第25話 山あいの老舗旅館
埼玉県の山あいの温泉街にヴァーチャーズの本部はあった。元は代々続いた伝統ある旅館だったが、廃業して空家になっているところに、勝手に自分たちの施設として使っているのだった。そもそも正規のルートで買おうとしても、土地や建物の持ち主に連絡が付かないのだから、どうしようもなかった。西日本大地震の混乱で持ち主は行方不明、勝手に住み着いても文句を言う者もいないのだ。まだこの辺はマシな方である。大津波を受けた東京都心は水が引いたあと、スラムと化していたのだ。
和風の旅館らしく木造建築で、入口の門から玄関まで飛び石が敷かれ、庭や植木を楽しむこともできた。池には鯉が泳いでいる。決して上手とは言えないものの、手入れはちゃんとされていた。
その時、魔遊は自分がめまいを起こしている錯覚に陥った。めまいなど起こしていないのに、体が意に反してぐらぐら揺れる。立っていられなくなり、その場にしゃがみこんでしまった。それでもまだ揺れている。
「
魔遊の様子がおかしいことに気づいたアスドナが、厳しい口調で叫んだ。
すると植木の影から、小柄で見た目も幼い少女が姿を現した。そばかすが特徴の少女だった。
「アスドナ、ごめんごめん。ドミニオンズにいたという、強力なネガティブ・ジェネレイター戦士が来ると聞いて、どれくらいの智力なのか手合わせをしてみたかったのよ。だから本気じゃないよ。ちゃんと手加減したんだから」
紗麻江はまったく悪びれる様子もなく、魔遊に会釈した。
「手合わせとは何よ。遊びじゃないのよ。それに今は魔遊はマン・マシーンを装着していないから智力を使えないの」
「なーんだそうなの。つまんない。ねえなんで装着しないの? EDENから切り離されて頭おかしくならない?」
紗麻江は急に興味をなくした。そして紗麻江はEDENに依存している人間のようだ。
「紹介するわ。この子は伊藤紗麻江。十六歳。見た目子供っぽいけど、魔遊よりも年上ね。智力はトゥイステッド・テライン。地震を起こす力よ。でも智力が弱いから、今魔遊が攻撃を受けたように、人を立っていられなくするほどの効果しかないわ」
「それは言わない約束」
紗麻江は口を
紗麻江を加えた一行は、ヴァーチャーズ日本本部に入った。入口のホールはがらんとしている、今はちょうど昼時である。
安堂博士を先頭に、一行は以前の旅館時代では宴会場だった大広間に行く。するとヴァーチャーズ隊員が数十名、勢ぞろいして昼食をとっている。ここでは、隊員たちが持ち回り制で食事を担当する。序列は関係ない。順番が回ってくれば、本田やアスドナも食事を作る。
安堂博士を始め、本田やアスドナが戻ってきて、なおかつ見慣れない人物もいて、大広間の隊員たちはいっせいに振り返った。
「今帰ってきた。色々と心配をかけたようだな。アスドナがドミニオンズに捕まったりとトラブルが発生したが、脱出に成功した上に、無事に杏璃魔遊を仲間にできた。そしてさらに元ドミニオンズのリーダーだったアザエルが我々の仲間になってくれた」
安堂博士は簡単に説明と紹介をした。すると隊員たちはざわつき始めた。魔遊やアザエルの情報はすでに行っているようで、口々に魔遊の上海での活躍の話題で盛り上がっている。
「おかえりなさいませ博士」
と隊員のひとりが立ち上がり一行に歩み寄った。彫りの深い顔立ちの少年だった。
「本田も遠路ご苦労様。アスドナも大変だったようだね。君か元ドミニオンズのリーダーは。やっぱり風格が違うなあ。これから立派な戦力になるのを期待してるよ」
そこで隊員は言葉を切ると、魔遊をまじまじと眺めた。魔遊は迷惑そうな顔をする。
「ルイス、ジロジロ見ては失礼よ。魔遊、ごめんなさいね。この
「おいおい、アスドナ、遠慮がないとはなんだ。遠慮くらいするぞ俺だって。で、この杏璃魔遊という奴はネガティブ・ジェネレイターという智力を持っているんだよな? たくさんのドミニオンズ戦士を殺して、かなり危険な奴らしいと報告を受けたが。ホントにお前危険なのか?」
