第26話 多元宇宙

 魔遊が再び研究室を訪れると、安堂博士がパソコンに向かってなにやら作業を行っていた。魔遊が来たことに気づくと、作業を中断した。

「昨日話したオリジナル世界やその他のことの続きを話してやりたくてね。また難しい話かもしれないが、ぜひ魔遊には聞いて欲しい。オリジナル世界とコピー世界を生き抜いた君には聞く権利がある。今からわたしが話す内容は、本田やアスドナにも言ってある。申し訳ないが、君がオリジナル世界で起こした大災厄も話した」

 魔遊は昨日の話の続きと聞いて、少し身構えた。魔遊の理解力ではうまく聞けるかどうか不安だったからだ。

「まず、多元宇宙論というものを理解しなければならない。この世は次元の違う宇宙がたくさんあるという考え方だ。今わたしたちがいるコピー世界、オリジナル世界といったように、一個や二個ではない。何百、何千、何万という無限に近いほどたくさんあるのだ。例えば風船がたくさん浮いている様子を思い浮かべて欲しい。そのひとつひとつが別々の宇宙だ。たくさんの風船は、巨大なドームの中を漂っている。イメージとしてはそんな感じだ。そのドームですら、ひとつの入れ物に過ぎない。ドームの外には、またドームが無数にあるのだ」

 魔遊は大きな入れ物の中で、たくさんの風船が浮かんでいる様子をイメージしてみた。それはこの施設の庭にある池を泳ぐたくさんの鯉のようだった。

「では風船である宇宙を作ったのは誰か、ほかでもないセラフィムだ。魔遊は昨日、人類の歴史は数十万年といったな。その数十万年の間に膨大な数のセラフィムが生まれたともいえる。原始人だってセラフィムになっていたはずだ。現にわたしがワームホールを使って移動した先の、別次元の宇宙には原始人が作り出した世界もあった。なにもノックヘッドを装着しないとセラフィムになれないわけではない。単にセラフィムになりやすいかどうか、という問題だ。オリジナル世界で開発されたノックヘッドは、元々は携帯端末でしかなかった。しかしながら、端末を装着するとまれに副産物的に未知の能力を発現する者が現れた。すなわちアークエンジェルズだ。オリジナル世界では彼らのことをエスパーと呼ぶがね。今や、副産物と主産物が逆転しているな。アークエンジェルを研究していくうちに、彼らの中にセラフィムに近い能力を持つ者が現れるようになった。わたしはオリジナル世界ではARK社のエスパー研究所の所長という肩書きもあるが、研究所には世界中からエスパーが集まってくる。彼らを研究するその過程で、何度もセラフィムとなりビッグバンを起こした者を見た。彼らの世界も見たよ。イマイチだったな」

 博士はそこで言葉を切った。イマイチとはどういうことか。この詩亜の世界はどうなのか。魔遊は興味をひかれた。

「セラフィム……オリジナル世界ではレベル7と呼ぶが、レベル7に到達したものは新しい世界の創造主となる。そこで、その創造主が作りたい世界になるのだ。詩亜が作った世界は、オリジナルと全く同じ世界を望んだ。では、我々の研究所から出たレベル7はどうかというと、私利私欲に満ち溢れた争いごとの絶えない世界ばかりだった。今までたくさんの世界を見てきたが、ほとんどこれに近い世界ばかりだな。これではテラフォーミングなどできない」

「テラフォーミング?」

 魔遊は聞きなれない言葉にオウム返しした。

「そうだ。テラフォーミングとは本来、地球を飛び出し、別の惑星に地球と同じ環境を作ってそこに居住することを意味するが、これと同じことをレベル7がビッグバンで作り出した世界でやろうとしているのだ」

 別の惑星に居住すると聞いて、魔遊は壮大すぎる話に感じられた。そのことがセラフィムとどう関係するのか?

