第5話

「いやぁーっ!!」

 その声にハッとした。麻衣は目の前のお雛様に気を取られて、莉子のことをすっかり忘れていた。

「待って、莉子! 落ち着いて!」

「こんなもの……こんな……壊せば終わりよっ!」

 莉子は自分のすぐ側にあったクラリネットのケースを手に取った。

「ちょっと……何するつもりなの! やめてよ! これ以上壊したら、もう取り返しがつかなくなちゃうよ!?」

 逆上する莉子を止めようとするが、うまく言葉にならない。

「何よ! 麻衣は私より人形の味方するつもり!?」

「そんなんじゃない! 私はただ……莉子のこと……」

「うるさいっ! 麻衣まで私の首を取るつもりなのね!? あんたたち…手を組んだのねっ!?」

「そんなはずないでしょ!? ちょっと莉子、しっかりしてよ!」

「いや! 来ないで! 裏切り者っ!」

「クックッ……クッ……」

 二人のやり取りをじっと見ていたお雛様が、急に笑い出した。

「クックッ……なんと愉快だこと」

「なに……なんなのよ……これって」

 その不気味な笑い声を聞いて、麻衣は思わず固まってしまった。お雛様は、唄うように語る。

「我は女児なり……命が宿るとは恐ろしきことよのう」

「黙れっ!!」

 莉子は物凄い形相で、お雛様に向かって叫んだ。

「黙れ! 黙れっ!! 私はあんたなんかじゃない! あんたは私なんかじゃないっ!」

「愚かしい……なぜ……なぜ、一言謝れぬのか」

「謝る!? たかが人形落として首が取れたくらいで、なんで謝らなくちゃいけないのよっ!」

「莉子……」

 麻衣は、もうどうしていいのか分からなかった。たかが人形とは言い切れない何かが、雛人形にはある――彼女はずっとそう思っていた。

「愚かよのう……この子を我は守っておったのか……虚しいのう……」

 雛人形はそう言いながら、ススッと少しずつ莉子に近付いてくる。

「く……くるな……くるなっ! この化け物がっ!!」

 そう言って、莉子はクラリネットのケースを闇雲に振り回し始めた。

「化け物……化け物と申すのか。お前を守るために命を吹き込まれ、この家に仕えてきた我を化け物と……」

 歩みを止めたお雛様は、静かに涙を流し始めた。それを見て、麻衣の体もようやく動き出す。

「莉子……ね? もうやめようよ……謝ろう? 落としてごめんって……首を取ってごめんって……ね? 私も一緒に謝るから」

 ゆっくりと莉子に近付きながら、麻衣は言った。莉子は、呆れたように彼女を見て笑った。

「はあ? 何言ってんの? たかが人形に……麻衣、おかしいんじゃないの? いいからどいてよ! 邪魔なのよっ!」

「あっ!」

 莉子の振り回したケースが麻衣の頭に当たり、その体は廊下の壁に打ち付けられた。

「……った……」

 どこかが切れたらしい。頭を触った麻衣の手にべっとりと血が着いている。

「莉子、落ち着いて! 頼むから……ねえ、お願い!」

 麻衣は手に付いた血を服で拭い、痛む頭を庇いつつ、血を見て呆然としている莉子に歩み寄った。その様子を黙って見ていたお雛様が「おまえは――」と言い、くるりと麻衣のほうへ向いた。

「おまえは……まだこの子を……」

 麻衣はその顔をじっと見つめた後、頭を下げた。

「ごめんなさい。私が代わりに謝ります。何度でも何度でも、あなたの気の済むまで。だから莉子は……お願いします」

「なぜ……なぜ、そこまでされてもなお、あの子を庇い立てするのじゃ」

 その顔は、怒っているようにも泣いているようにも――そして、笑っているようにも見えた。

「だって……だって友達なのよ! 大事な友達なの! 莉子は本当はこんなひどい子じゃないわ! 自分のしたことが悪いって分かってるから……だから怖くなってあんなことしちゃったのよ!」

 麻衣は泣きながら叫んでいた。

「お願い! 身代わりとかやめて! あなただって、本当は莉子がどんなにいい子か……あなたの事を大事に思ってたか知ってるでしょっ!?」

 お雛様の動きがピタリと止まった。そして再び、涙を流した。

「……知っておる……誰よりも我を愛で……大事にしてくれたかを……我は誰よりも知っておる」

「今回のことは本当に……不幸な事故だったのよ。ね、お願いだから――」

 麻衣がそう言いかけた時、音も無く移動していた莉子が、お雛様目がけて後ろから思い切り腕を振り下ろした。分かっていたのか、それが当たる寸前お雛様は物凄い勢いで彼女のほうへクルリと向き、自分の首を取り外した。そしてそれを莉子へ投げ付けた。

「きゃぁーっ!」

 叫び声を上げてその頭をよけた瞬間、莉子の体が宙に浮いていた。階段を踏み外したのだ。


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