第13話 安堂博士

「新しい生活は慣れそうかね?」

 スーツ姿に白衣の安堂博士は机越しに、ソファに座らせた魔遊と護に言葉を投げかけた。そして相変わらず白髪の博士のそばには、背の高い松田が控えている。松田もアザエル同様、ドミニオンズの戦闘服を身につけている。

 護は驚いていた。なぜならこの部屋だけはちゃんと壁紙があり、じゅうたんが敷かれ、調度品があり、生活感というものが感じられた。なぜ博士だけがこんな優遇されてるのか意味がわからない。

「無理です。あんな無味乾燥な部屋、一秒もいたくありません」

 護は率直に言った。できれば自分の部屋も、博士の部屋と同じにして欲しいと思ったからだ。

「ははは。そんなにすぐには慣れないか。無理もない。違和感があるのも今だけだ。その内気にならなくなる。みんな最初はそう言うがしばらくすると何も言わなくなる」

 安堂博士は護をなだめようと呑気そうに言ったが、護はまだ納得がいかない様子だ。

「じゃあ、この部屋が豪華なのはなぜです? 博士もあの殺風景な部屋で生活なさったらいいでしょう」

「ははは。いい物言いだ。これはわたしの趣味だな。外から買ってくるから、いつの間にかこうなっている」

 見れば高級そうなオーディオセットまで置いてある。音楽など脳内でいくらでも再生できるこのご時世に、オーディオセットとは古風である。きっとマニアなのだろう。

「だが、隊員たちにはわたしの許可なくの外出は禁じている。あとオンライン・マネーも持たせていないので買い物もできない。食事はここで配給されるし、衣服はドミニオンズの物を与えてある。洗濯はこちらでやる。生活空間は必要最低限あればよかろう。運動ならこのビルにあるトレーニングジムに行けばいい。娯楽は、脳内で自由にやれば良い。要はいかに楽しむか? ではないかな?」

 要するに衣食住の最低ラインは保証してくれるが、そこから先は自分たちで工夫しろということらしい。護はどこか納得がいかなかった。

「無駄話はこの辺にして、本題に入る」

 強制的に博士に押し切られてしまった。

「杏璃魔遊、間紋護。両名をスカウトしたのは紛れもなくわたしだ。約二ヶ月前から、この上海市内で強大な智力のログが観測されていた。ということは二十四時間三百六十五日、智力の動静を監視するシステムが街中にあるということだ。言うまでもなくこれは我々ARK社が管理運営している。強大なログが発見されて以降、これが一体誰なのかずっと捜索していたが、ついに判明した。君たち……魔遊だったわけだ。いくらマン・マシーンを装着してるとは言え、なんの訓練も受けていない君が、我がドミニオンズ隊員を超えるような数値をはじき出したのには、正直驚いた。魔遊を異例のセラフィム候補として迎え入れるように準備をしたのだが、プリンシパリティーズやヴァーチャーズも違う意味で君たちを狙っていたようだな。我々の下に来てくれたのは運が良かったのかもしれない。だが、この選択は間違いなく正解だ。君たちを歓迎する」

 安堂博士はにこやかに言ったが、先ほどのホールでの洗礼ではとても歓迎ムードではなかったため、魔遊は渋い顔で返すしかなかった。

 護は今の博士の言葉に自分の名前が一切出てこなかったのが引っかかった。

「君たちは、今世界がどうなっているかわかっているかね? あまり世界情勢には興味はないかな? 数十年前に世界人口は百億を突破。これにより、深刻な食糧不足が起きている。君たちは貧困層にいたから分かるだろうが、その日の食事も満足にとれない人々が世界中に数多くいる。なのに、富裕層では食べきれない食品が捨てるほど余っている。矛盾してるとは思わないかね? 貧困層の中には、その食べ残しを狙ってる連中もいるようだが」

