第2話 談合

 ここは、この村の役場。 村長室には四人の人影が、何やら相談をしている。

「徳さん、今回も駄目か?」

「そうさね。先生もなかなか頑固で、首を縦に振らないんよ」

 みんな腕組みをして、頭を悩ませている。その面々とは・・・。村長の金子吉蔵かねこきちぞうと妻の英子、副村長の越川銀次と妻の徳さんの四人だ。兎に角、東をこの村の定住者にしたい。そのためには所帯を持って、落ち着いて欲しいのだろう。四人は事あるごとに集って、彼の見合い相手を探しているのだ。

「せっかくこの村に来て、村に尽くしてくれて居るのに、このまま嫁も貰わず、万が一村から出て行かれたら、なんの意味もないぞ」

 村長の吉蔵が言う通り、この村の若い働き手は、皆この村から出ていってしまったのだ。そんな村の廃校にやってきた東という画家。彼らからしてみれば、貴重な存在であることは間違いないのだ。

「そうだよな、徳。誰かおらんのか?」

「私の知り合いはもう出尽くしちまったよ。それよりも、見合いじゃなく何か方策を考えねば、上手くいくものもいかなくなる」

「そうね、徳さんの言うとおりだわ」

「先ずは作戦を練るか」

 四人は、ああでもない、こうでもないと話し合った。そしてある一つの結論に達した。三人寄れば文殊の知恵というが、果たして四人だとどうなのか・・・。烏合の衆とならなければ良いが・・・。

「先ずは人選だな。村中の人間の知人友人親戚一同から、条件に合う女性を探さねば」

四人は、それぞれに誰か居ないかと、思いを巡らせている。

「そういえば、一人、いないこともないけど・・・」

英子の言葉に、他の三人が耳を傾けた。かくして、『画家先生を結婚させる作戦』が本格的にスタートしたのだった。

 そんな、談合が催されているなんてつゆ知らず、東は相も変わらず、呑気に気が向けば絵を描きに出掛けていた。(今日は村はずれの沢を写生しに行こう)、彼はスケッチブックと色鉛筆を手に、一人で山歩きをして、気に入った風景や花を見つけてはスケッチをする。そして、持ち帰るとカンバスに描き移していくのだ。

 写生に出掛けた日は、誰とも接することなく一人の世界に浸れるので、気楽で良い。そんな伸び伸びとした気持ちで描く絵は、自分としても良い絵が描けると思うのだ。その日は朝の八時には出発し、九時半には目的の沢に辿り着いた。そして、大きな石に腰掛け、渓流と周りの木々を写生しはじめた。抜けるような秋空に、紅葉し始めた木々が美しく映え、渓流は魚影が濃いのか、時折魚が飛び跳ねている。

「網を持ってこれば良かったかな。でも私のような鈍くさい人間に穫られる魚はいないか」

 そんな独り言を言いながらも、彼は楽しそうにスケッチを続けた。昼食を自分で握ったいびつなおむすびで済ませ、午後も二時間くらいスケッチを続け、いろんな角度から十枚程描いた所で、終わりにして帰路についた。

村に通じる森の小径を、意気揚々と歩いていると、一人の女性が道に迷ったのか、地図とコンパスを手に、周囲をキョロキョロと見回している。

「どうかなさいましたか?」

 東が声をかけると、彼女はビックリしたような顔で、体を弾ませ振り返った。その姿はとても美しく、身長は百六十センチ弱だろうか。ショートカットで目元がぱっちりとした顔立ちで、何とも魅力的であり、東が見とれてしまうに十分な姿だった。

「あ、この辺の方ですか?」

「は、はい、この先の村に住む東といいます」

「良かったぁ、実は道に迷っちゃって、どうしようかと思っていたんです。私は山裾の町から来ました花田百合といいます」

「じゃあ隣町ですね」

「近々、町のオリエンテーリングに参加するんで、練習のつもりで来たんですけど、これじゃあ出ない方が良いかも・・・。子供の頃はこの辺でよく遊んだので、大丈夫だと思っていたんですけどネ」

 彼女の笑顔は爽やかで、何とも美しく、東の心を和ませた。何よりも生まれてこの方、女性の笑顔に癒されるなんてことは、殆どなかったと言っても言い過ぎではないかも知れない。いや、実際にはそんなことも有ったのだろうけれども、遠い過去の記憶でしかなかった。

