絶望の魔女

@syo25

絶望の魔女

「これ、はよう起きぬか」

 古風で流暢な言葉遣いが漆黒の世界で反響する。こう言った優雅な声の主は老齢なのが一般的だが、その声は細くて高い女児にも思える声だった。

 周辺の様子は……真っ暗でよく解らない。ただ言える事は、声の反響具合から考えてどこかの屋内と言う事ぐらいだ。

「だ、誰……?」

 その声に返答した相手もまた少女の声だが、こちらの方が少し大人びた張りのある声だった。

 返答した少女は自分が倒れている事にようやく気がつき、気怠そうに体を起こそうとするが……。

「あれ……体が……」

 なぜか上手く起きあがれず、倒れたまま手足をぶらぶらと動かす事しかできなかった。

「えっ? ……何、これ?」

 驚くのも仕方ない。なにせ彼女自身が浮いていたのだから。

 初めて体験する無重力状態とも言えそうな不思議な感覚で、ふらふらと落ち着かない体勢のまま、目の前で自分を呼んだ誰かの声を確認する事も忘れて、彼女は今起きている状況を確認する。

 まずここはどこかと、闇に慣れてきた目で付近を確認すると、周囲は大小様々なコンクリート片で形成された狭い空間……おそらく倒壊してきたビルか何かの建造物だったのだろうと認識する。

 ならばと、体勢を落ち着かせる為に付近のコンクリートを掴もうとするが、それは見事に空ぶった……と言うよりも、なぜか半透明に見える自分の手が、コンクリートの中に何の抵抗もなく潜り込んでしまった。

「幽体となって浮くというのも新鮮な感覚じゃろ?」

 更に女児の様な声がした方向から光が灯り、未だに体勢の安定しない少女は眩しそうに目を凝らして、その方向を見つめる。

 光から下はコンクリートで出来た瓦礫の山。その頂に座るのは、豪華でやや露出の多いドレスの様な衣装を身に纏い、長い銀髪と頭頂部の左右をリボンで纏めたツーサイドアップの髪を揺らしながら灼眼をこちらに向ける相手は、小学生かと思うほど小柄な女の子。そして右手の人差し指を上げて、そこから小さな炎を灯していた。

「眩しかったようじゃな。うーむ、もう少し早めに灯しておくべきだったかのう……まぁよい、まずはワシの足下を見てみよ」

 と、暢気な口調で言われるがままに、幽体の少女がその瓦礫の下を見ると……。

「どう言う……事?」

 そこには下半身が瓦礫の下敷きになったまま、血の海に沈んだ満身創痍な彼女自身。年の頃は一五歳前後、凛とした顔立ちにクセの無い綺麗な栗色の髪の毛で、前髪を降ろしたポニーテールが印象的な少女だった。

 しかし、その様子は動くどころか呼吸している様子も無ければ心許ない光を通して見ても顔面は蒼白……誰がどう見ても生きてるとは思わないだろう。

「何で私が……こんな事になってるの?」

 一切傷のない自らの姿を不思議そうに確認しているが、埋まっている体と不思議そうにそれを見下ろす自分の差は、半透明かそうでないかの差。

 あまり目立ちそうにない質素な服装までまるっきり一緒で、まさに幽体だけが抜けているとでも言うべき状態だった。

「幽体って……まさか……」

 何度も倒れている自分と、それを見下ろす年寄りじみた口調の女の子を鋭い目つきで交互に見つめていた。

「薄々気がついてる様じゃが、気が動転して事態を容認できぬか……この状態を見れば、答えは至極単純じゃて」

 そんな少女の疑問に対して、目を細めて小さな口を開く。

「お主が既に……死んでおるだけの事よ」

 泰然と発せられた一言はあまりにも無慈悲で冷徹だったが、少女の方は驚いた様子を見せず、思いふけるように地面に視線を下ろし、浮いた体勢のまま腕を組む。

「普通に考えれば夢にしか思えないんだけど……」

 組んでいた指を何度か閉じたり握ったりした後、浮いた状態での宙返りを試みて自分の感覚を確認する。

「物に触れられない以外、位置覚や運動覚まであるって事は……少なくとも現実である事には間違いなさそうね……」

 納得したように首を何度か縦に振る。

「でも、私が幽霊だとしても疑問が一つだけあるわ……」

 いかにも怪しむように目を細め、指先から明かりを灯している張本人へ視線を移す。

「貴方は何者? 死神か悪魔の類なら納得はできるんだけど」

 この現状に動じない反応が意外だったのか、コンクリート山の主は絡めていた足を組み替え、紅い双眼を大きく見開きながら長い銀髪を左右に揺らして否定する。

「とんでもない。むしろお主を救ってやろうと申しておるのじゃが?」

 そう言って自慢げに口元をつり上げて人差し指を振る。

「救う? つまり生き返らせてくれるわけ?」

「然りよ」

 見定めるような視線に半透明な少女はしばらく口を閉ざす。

「……でも、そんな綺麗なドレス姿でこんな所に来るなんて普通の人間じゃ無いわね。それに……」

 言われた当人は、特に反論せずに納得するように頷きながら答えの続きを待つ。

「子供にしか見えないのにその年寄りじみた仕草……どう考えても怪しい事この上ないわ」

「ほっほ、至極当然な反応じゃの」

 その返答を見越していたかのように目を細めて悦に入る。

「でも、これ以上疑ってもしょうがないわね……本当に生き返してくれるなら願ってもない話だし……」

「そうか、ならば早速契約を……」

 続きを言おうとした女の子の言葉に待ってと、途中で遮るように割り込んだ。

「その前に条件を聞かせて。勿論タダって訳じゃ無いんでしょ?」

 相変わらず動じない少女の鋭い指摘に白い眉を上げる。

「察しが良いのう。それにワシの話に割り込む度胸もある……実に良い、ますます気に入ったわ」

 待ってましたと言わんばかりに口元を緩める姿は少女なれど、あたかも口調にふさわしい老婆の様だった。

「そんな所だろうと思ってたわ。なら早く条件を言って頂戴、そうでないと決めれないわ」

 悠々と喋る相手に水を差す。

「そう焦るでない。条件はたった一つ……ワシと同じ様な奴が悪さをしておる奴を退治する事。それだけじゃ」

 それでもまだ納得がいかないのか、少女は瓦礫の山に座る相手を鋭い目つきで睨み付ける。

「同じ様な悪さ? 具体的には?」

「お主が死んだ原因、つまり魔力暴走による此度の大災害を起こした奴……と申したらお主はどうする?」

 その一言で、透き通った幽体の姿でも解るほど少女の目つきが鋭さを増す。

「そいつに復讐する事はできるの?」

「いや、残念ながらこの災害を引き起こした奴はとうに死んでおる。全く……ワシらの封印を解いた虚け者さえ居なければ、この様な事にもならなかったんじゃがのう……」

 この大災害と言うのは今日になって始まった事ではない。

 ここ数年前から街が壊滅する規模の自然災害が次々と襲いかかり、その日から当たり前の様に平和だった日常が姿を消した。

 その内容も地震や竜巻、はたまた大津波など、様々な自然現象が牙を向き、今はいつどこで誰が死んでもおかしくない……そんな世界だった。

 今死んだと言われた少女も本来なら普通にベッドから起きて、高校へ通い、放課後街によって遊んでいく普通の少女……だったが、一週間程前に大竜巻で両親が行方不明になった事から始まり、数日前には津波で妹とはぐれ、今は孤独の身で安全な街を探しては避難所を点々とする、いわば難民であった。

 そして今、彼女はこの大地震で自らの命を落としてしまい、途方に暮れる所であったが、そこへ願ってもない可能性が転がり込んで来たと、幽体の少女は拳を握りしめ、着飾った老婆のような口調をした女児へ視線を落とす。