 護はうなずいた。自分たちも富裕層のゴミ箱をあさった経験があるからだ。

「食料だけではない。エネルギー資源も不足している。化石燃料はすでにほとんど枯渇し、今は再生可能エネルギーが主流になっている。とはいえ、かつての化石燃料や原子力に頼っていた頃のように、全世界の人々に電力を供給できるまでには至ってない。これも日本人街で生活していて実感しているだろう。さらに、環境汚染、異常気象、未知の感染症……脅威はますます増加している。各国は対策に追われたが、国内で起こるデモや紛争、テロ対策、グリゴリ対策に手一杯で、とても改善の兆しは見られない。そして、決定的なのが貧富の差だ。これはずっと以前からあったが、ここ数十年でより極端になった。わずかひと握りの富裕層と、大半を占める貧困層。ここで人類は真っ二つに分かれてしまった。富裕層への怒りと不満。君たちはそれをどんな形で表現した? 恐らくグリゴリとして破壊の衝動に任せて憂さ晴らしをしていたことだろう。違うかね?」

 護はすっかり感服してしまった。博士の言うとおりだったからだ。と、同時にドミニオンズに入隊できたことで、貧困層から脱することができた喜びを今になって感じ始めていた。それならばあの無機質な部屋もなんてことはない。毎日お腹をすかせてひもじい思いをしたり、金持ち連中に対してひがみを持つこともない。だが、そこに自分さえよければ、という思い上がりが潜んでいることに、護は気づいていない。

 一方魔遊は自分がこんなところにいてもいいのか、という思いにかられていた。魔遊ひとりがここで生活したところで、世界中の貧困層の人たちが助かるわけでもないというのに。ただ、護が徐々にドミニオンズに興味を示しているのを見て、少しずつ考えが変わりつつあるのも事実だった。

「君たちはセラフィムという言葉を見たり、聞いたりしたことはないかね? いやきっとあるはずだ」

「あります。今EDENで持ち切りの話題のひとつです。……話題の出どころソースはARK社らしいですが……」

 護は少し申し訳なさそうに言った。

「恐縮することはない。事実だ。いや、少し違うな。我々が、世界中に広めるためにわざとリークさせた情報だ。EDEN上ではどんな話題に発展してるかわからんが、セラフィムとは単なる噂ではなく、世界を救う救世主となりうる智力を秘めたパワーズのことだ。我がドミニオンズではセラフィム候補となりうる人材を発掘、育成している。そして見事セラフィムになった暁には、その者が世界を救う事になる。新世界の誕生だ。そうすれば先ほど言った、社会的な不満や不安は全て解消される」

 安堂博士はきっぱりと言い切った。ARK社という最先端の企業が、一人の救世主を育成し、世界を救ってもらうなどというオカルティズムな発言に魔遊と護は面食らった。にわかには信じ難い話だが、博士の熱っぽい言葉にはどこか説得力があり、つい引き込まれてしまうものがあった。

 だが、疑問が残る。セラフィムが世界を救う、と博士は言うが、博士はそのセラフィムに会ったことがあるのだろうか? そして実際に救済の様子を見たとでも言うのだろうか?

「なぜセラフィムが世界を救うと分かる? もしかしたら世界を破滅させる破壊神かもしれないじゃないか?」

 魔遊は思わず口に出した。そんなよく分からない、たったひとりの人間に全世界の全てを負わせるようなことをするのは嫌だったからだ。

「それは心配ない。セラフィムとはこの世の全て、全知全能の力を持った唯一神だからだ」

 博士は自信たっぷりに言った。ハッキリ断言するからには根拠があるのだろう。だが、それがなんなのかは見えてこなかった。

「ノックヘッドが開発されて数十年。人類は様々な智力を得てきた。そして、世の中が乱れるにつれ、より強力な智力を持ったものが現れることが分かった。魔遊のように不遇な境遇にあるものほど強力な智力が生まれることも分かっている。すなわち、世界が破滅に向かうほど強大な智力の持ち主が生まれ、世の中のためにその智力で活躍するのだ。今、世界は破滅へと向かっている。今後更に強力なパワーズが生まれる可能性が高まっている。そしてより良い世界を作り出すことのできるセラフィムが生まれると期待しているのだ」

