雨の記憶に咲く花




 ぽつり、ぽつりと雨が降り始めた。


 ユレイファの王族であり国王の軍師であるアルフィ―ゼ・ドラク・ユレイファにも雨粒はふりそそいでいるが、雨粒が体にあたる感覚もなければ、その冷たさもすらも感じられない。


 それで理解した。ああ、なんだまた夢を見ているのか、と。

 


 これはユレイファ王国軍とエリピア王国軍による、合戦のひとつが終わったあとの出来事だ。

 アルフィーゼにとってはあまりにも簡単すぎる戦の展開。

 ただがむしゃらにお馬鹿さんみたく進軍してくるエリピア軍を、罠にかけて」、一網打尽。

 さすがに相手は味方よりもだいぶ数が多いので、あっというまに終わった、というわけにもいかないが、簡単な戦であったことには変わりはない。


 さて、アルフィーゼにとっての本当の戦いはエリピア軍を壊滅させた、そのあとからであった。

 敗走する敵総大将を追い、討ち取るため、部下とともに馬を走らせる。

 さすがに、というべきかそれとも意外にも、というべきか総大将を護る近衛騎士たちはなかなかに士気が高く、忠誠に厚く、実力者がそろっていた。あのようなぶざまな戦で兵士たちを無為に死地に追いやるような、愚物を護らせるにしては勿体ないぐらいに。

 アルフィーゼと優秀な部下たちは、近衛たちをひとり、ふたり、さんにん、と片づけていく。

 近衛騎士隊長と思われるひときわ立派な鎧を身に着けた精悍な男が、矢と魔法弾と石つぶての一斉掃射を受けて、ようやくたおれてそのまま動かなくなると、もうあとは敵総大将を護る者などはいなかった。

 敵総大将の乗っていた、大げさなまでに立派な馬具をつけられた見事な白馬さえも、とっくに泡をふいてたおれていた。どうやら、アルフィーゼの部下が投げた短剣に塗り込められた毒がまわったらしい。

 今回の戦の敵総大将――敵国エリピアの王族のなかでも国家元首に限りなく近く限りなく等しい存在――は、妖精銀で作られている防御効果だけでなく芸術品としての価値もあるだろう華麗な鎧や、あちらの王侯貴族の中でもひとにぎりの者にしか着用を許されないという濃紫のマントや、はるばる大陸東方から運ばれてきたのであろう美しい絹織物であつらえられたサーコートが汚れるのもかまわず、泥水の中を這い回っている。

「……! ……!」

 彼が呼ぶのは、誰かの、どうやら近衛騎士たちの名前のようだ。彼は近衛騎士隊長と思われる男の変わり果てた存在にすがり、涙をこぼしているようだった。

 だが、彼らはもうとっくに旅立っている。

 配下が待っているのだ、上役であるこの男も速やかに旅立つべきだ。


「さぁ、うつしよから旅立つ支度はできているかい、エリピア女王のご亭主」


 アルフィーゼがそう声をかけると、女王の亭主と呼ばれた男は泥水を跳ね上げて、こちらにがむしゃらにまっすぐに愚直に突進してくる。まだそんな体力と精神力が残っていたとは。

「まぁ、支度できていてもいなくても、どのみち旅立ってもらうのだけど」

 まるで、そのつぶやきが魔法を形成する呪文であるかのように、アルフィーゼの背後に昏い光を放つ魔法陣があらわれ、そこから異形の大腕が伸びる。

 これは今回のために、特別に念入りに部下に用意させていた魔法だった。

 現れ出でし異形なる大腕はねじくれた長い指を男の心臓がある場所に向ける。

 それだけでもうおしまいだった。

 男の息の根も、ついでにこのばかばかしい戦も、完全におしまいだった。

 しかしアルフィーゼにはまだまだこの男に用がある。


「持っているはず、こいつなら、今、この時なら、確実に、持っている」

 そう、この男が所持しているはずの品、それをアルフィーゼは必要としていた。いや、渇望していたと言ってもいいだろう。

 アルフィーゼは国王陛下より賜った愛用の武骨な短剣で、いまいましい男の泥にまみれたサーコートを切り裂く。

 妖精銀の鎧も、それはそれは見事な国宝クラスの逸品といえる物なのであろうが、そのような事にかまうことなく留め具や金具の脆い部分を見つけては短剣で壊していく。

「どこだ、どこに隠し持っている」

「アルフィーゼ様」

「アルフィーゼ様……」

「アルフィーゼ様、兵たちの、目があります」

「ああ、かまわないよ、捨て置くんだ。どうせ噂が流れたとしても、流れるのは根も葉もあるほうの噂だ。刈り取るのも捻じ曲げるのも自由自在でたやすいことだ、そうだろう?」

 持っているはずだ、持っているはずだ。

 あの国では戦のときにそれを御守りとして携帯する、そういう風習が古くからあるのだという。

 あれは、あの国は上に行けば行くほどに、こちらから見るとまったくばかばかしくてこっけいなぐらい、伝統、しきたり、ルール、そういうものに縛られて動いている。

 この場で、こいつが、持っていないわけがない。

 アルフィーゼはなりふり構わず、男の死体からはぎとりを続ける。

 死者の持ち物だったものを活かしてやるのは生者の特権であり義務である正当なる行為だ。

 持っているはずだ。

 持っていなかったとすれば、多分本陣の天幕かどこかには、必ず、ある!