「願ってもない条件ね。分かっていて私に声をかけたなら、貴女相当性格悪いわよ」

 つまり、生き返って生死不明の家族を捜す事に加え、災害の原因にこの行き場を失った憤りをぶつけるチャンスも与えられた訳だ。

 そうなると、もはや少女に迷いはなかった。

 答えなくても分かってるといった顔で見つめる相手に、上等だと言わんばかりに睨み返しながら決意をぶちまける。

「望むところ……」

 自分のような人を増やさない為に。

「……面白いじゃない」

 このいきなり発生した謎の災害その物を無くす為に。

「その条件を飲むことにするわ」

 そして家族の安否を確認する為に。

「僥倖、良い目になったな……さて、契約を始めるとしよう。して、お主の名は?」

 よっこらせと、腰を上げる動作まで年寄りに見える少女の灼眼が霊体の少女を見つめる。

「綾……一条綾よ」

「心得た。ワシの名は『魔女狩りの精霊』……いや、トリシューラとでも呼べばよい」

「呼びにくいわ。トリ……ううん、リシェで良い?」

 それは綾なりの不器用なアプローチだったのか、察したトリシューラが大声で笑いだした。

「ほう……不躾な見た目や態度からして無愛想かと思いきや、愛称を考えるほど愛想も良いと来たか。構わぬ……フフ、構わぬよ。ならば、ワシもお主の事を綾と呼ばせて貰おう」

 そして笑顔と共に綾へ片手を差し出した。

「解ったわ。よろしくね、リシェ」

「うむ、よろしくな。綾」

 綾もその意図をすぐに理解して、互いに握手をする。

「おっと。契約の前にいくつか注意がある……それで考えを変える事は無いと思うが、念のために申しておこう」

 繋いだ手を一旦離し、無言で頷く綾を見てトリシューラもそれに答えるように頷いて言葉を紡ぎながら、右手の人差し指を立てる。

「一つ。お主は『魔女狩り』の『魔女』……つまり半精霊体となるが、人であり人でない存在となる。それによって異能の力が使えるようになるが、今後普通の人としては生きられんじゃろう」

 指を一旦折り、今度は中指を足した二本目の指を立てる。

「二つ。半精霊体になるために老いで死ぬ事は無くなる。つまり不老の体となるが、生き地獄と感じるかもしれぬ……」

 同じ動作で最後に薬指を含めた三本目の指を立てて綾の返答を促す。

「最後に。この契約はお主を孤独にするじゃろう……それでも契約するか?」

 しかし、すぐに返答するどころかそのまま黙り込んでしまい、しばらくの沈黙が訪れる。

「決めがたいか? もし飲めぬ様ならお主の幽体が痴れ者に連れて行かれる前に……」

 そんな様子を見て気遣うようにトリシューラが別の案を出そうとするが、その途中で綾は首を横に振る。

「最後の孤独になるって話が気になるけど……許容範囲内の内容だったから大丈夫よ、覚悟はできてる」

 綾の決断に揺るぎが無かった事に安堵の息を漏らしつつも、柔和な目でその顔を見つめる。

「そうか……仮に孤独になるとしてもワシはお主を絶対に見捨てぬから安心せい。別れる時はどちらかが死んだ時ぐらいじゃ……」


 まだ夜風の寒い季節、死んだはずだった少女は生き返った。

 だが、その先に待ち構える幾たびの苦難を、彼女はまだこの時知る由もなかった。




 冷え切って静まりかえった夜の室内。

 階段を上る綾の足音が遠くまで反響する。

 そこで綾とトリシューラが何やら話をしていた。

「この屋上に『魔女』が居るのね?」

 扉の前で綾が足を止め、扉からの襲撃を警戒する様子で側の壁に背を預け、隣にいたトリシューラへ手で静止の合図をする。

 会話からここの扉が屋上へ繋がる建物の一角だと解る。

「うむ、この反応は間違いない」

 頷くトリシューラに綾も答えるように頷くが、視線は合わさず扉へと集中している。

『魔女』と言うのは、綾の様にトリシューラ……いわゆる精霊と契約し、魔術を行使できるようになった人間の事である。

 つまり綾もあの日から『魔女』となり『魔女狩り』を数年続け、その力に次第に適応して行った。

「じゃあ乗り込むわ。武器化して」

「形状は何で行く?」

「いつも通りで良いわ」

「心得た」

 扉の横で周囲を警戒しながら、綾が払う動作をすると傍で立っていたトリシューラが光の粒子と化し、その手元に集まり得物となる。

「問題がなければ突入するわ」

 その得物は長い柄の尖端には弧を描く刃。

「いつでも構わんよ」

 刃の対照には鋭い鉤爪のような突起物、つまりトリシューラは斧槍となり綾と会話を続けていた。

 この武器こそが魔術を行使する上で必須の武装。つまり、現代の重火器では傷一つ付ける事ができない結界を持つ『魔女』に対し、唯一有効的なダメージを与える武器でもあった。