 博士の言葉は熱っぽいが、期待してばかりで根拠のなさそうな話に、魔遊は少し失望した。魔遊にしてみれば世界が破滅しようと、それは人間の自業自得というやつで、セラフィムとやらに期待を寄せるのは、今のつらい世の中に期待を持たせるだけの虫のいい話にしか聞こえなかった。

「ちなみに、我がドミニオンズでは、パワーズの中でもよりセラフィムに近い強大な智力を持った者をオファニムと呼んでいる。ここにいる松田がその筆頭だ。次いでアザエル、李美耽、ベルゼバリアルの三人を、今のところオファニムに認定している。魔遊もオファニムに認定してやりたいところだが、もっと厳密に智力を精査してみないとわからない。だが、きっと君ならオファニムになれる。期待をしているのだよ」

 安堂博士は自信に満ちた視線を魔遊に送った。送られた当の魔遊は迷惑と言わんばかりの顔をしている。とはいえ、自分の能力を肯定的に受け止めてくれる人がいるのは悪い気はしなかった。

「お、俺はどうなんです? オファニムになれますか?」

 護が息せき切って博士に質問した。

「ああ、護は……これも精査してみないとわからないが、まだパワーズの段階を超えていないな。もっとも訓練次第では智力が上がる場合があるからまだ分からないがね」

 それを聞いた護はがっくりと肩を落とした。そして、魔遊を睨んだ。思わず嫉妬してしまったのだ。それに気づいた護は慌てて目線をそらした。ほんの一瞬とは言え親友を嫉妬してしまった自分が恥ずかしかった。

「まあ、ふたりとも現時点ではセラフィムには程遠い存在であることを肝に銘じておくように。あとこれが一番重要なのだが、セラフィムは確かに世界を救うが、セラフィム単体で世界を救うわけではない。セラフィムとは受け皿であって、もっと大いなる力を扱える者だということを覚えておきなさい」

 博士は魔遊と護の顔を交互に見た。ふたりとも博士の言葉の真の意味までは読み取れなかった。

「ところでふたりとも、額の額飾りには気づいたかね?」

 言われて、魔遊と護は思わず額に手をやった。ドミニオンズのマークの入った額飾りである。

「君たちが意識を失っている間、我々ドミニオンズ隊員が装着しているノックヘッドに変えさせてもらった。現在世界中で販売されている最新のノックヘッドに、ドミニオンズ・カスタムを加えてある。もちろんこれはドミニオンズ隊員専用で、一般には流通していない。君たちが今までつけていたマン・マシーンも高性能だが、このドミニオンズ・カスタムも負けていない。処理速度はほぼ互角だ。我々とて、マン・マシーンのことを知らないわけではない。まして、ノックヘッドより処理速度が速いとなると見逃すわけには行かない。ARK社の技術チームがマン・マシーンを徹底的に調査し、最新バージョンで世間に出回っているマン・マシーンよりも、更に上を目指して開発されたのがドミニオンズ・カスタムだ。具体的に言うと、更なる智力の向上と、持続力のアップだ。魔遊は一度に智力を放出すると、意識を失うようだが、そういったことが少なくなる。まあ、それ以前に智力の使い方を学ぶ必要もあるがね」

 ドミニオンズのマークの額飾りには少し嫌な感情を持っていたが、智力が上がるのであれば、と魔遊は納得するよう自分に言い聞かせた。智力が上がり、セラフィムになって、世界を救える可能性があるのなら、と妄想してみた。

「魔遊の智力はネガティブ・ジェネレイター。自分の頭の中の負の感情を何倍にも膨らませて、相手の頭の中に大量に送り込む能力だ。これを食らった相手は、処理しきれないほどの負の感情が頭の中で爆発的に増殖し、発狂し、死に至るという恐ろしい能力だ。アークエンジェルズの応用的な使い方とも言えるが、相手に送りつける負の感情のデータ量が凄まじいのが特長だ」

 魔遊は初めて自分の智力のことを聞かされて戸惑った。何となくではあるが、自分の能力について薄々気づいていたのも事実だ。怒りであったり、痛みであったり、苦しみ、悲しみ、それらの感情がないまぜになって放出される感覚はあった。

