山里にて

万里小路 頼光

第1話 山村の廃校

 人里離れた山の中の小さな村。過疎化が進み、住んでいるのは老人ばかり。そんな村の廃校に一人の画家が住んでいる。彼の名は、東清あずま|きよし。美大を卒業し、パリに留学したが、途中両親が病死。やむなく日本に帰国した。

 彼は実家を売り払い、当座の生活費を捻出し、国内を転々と放浪した。何処か自分の創造力を掻き立ててくれるような場所はないかと思い、スケッチブックと色鉛筆をリュックに入れて、ありとあらゆる場所に行ったのだが、中々そんな場所はあろうはずもない。パリにいた時は街中の風景を書くことが殆どだったが、いざ、この国に帰ってくると何処の街に行っても同じようなビルが立ち並び、描きたいという欲求が湧いてこないのだ。

 彼は、もう山に籠って俗界から離れてしまいたくなった。そして、山の中を歩いている時にこの村と出会ったのだ。過疎化が進み、若い人は全くいない、自分が画家だと言っても、芸術に対する意識すら持ち合わせていない。毎日の生活も何が楽しいのだろうかと思うくらいだ。ただ、この村の人たちは人情深くてとても親切だった。

 彼は少しの間この村の廃屋に滞在させてもらい、山や小川、木々の移ろいをスケッチさせてもらった。その間も彼らは、朝には食事を持ってきてくれ、身の回りの世話までしてくれる。なんでも都会に出ていった息子たちが、音沙汰無しで全く村に寄り付かないらしく、彼を息子のように思ってくれてるらしいのだ。

 そんな恩に報いようと、彼は一枚の絵を描いて村に寄贈した。すると、村では、こんな凄い絵を寄贈してもらって申し訳ないといって、廃校になった学校を好きに使ってほしいと申し出てきたのだ。結局、村長はじめ村人たちの人情にほだされて、ずっとこの村に住むことになってしまった。

 彼自身、学生時代はデッサン力には定評があったが、いざ評価を受けると「ありきたりだ」「平凡すぎて面白みがない」と酷評され、なかなか芽が出ずにいた。時々受ける仕事も、有名な作品の贋作の制作。生活費を稼ぐためには仕方なく引き受ける。週に一度、町の子供たちに絵画教室で教えながら、生計をたてている。それでも、流石さすがに田舎暮らしは生活が成り立ってしまうのだ。廃校に住んでいるため、家賃はかからない。近所の農家の人たちは、皆良い人で畑で採れた野菜や果物を分けてくれる。お礼に、絵を描いてあげれば、彼らは喜んでくれるのだ。

 貧乏画家ではあるが、絵画を寄贈したことにより、村ではみんなから、画家先生と呼ばれ親しまれていたのだ。とはいえ画家先生と呼ばれるには程遠く、彼の生活は貧乏そのものだった。着るものも貧しく、村人たちのお下がり。食事は先に書いたごとく、村人たちからのお裾分け。絵画教室の収入は殆どが画材に消えていく。でも、村人たちは口々に、先生はいつか世に名を知らしめる方なんだと信じて疑わない。そんな期待を感じ取ってしまうがため、彼は焦りを感じてしまう。

 もう一つの焦りは、やはり独身であることだろう。四十歳を過ぎて、未だに身の回りの世話をしてくれる女性がいない。近所の老婆たちが訪ねてきては、食事を作ってくれたり、部屋の掃除をしていってくれるのだが、本心は嫁が欲しい。とはいえ、この様な貧乏画家のもとに嫁に来るなんぞ、相当な物好きしか居るはずがない。つまり、ほぼ一生独身が決定しているようなものだ。

 しかしながら、やはり村人たちも小さな子供の顔が見たいのだろうか、時折見合い写真を持ってやって来る者もいる。

「先生、見合い写真を持ってきたから見とくんない」

  いつもそう言って、見合い写真を持ってくるのは、村一番の世話好きなお婆さん。名前は越川徳こしかわとくさん。徳さんはどこから仕入れてくるのか、事ある毎に東の所に写真を持ってやって来る。そして自慢話を聞かされるのだ。

「わたしゃね、これまでに村の若い衆を五十九人添えさせてきたんだよ。だから先生で六十人目にしたいのさ」

「でも、私以外にも世話をすべき人は居るんじゃないですか」

「村を見ればわかるがね。若い衆はみんな町場まちばに下りて行って、先生以外は年寄りしかいない。後添のちぞえの世話はしたくないんだ」

「ふーん、そんなもんですかね」

「ああ、そんなもんさ。とにかく見ておいておくれ、明日返事を聞きに来るから」

 そう言って徳さんは東のアトリエを出て行った。

 確かに、徳さんの持ってくる写真の女性は、皆美しい人ばかりだ。しかし、自分の今の生活を考えたなら、当然嫁を養っていくだけの力はない。それを考えると、つい二の足を踏んでしまうのだ。はっきり言うならば、彼は結婚を既に諦めているに等しいのだ。

 所詮自分のような貧乏画家が嫁をめとるなんていう事自体、あってはならないことなのだ。それにわざわざ苦労すると解かっていながら、自分を世話しようなんて物好きは居るはずがない。これが彼の本心なのだ。ましてやこんな人里離れた山中で、暮らしたいなんていう女性がいたとすれば、それこそ天然記念物ものだ。

 翌日、徳さんが返事を聞きに来たが、東は良い返事をしなかった。

「先生も頑固だねぇ。村の人達も早く先生に嫁を貰って欲しいと思っているのに」

「いやぁ、見合いをしても、私の生活を見れば、相手の方から断ってきますよ」

「そんな事はないよ。人には必ず添うべき相手が居るんだから」

「そんなもんですかね」

「そんなもんさね。ハハハ。また良い人を探してくるよ」

「ハイハイ」

 豪快に笑い飛ばす徳さんに、半ばあきれ気味に清は微笑み返した。果たしてこの様な攻防がいつまで続く事やら・・・。いや、恐らく彼がこの村に居る限り、ずっと続いていくのかも知れない。徳さんは、「今回は諦めるがまた来るよ」と言って帰っていった。

 ま、あれも徳さんの一つの楽しみなのだから、適当に付き合ってあげてれば彼女も満足なのだろう。彼はそう思って、邪険に扱うことはしなかった。まさか、村中で彼に嫁を娶らせるために必死になっているなんて夢にも思っていなかったのだから。

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