「了解、じゃあ行くよ!」

 片手にトリシューラを構えつつ、扉を開けると同時に一気に外へ駆け抜ける。

 その先には、綾よりも少し年下に見えるボロボロのワンピースを着た少女の姿が見える。

 しかし少女は動くどころか、背を向けて星の輝く夜空を見上げたままこちらを見る様子すらない。

 相手の対応があまりにも拍子抜け過ぎて、すぐに仕掛けるよりも逆に警戒して途中で立ち止まる。

「罠? それともカウンター系の能力?」

「いや、奴は魔術以前に精霊武器も装飾品も持っておらぬ」

 魔術の行使には実体化した精霊が必須となる。

 昔は儀式を行えば可能だったらしいが、科学に傾倒してしまった現代の人間が、その存在すら否定してしまった為、生身での行使はほぼ不可能になっている。

 そして肝心の相手にはそれらしき物がどうしても見あたらなかった。

 相手が魔術を使う素振りも無ければ、罠らしき物が置かれてる様子もない。

 ようやく少女がこちらへゆっくりと顔を向けるが、構える様子もなく綾をただじっと見つめていた。

「くっ!」

 その目は何も答えなかった。

 前髪から垣間見える双眸は怒りも悲しみもなく、恐怖も喜びも感じ取れない、まるで意志の無い人形の様な大きな瞳。

 これまで幾度と無くと戦ってきた『魔女』の中でも初めて会う、敵意も善意も感じられない『魔女』だった。

 そんな少女を見て、綾に迷いが生まれる。

 本来ならば扉を開けた瞬間に相手が迎撃してくるのが当然で、扉そのものに罠が仕掛けられていた場合も良くあった。

「逃げるか仕掛けるかはよう決めい! 中途半端に迷うと死ぬぞ!」

 そんな世界で生きていた綾には、この少女の自殺にも近い行動全てがあり得ない事だったからだ。

「解ってる。仕掛けるよ!」

 トリシューラの忠告で迷いから抜け出し、綾が再び踏み込んで斧槍を振り下ろす。

 風を切る轟音と共に、頭上から稲妻のような鋭い一撃が少女へ襲いかかる……はずだった。

「たわけ、結局迷ったままか……」

 少女の鼻先でぴたりと止められた、斧槍の姿となったトリシューラが不満を漏らす。

「どうして……」

 相手は目の前に武器を突きつけられても、微動だにしない。

 そんな生気の無い目見て、綾が顔をしかめながら唇を噛みしめる。

「どうして黙ったまま何もしないの?」

 そして、少女は綾が下ろした得物を目線で追いながら一言、こうつぶやいた。

「また……死ねなかった……」と。


 互いにしばらく見つめ合うが、少女はまるで動く様子を見せない。

「あなた、名前は?」

 向こうに戦う意志がないと判断した綾は、無謀にもトリシューラを武器から人型に戻して丸腰になる。

「これ! 迂闊に解除するでない! 相手にまだ待機中の魔力が残っておる!」

 横で文句を言う女の子の姿をした老婆を手で制し、目の前の少女の反応を伺っていた。

「魔力があっても武装が無いなら、戦闘の意志はないはずだよ」

 こちらのスキを狙っていたのであれば、最初に迷って立ち止まった時に何かしてきたはず。

「たわけ! お主は甘すぎる! だいたいお主ときたら……」

 更に目の前に武器を突きつけられても反撃すらしないのであれば、戦う意志が完全に喪失しているのだろうと綾は予想していた。

「名前……?」

 綾の背中から延々と説教を垂れ流すトリシューラの騒音の中、初めて少女が細く弱々しい声を出す。

 その声も生気のない目と同じく感情の変化が感じ取れなかったが、綾も予想通りだと言わんばかりの様子で頷いていた。

「まさか記憶喪失って訳じゃないよね?」

 綾の疑問に何か深く物思いにふけるように言葉を閉ざす。

「わたし、ずっと呼ばれてた……悪魔、死神って」

 少女が出した二つの名前を聞いて綾は絶句する。

 それは一般人が『魔女』の恐怖に対する代名詞であり、名前を決める時期……つまり、生まれて間もない頃から『魔女』として人々から忌み嫌われていたと言う事になる。

「ずっと? それはいつから?」

「解らない……多分、生まれてから……」

「じゃあ生まれてすぐ『魔女』になったの? でもそんな事が……」

 綾の問いかけに少女からの返答は無かったが、少しだけ首を傾げる動作をした様な気がした。

「いや……もしかしたら先天性の『魔女』かもしれんな。あるいは本当に死ぬつもりで精霊武器を出さなかっただけかもしれぬが……」

 無表情な少女の素顔を、横から眉を寄せてまじまじと見つめるトリシューラ。

「つまり、この娘が大災害を起こす『魔女』かどうかは解らないって事?」

「うむ、そう言う事になるが……お主がいつものように殺してしまえば手っ取り早く事は済むのじゃがのう」

 残念そうに腕を組んで綾を睨み付ける。

「私だって好きで殺してる訳じゃない。今までは相手が殺しに来たから応戦しただけ……だから殺す以外に良い方法は無いの?」

「ふむ……そうじゃな。満月が過ぎるまで監視するのがベストかのう。それで大災害を起こす兆候がなければ白じゃ」

 殺す以外に道は無いと言われる最悪の展開も覚悟していた綾だが、その言葉を聞いてほっと胸をなで下ろす。

「そう……ならこの娘をしばらく監視するわ」

「承知した。じゃが、こやつが黒だった場合は……」

「解ってるよ。その時は覚悟してる、だから……」

 綾がその場から全く動かすにその様子を見ていた少女の手を取った。

「私が貴方に名前をあげる」

「名前……?」

 腰を落として頭の高さを合わせながら少女へ呼びかける。

「そう、名前。あなたは今日から悠だよ」

 それは前の大災害で行方不明になった綾の妹の名前。

 斧槍を叩き付けるのを躊躇ったもう一つの理由が、少女がその妹を思い出す姿だったからだ。

 肩まで伸ばした髪に、綾より頭一つ分だけ低い身長。

 そして細く整った顔立ちで、最後に笑顔さえあればまさに綾の妹その者だと言えたほどであった。

「ゆ…、う? わたし、悠?」

「そう、悠。それとしばらくここで一緒にいさせて貰うけど良いかな?」

 ここで初めて、悠と名付けられた少女がはっきりと首を縦に振って返事をした。

「解った。わたし、悠。お姉ちゃんは?」

「私は綾。お姉ちゃんでも良いよ?」

 悠と同じ目線になるように腰をかがめた綾が、悠の手を綾が優しく包む。

「綾……お姉、ちゃん?」

「うん、それでも良いね」

 綾が笑顔と共に離した手で頭を撫でた。

「悠、早速だけど寝てる部屋を教えてくれないかな?」

 そう言わるや否や、今まで微動だにしなかった悠がゆっくりと屋内へ繋がる扉へ歩き出す。

「こっち……」

 そこは屋内の扉を開けてすぐの部屋だった。

「ここ……」

 開けられた部屋はベットが何個か並べられている以外は何もない殺風景な部屋。

 これなら綾とトリシューラがお邪魔しても支障はないだろう。

「私、もう……寝る。綾お姉ちゃんは?」

「そうね。私も寝させて貰おうかしら」

 緊張感のないあくび混じりでベットに寝転がる綾へ、突然トリシューラがその額に平手で軽い突っ込みを入れる。

「これ、綾! 相手より先に寝るとは無防備にも程があるぞ!」

「襲われたらリシェがいつもの様に起こしてくれれば良いでしょ? 私だってそこまで間抜けじゃないしね」

「うむ、じゃがのう……」

 危険な状況になれば熟睡中でもすぐに起きて迎撃できる能力。

 綾が戦いに慣れていく内に自然と身に付いたサバイバル技能の一つであった。

「いくら何でも気を抜きすぎじゃ」

 勿論その技能を知っての上での注意だったが、それでもトリシューラは納得の行かない様子で眉間にしわを寄せる。

「そう、なら気を付けるわ……」

 最後まで言い切れずに眠りに就く綾。

 トリシューラの示す大災害を起こす『魔女』を探しては狩り、探しては狩り続ける旅を続けてはや数年。

 慣れてはいるが、長距離の移動は体に堪える。

 それに話を聞いてくれる人間に会ったのは綾が『魔女』になってから本当に久しい物であった。

 なので慣れない出来事だらけで疲れていたのだろう。

 そのまま安らかな寝息を立てていた。

「全く……人と話せたからと言って浮かれすぎじゃ……」


 やがてトリシューラも綾のシーツに潜り込んで眠りに就くと、悠がゆっくりとベットから起きあがり、再び屋上へと足を運ぶ。

「ついに『魔女狩り』に嗅ぎ付けられたわね、厄介だわ」

 冷える夜風と共に聞こえてくる妖艶な大人の女性の声。

 悠の横でそう囁くのは長身の女性の姿。

 声の通り、大人の魅力をこれでもかと言うぐらい引き立たせる、はだけた着物の様な服装。

 それに見事に合った艶のある長くて黒い髪に豊満な体系。

「ラブリュス……」

 悠がそう呼んだ女性がふわりと浮かび上がり、落下防止の柵へ座る。

 この世界の物理法則を無視したと言う事はつまり、彼女が精霊だという事を示していた。

「何であの時迎撃しなかったの? 私はいつでも武器化できたわよ」

 艶めかしい動作で足を組み見ながら、つまらないと言わんばかりに悠を冷めた目線で見下ろす。

「わからない」

「私の方が解らないわ。あのまま殺されてたら私との約束はどうするの?」

 悠の即答にラブリュスが呆れて両手を広げながら首を横に振る。

「綾おねえちゃん……寂しそうだった」

 晴れた星空を見上げながら少女は思い出す。

 斧槍を突きつけてきた時の悲しそうな顔と、自分の手を取った時の嬉しそうな綾の笑顔を。