「魔遊は貧民街出身だな? 今の世界をどう思う?」

 考え事をしていたら、不意に博士に質問されて魔遊は戸惑った。しかし、貧民街での苦しい生活を思い出すと怒りがこみ上げてきた。

「俺たち貧民街の人間と、富裕層の人間で、まるっきり違う生活をしているのが気に入らない」

「そうだろう。まず貧富の差。これは大きい。ここから社会に不満を持つフォーリンエンジェルズやグリゴリといった者たちが現れる。もっと過激になるとテロリストや内戦も後を絶たない。あとはどうかね? 異常気象も気にならないかな? 地球温暖化で一年のほとんどが真夏のような暑さだ。そしてこの暑さで伝染病を媒介する蚊などが飛び回っているし、未知のウイルスも毎年のように発見されている。とにかく今の世の中は乱れている。これらを、別の世界へ脱出することで、すべて解消しようという考え方だ」

 新しい世界への移住と聞いて、魔遊は今のこのコピー世界のことをまっさきに考えた。とてもよその宇宙の人間たちを受け入れる余地などないと、断言できた。まずこれ以上人口が増えたら住む場所もないし、食料もない。なにより社会が悪いから、新たな人を受け入れてもその人たちががっかりするだろう。

「オリジナル世界でレベル7のエスパーを育成する理由、それは単なるお遊びではなく、テラフォーミングできる世界を作ってもらうことなのだよ。詩亜は自分がレベル7になり、ビッグバン能力でこのコピー世界を作った。コピー世界ということは、オリジナル世界もこの世界と同じ問題を抱えているということだ。だから、今の世界に変わる新世界を作り出すことが急務なのだよ。既存の別次元の世界も数多く見てきた。だが、その大半がとても人間の住める環境ではなかった」

 安堂博士は立ち上がった。

「魔遊、来たまえ。君にだけは案内しよう」

「どこへ?」

 といいつつ魔遊も立ち上がる。

 博士は何もない空間に手をかざすと、現れたのは真っ暗な穴だった。穴の中は黒い渦を巻いており、見ているだけで引き込まれてしまいそうになる。引き込まれそうになる魔遊を博士が止めた。

「これはワームホールだ。ここを通り抜けることで別次元の宇宙に行ける。では行ってみようか」

 博士は魔遊の手を取って真っ暗な穴の中へ入っていった。ワームホールの中はやはり真っ暗で歩いているものの地面は見えなかった。ふわふわと浮いているようでもあり、しっかりとした目に見えない敷石でも敷いてあるかのようでもあるし、まったく感触がつかめなかった。また天井もあるのかないのか分からない。どこまでも漆黒で低いようでもあるし、高く突き抜けているようでもある。進行方向もどこまで続いているのかさっぱりわからない。遠くまで続いているようにも感じられる。ふと後ろを振り返ると、出口がなくなっていた。こちらもどこまでも漆黒の闇だった。魔遊は一瞬帰れなくなるのでは? と心配になったがしっかりと握られた博士の手が頼もしかったので、博士に頼るしかなかった。

 しばらく歩いて、まっすぐ歩いているかどうかもわからなかったが、それでも歩いて、前方に光が見えた。顕微鏡かなにかで観察しているかのような映像で、そこには石ころがぎっしりとつまって見えた。形、大きさ、色すべて不揃いで石の博物館といった感じだ。

「これは太古の別次元の宇宙だ。太古といっても数十億年も前の話だ。見ての通り石しかない。調べてみたところ、この世界を創ったのは石だ。石といっても惑星を形作るような宇宙空間に漂っている小惑星規模だがね。宇宙空間に漂う小惑星同士がぶつかり合い、くっつき合い、それを数限りない回数繰り返して地球のような惑星を形作るのだが、その過程でとある小惑星がビッグバン現象を起こした。だが、ただの小惑星なので石ころばかりの世界しか創れなかった。このことから、ビッグバンを引き起こすのは人間だけの特権ではないことがわかる。わたしは若い頃にこのことを発見し、論文にまとめたが誰にも相手にされなかった。石ころがビッグバンを引き起こすなど、誰も信じてくれなかったのだ。だが、事実だ。この石ころの宇宙を見て、宇宙を作り出すDNAみたいなものが、物質の中に入っているのではと思うようになった。どんな単純な物質でも。生物、非生物関係なく」

