フルーツタルトと恋する絵筆(その一)



「単刀直入に告げようか。きみの絵には色気と言うものが欠如しているのだよ」



 はぁそうですか、と言わんばかりの顔をしているのだろうな自分は、などとは思いつつも、他の表情をつくる余裕もなければお義理も遠慮もいらないと思われるのでそのままの表情でカルダーは尊敬と親愛の対象であるべき姉であるココの御高説を賜うことにした。

 この店での今日の支払いをおごってくれるということになっている以上、「ココお姉さま」のありがたいお言葉は、すくなくとも今は聞くそぶりぐらいはしなければはいけないだろう。

 それに姉ココは、弟カルダーにとって絵描きとしての目標のひとつである。ココはこれでいて、ユレイファ王国の王都でもかなり売れていて、お貴族様からの依頼も舞い込むような結構高名な画家だった。

 思い返せばカルダーは幼少のころからこの姉に、純粋な腕力や体格をのぞけば勝てたものなど何ひとつない。

 ココは頭がよかった、難しい魔法文字をも自由自在に読み書きして、その上いくつかの魔法をあやつることさえできる。

 ココは腕っぷしも強かった、戦士として剣をはじめとする武器の扱いを学び、自分の腕のようにそれらを使いこなす。

 唯一、あまりにも不出来すぎて親を嘆かせたのは結婚ぐらいのものだろう。ココは現在、このあたりで嫁き遅れと呼ばれる二十歳はとうに過ぎ、三十歳を目前にしていた。

 とはいえ、ココは特別に器量が悪いわけでもない。ばっさりと肩につかない程度に切りそろえられた金の髪はなかなかこの辺りでは見ない綺麗な色をしているし、肌も雪花石膏の額とまでは言わないがそれなりに肌理が整っている。多分その気になれば、いくらでもひざまずいて求婚の言葉を述べてくる男はいるのだろう。

 もっとも、ココ本人は生涯の仕事として選んだ画家の仕事に夢中で熱中しているので、結婚のことなどどうでもいいらしい。

 では、弟であるカルダーの方はどうなのかと言うと、こちらは更に親を嘆かせているありさまだった。

 何しろ、優秀なる姉と同じ画家という職業をしてはいるのだが、悲しいかなこちらは枕詞として「売れない」という言葉がくっつく。

 絵が売れないときは日雇いの力仕事をしてしのいで――おかげでただでさえ生まれつき身長が高かったのに筋肉までついたので今ではずいぶんといい体格になってしまった――いるが、そうして稼いだわずかな給金も新しい画材につぎ込み、「美しい感性を養うため」と称して、まだまだこのユレイファ王国でも決して安くはない紅茶を飲みに喫茶店に来ている。

 いや、姉からの仕送りが無ければ――勝手気ままなダメ息子に呆れかえっている両親からは仕送りなどない――画材や紅茶に使うような金があったかもあやしいし、そもそもまともな衣食住が成り立っていたかすら微妙といえる。

 というわけで、今日この喫茶店「のばら」での飲食代を支払ってもらえるということを仮にさっぴいたとしても、カルダーは姉ココに頭が上がる要素などこにもなかった。

「だからね、あれは、つまるところ、ああなることで」

 親愛にして敬愛すべきココお姉さまによる御高説はまだ続いている。

 といってもその話は芸術家らしく、非常に感覚的で、ふわふわとしたつかみどころのない、まぁつまり実際には役立たずのアドバイスだ。芸術というものは結局は本人の天性の才能に頼るところが大きく、努力や勉強などでどうにか補える範囲はとても小さい。そして当然なる世の理として、「持つもの」には「持たざるもの」を完全には理解できることなど、ない。持っているのが当然だから、そもそも持たないものの側に立ったアドバイスなどできやしない。

 そんな役に立たないアドバイスを聞くふりをして聞き流しながら、カルダーは手に持ったフォークでフルーツタルトをそっとつつきはじめる。まぁ、なんてことはないただの手遊びだ。

 フルーツタルトは苺やひとくちサイズの柑橘、バナナ、キウイなどがすばらしい色彩のバランスで美しく載せられた逸品だ。

 もちろん、普段からこのような値が張る菓子は自分では注文できない。

 そしてカルダーも姉のおごりだからといってこのような品を注文するつもりはなく、いつもの素朴な味わいがおいしく紅茶にも合う比較的に安価なビスケットを注文しようとしたら、「きみはそういうところは貧乏性だね」と姉はビスケットを注文したのを取り消してしまい、普段カルダーが喫茶「のばら」で食べられないような、たっぷりの生ハムをやわらかな白パンではさんだサンドイッチだの、贅沢に卵を使った野菜とチーズとベーコンが入ったオムレツだの、よく煮込まれてほろほろとくずれてとろけるような大きな鶏肉と野菜がごろごろと入っているスープだの、宝石のように輝く美しいフルーツを複数組み合わせて載せたきらびやかなタルトだのを注文してしまった。

 と、いうわけだ。


「カルダー、きみは今のところは風景画家としてやっているみたいだし、そうありたいみたいだけど、私が昨日みせてもらった絵はだね――」

 風景画家。そうだ、カルダーは広大な自然のうつろいゆく美しさを、キャンバスにおさめたくて、画家を志したのだ。

 自分でも笑ってしまうようなあまりにも陳腐な動機。

 だが、このサフィロの街のすぐそばにある、白い雪の冠を戴いたサフィーリ山と、どこまでも深く碧く輝いているサフィーラ湖を見て、この風景が描きたいという想いに駆られて、一年と少し前に王都からこの街にはるばる移住をしてしまうぐらいには、カルダーは風景画に対して本気だ。

