第13話 追い込み
二人は家に戻ると、珈琲を飲みながら、ゆったりと佇んだ。いよいよ明日から、展示会まで集中しなくてはならない。清は主に百合と徳さんの農作業を描く事にした。百合は、砂絵を数点と、ビーズ作品を大小合わせて十点程。そしてアクセサリーの作り貯めしたものを即売品として展示する予定だ。
「さあ、明日からに備えて、今日はゆっくり寝よう」
「はい」
二人は寝室の電気を消し、深い眠りについた。夜中、ふと百合が目を醒ますと、清の姿が無い。
「あれ、どこに行っちゃったんだろう・・・?」
屋内を見回り、ふと玄関に行くと、清は玄関の外に椅子を持ち出して、夜空を眺めていた。百合も椅子を持って外に出て、清の隣に椅子を置いた。
「星を眺めているの?」
「うん、ここで見る星は、僕の人生の中で最も美しいんだ。まるで手を伸ばせば届きそうなくらい。ほら、天の川だって本当に天上界の川のようだろ。だから、こんなに美しい星空を僕の魂に焼き付けておこうと思ってね」
「ふーん、じゃあ今夜は、二人で一緒に魂に焼き付けましょう」
漆黒の闇というのはこういうものか。都会のように、周囲が明るくないから、余計に星がきれいに見える。そして、あの宿の主人の影響も有るのかも知れない。二人で自然の中に包まれ、溶け込んでいく感覚を覚えた。
「私、こんな風に星を見るのは初めて。本当に綺麗ね。まるで黒い台紙に色んなビーズを散りばめたみたい」
「流石、ビーズのアーティスト。発想が違うね。夜空にビーズか。面白いかも知れないな」
「何かヒントでも・・・?」
「ああ、ちょっとね。明日シルバーとゴールドのビーズを少し分けてくれるかな」
「良いけど・・・」
「ま、出来てからのお楽しみだ。さあ、風邪をひいたら大変だ。そろそろ寝よう。今日は腕枕をしてあげるね」
「うん」
百合はその一言だけで、十分満足そうだ。体をピッタリと寄せ合っていると、お互いの温もりを感じあえて、それだけで温かい。清の腕枕の中で、あっという間に安らかな寝息をたて始めた百合。そんな百合の髪に口づけをして清も静かに目を閉じた。
翌朝、朝食を終えると、清は玄関先にカンバスをセットして、下書きを始めた。玄関から見える村の景色を忠実に鉛筆で写生している。果たして、いつも見慣れた風景が作品になるのだろうか。百合は休憩がてら、清の横に行き、じっとカンバスを見つめるが、流石に愚問だと思い、口にだして質問はしなかった。
「この風景が、作品として成り立つのだろうかって、そう思っているでしょ」
「え、あ、その・・・」
なんと答えたら良いのだろう。百合は、自分の気持ちを見透かされ、戸惑ったが、さらに清は言葉を繋いだ。
「僕も何の説明もなく、この下絵を見れば、そう思うだろうね。この下絵を見て素晴らしいなんて感嘆する人はいないと思うよ。だけど昨日感動した星空はこの場所から見た空なんだ」
「・・・」
「ま、出来上がりをお楽しみにしていてください」
清はにこやかに絵を描き続けている。清の言うとおり、仕上がりを待つしかないかのだろう。百合は自分の作業場に戻っていった。今は、兎に角自分の作品を仕上げなくてはならない。彼女は作業に没頭した。とは言っても、やっぱり気になって仕方ない。
「取り敢えず、砂絵を完成させたら、見に行こうっと」
百合は、もしかしたら清に怒られるかも、とは思ったが、そうでもしないと気が済まない自分がいるのだからしょうがない。真剣に砂絵に取り組んだ。清の絵を見たいからといって、雑に仕上げたのでは意味がない。せっかくのコラボ作品を、台無しにするわけにもいかないのだ。
「焦らずに、落ち着いて作業をする事が、早く仕上げるコツなのよね」
そう自分に言い聞かせ、細部にも神経を集中して、作業をこなしていく。
「百合ちゃん、昼飯にしよう」
「エッ、もうお昼ですか」
「とっくに徳さんが支度して帰って行ったよ。なかなか君が出てこないんで、呼びに来たんだ」
百合は時間の経つのも忘れ、作業に没頭していたのだ。しかし、そのおかげで八割がた完成していた。(この調子なら夕方にはできあがるわ)百合は部屋を出て、食卓に向かった。食事をしながら、清は百合の作品の出来具合を尋ねてきた。
「どうだい、君の作品の進捗具合は」
「今日の夕方には砂絵が完成する予定です」
「そうか、それは良かった」
「それが終わったら、清さんの作業を見ていたいんだけど・・・。駄目ですか?」
「気になるかい?」
「ええ、とても」
「じゃあ、終わったらアトリエにおいで」
「わ、やったぁーっ」
ずっと気になっていたのだろう、百合の喜びようは相当なものだ。
「じゃあ、食事が終わったら、一緒に後片付けして、早めに作業を開始しよう」
「うん」
後片付けを済ませると、お互いの作業場に戻り、作業を再開した。目的がハッキリしたので、百合の集中力が増したのか、作業の進みも幾分早くなったようだ。午後四時頃には、砂絵が完成したので、早速、百合は清に作品を見てもらうことにした。
「清さん、見てもらって良いですか」
「どれどれ」
作品をジッと見つめる清。百合はそんな清をちょっと不安げに見ている。
「・・・」
「・・・どうですか?」
しばしの沈黙。百合の顔がどんどん不安そうに変化していく。
「いいねぇ。僕のイメージとピッタリだよ」
「ダメ出しされるのかと思っちゃった」
百合の目にうっすらと涙が浮かんでいる。
「ダメ出し・・・?。こんな素敵な作品にダメ出しなんてするはずがないじゃないか」
清は、近くにあったティッシュで百合の涙を優しく拭いてあげた。
「清さんの作品が見たいなぁ」
百合が甘えた声で呟くと、清は百合を絵の前に連れて行った。百合は、驚きのあまり、声も出せずにいる。カンバスは、一見黒一色に塗られているように見えたのだ。
「真っ黒・・・」
「よぉく見てごらん」
近づいてしっかりと見ると、ただ黒く塗っているのではなく、輪郭に合わせて縦横斜めに筆が走っている。目を凝らしていると、徐々に山の姿や家が見えてきたではないか。
「わかるかい」
「え、ええ」
「この空の部分にビーズを埋めていくんだ」
「星ね」
「そう、油彩が乾かないうちに、今夜星を埋め込んで、出来上がりだ」
「私も横で見ていても良いですか」
「いいとも。ビーズ作りに使うピンセットを貸してくれるかい」
「お安いご用です」
二人は、笑いながらアトリエを出た。
「明日、望月さんに電話して、君の砂絵を入れる額を頼もう」
「うん」
居間に行くと、何やらいい匂いが漂っている。
「お蕎麦かしら」
見ると、徳さんが打ち立ての蕎麦を湯がいているではないか。
「もしかして、徳さんが蕎麦打ちしたんですか」
「そうさ、この辺の年寄りは、みんな蕎麦が打てるんだよ」
「凄い。今度私にも教えて下さい」
「いいともさ。どうだい作業は進んでるかい」
「まあまあですね」
「どうするね。すぐ食べるかい」
「はい、すぐいただきます」
徳さんの家から持ってきた、自家製のめんつゆを薄めて、かえしを作り、盛り蕎麦にして食べることにした。
「やっぱり手打ち蕎麦は盛り蕎麦に限るよね」
そう言いながら、一口蕎麦をすすると、口の中に蕎麦の香りが広がっていく。
「さすがに打ち立ての茹で立てだ、美味しいなあ」
「ホント、凄く良い香りがする」
「そりゃあ今日粉を引いたんだ。蕎麦は三立てっていって引き立て、打ち立て、茹で立てが一番美味しいんだから」
徳さんは自慢気に、蕎麦の解説をしている。そんな姿が二人にはとても可愛く移るのだ。あまりの美味しさに、ついつい食べ過ぎてしまったようで、二人は食休めする事にした。
「今夜九時頃から、作業をしよう。それまで仮眠しようか」
「はい」
二人はベッドに横になるが、お腹がきつくて逆に眠れない。
「少しお話でもするかい」
「食後の運動なんていかがですか」
「運動・・・?」
百合は布団の中に潜り込むと、清の股関を弄った。
「おいおい」
「ふぁーっ、準備ができたみたい」
そう言って、清の手を自分の胸に誘った。「しょうがないなぁ」とは言いながらも、清も満更ではないようだ。二人はジャレ合うように、夫婦の営みを始めた。あの宿の一夜以来、百合は性的に開眼してしまったようだ。
営みが終わると、二人は軽い眠りに入り、ふと気がつくと、時計はすでに夜十時を指していた。清は起き上がり、服を着て、その上にちゃんちゃんこを羽織る。百合を起こそうかどうか迷ったが、気持ちよさそうに寝息を立てているので、そのまま部屋を出ることにした。