「とりあえず、村まで一緒に行きましょう」

「はい、ありがとうございます」

 二人は村に向かって歩き始めた。

「東さんは絵描きさんですか」

「はい、貧乏画家です。お金が無いんで村の廃校をお借りして、アトリエにさせて貰ってるんです」

「素敵ですね。良かったら、絵を見させて頂いて良いですか」

「大した物は無いけど、どうぞ見ていってください」

 村に着くと先ずは、彼女を村役場に連れて行った。入り口に飾られた絵画を指差し「これは自分が寄贈したものです」と話すと、彼女は何やら感激したようだ。

「この景色、私も子供の頃よく見てました」

「あっ、そうか子供の頃、この辺でよく遊んだって言ってましたものね」

「はい、私の両親はこの村出身なんです。でも小学生のとき学校が廃校になって、山裾の町に引っ越したんです」

「じゃあ私の住んでいる廃校で学んでいたんだ」

「はい、懐かしいです」

「じゃあ、学校に行きましょう」

「はい」

 二人は学校へと足を運んだ。村役場から十五分ほど歩いた森に面して、木造の古い校舎が見えてきた。校庭には赤錆びた鉄棒と、埃まみれの滑り台、そして、使われなくなったブランコの骨組みだけが残っている。東がアトリエとしている校舎の中に入ると、彼女は懐かしそうに壁を触ったり、窓からの景色を眺め歓声を上げた。

「懐かしい。東さんは教室を全部使っているんですか」

「いいえ、全部使うには広すぎます。アトリエとして一部屋。住空間として一部屋です」

 アトリエに彼女を案内すると、重ねて立ててあるカンバスを一枚一枚持ち上げては食い入るように見つめている。

「なんだか、子供の頃を思い出しちゃうわ。また時折遊びに来てもいいですか」

「どうぞ、教室も余ってるし、昔を懐かしんで遊んでいってください」

「ところで、東さんは風景画が専門なんですか」

「どうして?」

「作品に人物画や造形画が無いから」

 確かに、彼はこの村に来てから風景画ばかりを描いている。村人たちを描いても良いのかも知れないが、なんとなく描く気にならないのだ。ミレーの落ち穂拾いのように、作業する姿は絵になるかも知れない。しかし、今の日本の農家は機械化されているので、絵になるとは思えない。

「うーん、モデルを頼むには金が無いし、風景画が一番安上がりなんですよ」

 苦し紛れの言い訳だ。確かにヌードモデルならば、バイト料を支払わなくてはならない。しかし、農家の普段の生活風景を描くならば、別にお金はかからないはずだ。案の定、彼女は鋭くその辺を突っ込んできた。

「普段の生活風景を描けば、村の人達も喜ぶし、お金もかからないんじゃないですか」

「そうなんだけど、村の人達は意識しちゃうとガチガチのポーズで不自然な絵になっちゃうんだ。彼らは僕が写生していると、何かポーズを取らなくちゃいけないと思ってるらしくて・・・」

 東は、この村に来た当初のスケッチブックを開いて見せた。それにはヘンテコなポーズをとる村人たちのデッサンが描かれていた。

「フフフ、面白い。ロボットダンスしてるみたい」

「でしょ、不自然すぎるんだ」

 彼女は楽しそうに、スケッチブックの絵を一頁ずつめくっていく。

「でも、東さん。私はこれも有りかなって思いますよ。あくまでも素人の目ですけど」

「まあ、似顔絵位なら描きますけど、本格的な絵としてはね・・・」

 何故か彼女との会話は、東にとって新鮮な刺激があり、飽きることがない。百合もとても楽しそうに、彼の話に耳を傾けてくれる。二人は、時間を忘れて話し続けた。気が付くと、時計は午後九時を指しているではないか。

「あらら、こんな時間まで引き止めてしまって申し訳ないです」

 彼女は首を横に振り、微笑んでいる。

「今日は泊まっても良いですか?」

「それは構わないけど・・・、布団がないな。ま、いいか。私のベッドに寝てください。私は近所で毛布を借りてきて、雑魚寝しますから」

「平気です。このアトリエの絵を見ながら過ごしますから」

「じゃあ私は絵を見ている貴女をデッサンさせてもらおうかな」

「嬉しい。良いんですか?」

「普通に私を意識せずにいてくれれば、勝手に描いていきますから」

 結局二人は一睡もせず、夜を明かした。その間の取り留めもない会話が、東には何故か楽しくて仕方なかった。今まで色んな人と話をしてきたが、こんなに充実感のある会話は、初めてかも知れないというのが彼の素直な感想だ。また、百合も全く警戒心を抱くことなく、彼との会話を楽しんでいる。徳さんがいつも持ってきていた見合い写真の相手と結婚していれば、もしかしたら毎日このような生活だったのだろうか。会話を交わしながら、東はそんなことをふと思ったりしていた。