 あるはずだ、あるはずだ、あるはずなんだ!


 こいつならこいつならば「エリピア女王のご亭主」であるこの男なら、自分が恋い焦がれてやまない女性 エリピア女王 イヴレッタ・ロゼ・エリピアードの肖像画を持っているはずだ!



 ……やがて、アルフィーゼの執念が実を結んだのか、彼はようやくお目当てのそれを見つけだす。

 あるいは、戦女神が今回のいくさの見物料を支払ってくれたのか、それとも恋の守り手でもあるという詩女神や雷女神の加護がもたらされたのか――などと吟遊詩人であればいうのかもしれない。


 最初は金銀と宝石で出来た鏡かなにかではないかとおもった。

 アルフィーゼのてのひらよりもひと回り以上は小さいぐらいの、女性が化粧直しにつかうようなコンパクト形手鏡のように開けられるようなつくりになってる。

 震える手で、その留め具をはずして、開ける。

 ――あった。

 そこには、アルフィーゼの望み通りの品物が、期待した以上のできばえで、精巧さで、美しさで、収まっている。

 それは何度見ても、アルフィーゼの恋するたったひとりの女 イヴレッタ・ロゼ・エリピアードのおそろしく精密なおそろしく美しい肖像画であった。

 こぼれてくるのは笑みであり、あふれだすのは笑い声。

「…く……くくくくく、ふ、ふ、あはははははははははは! あははははははははははははは! 私の勝ちだよエリピア女王の御亭主ぅ! 私が勝ったのだ!はははははははっ、あははは、ははははは、あーーーっははははははは!」


 渇望していた品を手に入れて満足しきって何もかもをかなぐり捨てたかのような、アルフィーゼ・ドラク・ユレイファの哄笑が、戦場だった場所に響き渡った。







「ん……」

 アルフィーゼはそこでまどろみから覚める。

 この一年ちょっとでようやく見慣れたといえる、お粗末なつくりの木製天井が見えた。


 よかった、今日の夢は敬愛するいとこである国王陛下からのお叱りをうけるところまでは行かなかったようだ。

 同じ日の記憶を夢見るにしても、あれがあるとないとでは起きた後の疲労感がまるで違う。

 ベッドから体を起こす。

 かるく頭を振って、夢によって「アルフィーゼ・ドラク・ユレイファ」に切り替わってしまっていた意識をただの喫茶店のあるじ「アルフ」にもどす。

 あまり質がいいとはいえないでこぼこぐにゃりと歪んだガラスの窓からは、やわらかな午後の光がさしこんでいる。

 本日、喫茶「のばら」は7日にいちどのお休みの日。

 アルフは妻イヴが街に出ている間に――もちろん彼女一人ではなくマレインやダーナも一緒である――ちょいとばかり昼寝をしていたのであった。

  イヴは夕方ぐらいには帰ってくるということなので、まだもう少しひとりの時間がある。

 アルフは自分用のクローゼットを開ける。

 あの日の記憶を見たので、あれを見ておきたかったのだ。

 

 アルフのクローゼットの中にある、膝の上に乗るぐらいのサイズの木箱。

 滑らかな手触りになるようカンナがけされたそれは、東方の果てにある極東列島の伝統細工物の技術を応用して作ったからくり箱だった。決まった手順で箱をパズルのように動かすことでようやく開けられるようになっている、というわけだ。


「さて、と」

 引き出して、押して、ねじって、また引いて、今度は押し込んで。

 そんな具合に30手ばかり動かすと、ようやく木箱の蓋がスライドして開き、中身とのご対面が叶う。

「ふむ、しばらくぶりだが、意外と手が覚えているものだね」

 この中身は、アルフが昔から大事にしているものがおさまっている。大事にしているとはいえ、箱の開け方を忘れたらそのときには燃やしてしまうつもりの程度だし、アルフが亡くなったりしたときもやはり燃やしてもらう手筈になっているという程度なのだが。

 お目当ての品の上にかぶせてある封筒入りの手紙や折りたたんだ羊皮紙をとりだす。

 それから丁寧にそれらも取り出して、書き物机の上に置く。

 取り出されたのは、3つの絵画。

 

