人の夫婦画家』。清の頭の中に強いインパクトで、この言葉が侵入してきた。百合はというと、小さな声で「めおとがか」と呟いている。これはかなり、お気に入りのようだ。
「さて、そろそろお暇しよう。奥さん大事にしてもらいなさい」
そう言って、画伯が立ち上がろうとしたとき、望月が二人の客を連れてきた。一人は美術コレクターとして名高い安住製薬社長の安住重忠。もう一人は、私設の美術館を所有している長澤英二。どちらも、美術品に対する目は一流である。
「あ、片山先生。どうも御無沙汰してます」
二人は、片山画伯にそう挨拶をすると、早速清に名刺を渡し、自己紹介を始めた。片山は、百合を自分の横に座らせ、小声で彼女に話しかけた。
「鵜と鷹が来たぞ、東君のお手並み拝見だな」
「というと・・・」
「望月君は、東君の気持ちを試すために、敢えて最初にあの様な強力な人間を連れてきたんだ」
「・・・でも、望月さんは約束したんですよ」
「ああ、だから彼は一応東君の味方につく。しかしそれは東君の意志を確認するためだ。もしも東君が折れて、あの絵を売りますと言った場合は、望月君には責任はない。そうだろう」
片山画伯が予測した通りの展開となった。二人は、百合の為に描いた作品を大いに気に入り、購入したいと清に言い寄ってきたのだ。
「先生、あの絵を譲っては頂けないのですか」
「あれは非売品ですから」
「勿体無い、私の美術館としては、あの作品の為に五千万までご用意できますよ」
「いや、私は一億用意します」
二人の出した条件に、百合は目をまん丸にして驚いている。
「い、一億円・・・」
片山はそんな百合に微笑んで話してあげた。
「今はまだ、名前が売れていないが、あの二人は東君の将来性に値をつけたんだ。私からすると、あの作品は一億でも安い。だが君達の心を揺さぶるには充分な金額だろう」
その時、清の大きな声が会場内に響いた。
「お断りします。望月さん、この作品を展示する条件を忘れてはいないですよね。以後この様な駆け引きをするならば、私は全ての作品を撤収します」
この言葉に望月は、慌てて二人の前に立ちはだかった。
「聞いての通りです。今日のところはお引き取り下さい。私がお送りしますので」
「愉快痛快だな。東君、よく言った。恐らく望月君としては台本通りだったはずだが、奥さんも改めて惚れ直したみたいだぞ」
確かに、百合は清を見つめ、ポーッとして頬を赤く染めている。
「私はこれで引き上げるが、奥さんを大切にしてあげなさい。それから望月君を責めてはいけないよ。彼は東清の純粋さを確かめたかっただけなんだから」
「はい、ありがとうございました」
片山画伯が去ったので、百合に話しかけようとしたが、まだ余韻に浸っている。二人きりになったので、百合にキスをすると、漸く我にかえったようだ。
「清さん・・・素敵でした」
「ありがとう」
百合にとっては、この数時間の出来事が二人展の全てかもしれない。無事終了するまでの間、彼女は生き生きと清の世話をしたり、客の接待をしたりと活躍してくれた。そのお陰で二人展は、ほぼ成功に終えることができた。
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