「護はブラスト・ディザイア。物質を破壊する能力だな。その時の感情で智力にムラがあるようだ。そこを修正しないとオファニムへの道は遠いな」

 博士に言われて、護は背筋を伸ばした。

「もうふたりとも、智力やランクはサーバーに登録済みだ。ちなみにわたしの智力は、他人の智力を見抜く能力だ。今まで大勢のアークエンジェルズやパワーズを見てきて、それぞれに名前を付け、特徴を割り出し、体系をつけてサーバーに登録してきた」

 護はそう言う智力もあるのかと、感心してしまった。

「君たちはセラフィムに関してはリークした情報で知り得たようだが、ARK社の極秘事項のひとつ、MADに関してはどうかね? ふむ、その様子では知らないようだな。一部のアークエンジェルズのサイバー攻撃で情報が漏れ出しつつあるのだが、まだ世間には広まっていないか。せっかくドミニオン隊員になったのだから教えておこう。MADとはMankind Angel of Dominationの略で、人類天使化計画とも呼んでいる。君たちが装着しているノックヘッド・ドミニオンズ・カスタムは、装着者の情報が全てARK社に送信されるようにしてある。どれくらいの智力を持っていて、今どこにいるか即座に分かる。これは去年発売した一般流通されている新型ノックヘッドにも同様の機能が備わっている。この新型ノックヘッドのおかげで、どこにどんな智力を持ったアークエンジェルズやパワーズがいるのか分かる仕組みだ。改良を重ねた結果、従来型よりもアークエンジェルズ発現率が高いうえに、装着者の情報が次々にサーバーに集まってくる。こうしている今も続々と集まってきている。我々はこの新型ノックヘッドを、今までは廉価版として販売していたが、全世界に無償で装着を義務化できるようにと、世界政府の議会にずっと働きかけた結果、無事法案成立となった。そして即世界中に新型ノックヘッドが広まることとなった。今まで貧困などの理由で購入できなかった人々にも無償で支給出来る。そうなれば、世界中の人々が天使になれる。みんながつながりあえるのだよ。これこそMAD人類天使化計画だ。そしてその中から更なるセラフィム候補が見つかることになるし、世界中からデータが集まることとなる」

 安堂博士は言葉を切った。

 魔遊には話の内容は難しすぎて理解できなかった。護は断片的に理解した。

「では、これからもっともっとパワーズが増えて、ドミニオンズの隊員になる者が出てくるということですか?」

「その通りだが、まずはパワーズの素質によるな。ただ智力が強ければいいというものではない。将来的にセラフィムになれる素質があるかどうかが問題だ。そこの見極めをしないとダメだ。君たちは、強力なパワーズとそうでないパワーズとの違いは分かるかね?」

 魔遊と護は顔を見合わせた。答えられなかった。

「いくつか条件があるが、一番わかりやすいのを教えよう。松田、ちょっと見せてやりなさい」

 呼ばれた松田は前に出ると構えた。右の手のひらから水を、左の手のひらからは雷をそれぞれ発した。同時に複数の智力を備えているようだ。と思った瞬間暴風が吹き荒れた。風、雨、雷、すなわち暴風雨だ。

 魔遊と護は思わず頭を手で隠したが、暴風雨はピタリと止んでいた。ただのデモンストレーションだったようだ。

「今なぜ、君たちは恐怖を感じた? それは暴風や、雨、雷を見たからだろう? これは可視化といって、パワーズの能力が目に見えるくらい強力な証拠なのだよ。そしてこれは君たちにもあるはずで、身に覚えもあるはずだ」

 魔遊と護は再び顔を見合わせた。確かに自分たちにも可視化できるものがある。それだけ強力なパワーズである証であり、そこを認められたのだろう。

 安堂博士の部屋を後にして、魔遊と護は自分の部屋に戻った。色々と考えさせられることがいっぱいで、整理する必要があった。

 特に魔遊は一体自分が何者なのか? いつも以上に考え込んでしまうこととなった。そして気が付けば、なしくずしにドミニオンズの隊員として72階の一室のベッドで横になっていた。

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