第3話 失恋
それから数日たった、ある晴れた日。白い軽自動車が校庭の中に入ってきた。百合がやってきたのだ。彼女は車から降りると、何やら大きな紙袋を二つと、肩掛け鞄をもって校舎の中に入ってきた。
「東さん、いらっしゃいますかぁ」
東を呼ぶその声が、広い校舎の中に響き渡る。するとアトリエの方から、東の足音が聞こえてきた。結構早足だ。彼はスリッパを履いているので、ドスドスという音と、ペタペタという音が百合のいる玄関の方に段々と近付いてくる。
「やあ、いらっしゃい。随分な荷物ですね」
「先日お話した私の作品を見ていただこうと思って」
「ほう、それは楽しみです。どの様なアクセサリーがあるのか、私は実際に見たことがないものですから」
そう言いながら、彼は百合を昔の職員室に招き入れた。この部屋は彼が居間兼応接間として利用している部屋だ。ま、応接間と言っても彼を訪ねてくる客など皆無に等しい。
「あら、先日来た時と、部屋の雰囲気が違いますね」
「はい、貴女が来た時の事を考えて、応接室を模様替えしておきました」
とはいえ、貧乏画家の模様替えとは、掃除をして室内を小綺麗にし、自分の書いた絵を一枚壁に飾っただけの事なのだが・・・。
「じゃあ、後でこのお部屋を完璧に模様替えしましょう。せっかく此処まで綺麗に掃除したんですもの、勿体無いわ。先ずは、私の作品を見ていただいてからね」
そう言うと百合は、紙袋の中の作品を説明を加えながら机の上に置き始めた。
「私の作品は、全部スワロフスキーのクリスタルビーズを使用してるんです」
色とりどりのビーズが光を反射してキラキラと輝いている。ハート型のペンダントヘッドやブローチに始まり、小さなバッグや指輪など、素敵な作品ばかりだ。
「これ、みんな貴女が作ったんですか?」
「はい、私のオリジナルです。作品の作り方を指南する本も出しているんですよ」
そう言って別の紙袋から、テキストブックを五冊取り出した。
「凄い!」
そう呟きながら、東の顔はドンドン暗くなっていく。(この人は、既にこの世界では、名が知れ渡っている人なんだ。それに比べて自分は売れもしない絵を描いているだけの三文画家。釣り合うはずもない)彼の心の中には、劣等感がどんどんと、まるで入道雲のように広がっていく。
「東さん、どうなさったんですか?」
「あ、いや、別に・・・」
彼の雰囲気が一変したことに気づいた百合は、一体彼に何が起きたのか計りかねた。何か気に障る事でも口にしてしまったのだろうか・・・。静寂が二人の空間を包み込んでいる。
「あっ、そうだ。東さんの絵をまた見せてもらって良いですか?」
「先日も見たのに?」
「だって貴方の絵を見ていると、子供の頃を思い出せるんですもの」
「じゃあ、お好きにどうぞ。私は出掛けてきます」
「えっ・・・?」
「今日は画材を買いに行く予定だったので」
「じゃあ、私の車で行きませんか?」
「結構です。バスで行ってきますから」
なんだか分からないが、突然嫌われてしまったみたいな雰囲気だ。百合としても、為す
「あ、あのぅ・・・。私、東さんに何か悪いこと言いましたか?」
「いいえ、別に。ただ僕が夢から覚めただけです」
夢から覚めた・・・?。何の事だか百合にはさっぱり分からない。ただただ困惑した表情で、百合はなんとかして彼の心を読みとろうとした。しかし、彼の顔は全く無表情で、何を考えているのか読み取る事ができない。
「絵を見終わったら、適当にお帰りください。別に鍵はかける必要はないですから。では私は出掛けてきます」
一人にされて、百合は悲しくなった。一体何が彼を変えてしまったのか、自分が何を彼にしてしまったのか。彼が出掛けると、百合は絵も見ずに、校舎をあとにして、徳の家に行った。
「百合チャン、どうしたんだい、浮かない顔をして」
「私、彼に嫌われてしまったみたい」
彼女はうなだれて元気が無い。
徳は慌てて、村長の所へ百合を連れて行った。しかし、役場に行っても、誰一人として彼女を立ち直らせるだけの言葉をかけてあげられる者は居なかった。
「どうしたもんかなあ、夕鶴作戦も最初で
みんな頭を抱えている。新たな作戦を練るにも、全く浮かばない。東が百合を好いていないのならば、どうしようもないのだ。
「百合チャンだったら先生とお似合いだと思ったのにねえ」
みんな、ウンウンと頷いたが、全く百合を慰める言葉にはなっていない。只々、時間だけが過ぎていくだけだ。結局、なんの結論も出せぬまま、彼女は町に帰っていった。
夕方、東がアトリエに帰ると、徳さんが食事の支度をして帰ろうとしていた。
「あ、徳さんいつもすいませんね」
「良いんだよ。わたしゃ村一番の世話好き婆さんなんだから。ところで先生。さっき、こないだの可愛い娘さんが来ていたようだけど、どうしたんだい」