 それは悠も久しく見る敵意の無い人間の姿。

 だからこの人なら何かしてくれるかもしれない、そんな期待をしていた。

「でも貴方の正体を知ればきっとあいつだって同じよ。大災害を起こす『魔女』だとバレたら間違いなく殺しに来るわよ」

 だが、期待を裏切るラブリュスの指摘に、星空から地上の夜景へと視線を下ろす悠。

『魔女』と言うのは基本的に精霊武器を媒体に魔術を行使する者の総称である。

 つまり、綾に武器化したラブリュスを見せていない以上、まだ悠は『魔女』だと思われていない。

 また、人の姿をした精霊も契約してしまうとその本人以外には見えなくなるので、相手からは『魔女』の疑いがある人物程度にしか見られていない。

「そう……だね」

 それは綾に『魔女』だと悟られた時、他の人と同じように受け入れて貰えなるなるかもしれない、そんな躊躇いのある返事だった。

「そうよ、貴方は正真正銘の『魔女』なんだから。私以外受け入れてくれる人なんていないわよ?」

 ラブリュスが言う悠の正体。

 それはつまり、トリシューラが予想していた先天性の『魔女』であった。

 悠は物心付く以前から精霊と契約せずに魔術を行使する事ができたのだ。

 しかしながら、親は生まれてしばらくしてからその力に気が付き、恐怖のあまりに悠を捨て、彼女は孤児院に拾われる事になる。

 言葉も喋れない時から手を触れずに物を動かす力を持ち、次に覚えたのが物を変化させる力。

 そして、最後に覚えた力は些細な出来事がきっかけだった。

 男の子が悠の持っていた人形を取り上げた。

 それは好きな娘に悪戯したくなる子供の典型的な行為。

 そこで悠は『魔女』の力を使ってしまったのだ。

 気が付いた時には既に遅かった。

 首が捻れ、血を吐いて痙攣しながら倒れるいたずら少年の姿、無論即死だった。

 そう、最後に覚えた力が人を殺す力だった。

 当然警察沙汰になったが『魔女』と言う存在すら確立されていない時代であった為、悠に容疑はかからなかった。

 しかしながら悠の使う未知の力を知っていた孤児院の人達は、その日から悠に恐怖して彼女を部屋に隔離する事にした。

 悠はそこで成長期の大半を過ごし人と話す機会を失った為、感情の変化に乏しい少女となった。

 そんな孤独な日常にも慣れてきた頃に大災害が起きる。

 不幸なのか幸いなのか、そこで唯一生き残ったのが悠だけであった。

 初めて見る外の世界。

 壊れた街が景観を多少損なったが、それでも髪を撫でる風の心地よさと空の青さに感動した。

 喜ぶ間もなく避難所へと向かうが、そこで悠は現実を知る事になる。

 避難所にいた人々から憎しみと怒りを込めて悠に叩き付けられる悪魔や死神の呼び名。

 おそらく孤児院が噂を広めていたのだろう。

 そう、生まれた時から『魔女』だった者に居場所は無かったのだ。

 生まれた時から親や仲間に避けられ、外へ出てやっと話しかけられたと思えば歓迎とはほど遠い罵詈雑言の嵐。

 そこで悠は初めて自分の立場を理解する。


――わたし、いたら……だめ?


 存在すら許されない人間だと。

 声が震え、喉が渇き、視界が熱くなって滲む。

 人との関わりを極力封印された少女には理解できない、悲しいと言う感情。

 それでも、この先ずっとこんな事が続くのはとても恐ろしくて怖い事だけは解る。

 だからもう、恐ろしくて怖い所だらけなこの世界で生きていく事に絶望した。


――こわい……しにたい。


 もう、死ぬ事よりこの世界にいる事の方が恐怖になっていた。


――ねえ? どうせ死ぬならその前に一花咲かせてみない? 他の連中は貴方が不要だと言ってる見たいだけど、私は貴女が必要なのよ。


 そんな悠に初めて好意的に話しかけてきたのは優雅で綺麗な女性だった。


――わたし、いてもいい?


――ええ、是非いて貰いたいわ。だから私のお手伝いをして貰える?


 悠にとって初めて自分を必要としてくれている相手。


――うん、てつだう。


 迷いすら無かった。


――一つ確認するけど、私の手伝いをしたら確実に死ぬのよ? 本当にそれでも手伝う?


――うん、だいじょうぶ。


 女性は念を押すが、それでも彼女の決断に揺るぎはなかった。

 孤独になる事、それが今の悠にとって死ぬ事よりも怖い事なのだから。


「大丈夫……約束、守る」

 徐々に明かりの増える夜景を眼下に、悠が変わらぬ決意をラブリュスに伝える。

「そう……なら私の方からはこれ以上言う事は何もないわ。決行は満月に近い明日か明後日よ、忘れないでね」

「うん」

 そう言い残し、長身の女性はまるで透き通って消えていくように姿を消した。

 

「あ……んんっ」

 窓から寝起きの目には眩しすぎるほどの朝日が入り込み、綾が目を覚ます。

 しかし、普通の寝起きにしては少し様子がおかしい。

 呼吸は荒く、顔の所々に珠のような汗が浮かんでいる。

「また……いつもの夢ね」

 まだ状況が確認できないらしく、落ち着かない様子で辺りを見回す。

 だが、ここは昨晩綾が悠と名付けた少女に案内された殺風景なビルの一室。

 そして隣のベットでは安らかな寝息を立てている悠。

「むー、尻ー乳ー太ももー」

 それに、いつの間にかシーツの中に潜り込んでいたトリシューラを見て、綾の強ばった表情が落ち着いた物へと変わる。

「こう言う時ぐらいね、リシェのセクハラが役に立つのは」

 だらしなく大の字になって卑猥そうな夢を見ている銀髪の相棒にシーツを掛け直して、屋上へと向かう。

「綺麗な空……」

 空は雲一つ無い快晴だった。

 それに、朝の冷え切った空気が汗で上気した肌に心地良い。

「夢でうなされておったのか?」

 その背後にはいつの間にかトリシューラがいた。

「ええ、いつもの夢をね……怖かったわ」

 目を瞑るだけでも鮮明に蘇る、死んだ家族の姿。

 そして壊れた世界で取り残された自分だけの世界。

 泣いても叫んでもそれに答える物は誰1人いない。

 それが永久に続くかと思うほど静まりかえった静寂の世界。

「そうか……」

 先ほど綾がトリシューラの姿を見て落ち着いた理由はそこにあった。

 綾の見る悪夢に彼女は絶対に存在せず、その姿を見る事ができればそれが現実だという証明にもなったからだ。

「熟睡して気が付かなんだ。ワシも人の事は言えんな……すまぬ」

 苦渋の表情で詫びるトリシューラ。

 精霊は契約者と精神的な繋がりを持っている為、夢に干渉する事もできる。

 そして顔をしかめた理由、それは綾が見た悪夢に対処できなかった後悔による物だった。

「大丈夫よ、リシェも疲れてたんでしょ? 仕方ないわ」

 淡泊に受け流すが、綾は今までトリシューラに嘘を付いた事はない。

 それが建前上のやせ我慢ではなく、本心で言ってる気遣いだった事は付き合いの長いトリシューラには解っていた。

「気遣い感謝する。じゃが、精霊が契約者の身を安じるのは当然の事。次からは気を付けるが故に」

 そんな彼女に銀髪の精霊も綾を気遣い、優しくその手を握った。

「綾、お姉……ちゃん?」

 続いて屋上にやってきたのは悠。

「おはよう、悠。落ち着いたら起こそうと思ってたけど、いつもこうやって空を見てるの?」

 ゆっくりと頷く。

「ずっとここに1人で住んでるの?」

 もう一度ゆっくりと頷いた。

「避難所には行かないの?」

「みんな、わたし、嫌いだから」

 そこで昨日悠が言っていた言葉を思い出す。

 綾も『魔女』である以上、少なからずそう呼ばれた事のある二つ名。

 死神や悪魔だと。

「そう、辛いわね」

「今は……1人じゃない……辛くない」

 果たして、それは誰に対して言った物なのだろうか。

 綾を見ながらではなく、朝日の昇る青空を見上げながらそう呟いた悠の意図は解らなかった。

「良かった、それなら何よりだわ」

「食べる物……持ってくる」

 綾が何か言おうとしたが、それを遮るように悠は去ってしまった。


「ねえ、リシェ?」

 やがて、悠がいなくなったのを確認すると綾は相棒に話しかける。

「どうした?」

「もし、あの娘が大災害を起こさなかったら一緒に連れて行くわ」

 それを聞いた途端、トリシューラの顔が険しい物となる。

「冷酷無比の『魔女狩り』……そう呼ばれたお主が冗談を言うとも思えぬが……まさか本気で言うておるのか?」

「ええ、勿論。もう『魔女』同士で戦うのは嫌なのよ、何で仲良くできないの?」

 あまり不平不満を言わない綾が、ここで初めてトリシューラに疑問を持ちかけた。

「いい加減話すべきかのう……」

 そんな綾の態度が珍しかったのか、溜息をした後に座っていた柵から下り、ゆっくりと語り出した。

「本来『魔女』と言うのは、人の負の感情から生まれ出でる物。今まで戦ってきた『魔女』の姿を見れば解るじゃろう?」

 今まで戦ってきた『魔女』を思い出してみれば確かにそうだった。

 金が無くて追いつめられた人。

 権力を失って行き場を失った人。

 力に屈して絶望した人。

 つまり『魔女』となった者は、全てこの社会から拒絶された人達であった。

「じゃあ何で私が『魔女』になれたの?」

「ワシと契約するに値する人間は少々特殊でな……絶望の淵に立たされてもなお、屈せず前向きに生きたいと言う希望を持てる者。それが『魔女狩り』をするのに一番適しているからじゃて」

 何も言ってこない綾に対しトリシューラが解説を続ける。

「世界に絶望した者が他人を受け入れると思うか? 頭の切れるお主ならすぐに解るじゃろう?」

 トリシューラの正論に、綾はただ唇を締めるだけで反論できなかった。

「よって魔女同士は決して相容れぬ」

 更に結論で追撃をかける。

「悠が『魔女』じゃなかったら?」

「それはありえぬ」

 やっと出た綾の反論も即答で一蹴する。

「ワシは絶対に『魔女』と普通の人間を見間違えんからな。であるからして、あの娘は先天性にしろ後天性にしろ『魔女』である事には違いないのじゃよ……」

「じゃあ、悠が私と同じ『魔女狩り』な可能性は……無いね」

 綾が悠に得物を突きつけた時に言った「死ねなかった」と言う言葉を思い出し、途中で口を止める。

「そうじゃな……あやつもこの世界に絶望した『魔女』と言う事になるのう。そんな相手を説得するのは殺すよりも容易い事ではないぞ?」

「それでも助けたい。大災害を引き起こす『魔女』だとしても」

 迷いの無い強い意志を示す目つきを見て、トリシューラが諦めた様子で溜息をつく。

「やれやれ。お主は一度決めたらテコでも動かないからのう……付き合ってやるとするか」

 まるでその答えを待っていたかのように、気の抜けた返事をする。

「ありがとう」

「なに、お主が決めた事じゃ。今更礼を言う必要などあるまい?」

 呆けた口調で返すトリシューラだったが、含み笑いをする様子はどこか嬉しそうだった。


「綾、お姉ちゃん……これ」

 悠は何も言わずに綾の分まで食料を持って来ていた。

「ありがとう、悠」

 全て保存食と缶詰だけのシンプルな物であったが、大災害により流通が止まってしまった今の時代では十分すぎるほどの食事だ。

「ねえ? 悠?」

 綾がその場に置かれた缶切りを手に取り、缶詰を開けながら悠に話を切り出した。

「こんな所にいないで、私と一緒に旅に出ない?」

 彼女らしい迷いのない堂々とした声と目線に答えるのは、少し考え込むように視線を地面に落とす悠。

「待って……くれたら」

 可能性のある返答に綾が目を輝かせる。

「いつまで待ったら良い?」

 期待を寄せる綾の目線を受けながらも、その反応は会って数日で解るほど普段より明らかに鈍い。

「明日……明後日?」

 元からはっきりとしない発音もさながら、珍しく歯切れも悪い返事。

「解ったわ。明後日にはここから出て一緒にいろんな所に行こう。きっと楽しいよ?」

 彼女らしい迷いのない堂々とした声と目線の先には、少し考え込むように視線を地面に落とす悠。

「うん……解った」

 押し殺すような声だった。

 それは悩み抜いた末にの決断だったのか。

「ちょっと……用事」

「そう、気を付けてね」

 どこか落ち着かない足取りで去って行く少女を少し心配そうに見送った。


「あやつ、明後日までと言っておったな……綾、その意味が分かっておるな?」

 不意に綾の背中から現れ、銀髪の相棒が奇怪な目つきで悠の閉じた扉を見つめる。

「ええ、満月が過ぎるわね」

 解ってて何故追求しなかったのかと言わんばかりにトリシューラが溜息をつく。

「大災害を起こせば術者は死ぬ。それで明後日に行けるとは何を考えておる……」

「解らないわ。でも、何か別の考えがあるんじゃない?」

 綾の甘い考えに渇を入れるように、トリシューラがきっと睨み付ける。

「阿呆。憶測で自分の都合の良いように解釈すると自分の首を絞めるぞ?」

「憶測じゃないわ」

 その言葉が癇に障ったのか、銀髪を激しく揺らして老少女が声を荒げる。

「ほう? ならば申して見よ。お主の言う憶測ではない証拠とやらを」

「あの娘、人を殺せる人には見えない」

 不満な返答だったのか、今にも喰ってかかりそうな勢いで顔を近づけ、更に綾を追求する。

「それはお主の憶測じゃ。頭を冷やして落ち着け! いつもの冷徹さはどうした?」

「違う、憶測じゃない。私はいつだって冷静……」

 言い終える前に乾いた音が辺りに響いた。

「うつけ者が! 反論無き否定が冷徹でない何よりの証拠。これで少しは目が覚めたじゃろう?」

 赤くした片方の頬を抑える綾に向かうは、歯を噛みしめながら平手を振りかぶったトリシューラの姿。

「じゃあどうすれば良い? 私は……あの子を救えないの!?」

 綾も反撃とばかりに強引にトリシューラの襟首を掴む。

「だから落ち着けと言っておる! 冷静になって考えるのじゃ……それに救えぬとは言っておらん」

 自分の提案が否定されてないと解った途端、我に返り掴んだ襟首をゆっくりと離す。

「ごめん……でも、なんで諦めるさせるような言いぐさだったの?」

「それは、お主にそれなりの覚悟と現実を見つめる必要があったからじゃ」

 かなりきつく締め上げられたのか、軽く咳き込みながら口を開くトリシューラ。

「ワシはな……今のお主の様に、甘い希望を持って戦い、死んだ奴を何人と見てきておる……」

 押し殺すような悲痛の声。

「つまり最悪の場合、あれを殺してでも生き延びる覚悟が必要なのじゃ」

「でも、私は悠を殺したくない」

 綾の曲がらない信念を諭すように頷くトリシューラ。

「解っておる。じゃが、それぐらいの覚悟がなければ助けられぬ相手だと解って欲しい。それに……」

「それに?」

「お主を失いたくないのじゃよ。それだけは解っておくれ」

 恥ずかしそうに目を閉じながら、綾へそっぽを向いて空を眺めていた。

 


 その頃、悠は地下の食料庫にいた。

 破棄されて間もない建物だった為、しばらく過ごすには十分な程備蓄された保存食が、所狭しと並べられていた。

 そんな場所で1人……いや、2人が話をしていた。

「本当にあの『魔女狩り』に付いて行くの?」

 その相手は昨日の晩も悠と話をしていた長身黒髪の女性の精霊、ラブリュスだった。

「わからない」

 だからこそここまで来たのだろう。

 あの年上のお姉ちゃんも、ラブリュスのようにきっと自分を受け入れてくれる。

 だが『魔女』と『魔女狩り』であるが為に、これ以上深い所まで知られてしまうと綾に拒絶される恐怖。

 それを避けるために、ここまで来て1人になったのだ。

 それに悠はラブリュスの約束を忘れた訳ではない。

「私も全然解らないわ」

 座り込んだまま何も言い出す気配が無い事が解ると、やれやれと言いながら仕方なしに口を開く。

「『魔女狩り』に着いて行っても、貴女が『魔女』である事には変わりないのよ?」

 それは悠の希望を打ち消す絶望の言葉。

「もう、散々味わってきたでしょ? 表に出れば人間どもに虐げられて行き場所を失うって事が」

 そして再び絶望を思い出せとの暗示。

 お前はどこへ行っても不幸になると。

「あいつだって貴女と同じだから傷を舐め合う為に誘ってきたのよ。だから、これ以上貴女が苦しむ必要なんて無いわ」

 だからそんな誘いには乗る必要がないと。

「でも……私消えたら、お姉ちゃん……また1人」

 悠が始めてみせる涙。

「大丈夫よ」

 嗚咽混じりで葛藤する少女に、精霊はそっと耳元で言葉を紡ぐ。

「……この世界と一緒に『魔女狩り』も消してあげなさい。それで2人ともこれ以上苦しまなくて済むわ」

 それは最後の決断を一押しする悪魔の囁き。

「それが……みんな、幸せ?」

「ええ、幸せよ。だってみんなこれ以上辛い思いをしなくなるんだから。貴女方にしかできない事よ」

 そして背中から優しい包容で少女を包み込む。

「解った……」

 悠はそれ以上何も告げず、唇を噛みしめてその場を去った。


「結局戻ってこなかったわね……」

 時刻は間もなく夕日が沈む時間。

「うむ、この建物の中にいる事には間違いないんじゃがのう……」

 伊達に長年『魔女』を見分けてきた訳ではなく、気配の察知に関しては非常に高い精度を誇っているようで、綾もその一言で安堵の息を漏らす。

「そう、なら寝床に戻って待つとしましょう」

「そうじゃな。日も沈んで冷えてきた、年寄りにこの冷風は堪える。ここはひとつ……綾に暖めて貰う方が得策じゃな」

 トリシューラがニヤニヤと笑いながら自らの両腕をさするジェスチャーをする。

「私より子供の格好して情けないわね、ほら」

 綾は少しだけ口元を緩めて左腕を出すと、銀髪の少女はその意図を理解してすぐにその腕に抱きつき、頬をすり寄せていた。

「うーむ、やはり乙女の柔肌は実に良い。若返るようじゃ……」

 さりげないやり取りではあったが、それは先ほどのわだかまりが完全に解消されている証明でもあった。

 