 そのつもりだった。

 そう、思っている。

 サフィロは昔から風光明媚さで知られた場所で、王都やその他の大きな都市などからも物見遊山の旅人がよくやってくるところだった。金持ちの商人などは遊びにくるのだが王家直轄領ということもあってか、貴族はそうそうめったにはやってこない。もしかしたらおしのびでやってくることなどもあるのかもしれないが、すくなくとも貴族がでかでかと自らの紋章を掲げた大げさな多頭立て馬車に乗り込みを我が物顔で街路をゆくような無粋なことなどはありえなかった。

 そういった事情や、山と湖からとの豊富な恵みや、周辺の街道が整備されていること、それに二、三年ほど前にユレイファとの戦争が終わったばかりでまだまだいろんな問題を抱えているらしい旧エリピア領からほどよく離れているということなどもあり、サフィロの街はそれなりに栄えていた。もっとも栄えていると言っても、エリピアを併呑したことで、貴族も民衆もかつてないほどに活気づいている王都にはもちろん及ばないのだが。


「というわけで、だ。我が愛する弟カルダー?」

 姉はせわしなく動かしていた腕を組んで、問いかけてくる。

「さっきからひとことの返事も反論も、ないのはどういうことなのかな。まさかはやくデザートのタルトを食べたいからさっさと切り上げようという魂胆なのかい?」

 せっかくの美しいフルーツタルトだ。しかも自分の稼ぎではまず食べられない代物ときている。はやく食べたいのは事実だ。しかし、カルダーが黙っていたのは断じてタルトが食べたいからではなく、姉に反論したら面倒なことになって結局自分が詫びる羽目になることが目に見えているからに過ぎない。

「しかし、私はまだまだおなかの空きスペースができていないのでタルトはもうしばらくはお預けだよ」

「姉さん」

「まぁ、まぁ、もうしばらくお待ち。そして聞きなさいカルダー。つまりだ、私が言いたいことはね」

 カルダーはやれやれこれはまだまだかかりそうだと心の中で溜息をつき、フルーツタルトをつついていたフォークから手をはなす。


 この時はまだ、姉が次に言い出す言葉など予測すらできるはずもなかったのだ。



「カルダー、きみは風景画から離れるんだね」




「……」

「……」

 姉弟の間に、たっぷりと沈黙の時間が流れる。

 先に口と手が出たのは、カルダーだった。

 だぁんっ! と、割れてしまえこんなものとばかりの勢いでテーブルに手のひらを叩きつけた。だが本当はこの手のひらを姉の横っ面に叩き込みたかったのかもしれない。それを、残っているごくわずかばかりの理性でもって、標的をテーブルに変えたのだ。

 突然響いた音に、いったい何事かと他の客たちが好奇の目で、そして「のばら」の店主や店員たちがいかにも面倒そうな目で見ている。

 この店の護衛役をしているのだという噂のある、入口近くのテーブルの席にいつもいる騎士のようななりをした老女と中年魔術師男の二人組までもが、こちらを見ているようだった。

「……姉さん、それは、どういうことだ」 

 カルダーの声は、自分自身でも驚くほどに、低い。

 そして、その言葉を紡ぎだすので、カルダーはやっとの状態だった。

 ぎりぎりと歯ぎしりをしながら、口を閉じる。

「さっきも言っただろう、それとも聞いていなかったかな? きみの絵には色気と言うものが欠如している、と」

 カルダーは口を閉ざしたままだ。今うかつに口を開けてしまえば、敬愛すべき姉であるココをこの場でひどく罵りはじめるに違いないから。

「我が弟カルダーよ「だから、なぜそういうことになるんだ姉さん」とでもいいたそうだね。まぁつまりこういうことになる」

 


「色気と言うものを絵筆に宿すためにも、いちど風景画はおやすみして、ひとつ美人画でも描いてみたらどうかな?」






「……」

「……」

 さきほどを上回るほどの、たっぷりの沈黙が流れる。

 ただし、今回沈黙していたのは姉弟だけではなく、「のばら」の店内にいる全員だった。



「休憩おわりましたよー」

 そこに場違いとも思えるような、金の鈴を転がすような美しい澄んだ声。

 決して大きな声ではなかったのだが、沈黙が支配する空間では、それはとてもよく響いた。

「え……え? 皆さま、どうかなさいましたの」

 普段とは違う、あまりにも声も音もない店内に困惑する「のばら」の女主人。そんな彼女を「のばら」の主人が落ち着かせにかかる。

「あー、多分もう大丈夫だよ。多分だけどね。イヴが気にすることではないよ、うん、多分、きっと、おそらく」

「そ、そうなの、ですか?」

「そうだよ、それよりもキミは私の事だけを気にしているべきではないのかな」

「アルフ、まだ明るい時間です。……それ以前に、ここは二階の私室じゃなくて、お店ですよ」

 そこで、常連客たちや店員からの、店主夫婦の仲の良さをからかうような言葉が飛び、喫茶「のばら」はいつもの心地よい賑わいを取り戻す。

 

 はず、だった。



「そうだ、あの奥さんを描かせてもらいなよ」



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