第8話 新婚初夜

 なんとも、現代離れした結婚式だった。田舎の婚礼は、恐らく昔はこんな物だったのだろう。そんな想像を掻き立てられるような、祝言。新婚旅行なんて全く考えてなかったが、村人たちの好意で、近くの温泉宿に一泊する事になった。

「なんだか、村の人達にお世話になりっぱなしだね」

 それが二人の実感だ。村を出発して、山道を二時間ほど走った渓谷の中にひっそりと佇む鄙びた温泉宿。二人が着いた午後三時頃には日が山陰に隠れ、薄暗ささえ感じる。宿の裏手には渓流があり、静けさの中に川の流れる音が響いている。

 宿に入ると、主人が出迎えてくれた。

「ようこそおいでなさった。お待ちしておりました」

「今日一晩、宜しくお願いします」

 主人は二人を部屋に案内すると、荷物を置いてすぐに玄関に来るようにと促した。

「清さん、一体何をするんでしょうかね」

「さあ・・・わからないです。取り敢えず行ってみましょう」

 二人が、玄関に行くと、主人は一振りずつ、釣り竿を手渡した。

「さあ、これから夕飯のおかずを釣りに行きます。この辺はヤマメやイワナの宝庫です。沢山釣ってきましょう」

「でも、釣れなかったら・・・?」

 不安げな百合に、主人は笑っている。

「釣れなかったら飯抜きです・・・、なんて言いませんから安心なさい」

 二人はホッとした顔で溜め息をつき、笑いながらお互いを見つめた。

 この宿の主人は、不思議な人だ。ほんの僅かの所作で、二人を和ませてしまう。

「まるで仙人のような方ね」

「そうだね」

 そんな二人の会話が耳に入ったのか、突然彼は「百人にも満たないですよ」などと、突拍子もなくオヤジギャグを発する。その間の良さに、二人は吹き出してしまった。

 宿から十分ほど歩いただろうか、三人は釣りのポイントにやってきた。ごつごつとした大きな岩や大きな石が、川を小さく蛇行させている。川幅は狭いところでは二メートル位広いところで五メートル位だろうか。それ故に、急流と淀みがあり、魚が棲息するには最適な条件なのかもしれない。周囲の景色も、長年この川に浸食されてきたのだろう、小さな渓谷の姿をなしている。そんな勇壮な美しさに見とれていると、主人はお構いなしに説明を始め、川に糸を垂らした。

「さて、今日の餌はイクラを使います。針に二粒イクラを刺して・・・」

 二人も主人に教わった通りに餌を付け、川に糸を垂らした。

「イクラを餌にするなんて、贅沢な魚だな」

「ホント」

 そんな会話をしているうちに、主人は一匹釣り上げた。

「コイツは良い型のイワナだ。刺身になりますよ」

 二人は、感心しきりである。

「ほら、旦那さん引いて」

 と、清の竿にはヤマメが掛かった。

「凄い凄い。清さん釣れたね」

「ああ、こんなに気持ちの良いことは、初めてだ。釣りって面白いな」

 主人はにこやかに笑っている。

「丘でこんな気立ての良い娘さんを釣って、渓流では山女を釣って、こりゃ色男だね」

 二人は思いっきり笑い出してしまった。結局、主人がイワナ五匹とヤマメ三匹、二人合わせてヤマメとイワナを二匹ずつ、計十二匹の釣果だった。

 夕食は釣り上げた魚を主人がさばいて、刺身と塩焼きにする事になった。広い居間の真ん中にある囲炉裏に、串刺しのヤマメとイワナを炎から遠ざけて立てる。背鰭と尾鰭にはしっかりと化粧塩がされていて、徐々に香ばしい香りが漂い始めた。自分たちが釣った魚を食べるなんていうのは、初めての体験なので二人とも興味津々だ。

「早く食べたいね」

「うん」

 二人が魚をジッと見つめていると主人は笑いながら二人に声を掛けた。

「まだまだじっくりと焼かないと食えないから、風呂でも入っておいで、今日は他に客が居ないから、二人で仲良く入れるから」

 主人の言葉に百合の顔がほんのりと赤く染まるのが見て取れる。

「囲炉裏の火で、顔が火照ったみたい」

 恥じらいながら、言い訳をする百合を清は可愛く思った。

「じゃあ、背中を流してもらおうかな」

「はい、旦那様」

 全ての会話が新鮮で、なんとも楽しいのだ。

 風呂からあがってくると、囲炉裏端に夕食の支度がされていた。イワナの刺身、イワナとヤマメの塩焼き、蕨のお浸し、ウドの新芽とタラの芽の天ぷら、山蕗の味噌汁。山で採れた物づくしだ。