 綾が寝床に戻り完全に日が沈むと、その屋上にいたのは悠とラブリュスだった。

「始めるわよ?」

 それは自らの命を触媒にして破壊の魔術を行使し、この世を去る最後の確認。

「うん……」

 悠の一言を聞いてラブリュスの手から光が弾け飛んだ。

 散らばった光は地面に落ち、そこから魔法陣が張り巡らされていく。

「準備は整ったわ。後は貴女が魔力を解放すれば儀式の開始よ」

 わずかに頷いて、ラブリュスを精霊武器に変えてその手に納める。

 その形は大斧。

 長い柄の先には、綾の得物をはるかに上回る大きさの刃が取り付けられた武器が姿を現した。

「綾……お姉ちゃん」

 最後にもう一度その名前を呼ぶ。

 それはこれから行う行為に対する懺悔の為か。

「……ごめんなさい」

 謝罪と共に少女は力を解放した。




「綾! 緊急事態じゃ」

 大声で壁に寄りかかっていた綾を叩き起こしに来たトリシューラだが、既に目を開けていたらしくそれを手で制す。

「流石に私でも解るわ。この強力な魔力……」

「うむ、屋上のようじゃ。急ぐぞ!」

「了解」

 綾はすぐさまトリシューラを武器化して寝床を飛び出した。

 そして屋上への扉を開けると、そこには綾が一番目にしたくない光景が広がっていた。

「悠! 何を……」

 だが、そんな事は聞くまでもない。

 張り巡らされた魔法陣。

 その中心に佇んで魔力を圧縮する術者の姿。

 過去の『魔女狩り』で何度も見た、間違えるはずのない大災害を起こす魔術の儀式だった。

「はーい。こうして会うのは初めましてかしら?」

 悠の持つ大斧から響く大人の女性らしき声。

「やはり契約済みであったか。『破壊の精霊』め!」

「あらぁ? 異端児の『魔女狩り』に言われる筋合いなんて無いわよ?」

 斧槍となったトリシューラが怒号で威圧するが、まるで遊び事のように緊張感のない声色で挑発ししながら受け流す大斧のラブリュス。

「ぬかせ! お主らの様な存在をこの世に野放しにする訳にはいかぬ!」

 そう言い終わると同時に綾が飛び出した。

「せぇい!」

 一瞬で間合いを詰めると同時に、加速と遠心力に加え、魔力まで付けた斧槍の渾身の一撃を悠に見舞う。

「くっ!?」

 だが、その一撃は途中で止められた。

 それでも押し込もうと力む綾の視界に映ったのは、前と同じように一歩も動かない悠の姿。

 並大抵の相手ならそれだけで吹き飛び、骨すら砕ける綾の一撃を防いだのは当然の如く悠の持つ大斧。

 その状況を確認する綾に更なる驚愕と絶望が待ち構えていた。

「片……手?」

 なにせ大斧を片手で楽々と操り、綾の本気の一撃を止めたのだから。

 そう、前と違って戦闘を放棄していたのではなく動く必要すら無かったのだ。

「どうして……どうしてっ!?」

「ごめん、綾お姉ちゃん。やっぱりこうして消えた方が……私は幸せ」

 綾の悲痛な叫びは、斧を持たない方の手から発せられた強烈な衝撃波と共に返された。

 体勢を低くして踏ん張らなければ、そのまま空に飛ばされてしまうかと思うほど強烈な風。

「破壊の結界で発生した強大な魔力を瞬時に衝撃波に変換したのか……ここまで適応が早いとなると、やはり先天性の『魔女』と言う訳か」

「ご名答よん。だから貴女達に勝ち目は無いって事よ。諦めなさい」

「否、至近距離で直撃しなかったと言う事は……幸いな事にまだ制御に慣れておらぬようじゃな……」

 綾の横にできた衝撃波の描いた瓦礫の道がその威力を物語っていたが、トリシューラはそこで制御が不安定という部分を見抜いていた。

「何で……? この儀式を終わらせたら死ぬんだよ!? 死んだら一緒に行けないよ?」

 その問いに悠が初めて綾に笑顔を見せる。

「大丈夫だよ、綾お姉ちゃんも一緒に死ぬんだから……ね、一緒にいこう?」

 その瞬間、悠から鋭い殺気を感じた綾が鍔迫り合いを止め、すぐさま後方に飛び退くと、直後に綾のいた空間が大斧と衝撃波で荒れ狂う。

 綾は何とか大斧の一閃は避けたが、余波の突風に煽られ体勢を整える間もなく吹き飛ばされ、落下防止の柵に叩き付けられる。

 しかし、避けなければ体の一部が宙を舞っていただろう、恐ろしく強大な一撃だった。

「流石……『魔女狩り』の綾お姉ちゃんだね」

 柵に叩き付けられた綾はすぐに立ち上がれず、四つんばいのまま激しく咳き込んでいた。

 それも無理はない。叩き付けられた柵は車が激突したかのように激しく曲がっていたのだから。

 それほどまでに広く強力な一撃で、力の差は一目瞭然だった。

 はっきり言って勝てる見込みが薄いと、今まで戦いで積み重ねてきた綾の経験がそう伝えてくる。

「やはり力の差は明白か……ならば、あ奴が力の制御に慣れぬ内に仕留めるか逃げるしか道はあるまい」

 しかし、その諦めにも取れるトリシューラの提案に綾は力強く首を振る。

「だめ! どっちも嫌、まだ諦めない!」

「馬鹿者が! 間に合わなければこの町ごと消えておさらばじゃぞ? 流石に今回は相手が悪すぎる!」

 ふらふらとおぼつかない足取りで立ち上がり、目の前に落とした斧槍を拾い直す。

「それでも……何とかして見せる!」

「無理じゃ! 流石にお主とて、先天性の『魔女』を止める事などできん!」

「お喋りはそこまでよ。もうひと思いに殺しなさい」

 その会話を遮るように襲いかかるは幾重にも折り重なる衝撃波。

 気が付いた時には既に目の前にまでそれがやってきた。

「くっ、あああっ!!」

 初撃を防ぐだけで腕が痺れ、2、3発目にもなれば視界と自分の体勢が理解できなくなり、その後は何回当たったか理解できない。

 カランと響く金属の音。

 その音と共に見えてきた景色は星空の浮かぶ夜空だった。

 何とか起きようとするにも全身が酷く痛み、言う事を聞かない。

「立て! はようせんか!」

 激を飛ばすトリシューラのおかげか、地べたを這いずり、壁を利用して何とか起きあがる。


「悠……本当に死にたいの!?」

 その問いかけにはっきりと悠は頷く。

「だって……それがお互い一番幸せなんだもん。だから綾お姉ちゃんも一緒に消えよう? その方が絶対楽になれるよ?」

 そして、清々しいほどの笑顔でそう答えた。

「悠……貴女を助けるわ。リシェ、悪いけど私はやるよ!」

 それを見て綾は拳を握りしめ、再び気合いを入れる。

「解った解った……もう時間的に逃げても間に合わんからのう。じゃが、最後まで生きる事を諦めるでないぞ」

 綾をここまで決意させるに至った理由、それは悠がまだ他の方法で救われる事を望んでいると確信したからだ。

 だから私はあなたが笑顔の裏で流した一筋の涙に誓おう、絶対に救ってあげると。

「うん、解ってる。悠、もうちょっとの辛抱だからね」

 再び拾い直した斧槍を振り回して構える綾に、悠は強く頭を振って否定する。

「だめだよ、綾お姉ちゃん……もう全てが遅すぎたんだよ!」

 これは綾に万に一つも勝ち目の無い戦いだった。

 悠が片手間の如く繰り出す一振り一振りが綾にとっては致命打になる一撃……のはずだった。

 綾が悠の1撃を受けるたびに弾かれ、吹き飛ばされる。

 しかし、すぐに起きあがって斧槍を手に取り咆吼と共に突進を繰り返す。

 どれだけ致命打に等しい一撃を受けても、生きる事に絶望し、死を望む少女の涙を思い浮かべるたびに、ボロボロだった体が嘘のように動き、飛びかけていた意識がはっきりとする。

 今までの戦いは、説得する間も無く戦いとなり、やむを得ず迎撃するだけの作業。

 しかし今回の戦いは自分で初めて助けたいと思った相手を救う為の戦い。

 自分の存在理由が今その為にあるのだと思うだけで、圧倒的に不利な相手にここまで闘う事ができるのかと、綾自身も驚きを隠せない様子でトリシューラを握った右腕を見つつ、そこを軸にして起きあがる。

「消えたい……なんて言わないで!」

 口の中は血まみれで、何度も叩き付けられたおかげで呼吸すら整わない。

 それでも少女にこの声が届くなら、最後の最後まで説得を諦めまいと、喉の奥から声を絞り出して綾は叫び続ける。

「どんな事があっても……一緒に……いるから、絶対に……悠を……守るから!」

「いい加減私の契約者を苦しめる事は止めて貰える? それに、自分自身の命すら守れそうにない人が言う台詞じゃないわ」

 ふらつきながら立ち上がる綾へ、無慈悲なラブリュスの言葉と悠の強烈な一閃が襲いかかる。

 何とか受け止めるが、防いだ勢いでまた得物と共に空中へ弾き飛ばされ、固いコンクリートの床へ叩き付けられ悶絶する。

「どこが……苦しめてるって、言うの? 死んだらそこで……全部……終わりなんだよ!?」

 また起きあがって足下に落ちた斧槍を手に取り、ゆっくりとだが力強く起きあがる。

「この娘の事を何にも知ないクセに……よくもぬけぬけと言えるわね!」

 一言一言、憎悪を込めるかのように口調を強め、悠が喋る大斧を振り降ろして追撃をかける。

 分厚いコンクリートの砕ける轟音が空へ鳴り響いた。

「あなただって『魔女』なら解るでしょ?」

 既に綾は回避できるほどの余力も無く、何とか斧槍を前面に出し、防ごうとしたがそれはあまりにも無謀すぎる行動だった。

 威力の絶大さを現すかのように、時間差で空からパラパラと降り注ぐ大きなコンクリートの欠片。それと共に武器ごと弾き飛ばされた綾が地面へと叩き付けられ、堪らず体を丸めて悶絶する。

「同じ人で在りながら憎まれ、妬まれ、恐怖の対象とされる……そんな生き方って幸せだと思う?」

 普通ならば間違いなく気絶する程の衝撃を受けたはずだが、それでもまだ綾の目は死んでいない。

「そ……れ、でも……」

「私は絶対に幸せだと思わないわ。特にこの娘なんて……生まれた時から一人も味方がいなかったのよ? その苦しみがどれほどの物か貴女には解らないでしょうけど……だから、消えてしまえば解放されるのよ。全ての苦しみからね!」

 このふざけた事を言う大斧に言い返したかった。

 貴女の考えは間違っている。

『魔女』でも人として生きていける。

 それを認める人がここにいるからと。

 だが、それを言いたくても呼吸ができない。

 少しでも息を吸えば喉と肺が自らの血を異物として排除しようと咳を出し、更にそれが困難になる。

「だから……死こそが唯一の安らぎ。この世で生きる方が地獄だって人もいるのよ?」

「ち……がう」

 激しい嘔吐感と脱力感にもめげず、気力を振り絞って再起する。

 ただ、今回ばかりは立ち上がるのがやっとで、壁を背にしたまま動けない様子だった。

「確かに……私も辛かった、よ……」

『魔女狩り』とは言え『魔女』である事には変わりない。

 綾も『魔女』になってからはその力に恐怖した人に忌み嫌われ、避けられる運命を背負っていた。

 それがトリシューラの言う孤独になる理由だと、その時初めて理解した。

 一度理解すれば受け入れるは簡単だったが、それに一役買ったのがトリシューラの存在だろう。

 常に彼女の側で、自分の存在を飽きさせぬように様々な努力をしていたのがその精霊なのだから。

 そのおかげで綾は孤独と感じる事はほとんど無かった。

 綾が今でもこうして過酷な『魔女狩り』を続けているのが何よりの理由だろう。

「でも、悠とずっと一緒にいられるなら……きっとお互い幸せ、だよ」

 だから、その幸せをこの孤独な『魔女』にも教えてあげたい。

 それが今まで戦い続けてきた『魔女』の不幸と孤独を知った『魔女狩り』の答え。

 そして『魔女狩り』の本当の願いでもあった。

「綾お姉ちゃん……本当にずっと一緒にいてくれる?」

 その願いに、悠が構えていた大斧を下げた。

「約束……するわ、私が死ぬまで……ううん、死んだとしても悠の側にずっと……一緒にいるわ」

 そして近寄ってくる悠を見て、綾も力を振り絞って手招きをする。

「そう……なら……」

 返答を今か今かと待ち構えていた綾に、何故か悠は大斧を構えていた。

「お姉ちゃん……迂闊だね。わざわざ隙を見せるなんて。でも、安心して。私も……後で一緒に逝くから……」

 それは綾を油断させる罠で、悠は抵抗する様子の無い綾を今にもなぎ払おうと、大斧を揺らしていた。

 だが、斧を振りかぶり最後の一言を述べていた悠の時間は、綾の斧槍にとっては相手を突き刺す絶好のカウンターチャンスだが……。

「……っ! 馬鹿者! 何故何もしなかった!?」

「何で……綾お姉ちゃん……」

 その斧槍は悠を貫くどころか既に綾の手から離れ、地面を転がっていた。

 予想外の行動に驚く二人の目線の先には、綾の脇腹に深々と潜り込む大斧から、綾の服にじわじわと赤黒い色が広がって行く光景が映っていた。

 

