第7話 唯一人の女性に捧ぐ
翌朝二人が目を醒ますと、大変なことになっていた。朝早くから、村人たちが手に野菜や果物を持ってお祝いに来たのだ。
「先生おめでとうございます。偉くなっても村を離れないでくださいね」
そう言って、野菜や果物を置いていく。
貧しい時にも、温かく自分を受け入れてくれたこの村を、離れるなんてことは、東には考えれないことだった。しかし、村人たちにしてみれば、働き手の若い衆は、みんなこの村を捨てて出て行った。そんな記憶があるから、東もやはり出ていくのではないかと不安になったのだろう。
午後になり、村人たちの来訪が一段落すると、今度は画商がやって来た。アトリエにある絵を買い取りたいというのだ。四人がその日の内に挨拶に来たが、それぞれの話を聞き、どの画商と契約を結ぶか一ヶ月後に決めることにした。
それにしても、 今まで二束三文だった絵が、最低でも二十万で買い取ると言うのだから、展覧会の力の凄さを思い知る。なんとなく慌ただしく一日があっと言う間に過ぎてしまった。
夕食を終えると、東は百合をアトリエに連れて行った。
「画商に見つからないように、隠しておいたんだ」
そう言って、部屋の隅から布で覆われた一枚の絵を取り出した。
「見てごらん」
東に促され、布をは外した瞬間。百合は言葉を失った。裸体の百合が、大空に向かって光のシャワーを受け止めている。幻想的で、尚且つ神々しいばかりのその絵は、今までの東の絵を遥かに逸脱し、なんとも表現しがたい程に素晴らしい。
「この絵を・・・私に・・・?」
「そう、僕の宝物の絵を、僕の宝物の君に捧げようと思うんだけど。迷惑ですか」
「迷惑だなんて、とんでもない。でもこんな素晴らしい絵を貰っちゃって良いんでしょうか?」
「いいんです。この絵は幾らお金を積まれても、絶対に売りません。君の為に描いた絵ですから」
百合は、彼が絵をくれた事よりも、彼の気持ちが嬉しかった。こんなにも自分を思ってくれている。その思いが痛いほど、彼女の心にぶつかってくる。今までいくつかの恋を経験したけれど、こんなにも真っ直ぐに自分を見つめてくれた人は居なかった。
「清さん、私・・・今、凄く幸せ。恐いくらい」
「僕も今、凄く幸せだよ」
二人は静かに抱き合い、お互いを見つめ合い、口づけを交わした。
「この幸せをいつまでも壊さずに、一緒に歩いていこうね」
「はい」
二人は、寝室に行き、ベッドに潜り込んだ。そして初めて結ばれた。
さて、夜が明けて今日は東と百合の結婚式と祝賀会だ。朝から百合の着付けと式の支度で、英子と徳さんは大わらわ。英子は会場の支度。徳さんは百合の着付け。その間に東が百合の両親をもてなす。着馴れない羽織袴の東が、改めて挨拶に出向くと、百合の父はすぐに「娘をよろしく」と彼に挨拶した。近い内に両親も、村に戻って生活を始めようと話していたらしい。だから、百合が村に嫁入りする事は願ってもないことだという。
公会堂の二階にある座敷で、昔ながらの形式で祝言は執り行われた。村の世話役達により『高砂』が吟じられる中での三三九度。白無垢の花嫁衣装が眩しいほどに、百合の美しさを引き立てる。来場者たちも口々に、「美しい」「綺麗だ」と連呼している。
祝言を終え、タキシードと、ドレスに着替え終わると、大会場では、祝賀会が催された。テーブルには、それぞれの家庭から持ち込まれた料理が並び、他では味わえない素晴らしいパーティーになった。そこで村長が突然驚く発言をした。
「えー、皆さん。今回の東先生の偉業を称えて、私の私財を投げ打ち、小さいながら東清美術館を建設する事にしました。村で一番のケチん坊と呼ばれたこの私です。漸く貯めたお金を、使うときが来たと喜んでいる次第です」
会場から大きな笑いが漏れる。それと同時に、拍手も起きた。なんとも和やか祝賀会だ。
百合が東の耳元で囁いた。
「美術館ができたら、あの絵も寄贈しなくちゃいけなくなるの?」
東は微笑みながら彼女に答えた。
「その必要はないよ。あの絵はただ一人の女性に捧げたんだ。生涯君の手元に置いといてくれ。あの作品は東清の幻の名作なんだから」
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