しかし、清がカンバスを玄関先にセットしようと、廊下を歩く音で、百合も結局目を醒ましてしまった。百合も衣服を整え、玄関に椅子を運ぶ。そして作業場からピンセットを持ってきた。
「はい、清さん。ピンセット」
「あ、そうだ。それがなきゃ、作業ができないよね。あんまり気持ちよさそうに寝ていたがら、もう少し寝かせてあげようかなって思ったんだけど・・・、良かった百合ちゃんが起きてきてくれて」
「でしょ」
百合はにっこりと微笑んで、清を見つめている。
「ああ」
清は百合の頭を優しく撫でた。
「さあ、じゃあ始めるぞ」
カンバスを照らす灯りは、あの鍾乳洞で使った大きな金平糖。百合がそれを持って、清とカンバスを照らしている。清は星の位置を忠実に再現して、ビーズを油彩に埋めていく。
二時間ほどかけて、ほぼ完成させたが、暗すぎて全くわからない。
「取りあえず明日、山の稜線と、家なみの輪郭を限りなく黒にちかいグレーで入れてみるか」
二時間程外にいたので、体が冷えてしまったようだ。二人はお風呂で体を温めて、ベッドに潜り込んだ。
「さあ、明日も頑張ろうね」
「うん」
二人は体を寄せ合い、ベッドに潜り込んだ。お互いの温もりが、二人を心地よい眠りに導いていった。
翌日、お昼過ぎに望月がアトリエを訪れた。
「作品を拝見しに来ました」
二人は望月の前に作品を並べていく。清の作品と百合の砂絵。絵に合わせて、額縁の色も決定していかなくてはならないのだ。
「良い作品ができましたね。展示会が楽しみです。今回は私共の上質なお客様を招待していますので、きっと良い結果が得られると思いますよ」
とは言っても、まだまだ駆け出しの画家夫妻の作品だ、清はあまり大きな期待はしていない。
「ま、一点でも売れたら有り難いですよ」
「そんなに謙遜しないでください」
「一応、私の恩師にも招待状は出してありますが、どんな評価をされるやらです」
「恩師ですか・・・」
「はい、美大の片山伯道先生です」
「エッ、片山画伯ですか」
「そうです」
望月は驚きの顔をしている。
「どうかしましたか」
「いえ、片山画伯のお弟子さんならば、なおのこと期待大です」
「そうなんですか」
「はい、実は片山画伯は私共と取引きさせていただいているんですよ、だから、今度の個展は、ポスターに画伯の弟子と冠を付けましょう」
「果たして、先生のお許しが出るかどうか・・・」
清は不安そうな顔つきだ。
「私が交渉してみます」
望月は清とは反対に、自信に満ち溢れている。
「片山画伯は、私の父親の代からのお付き合いなんです。任せて下さい」
聞くところによると、望月の父は片山画伯の素質を見抜き、まだ名前の売れていない時から、彼の世話をしていたらしい。だから、望月の頼みを片山が聞かない筈がないというのだ。
「ポスターも急ぎ作成します。ま、第一回個展の記念だと思って下さい。タイトルは『東清、夫婦二人展』です。入り口の張り紙は、私の知り合いの書家の先生に頼んであります」
舞台装置は整いつつある。あとは、二人の作品をどれだけ完成させることができるか、そこに全てがかかってきている。望月が帰ると、二人はせっせと作品製作に勤しんだ。その甲斐あって、展示会の三日前には、予定していた数を間に合わせることができた。
「良かったね。予定通り仕上がって」
二人はほっとした顔でお互いを見つめ合っている。
「展示会の初日には君のご両親と徳さんと越川さん、村長の夫婦を招待しよう」
「そうね。沢山お世話になっているものね」
「ああ」
いよいよ前日。展示会場への搬入作業が始まった。全ての作品を、望月の発注した運送会社のトラックで搬送するのだ。全ての出展作品が運び出されると、二人は体中から力が抜けたような気がした。
「今日はゆっくりとお風呂に入って、しっかりと休もう」
「あれは入れないんですか」
「あれって?」
「子づくりの・・・」
「それは展示会が終わってからにしようよ」
「はーい」
ペロッと舌を出す百合の、徒っぽい顔を見るだけで、清は癒されている。意外と甘えん坊な百合の姿が、可愛くてしょうがないのだ。歳が離れているせいも有るのだろうが、やはり彼女を愛おしく思う気持ちが、その様に感じさせてくれるのだろう。
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