 最初はわたしを殺そうとしてた人だった。

 でもわたしに戦う意志がないって解ると、一緒に来ないかと誘ってくれた。

 本当は早く死にたかっただけなのに……。

 ……だけど、嬉しかった。

 ラブリュス以外で初めてわたしに優しく接してくれた人だから……。

 それでも、わたしがこの世界を破壊する『魔女』だと解れば、お姉ちゃんは確実にわたしを殺すだろう。

 だから……すぐその誘いには乗れなかった。

 わたしを否定したこの世界と一緒に破壊して消え去ると言う、ラブリュスとの約束もあったから……。

 どちらかの約束を守るなら片方を破らなければいけない。

 でも、ラブリュス以外で初めてわたしに優しくしてくれた綾お姉ちゃん。

 だからお姉ちゃんもラブリュスも裏切りたくなかった。

 苦しかった……そして、悲しかった……。

 そんな迷ってるわたしにラブリュスが優しく教えてくれた最後の方法……。

 そう……お姉ちゃんもラブリュスも悲しませないで済む方法。

 そしてわたしができる唯一の行動。

 つまり、世界と一緒にお姉ちゃんも破壊してしまえば良い……そう、思っていた……。

 でも……わたしには殺せなかった。

 やっぱり……どこかでお姉ちゃんを殺したくないと思っていた。

 そして、戦いの途中でそれが疑心から確信に変わってしまったから。

 どれだけ叩き付けても、どれだけ痛めつけても諦めずに、わたしに戻ってこいと叫び続けるお姉ちゃん。

 そこで躊躇ってしまったから……。

 自分の為にここまで真剣になってくれる人を殺す訳にはいかない……と。

 だから、お姉ちゃんを追いつめて、わざと自分を殺してくれるように仕向ければ良いと思った。

 つまり、お姉ちゃんがわたしの事を本気で殺しに来る敵だと思って貰えれば良い。

 そう……敵なら殺しても後悔はしないはずだから……。

 だから、お姉ちゃんがわたしを憎んで殺してくれれば……全て丸く収まる……そう思っていた。

 でも……優しいお姉ちゃんは、それでも全て受け入れてわたしの事を思ってくれた。


「やっぱり……私を殺せなかったね?」

 この状態でも間違い無く致命傷だが、悠の魔力を考えれば綾を一刀両断にすることなど容易いはずだった。

 そう、綾を殺すと決めた悠は最後の最後で躊躇った。

 そして綾は震えていた悠の手を優しく取る。

「ほら……やっぱり怖かったんだね? 私一人殺すぐらいでそんなに怖いのに儀式を起こせばもっと沢山の人が死ぬよ? それでも……できる?」

 綾は今にも泣き出しそうな悠をそのまま抱き込み、優しくその背中をさすった。

「ごめんなさい……ごめん……なさい」

 ついに堪えきれなくなった悠が、頬から大粒の涙を零して綾の前で両手を地面に着けて泣き崩れた。

「それじゃあ、最後の仕事……っ! お願い、もう少しだけ……もって!」

 落ち着いた悠を座らせた後、綾は足下に転がっていた大斧を睨み付けるが、その脇には大量の血が滴り落ちていた。

 どう見ても生命に関わる出血量だが、それでも綾は倒れまいとふらつきながらも斧槍を構え、悠が手を離して地面に落ちた大斧と対峙する。

「ふふ……私が黙ってやられるとでも思っているのかし……えっ、精霊体に……戻れない!?」

 悠の足下に落ちたラブリュスが、精霊体へ姿を変える為に光の粒子になろうとするが、大斧が一瞬輝いただけで何も変化は起こらなかった。

「契約者が契約を破棄、あるいは履行不能となった場合に取る精霊の行動は二つ。一つは契約者をそのまま喰い殺す……もう一つは契約者を置いて立ち去る事……」

 いつの間にか精霊体、つまり人の姿になってたトリシューラが、大斧の周囲に魔術封じの小さな魔法陣を張り巡らせていた。

「ふっ……全てお見通しって訳ね……年期の入った『魔女狩り』は伊達じゃないって事かしら?」

「うむ、両方とも既に経験済みでな……対策にぬかりはないぞ。観念せい」

 斧槍の精霊がそう言うと、大斧の精霊はそれ以上何も言うまいと沈黙した。

「綾お姉ちゃん……ラブリュス……壊すの?」

 それは綾よりも古い理解者であった。

 だから悠を思う綾のように、何とか壊さずに済まないかという希望はあった。

「ごめんね、悠。これだけは譲れないの。こいつを壊さないと、みんな……死んじゃうから」

 だが、綾の懸命な目を見てそれも無理だと解り、ただその様子を見る事しかできなかった。

「消えろっ! 『破壊の精霊』! 人々に絶望を与える『魔女』に『魔女狩り』の裁きを!」

 魔力を込めた斧槍を全ての元凶である武器化した『破壊の精霊』に打ち付け、叩き壊す。

「これで今回もやっと終わった……かな?」

 全てを終えると、綾が糸の切れた人形のようにぱたりと倒れ込む。

「綾! しっかりしろ! 意識をしっかり持て」

 倒れた綾の目には既に生気がなかった。

「ごめん……リシェ……流石にダメ……かも」

 そのまま目を閉じようとする綾へ必死に叫び続けるトリシューラだが、結果空しく、そのまま綾のまぶたがピクリとも動かなくなる。

 それが綾の視界に映った最後の情景だった。


「あれ? ここは……?」

 あの時死んだ感覚と同じだと思っていたが、起きあがると体は鈍い痛みを発し、顔を歪めながらもここが現実だと確認する。

「あ、綾お姉ちゃんが起きた。リシェー!」

 そのまま屋上の一角へ向かって一目散に走っていく少女の姿。

 綾は今の状況がさっぱり解らず、今の少女は悠かもしれないと、はっきりとしない記憶を脳をフル活動させて整理し、照らし合わせていた。

「どうじゃ? 半透明には……見えんはずじゃが?」

 そんな最中、意地の悪い笑みで指摘するのは、銀髪灼眼のいわずとも解る綾の相棒であるトリシューラ。

「私……何で生きてるの? それに、悠は何でリシェが見えるの?」

「こ奴はな、お主を助ける方法を知る為に自力で力を目覚めさせてワシを見つけてきおったのじゃよ……先天性の『魔女』は伊達ではないようじゃ」

 少し悔しそうに口を尖らせるが、それでも嬉しさを隠しきれずに悠の頭をぽんぽんと数度叩く。

「それで応急処置の為、ワシと仮契約をしてお主に治療の魔術を施して一命を取り留めた……と言った所じゃな」

「綾お姉ちゃん、良かった……本当にありがとう」

「こちらこそ。おかげさまで命拾いしたわ……ところで、これからどうするの?」

 悠は何か言いにくそうにもじもじしながら綾の様子を伺いつつこう言った。

「わたし、綾お姉ちゃんが良ければ一緒に行きたい」

「良いわよ。私が言った事だしね」

 その一言で悠が幸せそうに微笑んだ。

「これからもよろしくね。この先辛い事があっても私が助けてあげるから、お互い頑張ろうね?」

「うん!」

 元気よく返事をする悠にトリシューラが割って入った。

「こわっぱ共め、ワシを忘れておらぬか?」

「勿論リシェも一緒、三人だね」

 悠は自分を中心に左右に綾とトリシューラで腕を組む。

「やれやれ、これはしばらく退屈せんで済みそうじゃ」

 空は朝日の映える快晴だった。

 まるで、これから旅立つ三人を祝福するかのように。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

絶望の魔女 @syo25

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