東は半ば覚めたような顔で横を向き、徳さんに表情を読まれないように注意しながら返事をした。
「ああ、あの人は絵が見たいって言うんで、見せてあげただけですよ。別にそれ以上の関係はないです」
「そうかね。ただそれだけの人が、夜泊まっていくかね」
「え、まあ、その、なんです。絵を見ている間、デッサンさせて貰ったんです。ただそれだけですよ」
「ほんとかえ。好きとか、綺麗とか可愛いなんて思わなかったんかい」
直球勝負の質問に少したじろいだが、東は大きく息を吸い、冷静さを失うまいとしている。
「そりゃあ私より十歳以上若いんですから、ピチピチして可愛らしいですよ。でも、それだけです」
「へー、それだけですか」
「はい、それだけです」
「ホー、それだけね。まあ、いいや。ご飯用意しておいたから、食べてくんない」
徳は家に帰っていった。
(見抜かれたかもしれないな。でも、無理なものは無理だ。いくら私が彼女に好意を持ったところで、今の生活に恐らく彼女は満足できないだろう。となれば結局どちらも傷ついてしまう。傷が深くならない内に諦めた方がいいんだ)
東は必死に自分に言い聞かせていた。
百合はどうだったかというと、東の事がやはり心から離れない。彼の描いた絵は、百合の思い出の風景そのものであり、その風景を作品として残してくれている東のアトリエが、彼女には宝の部屋に見えてしょうがないのだ。それにも増して、その様な作品を地道に描き続ける東に対して、憧れさえ感じていたのだ。しかし、なぜか分からないが、嫌われてしまった以上、もう東の作品を見ることは叶わない。そう思うと、淋しい気持ちになり、思わず目から涙がこぼれ落ちてしまった。あんなに優しかったのに、どうして・・・。もっと彼の事が知りたかったのに何故・・・。彼女の頭の中では、その様な思いがずっと駆け巡り、結局一睡もできぬまま、朝を迎えてしまった。
「今日は、仕事するのよそう」
百合は午前中ベッド中で過ごし、午後車を走らせ、村役場へと向かった。唯一、東の作品を見られる場所。百合は壁に掲げられた絵をただジッと見つめ続けている。村長や越川が声をかけようにも、寄せ付けないようなオーラを発している。結局彼女は二時間あまり、その絵を見つめ、何も言わずに帰っていった。
「村長、どうしたものかね」
越川が村長に話しかけたが、彼も腕組みをしたまま為す術がないという表情だ。
毎日ではないが、彼女は気がつくと役場にきて、絵を見つめ続けていた。その後ろ姿はとても寂しそうで、そう簡単に近づける雰囲気ではなかったが、徳さんは心配になり百合に声をかけた。
「絵に穴があいちまうよ」
「あ、徳さん。私、彼の絵を見ていると、子供の頃を思い出せるんです。純粋だったあの頃を・・・」
過疎の村で、百合が最後の小学生だった。徳さんは、いつも一人ぼっちではあったが村人たちに元気に声をかけていた、あの頃の百合の姿を思い出して思わず涙した。
「そうだね。百合チャンは村の華だったんだよね。あんたがみんなに元気をくれていた」
百合が町に引っ越してからというもの、この村は本当に寂れた淋しい閑村になってしまった。だからこそ、東と百合を添えさせる事で、新たな希望を持てそうな気がしていたのかもしれない。村人たちのそんな思いが空回りして、結局今回の縁も壊してしまったのではないか。徳はそう思うと、自分たちのエゴの渦に、百合を巻き込んでしまったことを悔やんだ。
「百合チャン、ワシ等の我が儘に付き合わせちゃってごめんね」
「いいんです。徳さん、私良い経験をさせてもらえてると思ってますから」
「ゆっくり気の済むまで絵を眺めておいき」
「はい、ありがとう」
徳さんは、百合を一人にして、その場を離れた。しかし、百合の気持ちが分かってしまった以上、世話好きのお節介な徳が、いつまでも黙っているはずがない。徳さんの肚の底からメラメラと熱い炎が立ち上がる。
「こうしちゃおれん、なんとかして百合チャンの思いを遂げさせてあげなくちゃ。世話焼きの徳の名が廃るわい」
百合と徳さんが、そんなやり取りをしていたなんてつゆ知らず、東は先日写生した絵を仕上げるため、カンバスに向かっていた。沢の風景は、彼が最も好きな景色であり、スケッチしてきた中から、二枚の絵を選び描く事にしたのだ。
「さあ、今回はいい絵が描けそうだ」
絵に没頭すれば、少なくともその間は、百合の事も忘れられる。だから、彼は真剣にカンバスに向かい続けた。それしかないのだ。頭の中にある百合の幻影を、兎に角振り払わなければ。どんなに彼女を思ったところで、所詮、釣り合わぬは不仲の元でいつか破綻してしまうのだから。
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