アスドナは顔を手で覆った。また始まった、と心で思っていた。言わなくてもいいことをいちいち口に出すのが、ルイスの欠点である。しかも相手の嫌がることでも関係なしにである。そしてさらに悪いのは人前であっても平気で大声でしゃべるのだ。これではみんなに言いふらしているようなものである。
一方の言われた側の魔遊は一気に不愉快な気分になった。忘れたい上海での出来事の数々を思い出してしまったからである。そして初対面にしてルイスのことが嫌いになった。
「まあ、ここでごちゃごちゃ話しても始まらん。わたしたちの昼食も用意してあるのかね? それならまずはご飯を食べようじゃないか」
安堂博士は長テーブルの空いた席に座ると、昼食を食べ始めた。本田やアスドナは顔を見合わせていたが、とりあえず昼食にしようということで、魔遊とアザエルにも席を案内した。
昼食後、安堂博士は魔遊とアザエルに施設内を案内した。
一階は、玄関ホールと食事や会議を行う大広間。そして大浴場。奥まったところに博士の書斎がある。
二階は研究施設がある。ここではアークエンジェルズの智力向上を図る部屋であるらしい。どこかドミニオンズの医療室を思い起こさせるものがあった。
また、机がいくつも並ぶ部屋もある。そこにはヴァーチャーズ隊員が詰めていているのが分かる。
三階は隊員たちの個室となっている。
これがヴァーチャーズ本部である。数十人いる隊員のほとんどがアークエンジェルズでパワーズはごく一部。アークエンジェルズたちの役回りはEDENの監視である。地味な作業だが、二ヶ月前に上海支部から異常な智力の波を発見の報告を受け、それが魔遊で、今魔遊はこの本部にいるのである。偶然も重なったが、地道な活動の結果なのである。
まず魔遊とアザエルは、研究室でマン・マシーンを装着することから始めることになった。装着するのは博士自らである。
「このマン・マシーンは、表向きはヴァーチャーズ・カスタムとなっているが、実は少し違う。基本的構造は、わたしの住むオリジナル世界のノックヘッドだ。わたしはこのコピー世界の本部長をしているが、オリジナル世界でもARK社で研究所の所長をしている。つまりオリジナル世界とコピー世界を普段から行き来しているのだよ。それで、どちらの世界も脳に端末を装着する技術は進んでいるが、わたしの見たところオリジナル世界のノックヘッドの方が性能は上のようだ。それをこのコピー世界で使えるように改良を加えたのが、ヴァーチャーズ・カスタムだ。ああ、そうそうドミニンズ・カスタムのような追跡機能は搭載されてないから心配はいらない」
博士は「V」の額飾りが装飾された、ノックヘッドを見せた。本田やアスドナが装着しているものと同じものだ。
「博士、コピー世界とか、オリジナル世界とか、一体何です?」
アザエルはたずねた。
「君にはまだ話してなかったね。後で教えてあげよう。じゃあ、まずは魔遊から装着してあげよう」
魔遊はヘッドギアをかぶると、ヴァーチャーズ・カスタムのノックヘッドを装着した。その瞬間、EDENが脳内に広がり、智力が充実してくる感覚が戻ってきた。魔遊は自分はEDENに依存はしていないと思っていたが、この安心感がきっと依存になっているかもしれないと思った。
「どうだね? 違和感はないかね?」
「大丈夫だ。なんともない。ただ、それほど性能が上がってる感じもない」
「ははは。性能に関しては期待はしてはいかん。ドミニオンズ・カスタムも非常に良く出来ているからな。ただ知ってのとおり、ドミニオンズ・カスタムには追跡機能が付いているから厄介だ。まあ、ちょっと施設内を回ってきてみたらどうだ。ヴァーチャーズ・カスタムがどの程度のものか分かるだろう。では次はアザエルの番だ」
アザエルはノックヘッドを装着させてもらいながら、オリジナル世界の事を聞いている。きっとそこでは魔遊が日本を崩壊させた話も出るのだろう。
魔遊は研究室を見て回る。木造建築なので、木のぬくもりが感じられる。殺風景だったドミニオンズとは大違いだった。