 しばらく歩くと、虫だらけの世界が現れた。世界中を虫だけが跋扈ばっこし、重なり合うように生きている。虫嫌いの人が見たら卒倒しそうな世界だ。

「これは見ての通り、昆虫が創り出した世界。下等な生物でも宇宙創り出せる証拠だ。あそこに見える恐竜だらけの世界はまさしく恐竜が創り出したもの。こっちは植物が創り出した、シダ植物だらけの世界。どうだ? 石ころや、虫けらや、爬虫類、そして植物でさえも別次元の宇宙を創っている。では、その世界にテラフォーミングできるかというと、やれないこともないかもしれないが少し難しいな。もう少し後の世界を見てみよう」

 すると急に世界をのぞく窓が急に増えだした。

「いよいよ人間の登場だ。やはり人間はビッグバンを起こす能力が高いことが分かる。しかも高度な世界を創り出す。自分の思うような世界を創れるからな。だが、逆を言うとひとりよがりな世界を創るということも言える。見てみろ」

 博士が指さした先には、古代人と思しき人たちがたくさんの動物や植物に恵まれた世界になっている。すなわち食物には困らない世界だ。

「あれくらいなら可愛いものだ。創造主はきっと獲物が取れず、腹をすかせていた生活を強いられていたのだろう。この世界には人口が少ない上に、温暖な気候ということで、実は一部テラフォーミングの実験を行っている。百人ほどの規模の集落を、世界各地にいくつか作って、長期に渡って生活ができるか見守っている。基本的な条件として自給自足ができることだな。今のところは順調だそうだ。わたしはテラフォーミングした後のことは関わっていないから詳しいことはわからない。わたしがやっているのはテラフォーミングできる世界を創り出し、見つけ出すことだ。こちらの世界はどうかね?」

 博士は足元に見える世界を指さした。そこでは中世ヨーロッパ風の甲冑を身につけた兵士たちが戦争をしている世界だった。

「見ての通り、争いばかりしている世界だ。ここの世界の創造主はとある王国の領主が創った世界だ。よほど争いごとが好きなんだろうな。この世界ではいくつかの国に分かれているがそのすべてが争いあっている。とてもじゃないがこんな世界にテラフォーミングはできない。命の保証ができない。人間の世界で最も多いのが、これら争いごとや戦争、いがみ合いの世界だ。圧倒的に多い。次いで多いのが私利私欲にまみれた世界だ。創造主そのものがエーテル体となって依代よりしろに実体化し、一国の領主となって贅沢三昧の生活を送るというものだ。これらは人間の基本的な欲求となにか関連があるのかもしれないな。もっと平和的な世界ならテラフォーミングできるのだが、人間の醜い部分が出た世界に移住は無理だな。理想を言えば、平和で桃源郷のような世界を作り出してくれればいいが、今まで見てきた中ではなかなか無い」

 博士は少しため息混じりでぼやくように言った。

 魔遊は周囲にますます多次元宇宙が増えてきたことに気づいた。そしてそれらが奇妙な世界であることに気づいた。

「魔遊、気がついたか。近世になると多次元宇宙が増え、世界観が変わってくるのだ。多様性とか、人間の精神が変わってきつつあるのかもしれんな。ひと言で言うと病的な世界が増え出すのだ。あそこを見てみろ、なんだかわかるか? 世界は子宮で、創造主は羊水に浸かってひたすら眠り続けているのだ。もはや、世界など創りたくない、母体で安寧あんねいしていたいという歪んだ世界だ。こちらの世界は悪魔が人間を制服する世界だ。何がどう間違ったらこんな世界ができるのか理解できん。他にも宇宙人が地球を征服しにやってきては正義の味方が退治するという、映画のような世界まである。なにかが間違っている。目指す方向が間違っていると言わざるを得ない」

 そして詩亜が創った世界は、オリジナルのコピーという世界。もし詩亜が魔遊と一緒になる世界を作りたかったのなら、もっと穏やかな世界にしても良かったのではないか? 魔遊はいまさらながら詩亜の思いに疑問を感じていた。