 二人の楽しい会話は時間を忘れさせ、気が付くと夜が明けていた。彼女は食事の支度をするというが、東は押しとどめた。

「あ、いいよ。近所の世話好きなオバサンがおかずを持ってきてくれるから」

「じゃあ、ご飯だけ炊いておきますね」

「ありがとう」

 丁度ご飯が炊けた頃、徳さんが卵焼きと鮭の切り身を持ってきた。味噌汁はインスタントで作り、これで朝食の準備が整った。徳さんは彼女に何か話しかけていたが、東は全く気にもとめず、洗面所に顔を洗いに行った。

「さあ、食べましょう。徳さんの卵焼きは絶品ですよ」

「はい、いただきます」

「ところで花田さん」

「あ、百合でいいです」

「あ、はい。百合さん、お仕事は何をされているんですか」

「私ですか、ビーズアクセサリーのデザイナーをしています。その他にもペーパークラフトやパッチワークなんかもやってます」

「デザイナーですか、ビーズアクセサリーの・・・」

「はい、今度持ってきますね。私の作品も見て欲しいから」

「じゃあ今度見せてもらいます」

 東は、ずっと画家としての仕事しかしてこなかったので、ビーズアクセサリーがどの様なものかイメージが涌かない。でも、工作物には違いないわけだから、同じ美術分野の世界なのだろうと、なんとなく感じてはいた。

 食事を終えると、百合は東に礼を言って帰っていった。一人になると、急になんだか廃校の中が広く感じる。今までは、一人で好きなように使ってきたスペースが、こんなにも広いとは、思いもしなかった。東は、徹夜してしまったので、少しの時間眠ることにした。

 さて、四人の談合者たちは、どうしているのだろうか。村役場の村長室には、先日の四人と百合がいた。

「百合チャン、先生との初対面の感想はどうだったね」

「素敵な方だと思いました。でもなんで彼は芽がでないんでしょう」

 みんなは、ただ首を傾げている。

「それはともかくとして、第一作戦『偶然を装ってのお見合い作戦』は成功したわけだ」

 四人は、自分たちを納得させるかのごとく頷き合った。先ずはお見合いの第一段階は成功といっても良いだろう。もともと、百合は都会の生活に馴染めず、隣町の実家に帰ってきた経緯がある。花田家は村長の遠い親戚筋でもあり、百合の結婚話には、両親とも反対はしていない。あとは百合の気持ち次第だったが、相手がサラリーマンではなく、画家と聞いて逆に興味を持ったのだった。

 実際に会ってみて、百合は東に興味を示し、付き合ってみたいと意思表示をしたわけだ。とすれば、ここからは逆に見合いをセッティングした立場としては、どの様に付き合わせるかを考えなくてはならない。要は普通の見合いならば、仲人がお互いの気持ちを伝えて交際がスタートするわけだが、今回のような経験が無いだけに、みんなは頭を悩ませたわけだ。

 村長が、何気なく呟いた。

「鶴の恩返しはどうかな。迷子になって困っていた百合チャンを先生が助けたんだ、その恩返しに百合チャンが押しかけて女房になる」

 年寄りたちは、それは良い考えだと言ったが、百合は浮かぬ顔をしている。

「あのぉ、私、東さんにまた遊びに来ても良いか尋ねて、許可を貰ってあるので、あとは普通に付き合わせてもらえませんか?」

 年寄りたちはキョトンとしていたが、流石、若いもんは行動が早いと納得した。しかし、自分達が考えていた以上に、百合が積極的なので少しガッカリしたようだ。要は色々と世話を焼きたかっただけなのだが・・・。

「でも、恩返しではないけど、夕鶴に近い話になるかもです」

 もう、年寄り達には、話が見えなくなってきている。百合はにっこりと笑って、「じゃあ失礼します」と言い残し、村長室を出て行った。ま、どちらにしても、これで東の結婚話が前に進むのだ。彼等はその辺の所で納得し、秘密会議は散会した。

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