「素敵。自然の中の宿っていう感じですね」

 百合は感動しきりだ。

「こんな山の中に住んでいると、自然の恵みに感謝する気持ちが涌いてくのさ。自然の中で生かされているんだよ」

「自然の中で生かされているか・・・、良い言葉ですね」

「ああ、どんなに背伸びしたって、自然の力には勝てっこない、ならば自然と仲良くするしかないんだ。そうすれば、自然は自分を生かしてくれるのさ」

 尤もな話だ。どんなに科学が発展し、かなり正確に天気の予測ができるようになってきた。とはいえ、科学の力で天候を変化させたなどということは、聴いたことかない。ましてや地震などは、予知すらもできないでいる。とどのつまり、人間が大自然に叶うはずがないということだ。ならば、大自然の中の一部であることを認め、その中に溶け込んで生きた方が、楽しいのかもしれない。

「ご主人、また時折二人で訪ねて来ても良いですか?」

 清の質問に、主人は笑顔で頷いている。

「お魚も山菜も何もかも美味しいわぁ」

 百合は二人の会話とは関係なく、食事に舌鼓を打っている。

「ハハハ、そうか。美味いか。たんとお食べなさい」

 主人は嬉しそうに高笑いした。きっとこの人は、感情の起伏をハッキリと面に出す人なのだろう。ふだん滅多に人と会わないから、こうして余所から来た人と話ができることが、楽しくて仕方ないのかも知れない。だから彼は、二人を和ませようとしているのではなく、恐らく彼自身が、二人と接する事を楽しんでいるのだろう。清はそんな感じがしてきた。

(ようし、そうならば、僕も一緒に楽しませてもらわなくちゃ損だな)

 清も「美味い、美味い」を連呼しながら食事をした。此方の感激が、そのまま主人の顔を緩めていく。そんな感じだ。

「気に入った!」

 主人はそう言うと、台所の方に歩いていき、小さなコップに何かを注いで持ってきた。

「な、何ですか?」

「まあ、旦那さん取り敢えず、飲みなさい」

 何やらアルコールであることは間違いない。少し薬臭い感じもする。だが、せっかく自分達を気に入ってくれて出してくれたのだ、飲まないわけにはいくまい。清は、一気に飲み干した。

「いやぁ、良い飲みっぷりだ」

 いや、良い飲みっぷりなのではなく、恐らくチビチビと飲めば、途中で強い臭いのため、飲めなくなるような気がしたから、一気に飲み干しただけなのだ。

「かぁーッ、効きますねぇ、何だか体の内側から熱くなってきました」

「そうだろう。これは特製のマムシ酒だからな。奥さん今夜は大変だぞ。ハハハ」

 何でも、普通のマムシ酒にクコの実、ウコン、ウコギ、朝鮮人参などを漬け込んでいるらしい。強力な精力剤といったところだ。百合は顔を赤らめ、チラッチラッと清の様子を伺っている。

「ご主人、あんまりからかわんで下さい」

「いやいや、今日はお二人にとっての大切な日だからこそですよ。旦那さん、せいぜいお気張りなさい」

 あからさまに言われると、清は「ハイ」と返事をするしかなく、何とも不思議な気持ちになった。主人の話しぶりは別にイヤらしさもなく、あっさりと言ってのけるからかも知れないが・・・。

 二時間位話をしていただろうか。「さあ、そろそろ効き目が出てくる頃だ、邪魔者は退散しますよ」言って主人は、食事の後片付けをして、奥の自分の部屋へと入っていった。

「不思議なご主人ね」

「ああ、でも・・・」

「でも・・・、何?」

「確かに、効いてきたみたいだ」

「ヤダ、清さんたら」

「僕らも、部屋に戻ろうか」

「うん」

 部屋にはいつの間にか、布団が敷かれていた。

「百合ちゃん」

 あらためて清が正座して、百合を呼んだので、彼女も彼の前に正座した。

「これから、ずっと二人で仲良く暮らしていきましょう。宜しくお願いします」

「此方こそ不束者ですが、宜しくお願いします」

 お互いにお辞儀をすると、二人は微笑みながら、口づけをした。

「ねえ、本当にあの酒効いているみたいだよ。痛いくらいガッチガチだよ」

 清が百合の手を、ソッと自分の股間に導くと、彼女は驚いた。

「ホントだ」

 二人は布団の中に入り、静かにお互いを愛撫しあい、そしてゆっくりと初夜の儀式をはじめた。そして山の夜は何事も無いかの如く静かに更けていった。ただ一つ、渓谷の中の鄙びた宿の部屋以外は・・・。

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