「わたしが新世界を人為的に作り出そうとしている意味が分かってきたかな? オリジナル世界の人間を、崩壊寸前の世界から、新たな理想郷にテラフォーミングすることが目的なのだ。それも早急に。それにはレベル7やセラフィムの人間が必要だ。だからオリジナル世界ではARK社の研究施設で訓練を、コピー世界ではヴァーチャーズで訓練をしている。訓練はただ単に智力を上げるだけでなく、精神的に清らかであることを目的としている。やはり歪んだ人間が新世界を創っても、今見てきたようにまともな世界にならないことが分かる。だが、今まで何人ものビッグバン現象を起こし新世界を創り上げた人材を育て上げたが、なかなかうまくいかない。詩亜ではないが、どうしても自分が今まで育ってきた環境に近い世界を作り上げてしまうのだ。そしてその世界では、今の我々が抱える問題に近いものを持ち合わせている。そうすると、新たに新世界の人間たちもまた救ってあげなくてはならなくなる。もちろんコピー世界の住民も同じだ。わたしが知る限り数百億もの人間をテラフォーミングさせなくてはならないのだ。そしてそこでみんな平和的に生活をしていかなければいけない。同じ過ちを繰り返してはならないのだ」

 それを聞いて魔遊は気が遠くなった。数百億もの人間を、創り上げられるかどうかわからない理想郷に送り込むなどと。

「だが、確実に言えるのは、別次元宇宙は確実に進化している。コピー世界をとってみても分かるが、オリジナルと遜色ないほどにうりふたつだ。最初に見せた石ころだけの世界とは大違いだと思わないか? 先ほど見せた病的な世界も含めて、多様化しつつある。わたしは思うのだ。宇宙そのものが生き物であるかのように進化を続けているのではないかと。道端の石ころにも宇宙を作り出すDNAが継承されているのなら、人間にも同じく宇宙を作り出すDNAが埋め込まれていて、生命が進化するのと同じく、ビッグバンによって作られる宇宙もまた進化し続けているのではないかと思うのだ。これを元に推測すると、この宇宙は生命体が中心なんかではなく、次元を司る宇宙そのものが中心なのではないか? そうすると、人為的に宇宙を創り出そうとするわたしが行っていることは、実は宇宙の進化という大きな流れに突き動かされているのではないかと思うのだ。人類を救いたいというわたしの思いは、実は宇宙の進化の手助けに過ぎないということだ。だが、いまさら後戻りはできない。自分の信じた道を進むしかない。魔遊もまたセラフィム候補である以上、今わたしが説明したことを十分に理解して欲しい」

 すると辺りの景色が切り替わり、元のヴァーチャーズ研究室に戻っていた。

「どうだったかね? 多元宇宙を見た感想は?」

「俺がもしセラフィムになったとして、理想郷を創り出すという自信はない。なぜなら負の感情しかないから。きっと醜い世界になるに違いない。それなら、誰か他の候補者のサポートをしてやりたい」

「ふむ。そこまで強大な智力を有していて、今最もセラフィムに近いと思われる君がそうまで言うか。自分を過小評価しすぎているのではないか?」

「わからない。俺よりもアスドナや本田やアザエルの方がよっぽど適任じゃないか。あとオリジナル世界にもたくさんいるんじゃないか? 適任者が」

「いないこともないが。惜しいな魔遊ほどの智力、そうそういるものではないのだが。そうそう、言い忘れていたが、わたしの本来住んでいるオリジナル世界。オリジナルと言っているが、これは便宜上言っているに過ぎない。オリジナル世界ですら、創られて百数十年ほどしか経過していないのだ。創ったのは世界大戦の時に独裁者だったという男が創り出したもので、志半ばで死に目にあった時にビッグバン能力を発現したらしい。ではと、その独裁者が元々住んでいた世界をのぞいてみると、やはりそちらも数百年前の日本の戦国時代に活躍した武将が作った世界だった。こちらも志半ばで死に目にあい創ったものだった。だから、もはやどこが本当のオリジナル世界であるのかわからなくなっている。コピーのコピーを続けた結果、今の詩亜の世界があるといってもいいくらいだ。そしてさらにその世界から新たなビッグバンを起こす可能性のあるものが出てくるのだ。さっきも言ったが、こうなると人間が主人公ではなく宇宙が主役なのだと。そう思わされるのだよ」

 博士はどこか達観したような表情を見せたが、それでもなお情熱を注ぎ続けられる精神に、魔遊は驚かされるのだった。

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