 ひとつはごくごく簡素な木製の額、ひとつは彫刻が施された銘木の額、そしてもうひとつは――宝石で飾られた金銀の額。

 

 アルフはまず簡素な木製の額の絵画を手に取る。

 そのなかに描かれているのは、喫茶「のばら」をはじめる少し前のアルフとイヴだ。イヴのドレスはごくごく質素な、そこらの街に住むの女性とかわりのないようなものであったが、それでも彼女の美しさは女王であったときと変わらない。いや、むしろより美しく咲いているようにさえ思えるのは、この美しさがアルフの腕の中に存在していると思うなればこそかもしれない。

「……」

 満足の溜息をひとつ落し、アルフはそれを箱にもどした。


 そして次に銘木の額に手を伸ばす。

 それはエリピアが旧エリピアとなった後、とあるエリピア上級貴族の屋敷だった場所から押収したものだった。

 描かれているのは、まだ20にもならない年齢の美しい娘。

 びろうどのような濃茶の髪に菫色の瞳をもち、真珠で飾り立てられた白いドレスに白いヴェールを身に着けたその娘は、まぎれもなく女王イヴレッタの18歳の姿。

 ……アルフの薄れることのないあの日の記憶とも合致するし、旧エリピア王国に残されていた正式な記録にも合致、するので、間違いないが、この白いドレスは、婚礼式、の……

「……もう、やめとこう」

 物憂げに微笑む菫水晶の瞳をそれ以上見ていられなくて、絵を裏返す。

 それをそのまま箱にもどした。


 次にアルフは、やや重たい気分、いや、かなり重たい気分で、金銀で出来た小さな額を手に取る。

 そこに描かれているのは、エリピアの女王として君臨していた豪奢な薔薇、輝き誇る菫水晶、ただまばゆいばかりに美しいだけのお人形、操り糸に縛られた傀儡の君 イヴレッタ・ロゼ・エリピアード。

 あのときはあんなに渇望して、かなりの無茶と無理と無謀を重ねて手に入れたはずの絵であるのに、今ではすっかりいまいましいだけの代物だった。

「これはもう、処分してしまいたいのに、な……」

 だが、アルフにはどうしても……この絵を、火にくべることなどはできそうには無い。

 仕方なく、それは箱の一番奥に突っ込んでおくことにした。


 そうして、3つの絵やその他のモノがおさめられたからくり箱を今度はさきほどとは逆の手順をつかって閉じる。

 ぼんやりと手を動かしながら、アルフの頭は箱の閉じ方を思い出していたわけでもなく、別の事を思考していた。


 イヴの、いや、亡国の女王イヴレッタ・ロゼ・エリピアードの肖像画のことを考えていた。

 妻曰く、正式に描かせた肖像画はそれほど多くはなく、年に1枚描かせたかどうか、というものらしい。それらは、ほぼすべてといっていいほど、ユレイファ王国によって処分されている。もっとも、あのユレイファ国王陛下の事なので1枚ぐらいは、あまりアルフが考えたくないような類の何かがあったときのために残しているだろうと思うが。

 ただ、それはそれは美しい女王ということで、それが許可を得ず勝手に行われたり無断で所持していることがそれなりに罪に問われることだったとしても、描きたがる蛮勇を持った者はそれはそれは多かったらしい。

 絵画を道楽としていたエリピア貴族の邸宅から、女王イヴレッタがモデルなのだろう絵があきれるぐらいにたくさん発見されたことすらある。

 そういった絵画も発見次第、処分される(ということになっているとアルフは聞いている)ことになっている。もうかなりの数を処分したはずなのだが、今までに処分された分だけで「すべて」だと思い込めるほどには、アルフはお気楽にはなれそうもない。

 それに……市井にも、お人形女王陛下の風刺画が、出回っていた。さすがにそんなものまで含めてすべてを処分するというのは、現実的な話ではない。


 閉じた箱をクローゼットに元通り丁寧にしまい直し、アルフは自嘲的な溜息をこぼす。

 イヴはこの街に構えた喫茶「のばら」がかなり気に入っているようだが、アルフの方はと言うとそれほどこの街とこの店そのものには執着していなかった。

 もしも、もしものことだが、イヴの過去あるいはアルフの過去が明るみにでて、この街に話が広まるようなことがあれば、そのときは大陸の南方にでも逃げる心構えと準備ぐらいはしている。

 そこもまずいようであれば、今度は大陸東方へでも行こう。

 東方は喫茶文化の発祥の地で、儀式めいた茶の飲み方がもう何百年も前から確立しているという話だ。そんなところに住まうのも、まぁ悪くはないだろう。


 窓の外はもう、だいぶ日が傾いている。そろそろ夕暮れの時刻となりそうだった。



 「さ……てと、もうそろそろ帰ってくるはずのうちの奥方様に、とびきり美味しい紅茶を淹れてあげないとね」



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