研究室を出る。木製の廊下はギシギシと軋んだ。
二階の大部屋、アークエンジェルズたちがEDEN上の情報を収集する部屋の前に来た。中に入ると数十名いるヴァーチャーズ隊員のほとんどがここで作業を行っていた。アスドナの姿も見える。
「魔遊、よく来たわね。あ、ヴァーチャーズ・カスタムを装着してもらえたのね。これで立派なヴァーチャーズ隊員の仲間入りよ。改めて、ようこそヴァーチャーズへ。ここでは、EDEN上の監視を主におこなっているわ。対象はARK社やドミニオンズが中心ね。後は、世界各地のヴァーチャーズ支部と連携をとり合っているわ。それから、世界中のグリゴリとも情報共有しているし、時にはグリゴリたちと一緒に行動もするわ」
噂には聞いていたが、ヴァーチャーズは世界中のグリゴリたちの中でもトップクラスに数えられている。その中枢がここであり、それを束ねるのはアスドナだったわけだ。ただ、魔遊にとって意外だったのは、ヴァーチャーズの隊員たちがほとんどアークエンジェルズ能力程度であることだった。もっと強力なパワーズクラスの智力の持ち主の集まりかと思っていたがそうではなかった。強力な智力を持っているのはアスドナひとりで、それで事足りるようだ。彼らが行っているのは、EDEN上の異常を探しまわるという地道な作業である。地道ではあるが簡単な作業なのでアークエンジェルズ程度でもできるのだ。もし異変を発見したら、アスドナに報告すればいい。基本的にサイバー攻撃がメインのグリゴリ活動のヴァーチャーズなので、ずば抜けたパワーズはあまり必要ないのだ。
アスドナと会話をしていると、魔遊の頭に室内にいるヴァーチャーズ隊員の感情が流れ込んできた。アスドナへの嫉妬。ネガティブ・ジェネレイターへの恐れ。元ドミニオンズ隊員という
魔遊はいたたまれなくなり、部屋を後にした。そして「ここでも同じことの繰り返しか」という残念な思いに暮れるのだった。
一階のホールは休憩所になっており、隊員たちが思い思いに体を休めてくつろいでいる。正確には脳を休めているのだが。
魔遊はホールを横切り、大広間に行ってみた。そこではパワーズクラスの隊員たちが数名集まって、精神統一を行っている。紗麻江やルイスの姿も見える。
魔遊に気づいた本田がやってくる。
「魔遊。ノックヘッドを装着してもらったのか。今、ここではパワーズたちの智力向上のための訓練を行っている。とは言っても精神をきたえるだけの簡単なものだがね。あ、みんなそのまま続けてくれ。正直言うと、ヴァーチャーズにはドミニオンズのパワーズと正面切って戦えるような強力な戦士はいないに等しい。俺は物質を飛ばせる能力だが、直接攻撃ができるわけじゃない。アスドナもケルビム能力を持っていはいるが、直接攻撃には向いていない。だから、魔遊とアザエルには期待してるんだ」
「ARK社へ乗り込む時の話か」
「そうだ。まだ博士からの指示は出ていないが、近日中にあると思う。ところで魔遊もここで訓練してみるか?」
そう言われて魔遊は訓練をしている隊員たちを見た。みな目を閉じ、精神を集中させているが、実のところ魔遊という人間への懐疑的な念を抱いていた。もちろんその負の感情を魔遊が見逃すはずがなかった。やはりヴァーチャーズに来たところで、自分の疎外感や孤立感は消えないのか? もはやどこへ行っても同じなのか? というあきらめにも似た感情が湧いてくるのだった。
「ここにいたのか。魔遊、安堂博士が呼んでいるぞ。博士はまだ研究室だ」
やってきたのはアザエルだった。額にはヴァーチャーズのノックヘッドが装着されている。もうこれで、アザエルは正式にドミニオンズではなくなったわけだ。
「魔遊、早く行ってこい」
本田は魔遊をうながした。そしてアザエルに訓練の説明を始める。するとアザエルは興味深そうに訓練を教わる。
魔遊はひとり寂しく研究室へ向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます